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男の花道

1941年、東宝映画、小国英雄脚本、マキノ正博監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

大阪から江戸に向かっていた三世中村歌右衛門一座は、富士が見える茶店で一休みする。

駕篭に乗っていた中村歌右衛門(長谷川一夫)に対し、富士がきれいでっせと話しかけた座員に、付き人の関三十郎(山本礼三郎)が、余計な事言いなやと注意する。

しかし、歌右衛門は「降りて、ゆっくり見せてもらいまひょ」と言い出す。

それを聞いた三十郎は、ちょっと戸惑う。

駕篭を降りた歌右衛門は、富士山とは見当違いの方に身体を向けたので、慌てて、三十郎がもっと左だっせと、身体の向きを変えてやる。

やがて、富士山に雲がかかったと座員たちの声が聞こえると、ほんに雲がかかったな…と、同じ事を繰り返して、歌右衛門は、三十郎に支えながらゆっくり駕篭に乗り込む。

一座が遠ざかって行く中、茶店の椅子に腰掛けて一部始終を見ていた目医者土生玄磧 (古川緑波)は、下僕の嘉助(渡辺篤)に、「嘉助見たか?中村歌右衛門、きっとあれは盲目だ」と話しかけると、「自分の診断が正しいかどうか聞きただして来る」と立ち上がり、後を追おうとする。

嘉助は、それを「役者と言うのは人気商売なんだから、あまり追いつめると可哀想」と制止しようとするが、頑固な玄磧の探究心は止めようもなかった。

そんな二人が、その夜、三宿に泊まると、あんどん部屋に通され、夕食には給仕も付かないと言う仕打ちを受けたので、一体どなた様がお泊まりになっているのだろうと、皮肉まじりに首を傾げる。

その同じ宿に泊まっていたのは、偶然にも中村歌右衛門一座だった。

すでに寝床に入っていた歌右衛門の様子を観に来た三十郎は、頭が痛いと言う中村歌右衛門の言葉を心配する。

しかし、さらに三十郎を驚愕させたのは、そろそろ行灯をつけてくれと言う歌右衛門の言葉だった。

部屋の行灯は、とうに点いていたからだ。

三十郎は、これが見えまへんのか?と、歌右衛門の手を取り、行灯を触らせる。

それまで、「行灯は点いている」と言う三十郎の言葉が自分をなぶっているものとばかり思い込んでいた歌右衛門は、その手触りとロウソクの熱で、自分が全くの盲目になった事を悟り絶望する。

「あかん!もうあかん!終わりや、真っ暗や!」と頭を抱え、「江戸を前にして、どないひょ?」と言った次の瞬間、思わず自害しようと、側に置いてあった刀を手にした歌右衛門を、「アホやな!お母はんの事、忘れなはったか?」と慌てて三十郎が止める。

偉い事になったと動揺する三十郎だったが、とりあえず医者を呼ぶ事にする。

宿の主人(柳谷寛)に、目医者はいないかと尋ねても、急な話でなかなか要領を得ない。

ようやく木庵さんや!と思い出すが、それを呼びに人が走った後、木庵さんは馬の医者だと気づきがっかり。

そうこうしているうち、一人の女中が「下の行灯部屋に入れた客が、確か目医者だったはず」と思い出す。

かくして、玄磧と嘉助は、歌右衛門の部屋に連れて行かれる事になる。

患者が、あの歌右衛門と知った玄磧は、半年ばかり前から悪くなっただろうと言って、相手を驚かせる。

ダメでございましょうか?と聞く歌右衛門に、難しいなと答える玄磧。

そんな会話に割り込み、見立て違いと言う事も…と口を挟んだのは三十郎。

すると、玄磧も、見立て違いかも知れんなと受け流す。

しかし、半年前から悪くなったと見事に言い当てられた歌右衛門は、必死に治療を頼む。

それを聞いた玄磧は、日本には今、これが直せる医者が二人いると言い出す。

一人は、蘭学に通じた高良斎と言う人物で、これは長崎にいると言う。

もう一人は?と問いかける三十郎たちに、すぐ近く、お前たちの目の前にいる、このわしやと玄磧は自慢する。

それを聞いた三十郎は、お金なら、何ぼでも出しますさかい…と頭を下げるが、横で聞いていた嘉助は、こら、あかん。これで終わりだとつぶやく。

その言葉通り、玄磧は怒りだし、わしは金のためにやってなどおらん。自分は以前、大阪の中座の芝居で、その方が盲目だと言ったばかりに小屋を追い出されただけではなく、その後、浅野公とのご縁も切れてしまったんだ!と言い捨てると部屋を出て行ってしまう。

慌てた三十郎は、玄磧の部屋に追って行くと、自分のうかつさから飛んだ事になってしまって申し訳ない。何とか、太夫を直していただけないかと頭を下げるが、何でも金で買えると思っている、そう言う根性が嫌いなんだ!と言い捨てると玄磧は部屋を出て行ってしまう。

すっかりしょげた三十郎だったが、部屋に残っていた嘉助は、大丈夫だよ、先生は必ず参りますよ、と言い、取りあえず、三十郎を自室に引き取らせるのだった。

その後、部屋に戻って来た玄磧は、可哀想だな、どう考えても可哀想だな…と誰言うともなくつぶやき始める。

しかし、嘉助は聞こえぬ振りをして顔を背けている。

ちょっとだけ行って、手当てしてやろうか…と同意を求める玄磧に、嘉助は、でも、あの根性がね…とわざと言い返す。

すると、そうだ、あの根性が気に入らん!と玄磧も同調するが、やっぱり気になるらしくそわそわしている。

やがて、あの付き人が死ぬような事はないだろうな?と言い出す。

自分の落ち度だと思って、今の奴が死んだら、わしが情け知らずだと言う事になると言うのだ。

お前は、主人が情け知らずになって良いのか?と、又、嘉助に同行を求めるようなことを言って来る。

さらに、役者などと言うものは、物いりだから、意外と金など持っていないのかもしれんぞとも言い出す玄磧。

気は熟したと感じた嘉助は、じゃあ、仕方ないから直してやりますか。でも、直せますか?と玄磧を疑るような目つきで問いかける。

すると、意地でも直してやる!と憤慨した玄磧は、そのまま歌右衛門の部屋に直行する。

その後ろから、まんまと作戦が成功した嘉助も、微笑みながら同行する。

部屋に到着した玄磧は、居並ぶ座員たちを前にして、こいつにわしの腕を見せてやると見栄を張ると、手術以外に手だてはないと言い切る。

その「手術」と言う言葉は、部屋の外で様子をうかがっていた他の客たちの間にもさっと広がる。

宿中が固唾をのんで見守る中、玄磧の手術は始まる。

やがて、玄磧は「できた!巧く行ったぞ!」と叫ぶ。

手術が済んだと言う知らせも、すぐに宿中に広がる。

その時、馬医者の木庵が駆けつけて来て、「目が悪くなった馬はどこにいる。わしゃ、かなわんよ」と、手術道具を玄関口に広げ始める。

七日が過ぎ、包帯を取るときがやって来る。

これでダメなら、もう手の施しようがないと、玄磧も緊張を隠せない。

嘉助に部屋の行灯を消させ、ロウソクだけを、包帯を取った歌右衛門の目の前で動かし、何も見えんか?と問いただす。

最初は、何も見えないような様子だった歌右衛門だったが、やがて、明かりのようなものが動いているのが見えると言い出す。

それを聞いた玄磧は「見えた!」と喜ぶ。

手術は成功したのだ。

歌右衛門がうれしい!と言うと、玄磧も、わしもうれしいと返す。

やがて、今後の養生の事を言い残し、玄磧と嘉助は先に宿を出立する事になる。

それを見送る歌右衛門は、この感謝の気持ちをどうのような形で先生にお返しすれば良いのか分からないと言う。

すると、玄磧は、そなたに直された喜びがあるように、自分にも直してやった喜びがあるから十分だと答える。

それでも、このままでは自分の気が済まないと困惑する歌右衛門に対し、わしは、そなたに金を与えたのではない。自分が身につけた医術を与えたのだ。だから、そなたが学んだもので、その内返してもらえるかも知れんと答え、あの富士が見えるかと問いかける。

宿の外に見える富士山の事を言ったのだ。

外を覗いてみた歌右衛門は、見えます!とうれしそうに答えるのだった。

目が直り、念願かなって江戸で芝居興行を始めた歌右衛門は、毎日、玄磧が客席に来てくれているのではないかと、三十郎に探させていたが、杳として行方は知れなかった。

そんな歌右衛門の評判を聞きつけ、何とか自分の座敷に呼ぼうと画策しているものがいた。水野出羽守(丸山定夫)であった。

その頃、玄磧は、貧乏人相手に、長屋周りをしていた。

もちろん、金は一切受け取ろうとしないので、みんな、金や酒を礼代わりに手渡していた。

玄磧は、そんな長屋の連中に、中村屋の芝居が出てるから、観に行ってやってくれと勧めるのだった。

出羽守の依頼を取り次ぎに楽屋に来た茶屋「江戸紫」の内儀 (千葉早智子 )は、芸人の芝居は舞台で見せるもの、お座敷芸を見せたのでは、芝居に来て下さるお客様に申し訳がございませんのでお断りしますと、歌右衛門から、依頼主の名前も聞かず断わられてしまう。

それを横で聞いていた小屋主はすっかり感心し、歌右衛門こそ次代を支える名役者になるに違いないと褒めちぎる。

その頃、自宅にいた玄磧は、遅れて帰って来た嘉助が、昼食の支度をし始めたのを見ながら、いよいよ詰まって来たなと話しかける。

薬がお終いになったと言うのだ。

台所の方も苦しかろうといつも心の中で詫びていたのだと言う玄磧の殊勝な言葉に、つい嘉助も言葉が詰まる。

さらに、夕べ、お前いなかったな…と聞かれた言葉には無言で返すしかなかった。

良いのが出来たか?と冗談めかして話をやめた玄磧は、ちょっと出て来ようかなと言いおき、昼食もとらずに、そのまま中座の様子を観にでかける。

しばらく、芝居小屋の外をうろついていた玄磧だったが、そこで思わぬものを見てしまう。

あの嘉助が、よろけながら駕篭かきをやって、人ごみの中を通り過ぎて行ったではないか。

その夜、床に付いていた玄磧は、夜中にそっと帰って来て布団に潜り込む嘉助に背中を向けたまま、わしは浅野帯刀(清川荘司)の紹介で、水野出羽守に十石二人ぶちの条件で仕官したとそっと告げる。

それでは浅野さんの半分!とあまりの条件の悪さに小声で驚いた嘉助だったが、それでも二人は食って行ける。だからもう駕篭かきはしてくれるな。すまん!何も知らなかったんだ…と玄磧から言われると、恥ずかしさと感謝の気持ちで、またもや何も言えなくなるのだった。

かくして仕官した玄磧は、後日、茶屋「江戸紫」での出羽守の酒宴に、同じ医者である長谷川天庵 (深見泰三)や中村有斎(嵯峨善兵)と共に参加する事になるが、天庵は、出羽守から座興に踊れと言われると、幇間のように唯々諾々と踊り始める。

それを見ていた玄磧は顔をしかめる。

別室で酒を飲んでいた中間たちは、あのお抱え医師連中は、医者なのか幇間なのか分からないなどとあざけっていた。

踊り終えた天庵から、その方も一つと踊りを勧められた玄磧だったが、自分は医者であり、幇間に成り下がる事は出来ませんときっぱり断る。

これを聞いた天庵は、田舎者の言い分と笑うが、それに怒った玄磧は、あんなものなんか踊りではない。真の踊りと言うものをこの場に呼んで見せて信ぜようと、つい言ってしまう。

それは誰だと、出羽守が聞くと、三世中村歌右衛門と玄磧は答える。

それを来た出羽守は、あざけり笑いながら、あいつは座敷芸は決してやらぬと言っているぞ。万一、ここへ来なかったらどうすると気色ばむ。

こうなっては後に引けなくなった玄磧は、腹を斬ってお詫びしますと答えるしかなかった。

事の成り行きを聞いていた「江戸紫」の内儀は驚くが、出羽守は何か思いついたらしく、虎五郎にこう言えと天庵に耳打ちする。

その場で、歌右衛門への手紙をしたためた玄磧は、もし、この場に歌右衛門が来なかったら、自分も先生と一緒に腹を斬ると中間たちに見栄を切った嘉助に、劇の間に来てくれと言ってくれと言い、手紙を渡すと届けさせる。

部屋に戻った玄磧が、一刻の内に来てくれと書きましたと伝えると、それを聞いた出羽守は愉快そうに、今、舞台が始まる時刻だぞ、芝居を止めて来てくれるのであろうな?と告げる。

これを聞いた玄磧は、自分のうかつさを悟るのだった。

中座に到着した嘉助は、今芝居の幕が上がったばかりだと言う三十郎に手紙を渡し、先生の命がかかっているから、歌右衛門に読ませてくれと無理を言う。

江戸紫の座敷では、他からも座敷が見えるように、ふすまが取り払われていた。

舞台上で芝居をしていた歌右衛門の元に、黒子の姿で近づいた三十郎は、何とか読めまへんか、先生が一大事だそうですとささやきかける。

しかし、芝居を続けながらの事だから容易ではない。

何とか手紙を受け取り、さも芝居を続けているように見せかけながら中身を読み進めた歌右衛門は驚愕する。

狼狽した歌右衛門が、舞台上、その手紙の上に突っ伏してしまったので、急遽幕が引かれてしまう。

当然、観ていた客たちは騒然となる。

楽屋に戻って来た歌右衛門に、小屋主は噛み付く。

この前、あなたは、役者の芝居は舞台のもの、座敷芸は見せないと言ったばかりではないか、こんな事をしたら、中村屋の看板はどうなる?と言うのだ。

そう言われれば二の句が継げず、覚悟しております、だが、どうしてもご恩を返さなければなりません。お許しを…と言うしかない歌右衛門は、三十郎に先導され、再び舞台に戻ると、客席に頭を下げ、事情を滔々を述べ始める。

すでに、約束の時刻は迫っていた。

玄磧は、懐刀と懐紙を前に置いて、運命を待つしかなかった。

劇場では、歌右衛門の話を聞いていた客の中から、怒声が飛び始める。

ふざけたことを言うなと言うのだ。

それは、出羽からの指図を受けた虎五郎の乾分(原文雄、光一)たちだった。

しかし、これを別の客が制止し、行ってやれ!と歌右衛門に声をかける。

他にも客の間から「行ってやれ!」との声があちこちから上がり、意見の違うもの同士で小競り合いが始まってしまう。

しかし、もはや猶予はないと、外に抜け出た歌右衛門は、用意されていた駕篭に乗り、一路「江戸紫」に向かう。

すでに、約束の刻限が過ぎた事を知った玄磧は、刀を手に取ると、ご免!と言いながら、腹に突き立てようとする。

だが、さすがに決心がつかぬのか、何度も同じ事を繰り返す無様さ。

その時、ようやく歌右衛門が座敷に駆けつけて来る。

そして、出羽守に向かうと、江戸のお方は義の強いお方が多く、時をお貸しくださいました。先生の名代としてうかがいますと頭を下げて、希望を聞く。

踊りを所望されたので、それでは「東の月」をと、歌と三味線の手伝いをその場でつのると、踊り始める。

見事な舞を披露し終え、礼をして来た歌右衛門に、玄磧は、うれしいぞ、歌右衛門殿と頭を下げる。

そして、二人そろって、出羽守に頭を下げると、その出羽守、おぬしは座敷芸は見せぬと言っていたそうだが、その誇りはどうした?と嫌みを言う。

すると歌右衛門、誇りはいつかは捨てねばなりません。その捨て場所を選んだばかりでございますと切り返す。

これを聞いた出羽守は、さすがに冷静になり、余も、少しばかり酔狂が過ぎたようじゃと反省の言葉を吐く。

酒を勧められた歌右衛門だったが、まだお客様が待っておりますのでと断って、素早く帰る。

一緒に座敷を立ち去りかけた玄磧は、天庵に、もう幇間のマネは止めなされよと言い残すのだった。

酔いが冷めた出羽守は、その場にいた全員に、これから中村座に総見じゃと声をかける。

その後、舞台で踊る、中村歌右衛門の姿があった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

何度かリメイクされた作品らしいが、この作品は戦前に作られたものを、戦後に再編集した短縮版らしい。

「医は仁術と」言う姿勢を貫く眼科医と、希代の名優の友情物語だが、ざっと観てしまうと、何だか気になる点がある。

それは、後半、玄磧がうっかり歌右衛門を座敷に呼び出してしまう件である。

玄磧のキャラクターが、最初から伏線として、ちょっとユニークで面白く描かれているので、そのキャラクターにごまかされて見過ごしてしまいがちだが、この場面での玄磧の行動は、明らかに思慮の足りない嫌な人物のものとしか思えないのだ。

酔っての行動ではない。

明らかに、「歌右衛門には貸しがあるで、いつかは自分が恩返しをしてもらっても良いはず」と言う甘え、驕りが、どこかに感じられるのだ。

うかつさ、軽薄さと言う以上に、それまで見せていた清廉潔白さが、この行動で、一挙に汚れてしまったような印象すらある。

恩返しなどいらないと言っていた前半の清々しい姿勢も、結局「体裁を整えるための上辺だけの姿勢」だったのではないかとも疑いたくなる。

だから、素直に、仕事を放棄して駆けつけて来る歌右衛門の行動に、今ひとつ感動できないのだ。

歌右衛門の方の気持ちが純粋なのはわかる。

しかし、観ている方としては、何か、嫌な奴の詰まらぬ遊びの犠牲になってしまったと言うようなしこりが残る。

最後の歌右衛門の言葉、「誇りはいつかは捨てねばなりません。その捨て場所を選んだばかりでございます」と言うのは、自分が舞台を捨て、座敷芸を披露してしまった事を言っているだけではなく、同時に、食うために気に染まぬ仕官を引き受けてしまった玄磧の挫折の事も、観客に連想させようとする言葉なのだろうが、「恩返しを、どこかであてにしていた卑しい気持ち」だけは、その言葉でも弁解できないような気がする。

とは言え、それは設定上の事。

この作品のロッパの芝居は、それほど嫌み、臭みがまだないし、長谷川一夫の美しさは、まさに息を飲むほど。

劇中で披露される、その華麗な踊りの芸なども十分見応えがある。