2007年、ウィルコ+テレビ東京+東映+東映ビデオ+集英社+モブキャスト+TVQ九州放送+テレビ大阪+テレビ愛知テレビ北海道、浅田次郎原作、いながききよたか脚本、三枝健起監督作品。
▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼
「拝啓…さて突然ではございますが、昭和25年の開館以来半世紀以上に渡って、地元の皆様に親しまれて参りました当オリオン座は、誠に勝手ながら今秋をもちまして閉館いたす事と相成りました。
つきましては謝恩最終興行を開催いたしますので、どなた様もご多忙中とは存じますが、万障お繰り合わせのうえ、ご来臨賜りますようお願い申し上げます。
オリオン座 トヨ 留吉」
その招待状を手に携え、三好良枝(樋口可南子)は、最近冷えきった仲になっている夫の三好祐次(田口トモロヲ)と外で会う。
良枝は、こないだ、幼い頃の自分が、オリオン座に向かって走っていた夢を見たと話し始める。
招待状は、その数日後に届いたと。
そして、別れましょう。あそこで終わらせたいのと夫に伝える。
しかし、祐次は、興味なさそうに、ボクは行かないと答える。
夢の中での自分は、オリオン座にたどり着けなかったの、トヨさん、留吉さんが待っているのにと説明した良枝は、私、オリオン座に行きたいのと強く説得するのだった。
タイトル
オリオン座の入り口に「謝恩最終興行」の看板を立てた仙波留吉(原田芳雄)は、その足で、入院中の豊田トヨの病室に見舞いに訪れる。
昭和32年、京都
オリオン座には「二十四の瞳」と「君の名は」の二本立ての看板が立っていた。
入場料は、大人70円だった。
一人の青年が、入り口付近で迷っているようだったので、館主豊田松蔵(原田芳雄)の妻トヨ(宮沢りえ)は、半額で良いと言葉をかける。
上映後、その青年が松蔵に会いたいととトヨに伝える。
松蔵が出て来ると、自分は17歳の千波留吉(加瀬亮)と言い、仕事を探して大津から出て来たのだが、映画が好きなので、ここで働かせ欲しいと土下座をして頼む。
松蔵は断ろうとするが、トヨの進言もあり、とりあえず置いて様子をみる事にする。
かくして、留吉はオリオン座の手伝いを始める事になる。
昭和35年
オリオン座では「丹下左膳」を上映していた。
留吉は、他の映画館からオリオン座へフィルムの缶を運ぶ仕事をしていたが、その日はパンクをした自転車を押して戻っていたので、戻るのに時間がかかってしまう。
一方、上映時間間近になっても戻らない留吉にいらついた松蔵は、遅れて戻って来た留吉を叱りつける。
ヘビースモーカーだった松蔵は、その頃から良く咳き込んでいた。
夜、そんな夫の様子を見かねたトヨは、缶に入っていたタバコを、全部半分の長さに斬ってしまう。
そんな中、留吉は一人で映写室にこもると、自分でフィルムを映写機にかける練習を繰り返していた。
その熱心さを見たトヨは、もっと早く辞めるかと思っていたと微笑むのだった。
ある朝、いつものように、オリオン座の前のうどん屋の主人と将棋をさしていた松蔵は、夜、トメに「『無法松』知っとるか?」と聞いて来る。
自分が映写技師になりたての頃、あの映画をかけようと下が招集され、シベリアに行かされたので、かける機会がないまま今日まで来たが、あの映画は検閲でぼろぼろになってしまった事もあり、今更かけるとしても何やら気が引けてな…。検閲で切られてしまったのは告白のシーンらしい。観たいなー…と松蔵はつぶやくのだった。
ある日、松蔵夫婦と留吉は、三人で記念写真を撮る事にする。
ある朝、トヨは庭先にタチアオイが咲いているのに気づく。
その日、松蔵は、映写室で苦しみだす。
その頃、売店にいたトヨは、オリオン座のロビーに迷い込んで来た蝉を手に捕って、「シャシン好きなんか?」と無邪気に聞いていた。
松蔵は急死だった。
その遺骨を持って焼き場から帰るトヨに、留吉はずっと日傘をさしかけ随行していた。
一人になったトヨは、ある朝、いつののように、みそ汁用に鰹節を削りながら、思わず涙する。
そして、留吉の姿を見ると「留やん、どこか行こか?」と誘う。
外で自転車を乗り回すトヨ。
その様子をベンチで見守っていた留吉に、トヨは「オリオン座閉めよか?」と聞く。
しかし、留吉は「ボクでは勤まりませんか?」と問いかける。
「ボクの事思ってくれるんやったら、そんな事言わんとっておくれやす。親父さん言った。オリオン座ほかしたらあかんて…」
その言葉を聞いたトヨは、松蔵愛用のハンチングを留吉に渡すと、「あの人も喜ぶやろ」と微笑む。
その帽子を受け取った留吉は「似合うようになりますさかいに…」と気持ちを伝えるのだった。
それに対し、トヨは「うちがサラの買うてあげる」と応える。
かくしてオリオン座は再開し、その第一回作品は「無法松の一生」だった。
しかし、時は昭和36年、街のみんなは街頭テレビに群がるようになっていた。
オリオン座の客は激減し、トヨと留吉は売れ残りのあんぱんで夕食を済ますようになる。
しかし、オリオン座の前にあるうどん屋では、客と主人夫婦らがそんな二人の仲を噂し合うようになる。
通りがかりにその話を小耳に挟んだ留吉は、雪の中、うどん屋から帰るその客を呼び止めると、「自分の事はどういわれても構わないが、姉さんの事を悪く言わんといてください」と頭を下げる。
あまりにしつこい留吉の態度に切れた客は、留吉をぼこぼこに殴りつけて帰る。
オリオン座に戻って来た留吉の様子に気づいたトヨは、うどん屋に出向き事情を尋ねる。
それに対し、うどん屋の主人は、あんたら二人の事を見ていると、松っつぁんが不憫なんやと応えるのだった。
誰もいない客席にぽつんと一人座るトヨ。
その横に留吉も座り、自分は戦争で父親を失い、その後、母親にも先立たれたので、京都に来た時は無一文だったのだと打ち明け、ボクなんて雇ってもらって悪い事をした。ここにいたらいかんかった。でもボクには何も出来へん。親父はんとの約束守れへん…と悔やむ。
しかし、トヨは「そら違う。留はん、おらんかったらやっていけへんかった。これから守っていったらよろしおま」と優しく応えるのだった。
昭和39年
幼い祐次と良枝が連れ立ってオリオン座にやって来る。
留吉は、そんな二人を映写室に入れてやり、トヨは買ったばかりの8mm映写機で撮影してやる。
何かやってくれとねだられた留吉は、恥ずかしそうにしながらも「無法松」のまねをしてみせるのだった。
祐次の家では、いつも夫婦喧嘩が絶えなかった。
それで、祐次はいつも家に戻らず、外を彷徨う生活になっていたのだった。
良枝も又、オリオン座に行くなと叱る両親が嫌いで、いつも祐次と時間を過ごしていたのだった。
祐次は、いつも「幸せなら手をたたこう」の唄を歌っていた。
ある日、そんな二人がいつものようにオリオン座に行くと、いきなり、トヨと留吉が、その日誕生日の祐次のために「ハッピーバースデー」の唄を歌い始め、ケーキを用意してくれていた。
かねてより、良枝がこっそりトヨに頼んでいたのだった。
それを知らなかった祐次は感激し、バースデーケーキのろうそくの火を吹き消すのだった。
良枝は祐次にささやかなプレゼントを渡しながら。祐ちゃん、おっちゃん(留吉)みたいなお父さんになってくれる?と、無邪気に聞く。
その日、トヨは、二人の子供のために、この前写した8mmを映写してやる。
留吉は、どんなにしてもオリオン座をやっていくつもりなので、一緒にいつまでもシャシンかけてくれますか?とトヨに頼む。
そんなトヨは、ある日、映画の看板を架け替える途中、椅子から転げ落ちて足を怪我をしてしまう。
そんなトヨを、留吉は背負って病院へ連れて行くのだった。
トヨは恥ずかしがるが、留吉の方は「ボクら、夫婦みたいなもんや、恥ずかしくない」と、きっぱり言う。
ある夜、トヨの部屋にやって来た留吉は、捕まえて来た蛍を、そっと蚊帳の中に放してやる。
現在
老いた留吉は主治医から、トヨがもう長くない事を聞かされていた。
ベッドに寝ていたトヨ(中原ひとみ)は、祇園の太鼓が聞こえますやろ?と留吉に話しかける。
留吉は、「トヨはん、オリオン座、帰るか?」と問いかける。
そのオリオン座の近くの、かつて、自分が遊んでいた場所に来ていた良枝は、おもわず「幸せなら手をたたこう…」と口ずさむ。
すると、それに合わせて手を叩く音がしたので振り向くと、そこに夫の祐次が立っていた。
やはり、彼も来てくれたのだ。
祐次は、親父もおふくろの顔ももう思い出せないと言う。
良枝は、私たちを結びつけたものは何だったと思う?と、夫に問いかけ、祐次は、多分「不幸」と応えるのだった。
その頃、病院からトヨを背負った留吉がオリオン座に帰って来る。
祐次は、君が夢に見たオリオン座、ボクらが離れていたからたどり着けなかったんだよと良枝に語りかける。
そんな二人もようやくオリオン座に到着し、留吉は歓迎してくれる。
馴染み客を客席に入れた留吉は、最初に挨拶をした後、最後の上映を始める。
映写室で、その留吉の横に座っていたトヨは、やがて、眠るように息を引き取る。
留吉の脳裏には、かつて8mmに写っていた幸せな日々がよみがえるのだった。
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テレビで観たせいなのか、それとも低予算と言う事もあり、登場人物や舞台が限られているせいなのか、映画的な見せ場のようなものがほとんどなく、終止、2時間テレビSPドラマを見ているような感覚であった。
話の骨格は、劇中でも登場する「無法松の一生」での無法松と未亡人の関係を、留吉とトヨの関係にだぶらせてある点なのだろう。
最後の8mmでの回想シーンなどは、明らかに「ニューシネマパラダイス」を意識した演出だと思うが、見え透いていて、少々しらける事は確か。
全体的にはいわゆる「お涙頂戴もの」パターンだと思うが、この程度のテレビ的見せ方では、泣けもしないし、感動すると言う事もない。
もっと、二人の歩んで来た苦難の道のり、時代の変遷などを、きっちりビジュアルとして伝えてくれれば、違った受け止め方も出来たのではないかと思う。