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2005年

「阿修羅城の瞳」の感想を書いていて「東海道四谷怪談」というキーワードが出て来た途端、この作品の背後に潜むものがうっすら見えて来たように感じた。

この一見「おふざけ映画」「おバカ映画」に見える「弥次喜多」こそ、「東海道四谷怪談」にインスパイアされた作品なのだと。

そのヒントは、冒頭部分にしっかり描かれている。

米を研ぐ女の手。

続く弥次さんが見る悪夢は、どう見ても有名な「戸板返し」のシーンである。

そして、その悪夢は、一緒に寝ていた喜多さんが『それは自分の夢なのだ』と、はっきりいっている。

ちゃんと伏線は敷かれているのである。

ここで、弥次さん、喜多さん、お初の関係、さらに誰が伊右衛門の役なのかに気付かなければおかしい。

おかしいと偉そうに書いたが、実は自分も気が付いたのは、観終わって何日も経った今頃だ。
映画の感想文を書こうと、あれこれ頭を捻っていなかったら今後も気付かないままだったかも知れない。

この作品は、そういうテーマ性をごまかすというか、気付く人は気付いてね…くらいの意図だと思うのだが、仕掛けが施されていたからである。

それが、前半の悪ふざけっぽい幻覚表現とハイテンション演技。

これで、一見、この作品は「TVバラエティ風のコメディ」なのだと錯覚させてしまうのだ。

それはそれで、中村錦之助、賀津雄兄弟の「殿さま弥次喜多」シリーズ(1958〜1960)みたいで楽しいのだが、途中から、喜多さんが自分の振り払えない過去、愛にリアルさを求めようとして叶わない現実への苦悩などが描かれて来ると、様相が一変してくる。

後半はまるで、「丹波哲郎の大霊界」+「マタンゴ」の世界である。

これで、誰がこの作品での伊右衛門であるかが明確になってくるはずだ。

『生きていると信じてくれている人がいる限り、死者はこの世に留まる事ができる』。

『この世に残りたい』、『忘れられたくない』寂しい魂と、『真実の愛だけにリアルさを求めようとする孤独な魂』の三角関係…。

まさしく愛の名作である。

ゲスト出演している七之助くんのお父さん、中村勘九郎(現-勘三郎)のとぼけたキャラクター、「喜多さん、あんたはヤク中だと」と言い放つ研ナオコの(分かる人には分かる)『ブラックジョーク』などにも御注目。