TOP

映画評index

ジャンル映画評

シリーズ作品

懐かしテレビ評

円谷英二関連作品

更新

サイドバー

キリクと魔女

1998年 フランス映画 ミッシェル・オスロ原作+脚本+監督作品

まず、絵柄的には懐かしさを誘う。

初期の頃の東映動画を彷彿とさせるような、平面的な表現ながら、しっかりしたデッサン力に裏打ちされたキャラクター達の造形と背景画の処理。

シンプルながら、安定感のある構図。

素朴な民話をベースとしたお話ながら、いくつもの教訓を含んでいる奥深い内容。

そして、何より、何とも愛らしいキリクの魅力。

観ている内に、日本の「一寸法師」とあまりにも似ているのに驚く。

世界中の民話には、同じような要素、構成を持った話があるという事は知っていたが、アフリカと東洋という、物凄くかけ離れたイメージのある二つの国に、これほどそっくりな話が存在したという事自体が驚きである。

小さな身体に人一倍の勇気と知恵。

これは、「愚者(表面上、貧しかったり、愚か者だったりといったハンデを持った主人公)の勝利」ともいうべき民話パターンの一種だろう。

彼は、民話の法則通り、最初は民衆にバカにされながらも、最終的に敵を倒し、褒美(結婚相手や地位や財産)を得る。

キリクも、一寸法師が針の剣などをおばあさんに持たせてもらうように、母親から刃物を持たされ冒険の旅に出かける。

一寸法師が「打出の小槌」の魔力で、成人としての身体と財宝と嫁を一挙に手にするように、キリクも最終的に全てを手中にし「めでたし、めでたし…」となる。

ただ、本作の方が、より、現実的な人間関係の難しさなどが盛り込まれている分、大人が観ても興味深い内容になっている。

魔女が、大勢の男達に、激痛を伴う棘を背中にさされて以来、人間不信になる…という辺りに、何やら、現実の女性に対する残酷な行為を暗示させるものがあり、慄然とさせられる。
実は、彼女こそが一番の被害者なのだ。

単なる「お子さま向けの楽しい夢物語」では済まされないものが、背後に潜んでいる。

日本の民話にも、元々、そうした残酷でリアルな要素が含まれていたはずなのだが、いつの間にか、そういう要素が意図的に排除され、きれいごとだけが残ってしまった歴史があるので、こういう「リアルな残酷さ」要素をそのまま残している他国の民話に、衝撃を感じるのであろう。

子供にとっては、楽しい冒険話、大人にとってはリアルな教訓話というダブル・ミーニング構造になっている所に注目したい。

一寸法師が、お椀の船に乗って、京を目指すのに対し、キリクは、地下の穴を進んで、山の向こうに行く…という辺りが、お国柄の違いか。

登場する動物達の生態もリアルで楽しい。