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泣きながら笑う日

1976年、「泣きながら笑う日」製作委員会、松山善三脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

トラック運転手亀山次郎(坂本九)は、その日、運転していたトラックが山間のカーブで突然パンクし、危うく崖から落ちそうになる。

自宅に帰って来ると、留守番していた長男の啓一に妹が生まれたと報告する次郎。

しかし、その啓一は、道路で夢中になって遊んでおり、近づいて来たトラックが警笛を鳴らしても動かなかったので、トラックの運転手は慌ててハンドルを切り、店に突っ込んでしまう。

車から降りて来たトラックの運転手は啓一を怒鳴り付けるが、その様子を目撃した次郎が謝って、一応事なきを得るが、啓一の様子がおかしい事に気付き愕然とする。

その後、啓一を連れて、出産した妻の栗子(大谷直子)が入院している病院を訪ねた次郎は、啓一の耳が聞こえないのではないかと打ち明ける。

栗子もその言葉に驚き、啓一にあれこれ話し掛けてみるが、反応がない。

啓一は、前は聞こえていたのである。

その後、医者に連れて行って検査してもらうと、啓一は耳が聞こえないので、言葉がなくなったのだと説明される。

栗子は、一昨年、おたふく風邪をこじらせた啓一が肺炎になりかけたので、カナマイシンを注射してもらったのが原因では?と打ち明けるが、確証はなかった。

啓一の耳が聞こえない事が明らかになった次郎と栗子は悩み抜く。

藁をもすがる気持ちで、栗子は、その後、山奥に祈祷に出かけるようになる。

啓一が原因で、事故を起こしたトラックへの賠償金を借りに、次郎は、母や妹と共に家内工業で飾り物を作っている兄の康男を訪ねるが、兄は即座に金はないと突っぱねる。

さらに、来月14日に決まっていた妹の雅子(中田喜子)の縁談も、仲人が断わって来たのは、つ●ぼの家系だと思われたからだと康夫は言い出す。

自分の子供も学校に行こうとしなくなった。学校でつ●ぼとからかわれると言う。

外で、相変わらず祈祷を続けていた栗子を皮肉って、母親のしず(富田恵子)までもが、祟りがあるのなら、それはあんたが他所から持って来たものだとひどい事を言う。

金が借りられない事が分かった次郎は、その後不眠不休で働き、さらに会社から30万円借りて、後20万で示談書が成立するのだと、後日再び兄を訪ねる。

しかし、康男は、栗子と別れたら金を貸してやる。啓一の耳は遺伝だ。生まれたばかりの妹鶴子の耳も聞こえるのかどうか?と嫌味を言う。

兄弟の亡くなった父親は最後まで、お前たちの結婚には反対していたと康男は、昔の事を蒸し返す。

いたたまれなくなった栗子は、家を飛び出しかけるが、縁談が潰れた雅子に会い、自分達が原因で…と謝罪する。

しかし、雅子は栗子を怨む様子もなく、啓一の耳が聞こえなくなったのは、カナマイシンを打ったからだと思うと弁護する。

しかし、それを聞いた康男は、うちにはまだ、下の妹の美和子もいるんだぞと雅子を叱る。

さすがにここまで言われた次郎と栗子は、たった今、家を出ると宣言する。

康男は、家の商売は、鶴亀の縁起物を作っているのだから迷惑している。亀山の恥さらしとまで言い放つ。

次郎は、今日限り、あんたの事を兄と呼ばない。兄弟の縁を切る。その内必ず、啓一に、お父さん、お母さんと呼ばせてみせると啖呵を切って、家を飛び出て行く。

その時、次郎は、妹の雅子に謝るのだけは忘れなかった。

次郎が帰って行った後、康男は雅子に、辛いのは親の方だ。変に同情すると、あいつら、子供殺して死ぬぞ…と哀しげに呟く。

翌日、次郎は、運転手仲間のサブの所へ荷物を取りに行くと、雅子から託された手紙をサブから受取る。

そこには、母と兄を怨まないでくれ。二人とも、心の中で涙流しながら、あなたと喧嘩をしたのです。家の前を通る時には、クラクションを三つ鳴らして下さいと記されていた。

その約束通り、次郎ら家族を乗せたトラックが、母や兄のいる実家の前を通り過ぎる時、次郎はクラクションを三つ鳴らす。

その音に気付いた雅子は、表に飛び出すと、次郎のトラックを追い掛ける。

しかし、それをバックミラーで確認した次郎は、目をつぶっていろ!と栗子に命じて、そのままスピードを緩める事もなく走り去る。

助手席の栗子は、雅子にさよならと叫んでいた。

その夜、大阪ホテルと言う安宿で泊まる事にした次郎だったが、そこの主人からつ●ぼの父親呼ばわりされたので、腹を立て出て行く事にする。

トラックに乗り込んだ次郎がバックしかかると、啓一が車の後ろで遊んでいた事に間一髪気付き、自分は危うく啓一を轢いてしまう所だったと青ざめた後、しかし、その方が、啓一は幸せだったかも…と弱気になるのだった。

助手席に乗った栗子は、どこに行くのか?と尋ねる。

次郎は、福山だ!と答える。

福山市内に乗り込んだ次郎の運転するトラックは、ちょうど、校庭で、大勢の生徒たちが体操している小学校の中に乗り込んで行く。

何事かと、トラックに近づいて来た教師一ノ瀬明(小林桂樹)に、運転席から降りた次郎は、こちらに難聴児の教育があると聞いたのだがと聞き、いきなり土下座を始める。

当地で、啓一の再検査をする事になった医者の東川は、かすかだが耳に反応があると言う。

次郎親子は、中井雪子(高峰秀子)と言う女将が一人でやっている焼き鳥屋の二階で間借する事になるが、いきなり啓一が暴れはじめる。

その後、赤ん坊の鶴子を背負った栗子は、河原で啓一と一緒に次郎の帰りを待っていたが、なかなか帰ってこないので、思いあまり、啓一の手を引いて、「啓一、ごめんね、死のう!」と言いながら川の中に入り出す。

そこに次郎が駆け付けて来て、川の中に入り、栗子たちを抱きとめるのだった。

栗子は、捨てられたと思ったと泣き出す。

その川の中の親子の様子を、次郎と一緒にやって来た一ノ瀬は、岸から哀しそうに眺めていた。

おでん屋の二階に戻って来た次郎は、今日限り、酒もタバコも止めると宣言する。

啓一に、父さん、母さん、バカヤローなどと言わせたいと言うのである。

栗子も、明日からは、自分も絶対に泣かないと誓い、感極まった二人は抱き合う。

福山西幼稚園に通う事になった啓一の授業風景を、雨の中、次郎と栗子は参観に出かける。

そこでは、他の難聴児らと共に、一ノ瀬先生が熱心に教える姿があった。

その日から、栗子はあらゆる家財道具などに呼び方を書いた紙を貼り、家でも啓一に発音をさせる訓練を始める。

大声で啓一に言葉を教えようとする栗子の声は、下の店にも響き、客たちは迷惑そうな顔をする。

帰って来て、その様子を見た次郎は、栗子に苦労をかけてすまないと謝る。

一ノ瀬先生は啓一に、まず、口から風を出し物を吹く練習を始める。

しかし、絶えず補聴器をつけられている事にストレスを感じたのか、啓一は6万円もする補聴器を外で捨てて来てしまう。

さらに、啓一の行動が粗暴になって行くのを感じた栗子は、情緒障害なのではないかと悩む。

一ノ瀬先生は、心配しなくても、子供は別の世界を持っているのだと栗子を納得させようとするが、その後、新幹線を見に連れて行っても、喫茶店から外を通る車を見せてやっても、啓一はそれを見ようともせず、反抗的な態度は変らなかった。

焼き鳥屋の二階でも、暴れ回った啓一は、押入の中に逃げ込んでしまう有り様。

その騒動を聞き付けて階段を上がって来た雪子に、栗子は私、泣きそうだと弱音を吐く。

その時、雪子は臭い匂いが漂っているのに気付き、同じく気付いた栗子が、押入を開けると、何と、啓一が中で大便をしているではないか。

しかも、啓一は「ウン…」と発する。

それを聞いた栗子は、雪子に、今、今言ったでしょう?「ウンコ」って…と言いながら思わず泣き出してしまう。

その掃除をしてやった雪子は、押し入りの中でウンコをするなんて当てつけでやったのだから嬉しい。おとなしい子供だったら、生きていけんよ。あれなら、耳が聞こえなくても生きていけると栗子を励ます。

しかし、栗子は、補聴器も捨てて来たし、叩かなけりゃ分からないの…と悲しむだけ。

その夜、次郎が帰って来ると、夕食の準備も何もしていない。

疲れ切った栗子が、あの時、川に飛び込んで死んでおけば良かったと呟くのを聞いた次郎は、啓一をトラックに乗せて、レストランに連れて行く。

啓一に、食事をさせていた次郎は、こっそり店を抜け出すと、自分だけトラックに乗って走り出す。

啓一を置き去りにした自分のふがいなさに、次郎はバカヤロー!ちくしょー!と叫びながら運転をしていたが、やがて啓一を乗せて追って来たパトカーに停められてしまう。

その後、啓一を連れて、とあるバーに入った次郎は、啓一の耳についた補聴器に向って「♪げんこつ山のたぬきさん…」と唄って聞かせるが、やはり、啓一は無反応なので、乱暴に耳をいじるが、それを見ていたママの和子(草笛光子)は、やめなさい、大事な耳を…と注意する。

家に戻って来た次郎は、会社を首になったと栗子に報告する。

運転の仕事を続けていると、事故で死ぬかも知れない。

そうなったら、誰がお前と啓一の面倒を見るのか考えると不安になったので辞めたのだと言い、次郎は啓一と相撲を始める。

その後、次郎は、日本鋼管の工場で働くようになる。

ある日、豆腐を買いに行かされていた啓一は、たまたま歩いていたチンピラ(阿藤海)から、一緒にパチンコをさせてやると言葉をかけられる。

チンピラは、啓一が耳につけている補聴器をトランジスタラジオだと思ったようで、いきなりその補聴器を奪って逃げ出す。

それを啓一は懸命に追うが、その追跡劇を目撃した栗子も後を追い、チンピラから補聴器を奪い取るが、コードがちぎれてしまう。

ある日、川に浮かんだ丸太に乗って遊んでいる啓一の姿を見た栗子はうろたえ、その日から、又、外で鶴子を背負ったまま、長時間祈祷をする毎日を始める。

祈祷を終え、焼き鳥屋に帰って来た栗子は、背負っていた鶴子の様子がおかしい事に気付く。

寒い中、長時間外で背負っていたため、肺炎を起こし高熱を出したのだった。

慌てて呼んで来た医者はカナマイシンを注射しようとするが、それを見た栗子は必死にやめてくれと訴える。

医者は、昔は肺炎を起こすと半分は死んでしまった。こんなに子供が熱を出したのは、あんたに責任があるんだと説得する。

それを横で聞いていた次郎も、注射を打ってもらおう。鶴子が死んだら、お前が殺したんだと栗子を叱りつけるが、栗子は注射器を奪うと、窓から外に捨ててしまう。

呆れた医者はそそくさと帰ってしまう。

結局、鶴子は死んでしまう。

その日から、帰りが遅くなるようになった次郎を待ちわび、寝入ってしまった栗子の横で、啓一は、健気にも、妹の位牌に蝋燭を立てるのだった。

その頃、次郎は、夜の路上で和子と接吻を交していた。

二階に上がって来た雪子は、次郎の帰りが遅いのを心配しながら、栗子に一杯飲みなさいと酒を勧める。

栗子は、あの人はもう、私の事を許してくれないでしょう。私が鶴子を殺したんですと呟く。

雪子は、自分が昔、満州から引き上げて来た時も、何人も人を殺してしまったと打ち明ける。

どうしてこんな目に会うんでしょうと、栗子が落胆すると、神様に試されているのだろうと雪子は答える。

夜遅く、泥酔した次郎は和子に送られて帰って来る。

それを見た雪子は、怒ったらあかんよ。互いに傷だらけなんだから…と忠告するが、次郎は「やだ、やだ、やだ!」とダダをこねたように喚くだけ。

翌朝、勤めに出かける次郎は、おれたちみたいな貧乏神を置いてくれてすまなかったねと、雪子に謝る。

最近では、二階で啓一に言葉を教えようとする栗子の声がうるさいので、焼き鳥屋も客が来なくなっていたのだ。

しかし、次郎が、自分を無視をするように出ていてしまうので、栗子は啓一の手を引いて、その後を追う。

その時、補聴器を壊したあの時のチンピラを見つけた栗子は、それを次郎に伝える。

次郎は、すぐにチンピラを追い掛けはじめる。

啓一の手を引いた栗子も、その後を追い、それに気付いた雪子も後を追いはじめる。

大勢の人ごみの中、追い付いた次郎とチンピラは殴り合いの喧嘩になる。

栗子もチンピラにつかみ掛かり、逆に首を締められる。

その様子をじっと見ていた啓一は、思わず「おか〜ちゃん」と叫ぶのだった。

啓一は、次郎に対しても「おと〜さん」とたどたどしく発音する。

次郎は、思わず、啓一を抱き締める。

やがて、その啓一を肩車した次郎が歩き始めると、その後ろから、雪子が「次郎さん、ガンバレ〜!」と声をかけ、それに唱和するように、群集たちも「ガンバレ〜!」と、歩き去る親子に対してエールを送るのだった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

難聴児を持った親子の苦悩を描く作品だが、一般劇場公開されたかどうかは不明。

現在でも、権利問題のためソフト化出来ないと聞く。

おそらく、坂本九主演の最後の映画ではないかと思う。

それまでは、明るく屈託のないアイドル的なキャラクターを演じる事が多かった坂本九が、この作品では、珍しく、全編シリアスな演技を見せている。

難聴児に対する、言われなき地方の偏見や差別を描いた前半部、そして、専門教育施設にたどり着いたものの、生半可な努力で子供の言葉が戻る訳ではないと言う厳しい現実を描く後半、観ていてとてもいたたまれない内容である。

救いがない作品と言っても良いかも知れない。

この映画は、一般的な娯楽映画と言うよりも、病気の子を持つ親にとって、今の現実は、これほどまでに生き難い世の中なのだと言う事を訴えたり、そうした子供達に対する専門施設があると言う事を知らしめる、一種の教育目的で作られたもののように見える。

とは言え、名匠松山善三監督の作品だけに、情感溢れるシーンもあるし、緒方拳、小林桂樹、高峰秀子、草笛光子と、脇を固める俳優たちは、みな、錚々たるメンバーである。

自主製作に近い形で作られたのではないかと思われるだけに、これらの俳優たちも、監督のために、半分ボランティアとして参加したのではないかと想像してしまう。

特に前半、ものすごい憎まれ役に徹している、若き緒方拳の姿は印象的。

この作品の上映日、観客の中には、難聴の方と思われるグループも大勢観に来られていて、啓一の両親が苦悩するシーンになると涙しておられたが、きっと、ご自分達のこれまでのご苦労と重ね合わせておられたのだろう。

ちょっと特殊な作品かも知れないが、坂本九の、映画としては最後の演技を観る事ができるだけでも、貴重な作品だと思う。

もちろん、母親を演じる大谷直子の熱演も見事である事は言うまでもない。