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クライマーズ・ハイ

2008年、「クライマーズ・ハイ」フィルム・パートナーズ 、横山秀夫原作、加藤正人+成島出脚本、原田眞人脚本+監督作品。

※この作品は新作ですが、最後まで詳細にストーリーを書いていますので、御注意下さい。コメントはページ下です。

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1985年、群馬県の有力地方紙・北関東新聞の記者、悠木和雅(堤真一)は、同じ会社の販売部で「登ろう会」仲間でもある安西耿一郎(高嶋政宏)と、互いの息子を連れて谷川岳に登っていた。

安西は、昔、一緒に谷川岳・衝立岩登頂に登った仲間を死なせてしまった事を話し、今度、その衝立岩にアタックしようと悠木を誘う。

安西の熱意に押し切られるように約束させられた悠木は、独り息子であるじゅんを、空港まで送りに行く。

じゅんは、通訳としてスイスに向う母親の元に帰るのであった。

接客係に息子を預けた悠木は、じゅんから山で拾ったと言う小石を渡される。

2007年初夏、「日本一のモグラ駅」として知られる上越線土合駅に降り立った悠木は、独り黙々と、入口に繋がる462段の階段を登りはじめる。

階段の数字を確認しながら登る内、悠木は一瞬、昔の飛行機事故当時のイメージがフラッシュバックする。

入口の外で車を停め、待っていてくれたのは今やすっかり大人になった安西の息子燐太郎(小澤征悦)だった…

時間は再び1985年8月12日に戻る…

約束の日の16時半、北関東新聞社にやって来た安西は悠木と会うと、衝立岩登攀は、お前もきっとクライマーズ・ハイになるぞと嬉しそうに話し掛けて来るが、その時、伊東康男販売局長から(皆川猿時)安西に電話が入り、きちりカタをつけろと行って来る。

安西はうんざりしたような顔をするが、上司の命令とあっては仕方がないので、その用事を済まして駅で合流するからと約束し、会社を後にする。

そんな安西に対し、お前何で山に登るんだと悠木が聞くと、安西は「降りるため」と答えて出かけて行く。

その後、安西は、商店街の中にある一件の店の後片付けを無理に手伝い、金で解決できないかと交渉するが、店の女性が相手にしてくれないのを知ると、その場に土下座をし始める。

19時45分、県警キャップの佐山達哉(堺雅人)が会社に戻って来てエレベーターに乗り込むと、中に、車椅子に乗った白河頼三新聞社オーナー(山崎努)が乗っている事に気付き固くなる。

白河オーナーは、佐山に対し、何で悠木なの?あいつはクズだよと話し掛けて来る。

返事に窮した佐山だったが、ヤンチャな記者がいる地方新聞社ってカッコ良くないですか?ととぼけて、エレベーターを降りる。

その頃、社会部にいた悠木は、その日の仕事を終え、リュックを背負って安西と合流するため駅に向おうとしていたが、そこに近づいた佐山は、時事通信が妙な事を言っていると耳打ちする。

ジャンボが消えたそうです…と佐山は続ける。

間もなく、社内放送で聞こえて来る「東京発大阪行きジャンボが消えた」とニュース速報が流れて来る。

社内にいた者たちは、一瞬にして凍り付いたように聞き耳を立てる。

6時東京発7時大阪に到着予定だった日航ジャンボ機123便が横田基地の近くで消息を絶ったので、長野と群馬の県境付近に落ちた模様と言うのだ。

乗客は524名…

悠木は迷わずリュックを下ろすと、部下たちに乗客名簿を手に入れるよう命じ、追村穣編集局次長 (螢雪次朗)の後について白河オーナーの元へ向う。

そこにはすでに、部長、局長クラスが集合していた。

悠木はその場で、白河オーナー直々から、事故取材と出稿のすべてを取り仕切る全権デスクを任じられる。

まだ墜落地店の詳細は確定していなかったが、墜落地点は群馬に決めろなどと無茶な声が飛ぶ。

その頃、疲労困ぱい状態の安西は、リュックを背負って、駅に向う新米橋を渡っていたが、すでに約束の電車は走り出した後だった。

それを見ながら、金網にすがりついた安西は追い付くぞと声を出す。

21時20分、群馬県警で待機していたマスコミ陣は、墜落地点を確定しようと、事故調査委員会がどこにできるのか探ろうとしていた。

そこに佐山も合流する。

悠木は安西の妻に電話を入れ、急遽、山に行けなくなった旨を伝えようとするが、安西は帰宅せず、直接、駅に向ったようだと聞く。

悠木は、墜落地点が群馬だったら「登ろう会」にも協力してもらうつもりでいたが、何せ、社内にはまだ無線すら用意がない事が恨めしかった。

13年前の大久保連赤(群馬県で1971年に起こった大久保清事件と1972年の連合赤軍事件)で活躍した昔気質の追村編集局次長や等々力庸平社会部長(遠藤憲一)が、その手の装備を入れようとしないからだった。

対策本部に詰めていた佐山は、悠木に電話を入れ、世界最大級の事故が地元で起こっているのだから、自分を現場に行かせてくれと強く要求する。

一方、悠木は、乗客名簿の中に「ミヤジマ ケン」と言う知り合いの名前を発見していた。

乗客の中に、地元の農大二高の生徒が乗っていた事を、玉置千鶴子(尾野真千子)が報告する。

悠木は佐山に、数名の援軍を連れて現場に向うように命ずる。

翌日午前1時半、墜落地点に関する新しい発表が行われ、日航機は、群馬県多野郡上野村近辺に墜落した模様と伝えられる。

対策本部につめかけていたマスコミ陣は、その絞り込みを推理して、小倉沢か雪の沢のどちらかではないかと意見が分かれ、杉の沢付近が怪しいのではないかなどとも話あっていた。

テレビでは、上空から撮影された日航機の残骸の映像が流れ、墜落地点は多野郡多野村南西御巣鷹山山中と共同通信が発表する。

悠木は、現場取材に向う第二陣のメンバーを決定していた。

そこへ、仲間の一人が近づいて来て、安西が新米橋で倒れたと教えられる。

その頃、佐山は数人の仲間を連れて山を登っていた。

11時15分、悠木は、安西の家に電話を入れるが留守電になっており、状況を知らせてくれとメッセージを残すだけだった。

共同ニュースが「生存者発見」の一方を流し、テレビではその救出映像が生放送されていた。

現場に到着していた地元の消防団は、我々の土地勘を利用して、もう少し早く到着していたら、後、2〜30人の命は救えたかも知れないと悔しがっていた。

しかし、実際の行動は対策本部の決定に従わなければならなかったのだ。

山道に迷っい、なかなか現場にたどり着けないでいた佐山と神沢周作(滝藤賢一)は、飛行機から落ちたと思われるトランプのスペードのAを発見していた。

悠木は、田沢社会部デスク(堀部圭亮)が共同電を書き写している事に気付き、それを止めさせると共に、それを指示したと思われる等々力庸平社会部長(遠藤憲一)に、地元新聞社が取材もせずに、共同電をいじっただけの文章を発表するなんて恥ずかしくないのかと抗議をしに行く。

その頃、ようやく佐山と上沢は墜落現場に到着していた。

前橋赤十字病院にやって来た悠木は、安西がベッドに寝かされている病室を訪れる。

その場にいた安西の妻小百合(西田尚美)は、夫の病名はくも膜下出血で、手術はしたが、このままでは植物人間状態になるらしいと説明する。

悠木は、そこで出会った安西の息子、燐太郎に何と言葉をかけて良いか分からなかった。

(2007年)山を登る途中、先行する燐太郎から、じゅんから最近電話があるかと聞かれた悠木は、5年前、結婚相手を連れて行くと連絡があっただけだと答える。

1985年、8月13日深夜、現場から麓の村に降りて来た佐山は、社に連絡するため電話を借りようと宿に入るが、そこは他社の人間で溢れていた。

その頃、北関東新聞社では、粕谷隆明編集局長(中村育二)や伊東販売局長らによって、正午〆きりとの連絡が一同に伝えられる。

狭山と神沢は、まだ電話を貸してくれる民家を探し回っていた。

その時、佐山は、朝日やNHKが泊まっている宿なら、まだ連中は戻って来てないから使えるのではないかと思い付く。

8月14日午前0時12分。

通常、深夜1時か1時半が普通である締め切りの時間が、その日に限って早まった事を知らされた悠木は愕然とする。

玉置千鶴子から輪転機の都合でと聞かされるが、悠木はそこに、部長連中の自分に対する嫉妬を感じた。

大久保連赤の功績でいまだに社に君臨している身とすれば、自分のような遊軍に新しい功績を作らせたくないのだ。

そこに、狭山から電話が入り、必死に現場雑感を伝えて来るが、悠木にはもう締め切りを過ぎたと伝える事は出来なかった。

狭山が電話を切り、宿を出ようとした時、朝日新聞の記者が戻って来て、彼らの姿を怪しむが、トイレを借りただけとごまかし帰ろうとすると、北関東新聞社の等々力と悠木には、以前、うちに来ないかと誘ったが断わられたと思わぬ事実を聞かされる。

かつて、朝日が引き抜きたがったほど、等々力と悠木は優秀な記者コンビだったと言う事だ。

近くのホテルに仮眠に向った悠木に、近づいて来た玉置千鶴子は、事故調査委員会のメンバーに自分の先輩がいると洩らし、悠木さんは北関東新聞を辞めようと思った事はないのかと聞いてみる。

悠木は一言「ない」と答え、ソファーに倒れるように眠りはじめる。

翌朝、眠っていた悠木は、暮坂直樹広告部長(樋渡真司)に叩き起こされる。

前夜、刷り上がった新聞から、地元のショッピングモール開店と言う大きな広告が消えていたからだ。

もちろん、その指示をしたのは悠木だった。

墜落事故関連の写真を一枚でも多く紙面に載せるためだった。

暮坂広告部長の怒りはおさまらず、悠木が社内で特別扱いされているのは、母親が白河オーナーの妾だからじゃないかとまで罵声を浴びせかけて来たので、おもわず悠木は相手を殴ってしまう。

その後、部下たちを朝食を取りに行った暮坂広告部長は、自分も白坂社長から犬をもらったと話す。

白坂オーナーは、自分が気にいった部下には犬をやる習慣があるのだった。

その日の7時、玉置千鶴子は事故調査委員会に潜り込み、先輩に近づこうとしていた。

悠木はその日も、現場取材のメンバーを山に登らせようとしていたが、その人数を巡って上司と衝突する。

悠木は、わが社は現場で他社を圧倒すると言うのが売りじゃなかったかと力説し、何とか25名確保する事ができる。

そこへ、ぼろぼろの状態になった佐山と神沢が戻って来る。

佐山は、何故、自分が電話で送った現場雑感を落としたのかと悠木に詰め寄る。

悠木は、一応、締め切りが早まったのでと言い訳をした後、あんなものは現場雑感とは言えない、もっとしっかりした記事にしろと命ずる。

そこへ、玉置千鶴子が戻って来て、事故調査委員会の教授に直接会いに行くと告げる。

怒りの表情も露な佐山は、その場で原稿を書き悠木に渡すと、自分は帰って行く。

その原稿を受取った悠木は、亀嶋正雄整理部長(でんでん)に、これを一面トップでと渡す。

その原稿は泣かせる内容だった。

その場で音読していた廻りに集まった記者たちも、あまりの惨状を伝える記事に涙する。 

その日も、入院中の安西を見舞った悠木だったが、小百合は、実は昨日、安西がちょっとの間だけ意識を取り戻し、すぐ追い付くからとしゃべったのだと教える。

それって、悠木さんに言っているんですよね?と問いかけて来る小百合に、悠木は会社に保証を要求すべきだと助言する。

安西は、会社を辞めた、前の社長秘書である黒田美波(野波麻帆)の事で、上司の伊東局長から詫びに何度も行かされ続け、ここ一ヶ月ろくに寝ていなかったと小百合は悔しがる。

あいつは辞めたがっていたんだな…と悠木が言うと、小百合は、それは逆で、安西は白河社長との縁を切れない悠木を降ろさせたがっていたのだと教える。

黒田美波を電話で呼出して、喫茶店で落合った悠木は、セクハラで辞めたんだって?と辞めた経緯を尋ねるが、美波は、むしろ言葉の暴力に耐え切れなくなったからだと答えた後。自分はあなたの事が好きだったと告白する。

その悠木の事を白河は私生児、子犬呼ばわりし、悠木の母親は朝鮮戦争の頃、パンパン(街娼)だったと罵っていたそうだ。

久しぶりに自宅に戻って来た悠木は、遠い昔の母親のイメージや、じゅんとの別れの事を思い出していた。

翌日の会議の席、白河社長は、墜落事故の記事を一面から外し、地元出身の中曽根首相の靖国公式参拝を一面に持って来るべきだと言い出す。

そうなると、その日の一面から佐山の原稿は落ちる事になる。

(2007年)悠木と安西燐太郎は、衝立岩を目指して登り続けていた。

1985年、白河社長は、佐山の記事は、結果的に自衛隊の美談であり、そう言うものを載せるのは良くないと悠木に説明していた。

悠木は、追村編集局次長も同席していた社長室で、土下座をして佐山の記事を一面に載せるよう願い出る。

しかし、白河社長は聞こえない素振りで、追村編集局次長と犬の話をし始める。

悠木は、又しても裏切る形となった佐山に対し、力が足りなかったと詫びるしかなかった。

一度ならず二度までも悠木に煮え湯を飲まされる事になった佐山と神沢は、さすがに怒りの表情を崩そうとはしなかった。

8月15日、その日の打合せでも、白河社長は中曽根首相の参拝の事を一面に持ってこようと言っていた。悠木はさすがに嫌気がさしており、何も発言しようとはせず、意見を求められると、どちらでも良いと生返事を返してしまい、その投げやりな態度を見た亀嶋整理部長は怒る。

悠木は、部屋に戻ると、黒板に書かれた「全権デスク 悠木」の名前を自分で消してしまうが、そこにやって来た亀嶋整理部長が、「一緒にやって来たみんなを可愛がってやれよ」と言いながら、又、黒板の消された名前を「悠木」と書き直す。

テレビでは、中曽根首相の靖国公式参拝のニュースが流れていた。

そんな所に、玉置千鶴子から悠木に電話が入り、大河内教授の話によると、油圧隔壁が壊れたのが墜落の原因らしいと伝えて来る。

それを聞いた悠木は、事故調査委員会の知り合いに、その事を確認してくれ、一人送るからと指示する。

そんな編集部に、子供連れの母親(村岡希美)が新聞を分けて欲しいとやって来る。

それに対応した編集部員は、ここは新聞を売る所ではなく、一階に置いてあるからと追い出すが、それをデスクから見ていた悠木は、すぐに数日分の新聞を持って、その母親を追い掛けると、玄関口でただで手渡す。

何故、あの母親は、全国紙ではなく地元新聞であるうちに来たのか分かったからだ。

それは、地元紙が一番詳しく事件を報道していると思われているからに他ならなかった。

悠木は、自分が今なすべき事の方向性が見えたような気がして、一面に日航機事故の事を持って来る事を決意する。

その夜、悠木の元にやって来た神沢は、自分が書いた原稿を差し出す。

そこには、事故現場の惨状が乱れた文字で書かれていたが、その表現たるや、死体の内臓がどうこうと言った、とても紙面に乗せられるような表現ではなかった。

悠木は神沢を人気のない場所に連れて行くと、現場に実際に行ったのはおれたちだけで、机でふんぞり返っていただけのあんたなんかに、記事の価値が分かるはずがないとぶちまける相手を捕まえて、お前を調子づかせるために、500名以上の犠牲者が出たのではないぞと叱りつける。

神沢は、はじめて死体を見たため、精神状態が不安定になっていると気付いた悠木は、彼を常時二人の部下たちに見はらせることにする。

8月16日、悠木は、慰労会の名目で料亭で食事をしていた等々力社会部長と同席をする事になるが、そこで、前回の輪転機の事を自分に隠していた事や、何も独自の記事を作らないまま、事故の報道を終えようとする社の弱腰について責めはじめる。

優秀な記者たちは、そんな地元紙の体質に嫌気がさし、どんどん東京に引き抜かれて行くだけ…

それを聞いた等々力社会部長も黙っておらず、二人はその場で殴り合いの喧嘩になりかけるが、他の社員たちに押さえられて事なきを得る。

しかし、神沢の目つきは明らかに常軌を逸していた。

その頃、見張りの二人がちょっと目を外した隙に会社を逃げ出した神沢は、深夜の道路で車に轢かれ、探しに来た社員たちの目の前で死亡してしまう。

その神沢の葬式に出席した悠木は、死んだ神沢が、定期入れの中に、現場近くで拾ったスペードのAのトランプを挟んでいたと知らされる。

外に出た悠木は、佐山と歩きながら、子供の頃に観た新聞記者の映画のタイトルが「最後の切り札」だったと話しはじめる。

自分は、その映画に感化され新聞記者になったのだが、その主人公の口癖が「チェック(裏取り)、ダブルチェック(二重裏取り)」だったと言うのだ。

新聞記者たるもの、いつもその姿勢を忘れてはいけないと言う事が言いたかったのだ。

悠木はその後、玉置千鶴子が掴んで来た事故原因の裏取りを君にやって欲しいと依頼する。

そこに当の玉置千鶴子が近づいて来たので、今後、君は狭山の連絡係をやってくれと伝えると、さすがに玉置は気色ばむ。

自分が女なので、一人では取材が出来ないと思われていると解釈したからだ。

しかし悠木は、県警キャップとして、裏取りの実績が豊富な佐山の方が適任と判断したからだと冷静に答える。

それでも怒りがおさまらない玉置は、狭山を乗せた車を猛スピードで発車させる。

(2007年)悠木と安西燐太郎は、衝立岩に挑んでいた。

1985年、その日の会議では、追村編集局次長が、そろそろ墜落事故の事は一面から外そうと提案していた。

しかし、亀嶋整理部長が悠木を後押しし、今回は一点豪華主義で、しばらく事故関連を追ってみましょうと反論し、等々力社会部長もその意見に乗る形になる。

悠木は、遺族がいる待機所に、わが社の新聞を500部配りたいと提案する。

その交渉のため、伊東販売局長に会いに行った悠木は、黒田美波のことで、随分安西をこき使ったそうだなと嫌味を言う。

しかし伊東は平気な様子で、自分達販売が毎晩苦労しているから新聞は売れるんだ。編集部だけでマスターベーションするなよと切り返して来る。

一瞬、かちんと来た悠木だったが、その場では怒りを押さえ、今夜も又、遅くなるからよろしくと言い残して去る。

その頃、佐山の玉置は、事故調査委員が泊まっている宿の横の竹林の中で様子をうかがっていた。

さすがに経験が浅い玉置は緊張で震えていた。

その玉置から、現状報告を受けた悠木は、1時半まで待つと伝える。

(2007年)悠木と安西燐太郎の衝立岩登頂は続いていた。

悠木は近くにいた部下たちに、抜きネタの事を、編集局長、局次長を飛び越え、直接、等々力社会部長に打ち明けると伝える。

部下たちは、自分達がなすべき事を察知し、すぐさま二人の社員が粕谷編集局長と追村編集局次長の元にさり気なく近づくと、趣味の話を始める。

等々力社会部長に悠木が近づくのを気取られないためであった。

悠木は等々力社会部長に近づくと、小声で「抜きネタを打ちます」と伝える。

事故原因のスクープが、間もなく手に入りそうだと臭わせたのである。

勘の良い等々力社会部長も小声で応じ、藤岡の待機所に着かなければ意味がないぞと、締め切りに間に合うのかどうか確認する。

(2007年)悠木と安西燐太郎の衝立岩登頂は続いていた。

1985年、悠木はいざとなったら、あの手を使うと、昔コンビだった等々力社会部長だけに通じる話をする。

配送トラックが出られないように、車の鍵を盗んで隠しておくと言うルール無視の作戦だった。

佐山と玉置は、こっそり旅館に中に忍び込み、玉置がそれを電話で悠木に報告する。

その電話を受けている最中、トラックの鍵がない事に気付いた伊東販売局長が編集部に怒鳴り込んで来る。

それを、全編集局員たち立ち上がって追い出しにかかる。

(2007年)悠木は足を滑らせ、宙づり状態になる。

1985年、 宿に忍び込んだ佐山は、調査委員会のメンバーに接触し、事故原因について確認を取った事を悠木に電話していた。

間違いないのかと念を押す悠木。

佐山は、事故調査委員会は100%間違いないと言っているが…と言った後、少しおかしい、出来過ぎですね…と口籠る。

電話を聞いている悠木の廻りに集まった編集部員たちは、抜きネタを扱うのかどうか、最後の判断を待っていた。

悠木は映画の事を思い出していた。「チェック(裏取り)、ダブルチェック(二重裏取り)」…

今の時点では、裏取りの確証性が弱かった…

(2007年)悠木は一本のロープにぶら下がったまま、空中で気絶していた。

1985年、「俺には打てない…」そう判断した悠木は、隠していたトラックの鍵を返す事にする。

(2007年)安西燐太郎 の呼び掛けで気がついた悠木は、そのすぐ横の岩肌に、新しいハーケンが打ってあるはずだ。それはじゅんが前にここに来た時、今の親父では、ここは越えられないはずだからと、打っておいたものだから、それを掴んで登ってくれと言われる。

悠木は、懸命にそのハーケンにしがみつき、ロープを引っ掛けると、ロープを登りはじめる。

1985年、自宅で昼寝をしていた悠木の元に、玉置がやって来て、「毎日新聞が書いている」と差し出す。

そこには、事故原因は油圧隔壁が壊れたのが原因とすっぱ抜かれていた。

それを読みながら悠木は、俺が全権じゃなかったら、お前と佐山は、今頃スター記者になっていただろうな、俺は怖かっただけかも知れんと自嘲する。

しかし、玉置は今となっては吹っ切れたようだった。

出社すると、案の定、悠木はみんなから嫌味を投げかけられる。

追村編集局次長などは、お前は昔から憶病者で、すぐに逃げる癖があったと言うので、思わず、あんたはろくに裏も取らず、何度も誤報を打ったじゃないかと言い返す悠木。

8月18日、北関東新聞社にやって来た佐山は、又、エレベーター内で、白河社長と鉢合わせる。

白河社長は、悠木はやっぱりやんちゃだねと呟く。

編集局にやって来た白河社長は、毎日がすっぱ抜いた事故原因の記事を、翌日になって載せた悠木の判断を「恥の裏塗りだ!」「お前たちは総とっかえしても良いんだ」と罵倒する。

悠木は覚悟をしていたように、辞表を差し出す。

それを見た白河社長はちょっと狼狽し、そんなものは受取らん!と怒鳴るが、悠木はリュックを背負って、社を去る。

屋上に悠木を追って来た佐山は、手に入れた事故の犠牲者の遺書を差し出す。

それは墜落する事が分かった乗客が、飛行機の中で家族に宛てたものだった。

それを読む悠木に、佐山は「それを一面トップでやって下さいよ」と訴える。

(2007年)悠木と安西燐太郎は、無事に山頂にたどり着いていた。

再び、安西燐太郎の車で、土合駅まで送ってもらった悠木は、じゅんはハーケンは打ってくれたが、俺には会いに来てくれなかったと淋しげに呟く。

それを聞いていた燐太郎は、それは違うよ、おじさんと言い返す。

今まで一度だって、おじさんはじゅんに会う努力をしたのか、この群馬を出て?と…

その後、ニュージーランドのサザンアルプスの麓に一台の車が近づいていた。

悠木が運転する車だった。

「YUUKI FARM」と書かれた看板に気付いた悠木は、車を降りると、広々した農地を眺める。

じゅんの妻は、遠くに泊まった車とその側に立っている男に気付くと、息子のアーリアを抱いて、そこへ向う。

今日来るはずの、夫じゅんの父親に違いなかったから。

悠木は、昔、幼かったじゅんから渡された小石を取り出していた。

妻は、じゅんの名前を呼ぶ。

悠木は、再び車に乗り込むと、じゅん夫婦が待つ家に向って走り出すのだった。

事故調査委員会が出した事故原因の発表には、いまだに疑問が出ている。

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▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

いわゆる「ブンヤ(新聞記者)もの」だが、扱っている内容が実際に起こった事故なので、一応、事故原因を独自に追うと言うような展開はあるものの、専門的な分野なので分りにくく、事件記者が犯罪の核心を追うと言うような分かりやすいサスペンスタッチやミステリ性など娯楽要素は希薄である。

ドキュメンタリータッチで地元新聞社の日常や人間関係を描いた「職場もの」と言った方が良いかも知れない。

分かりやすく言えば、「働くおじさん映画」なのだ。

印象としては、松本サリン事件を地元マスコミがどう報道して行ったかを描いた「日本の黒い夏-冤罪-」(2001)に似たものを感じた。

丁寧に撮られているので、それなりに見ごたえはあるし、特に退屈すると言うほどでもないが、やはり2時間を超える上映時間はやや長く感じられないでもない。

記者たちが日航機事故と向き合った一週間の悪戦苦闘振りを山登りとダブらせ、ロマン性豊かに描いているが、特に映画的なカタルシスがある訳でもなく、最初にいきなりクライマックスがあり、後は徐々にそれが沈静化して行く様を描く形になっているので、全体としては地味な展開なのだ。

遠藤憲一、螢雪次朗、でんでんと言った中年たちが味を出しているが、全体として、事故を知らない若い世代までも惹き付ける映画としての魅力があるかと言われると、少し弱いかな?と感じないでもない。

とは言え、出来は決して悪くないと思う。

新聞社内の様子は、かなりリアルに見えるよう、あれこれ工夫が凝らされ撮られているし、この手の内幕ものが好きな人には、十二分に楽しめる内容になっているのではないだろうか。