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小さい逃亡者

1966年、ゴーリキー+大映東京、小国英雄+エミール・ブラギンスキー+アンドレ・ビートフ脚本、衣笠貞之助監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

両親がいない小学4年生、川間健(稲吉千春)は、図画工作の授業で木版画を掘っていた。

テーマは「父の顔」

誰よりも早く印刷し終えた健の作品を見た田端先生(宇津井健)は、それを黒板に貼り出し、気持ちの籠ったなかなか良く作品だと、みんなの前でほめる。

その版画に描かれたバイオリンを弾いている大人は、僕のおじさんなのだと健は紹介するが、いつも健が先生から依怙贔屓されているのを感じている他の子が「ヒイキ」と版木の裏に書いて、他の子に見せる。

そのおじさんとは、食堂「大越」で昼間から酒を飲んでいる流しのバイオリン弾き野田信之(宇野重吉)だった。

そこに帰って来た健は、今日、おじさんを描いて誉められたと野田に報告する。

父ちゃんの写真は小さすぎて描けないから…と言うと、野田は相好を崩して、こいつにはバイオリンだけではなく、絵の才能もある。俺は健に未来を賭けているんだと、健の昼食用にカツ丼を作って待っていた店主(殿山泰司)や、ちょうど入って来た同じ流し仲間の木村次郎(藤巻潤)に自慢する。

木村は、そんな健の為に、得意のギターを弾きながら「♪地球の上に朝が来た〜」と歌を披露する。

夜の繁華街、「バーいとう」という店の中で、野田と健は、客が唄う「会津磐梯山」にバイオリンで伴奏をしていた。

その近くの路上では、母親から渡された花束を持ち、「お母さんが病気なので、治療代がいるの」と嘘をつき、大人に売付けていた少女の佐久間道子がいた。

そんな道子は、同じように子供連れで物を売っている仲間が、景観に捕まって注意されているのを目撃し、すぐに母親に知らせに行く。

バーから出て来た野田と健にも、その事を木村が知らせる。

健はすぐに逃げ出し、馴染みの風船売りのおじさんに、持っていた自分用のバイオリンを隠してもらうと、自分は子供用のサングラスをかけ、近くのおもちゃやで見ている風を装おう。

追って来た警官の目はごまかせたものの、野田の事が心配になった健は、近くの交番に行ってみる。

すると、道子と母親などと一緒に、野田も捕まって説教されているではないか。

児童福祉法に反するので、もう少し子供を育てる資格と言うものを反省して欲しいと警官は言っている。

特に、教養のない花売り親子とは違い、野田は昔、前途有望なバイオリン弾きとして有名だった事もあるだけに、十分その辺の事は分かっているはずだと強く注意される。

それを聞いていた健は、おじさんは僕のために働いてくれているんだと弁護するが、さすがに野田も、今回の警官からの説教には堪えたようだった。

健に夕食を食べに連れて行ったレストランで、野田は泥酔し、健に絡みはじめる。

俺が嫌いかとか、俺と暮すのが嫌なのか?と問いつめ、健を困らせる。

見かねた木村が止めに入ると、野田は、健に立派なバイオリニストになるんだ。俺がしてみせる。俺は本物のバイオリニストでチャイコフスキーだって弾けるんだと言い出し、その場で弾きはじめるが、それを聞いた他の客が注目しはじめると、やがて曲調が怪しくなり、その場に崩れるように座り込んでしまう。

そんな野田を、健は抱えて安アパートに帰るのであった。

酔ってベッドに横たわる野田は、もう俺はチャイコフスキーも弾けなくなったと自嘲する。

健気にも、健がそんな野田に水を飲ませると、野田は俺のようなクズにはお前を育てる資格がないと言い出す。

そして、お前の父親は立派な音楽家だったと言うので、健が、もう死んじまったじゃないと返すと、野田は死んでない。あいつを死なせるようなら、この夜に髪も仏もないと不思議な事を言う。

生きているの?と健が聞くと、生きている、モスコーに…。お前が立派な人間になるのを待っている…と呟いて、野田は寝息を立ててしまうのだった。

翌日、学校に行った健は、世界地図や地球儀で、モスコーの位置を確認していると、地球儀が軸から外れて床に転がってしまう。

慌てて健がそれを拾っている時、田端先生がやって来て、健にプレゼントをしてくれる。

健は、川に繋いだ船の中に放課後向う。

その秘密の場所で、道子と待合せしていたのだ。

健は、学校で田端先生からもらった風船式地球儀を膨らませると、お父さんは生きていて、ソ連のモスコーと言う所にいるとおじさんから教えてもらったと伝える。

すると道子は、それならソ連の人に聞いたら何か分かるかも知れない。ちょうど今、ソ連のサーカスが来ているよと教える。

ボリショイサーカスにやって来た健は、ちょうど入口から入場しようとしていた親子連れの客を見つけると、その子と手を繋いで、家族のように見せ掛け、そのままただで中に入る事に成功する。

健は何喰わぬ顔をして空いていたイスに座っていたが、その席のおばさんがやって来て注意をしはじめたので、ごまかしながら楽屋裏に行ってみる。

そこでも係員に見つかってしまったので、思わず近くにあった部屋のドアを空け、中に入ると、そこにあった衣装の中に隠れてしまう。

そこは、人気ピエロのニクーリン(ユーリー・ニクーリン)の部屋だった。

同じ部屋にいたマダム・ニクーリン(タチャーナ・ニクーリン)が、衣装を点検していて、隠れていた健を発見する。

メイク中だったニクーリンは、見知らぬ子供に驚き、話し掛けるが言葉が通じない。

取りあえず健は自分の名前を言うが、サーカスを観たいのだろうと解釈したニクーリンは、彼の為に席を取ってやる。

やがて、ニクーリンのショーが始まり、ステージに出たニクーリンが大太鼓を叩いてみせると、何故か鳥の鳴き声が響く。

同じく、トランペットを取り出して吹いても、小鳥の鳴き声が響いて、やがてそのトランペットは、空中に飛び去ってしまう。

やがてニクーリンは、客席で観ていた健の持つバイオリンに目をとめると、それを貸してもらって、ステージ上で椅子の上に立ち上がると弾き始める。

すると椅子から転げ落ち、持っていた健のバイオリンは真っ二つに壊れてしまう。

それを観た健はびっくりしてステージのニクーリンの元に詰め寄るが、慌てて、壊れたバイオリンをケースの中に詰め込んでニクーリンから返されたバイオリンは、元のように綺麗なままだった。

手品だったのだ。

健は、ニクーリンから促され、その場で「桜」をバイオリンで演奏しはじめる。

すると、それに合わせて、サーカスの楽壇も演奏しはじめる。

ニクーリンは、その場で健に、それん土産のマトリョーシカ人形をプレゼントする。

翌日、道子を連れて、同じボリショイサーカスにやって来た健だったが、もう、ニクーリンたちは京都へ移動したと係員に教えられる。

健は、ニクーリンに会うため、ヒッチハイクして京都へ向う事にする。

ようやく停まった日通のトラックに乗せてもらい、健は京都へ到着する。

ボリショイサーカスの控え室にやって来た健は、ニクーリンに会うと、この前もらったマトリョーシカを差し出してみせると、ようやくニクーリンも、横浜で会った健の事を思い出してくれる。

ニクーリンは、夫人を先にホテルに帰させると、自分は健と二人で歩きながら帰る事にする。

健は、自分の父親がモスコーの病院で寝ているので、会いに行きたいのだと訴えるが、ニクーリンにはさっぱり通じない。

ホテルについたニクーリンと夫人は、マトリョーシカの中には七つの小さな人形が入っており、それを持っていると幸福になれると健に教える。

それを健は、願い事を言うと叶えられる人形だと勘違いするが、試しに、一つの人形の空洞に向って、小さな声で「アイスクリームが食べたい」と言うと、すぐにドアが開き、ボーイが本当にアイスクリームを運んで来てくれたのには驚いてしまう。

横浜に帰って来た健は、港に道子を呼出すと、これからニクーリンが乗って国に帰る船に同行して、自分もソ連に行くんだと教える。

お父さんに会ったら、すぐに帰って来るから、みんなには内緒だよと言う健は、しっかりリュックを背負い、旅行の準備を整えていた。

やがて、クレーンがニクーリンの荷物を積んでいるのに気付いた健は、道子を残して船に乗り込んで行く。

その時、健はマトリョーシカの一つを落として行った事に気付かなかったが、それを拾った道子は帰って、母親や野田と木村に事の次第を打ち明けてしまう。

それを聞いた野田はショックを受け、落ち込んでしまう。

出航したソ連船の中では、荷物の中に隠れて密航していた健が船員たちに見つかり捕まっていた。

ニクーリンさんに会わせてくれと言う健の言葉を聞いた船員は、呆れたように、ニクーリンなら、とっくに飛行機で国に帰ったと言うが、互いに言葉が通じない。

ナホトカに到着すると、健は、国境警備隊の日本語が分かる通訳から厳しい尋問が行われる。

健が何も答えようとしないのを見た隊長は、通訳にもっと優しく接するように指示した後、上司に連絡を取る。

その後、食事を振舞われていた健は、同室の男からビザがなけりゃ強制送還される事になると教えられるが、意外な事に隊長の少佐から呼び出しががかると、健は駅に連れて行かれ、先ほどの同室者だったトロフイムルチ曹長と一緒にモスコーに行く事が許可されたと教えられる。

トロフイルムチ曹長は、軍楽隊のトランペット吹きだった。

部屋で待っていた健が、こっそりマトリョーシカに願い事をしたお陰かも知れなかった。

翌日、ハバロフスクに着いたトロフイルムチ曹長は、ホームの売店で娘に送るスカーフを購入し、列車に乗り込むと、妻の写真を健に見せる。

夜、列車が停まったとある駅で、急に健と一緒に降りたトロフイルムチ曹長は、待っていた妻のクラーワと会う。

娘のビチカに土産を買って来たなどとしばし語り合い、やがて、列車の出発の時間が迫ったので、再び乗り込もうと、先に健を列車に乗せたトロフイルムチ曹長は、思わぬ旧友から声をかけられ、話し込んでいる内に列車は発車してしまう。

次の駅で飛び下りた健は、モスコーまで行かなければいけないんだと説明するが、言葉が分からない乗務員に連れられ、一旦駅に預けられる。

隣の駅に連絡した駅員は、連れのトロフイルムチ曹長が次の列車でそちらに行くからと聞き安心するが、何時の間にか、保護していたはずの健の姿は消えていた。

健は、線路伝いにモスコーを目指して歩き続けていた。

途中、走って来る列車に向ってヒッチハイクのように停めようとするが、列車が停まってくれるはずもなく、健はその夜、田んぼの藁の山の中にくるまって夜を明かす。

翌朝、起きてみると、牛が外に脱いでおいた自分の服を食べようとしているので、びっくりして奪い返す健。

健は、線路に小さなマトリョーシカ人形を起き、手を降って、貨物列車を停めてしまう。

列車が停まった隙に、健は積み荷の木材の間に潜り込んでしまう。

動き出したその貨物列車には、健を追っていたトロフイルムチ曹長も乗っていたのだが、二人とも気付くはずもなかった。

貨物列車はイルクーツクで停まり、トロフイルムチ曹長と健は別々に降り、互いに気付かぬまま反対方向に別れてしまう。

そこをモスコーと思い込んだ健は、市内の病院を訪ね、パパに会わせてと看護婦に訴えかけるが、言葉が分からない看護婦は、独り合点して、入院中の全く別人を連れて来てしまう。

その顔を見て、パパではないと気付いた健は、涙ぐみながら病院を後にする。

その後、健は森の中を彷徨っている内に雷雨に会い、近くの無人小屋に入り、濡れた身体を乾かしていた。

そこに、その小屋の住人である猟師の青年ワキタが帰って来る。

ワキタは、見知らぬ少年を発見し驚くが、健の方も、猟銃を持った猟師の姿に怯え、思わず近くにあった木材を持って身構える。

ワキタは、健の事をブリヤート人かと尋ねるが、言葉が分からない健は無言のまま。

その内、ワキタは、健が脱いでいた体育帽に書かれていた「Made in Tokyo」と言う文字を読み、健が日本から来た事を知る。

その後、ワキタと健は、素っ裸になって、一緒に食事をする。

翌朝、ワキタは健をニシセイまで連れて行ってくれる。

森の中を歩く途中、健が生えていた植物の実を取って口に入れようとすると、それはドクアザミだからダメだとワキタは注意し、コケモモなら食べられると教えてくれる。

ニシセイに夜着き、筏生活者の夫婦と森の中で出会ったワキタは、ロシア語で、健がモスコーにいる父親に会いたがっているので協力してくれと紙に書いて、裏には「平和のために」と書き添えて健に渡す。

翌朝、健は筏生活者の筏に乗って川を下っていた。

大きな筏の上には一軒家が建てられており、夫婦とその娘達が計5人一緒に生活していた。

健は、朝からノコギリでで材木を切っていた主人の手伝いをしようとして感心される。

女系家族の中、ただ一人の男である主人は、男の子が欲しくて仕方ないらしい。

朝食の席、テーブル上のカップをこぼしてしまった一番末娘が、父親からスプーンでおでこを叩かれたのを見ていた健は、その後自分も、スープを飲んでいたスプーンを床に落としてしまう。

同じようにおでこを叩かれると覚悟して目をつぶった健だったが、父親が何もしないので、自分のスプーンで自分のおでこを叩いてみせ、それを見た父親から「やっぱり男の子だ」と感心される。

健はその日、末娘が筏に乗っている姿を絵に描いて家族に見せるが、当の末娘は風邪をひいて寝込んでいたのでそれを渡す。

その末娘がラジオをつけたので、それはモスコーかと健が聞くと、モスコーはずっと遠くで、この筏で町まで行き、そこからさらに列車に乗らなければいけないのだと、ジェスチャーまじりで教えられる。

その直後、筏は列車が通過する鉄橋の下を通過するが、健は自分の荷物をまとめて、その通り過ぎる列車を見上げていた。

風邪が直り、ベッドから立ち上がった末娘は、健の姿が見えなくなっているのに気付く。

あの自分を描いてくれた絵には、「僕はモスコーに行かなければいけないんだ。 健」と日本語で書かれてあったが、末娘には何が書いてあるか読めるはずもなかった。

サマルカンドロの港の工事現場に健は現れる。

工事の手伝いをしようとするので、驚いた工員が、健を事務所に連れて行く。

事務所では、健から見せられた紙を読むが、何故かそこには「平和のために」と言う文字しか読み取れなかった。

健は、モスコーに行かなければいけないので、お金がいる。ここで働かせてくれと訴えかけるが、言葉が通じるはずもなく、警察に連絡されたあげく、結局、健は飛行機でモスコーに連れて行ってもらう事になる。

ところが、その飛行機も、モスコーの天候不良のためにレニングラードに不時着する事になる。

付き添いのおじさんに連れられ、名所のカザンスキー寺院に連れて行ってもらった健だったが、どこからともなく聞こえて来る「♪春高楼の花の宴〜」のメロディに導かれるように町を彷徨い歩く。

やがて、とある音楽学校にたどり着き、授業を終え教室から出て来る生徒たちとすれ違う。

教授らしき老人が出て行った教室の中に入った健は、そこに置いてあったバイオリンを見つける。

その学校の廊下に、健はマトリョーシカを一つ置いておく事にする。

外に出た健は、壁に貼ってあるニクーリンの大きなポスターを目にとめる。

ボリショイサーカスが来ていたのだ。

すぐに楽屋を訪ねた健だったが、本番直前だったニクーニンは、いきなり目の前に現れた日本人少年に唖然とする。

とにかく今から本番だからここで待っていてくれと言いながら、ステージに出て行ったニクーリンだったが、待切れなくなった健は、演技をしているニクーリンの側に出て行ってしまう。

困ったニクーリンは、会場の観客たちに、日本語が分かる人はいないか、この子は日本から一人でここまでやって来たのだと訴えるが、客たちはそれもギャグだと思い笑うばかり。

仕方がないので、健自らに話し掛けるよう身ぶりで勧める。

健は観客たちに向い、自分はモスコーにいる父親を探してここまで一人で来たのだと説明するが、その時、一人の日本人(船越英二)が立ち上がり、それは本当の事なのかい?と尋ねる。

その日本人とニクーリンは、健の父親の所在を確かめるために日本大使館に連れて行く事にする。

相談していた部屋から出て来た日本人が暗い顔をしてニクーリンと話しはじめた所を見ていた健は、思わず最後に残っていた一番小さなマトリョーシカを取り出し、お父さんに会わせてと願う。

しかし、親切な日本人が近づいて来て、もうお父さんは5年前に亡くなっていた告げる。

小さなマトリョーシカが、床に転げる。

ニクーリンも涙ぐんでいたが、それに気付いた健は近寄って、心配しないでと逆に慰めるのだった。

その後、疲れて眠ってしまった健を抱き表に出たニクーリンは、タバコの火を貸した女運転手から、あなたの息子か?良く似ていると健の事を言われる。

その後、一緒に乗った観光船には、あのトロフイルムチ曹長も乗っており、いまだに健の事を探していたが、やはり互いに気づかないまま別れてしまう。

ニクーリン夫婦は、健を自分達の子供として育てる事を決心し、高等音楽院に入学させに行く。

将来、サーカスの楽団員になるかも知れないと、夫婦は夢を語る。

月日が過ぎ、横浜で花屋を開業していた道子(安田道代)は、母親からテレビのニュースを見るように呼ばれる。

何でも、来日したソ連のオーケストラに、昔密航した日本人少年がメンバーとして混ざっていると言っていると言うのだ。

驚いてテレビを見入る道子。

通訳(中条静夫)を通じ、来日したモスクワ室内管弦楽団の代表がマスコミに挨拶をする際、その日本人が紹介される。

成長した川間健(太田博之)だった。

健は、自分を十歳まで育ててくれたおじさんに会いたい。

野田信之と言う人ですと、マスコミに訴えかける。

とある孤児院。

園長の山村弥生(京マチ子)は、雑用係の老人に、あなたには甥がいませんかと尋ねるが、その老人は、自分は天涯孤独だと答えるのみ。

しかし、園長は、その老人の名前が、今マスコミを通じて探している野田信之と言う名前である事を知っていたので、首をかしげる。

年老いた野田は、病室のテレビに写っている健の姿を廊下で目に留め、思わず見入ってしまう。

テレビのスタジオでは、健と、道子母娘の感動の対面が行われていた。

健は、再開した二人におじさんの事を聞くが、二人とも知らないようだった。

司会者が改めて、野田信之に名乗り出て欲しいと呼び掛ける。

それを見つめていた野田に園長が話し掛けて来て、あなたが野田さんではないのかと重ねて聞くが、野田は同姓同名でしょうとごまかして立ち去り、一人になると、思わず泣きながら「健…」と呟くのだった。

後日、健は、モスクワ室内管弦楽団のバイオリニストとしてステージで見事な演奏を披露する。

客席には、道子母娘の他に、田端先生や木村の姿もあった。

その演奏の様子は、孤児院のテレビでも流れていたが、それを部屋の隅で観ていた野田は、呆然と立ちすくすだけだった。

演奏が終わると、園児と一緒に聞いていた園長が立ち上がり、あの健と言う方も、皆さんと同じ孤児だったのですが、今はあのように立派な方になったのです。皆さんで拍手を送りましょうと言い出す。

独り、外に出た野田は、草原に座り込み、健の見事な演奏を思い出しながら涙ぐんでいたが、そこに近づいて来た園長が、あなたは何故、差し伸べられた幸せに手を伸ばそうとはしないのかと聞かれ、私にはそんな資格はないと答える。

ただ、心から幸せになって欲しいと願ったものが、その通りになった様子を見守っている方が幸せですと続ける野田の言葉に、園長も頷く。

幸せになって欲しい者が幸せになっている。それを見ているのが私たちの幸せなんですね。ほら、あんなに私たちの幸せがたくさん…と、園長が指差す先には、元気に遊ぶ孤児たちの姿があった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼


ソ連との合作映画としても、1967年3月公開の「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」の併映作品としても有名であるが、実は前年12月の「酔いどれ波止場」との併映が初公開であるようだ。

改めて観てみると、その豪華なスタッフ・キャストには驚かされるし、110分と言う上映時間も子供向け怪獣映画の併映としては長過ぎ、「ガメラ対ギャオス」もこの作品も同じ大映東京作品と言う事から考えても、最初から併映作品として同時期に撮られたと考えるとおかしい事に気付く。

「ガメラ対ギャオス」の時は再映だったと言う事だろう。

実際、私も子供時代、「ガメラ対ギャオス」と同時にこの作品を観たのを確かに覚えている。

「ガメラ対ギャオス」の方は、その後何度も観る機会があったが、「小さい逃亡者」の方は観る機会がなく、今回40年振りの再会となった。

主人公の健が、筏の上の家の中で家族と共に食事をするシーン、床にスプーンを落としたので、自分で自分のおでこをスプーンで叩くシーンや、後半、成長した健として太田博之が登場するシーンなどははっきり覚えていた。

太田博之は、当時から子役スタートして、子供達にも知られていたのだ。

おおまかなストーリー展開も覚えていたが、細かいシーンの数々は、ほとんど忘れていた事が分かった。

今大人の感覚で観ると、やや、ストーリー面では古めかしく感じられ、列車で別れてしまったトロフイルムチ曹長との、その後のすれ違いドラマや、後半の野田のお涙頂戴芝居などは、当時としても、クサイと言うか古めかしかったのではないかと思う。

健が、横浜から京都へ、そしてソ連の主要都市の数々を旅行して行くと言う展開は、一種の観光要素も含んだ「ロードムービー」と言う所だろう。

確かに、ソ連の地方都市や自然を垣間見る機会はなかなかないので、そう言った意味では貴重な映像も含まれていると思う。

奥深い森の姿などは、ちょっと黒澤明の「デルス・ウザーラ」を連想させたりもする。

健役の少年は、見た目小太り体型だが、感極まったところで涙ぐむ所などはなかなか巧い。

最後は、宇野重吉と京マチ子の豪華共演芝居となる。

宇野重吉が出ていたのはかすかに記憶があったが、京マチ子が出ていたのは完全に忘れていたので、今回出演していた事を知り驚いてしまった。

子供向けと言う事なのか、途中、御都合主義的な展開もあるので、感動作と言うより「やや臭い」映画に思えないでもないが、合作映画としては、こうした形になるのもやむをえない所かも知れない。

かと言って、つまらないかと言えばそう言う事はなく、今観てもそれなりに見ごたえがある作品である事も確か。

ピエロにお涙演技をさせると言う発想自体は、決して目新しいものでもないと思うが、重要な役を演じるニクーリン氏の味わいのある演技も印象的。