1936年、大都映画、大井利与原作、河津?史脚本、吉村操監督作品。
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胸の病で長い間家に籠っていた妻、静子(佐久間妙子)は、久しぶりに海軍大尉の夫植村けんじが帰還して来ると言うので、女中の房枝(琴糸路)に着替えを手伝ってもらい、7才になる一人娘の弘子(八田なみ志)と共に出迎えに出かけようとしていた。
その朝は、いつになく気分が良かったのである。
ところが、玄関口で車に乗り込もうとした静子を呼び止めたのは、姑であった。
病身のあなたが出かけるなんてとんでもない。病人は病人らしく家でじっとしていなさいと言う。
息子の見送りには自分が行くと言い出したので、静子は何も言えず、そのまま引き下がる事にするが、娘の弘子も、母親が行かないのなら自分も行かないと言い出し、結局、姑だけが車に乗り込み迎えに出かける事になる。
房枝は、日頃からの姑の静子に対する嫌がらせを良く知っていたので、静子を必死に慰めるのであった。
気落ちした 静子は、又、弱々しく咳き込みはじめる。
そうした母親の様子を心配しながらも、弘子は、お母さまと一緒にお父様を出迎えに行きたかったと本音を洩らす。
植村大尉は、車で帰宅していたが、出迎えに来た母親と、その母親がお気に入りの親戚の娘、節子の二人だけだったので、静子は何故、出迎えに来なかったのかと車中で尋ねるが、二人とも答えようとしなかった。
帰宅した植村大尉は、出迎えた弘子と静子に同じ事を聞くが、後ろで控えていた房枝が大奥様がお止めになったので…と説明しかけると、静子はやんわりそれを止めさせるのだった。
大尉は、そうした妻や女中の態度から、自分が留守中の苦労を察し、いたわりの言葉をかけ、明日は久々の気晴らしに、皆でピクニックへ出かけようと提案する。
翌日、家族全員で江ノ島の海岸に出かけた植村大尉は、弘子と一緒にビーチボール遊びを始める。
静子や房枝は、そうした様子を楽しそうに眺めていたが、一緒について来た姑と節子は、自分達が明らかにのけものにされている事に苛立っていた。
そんな時、弘子は、手からそれたボールを拾いにかけて行くが、その先の砂浜に寝そべっていたのは、一人の男性だった。
男は、転がって来たボールを素早く拾い上げると、探しに来た弘子から隠すように、背中の後ろに隠したかと思うと、返してくれと頼む弘子を相手に、立ち上がってからかいはじめる。
それを観ていた静子は、近づいてその男の手からボールを奪い取って睨み付けるが、さすがにバツが悪くなったのか、男は母親の前で恐縮してみせる。
そんな男の元に近づいて来た植村大尉は、男の顔に見覚えがある事に気付く。
大学で同期で、今は弁護士になっている吉川正夫だった。
吉川の方も、すぐに植村大尉の事を思い出す。
二人は大学時代、同じ競争部に所属していたのだと静子に教えると、では久しぶりに競争してみたらいかがと促され、二人ともその気になって、砂浜を駆けっこしはじめる。
その場になっても、無視され続けていた節子は、けんじさんは自分の事を嫌いなのだと、姑に愚痴ってみせる。
それを聞いた姑は、息子と静子とは近い内に離別させるときっぱり言い切るのだった。
後日、節子が植村家を訪問した日、茶を運んで来た静子に、姑は植村家の家系に肺病などなかったはずと嫌味を言い出す。
節子に向って、最近はけんじまで変ってしまったと言うではないか。
そんなひどい言葉を浴びせかけられ落ち込んでいた静子に、房枝が、実家から、妹の菊代が訪ねて来たと知らせに来る。
植村大尉は、母親と節子の前に来て、妻につらく当るのは止めてくれと説得していた。
菊代は、姉の様子を心配して来たのだ。
植村家の姑は、近所で「鬼婆」とあだ名されている程の冷酷な女である事は聞き及んでいたからだ。
しかし、静子は、そんな事はないと姑をかばうばかり。
そんな二人の会話を盗み聞きしていた姑は、息子の植村大尉に静子と離別するよう強く勧めるが、大尉がそんな無茶を承知するはずもなかった。
その後、大尉への緊急召集がかかり、夜10時までに急ぎ船に戻らなければいけなくなる。
出発の準備をする息子に、さらに離別を勧める姑は、お前が出来ないなら私がするとまで言い出す。
自分が留守中の妻の事を案じた大尉は、房枝を呼ぶと、お前だけが頼りだから、しっかり妻を守ってやってくれと伝える。
咳き込んでいた静子は、これでもうお別れのような気がすると、出発前の夫に気の弱い事を言い出す。
植村大尉がいなくなったある日、姑は珍しく笑顔で静子に向い、今日は久しぶりに実家へでも帰って気晴らしをして来たらどうかと勧める。
その言葉に何の疑いも持たなかった静子は、素直に出かける事にする。
弘子が学校から帰って来る前には戻って来ると約束し、実家に戻った静子は、久しぶりに父親に会う。
妹の菊代も、帰って来た姉の姿を喜んで迎えるのだった。
その頃、植村家では、姑が書生に、使者として静子の実家に出向くように命じていた。
書生は、その使いを渋っていたが、姑の頑な態度の前では承知するしかなかった。
実家では、そろそろ弘子が学校から戻って来る時間になったので、静子がお暇を仕掛けていたが、そこへ件の書生がやって来て父親に面会し、姑から預かって来た手紙を渡す。
一旦玄関に向っていた静子だが、何事かと部屋の外で聞き耳を立て、妹の菊代も、一緒に様子をうかがい始める。
父親は、静子の病状を理由に縁きりの内容が書かれた手紙を読んだ後、具体的にどうしろと言うのかと書生に尋ねるが要領を得ず、静子をこちらで引取れと言う事なのかと言うと、書生は苦しそうに、そう言う事だと答える。
それを廊下で聞いていた姉妹は泣き出す。
父親が静子を引取ると返事をすると、養生費と称して書生が金を取り出したので、さすがに怒った父親は、その札束を包んだ袱紗包みを叩き返す。
そんな事を知る由もない植村大尉だったが、軍艦の上で妻の身を心配していた。
とうとう実家に引取らされた静子だったが、娘の弘子に会いたいため、時々、学校から房枝と共に帰って来る所を待ち受け、秘かに会っていた。
しかし、ある時、その様子を、車で通りかかった節子に見つかってしまい、家に戻って来た房枝と弘子は、節子から事情を聞いた姑からひどく叱りつけられる。
今後、こういう不始末があったら、家に置いておけないとまで、房枝は言われてしまう。
その後、静子の病状は悪化し、明日をも知れぬ身となったのを見かねた菊代は、この事を植村家に知らせるよう父親に頼むが、メンツにこだわる父親は、あちらが頭を下げてくるまで出来ないと拒絶する。
やむをえず、菊代は一人で植村家に向い、房枝に静子危篤の知らせを伝える。
房枝は、今まで妹のように可愛がってくれた静子に報いるため、弘子を連れて、菊代と共に実家に向うが、もうすでに静子は息を引取った後だった。
静子の遺体にすがりついて泣く弘子。
菊代は、死ぬまで弘子の写真を握って離さなかった姉の姿を見て、意地を張り続けた父親をなじるのだった。
父親もその時になって自分の不明を知り、静子の遺体に詫びるのだった。
植村家に戻って来た房枝と弘子は、事情に気付いた姑と節子から叱られ、とうとう房枝は暇を出されてしまう。
ひろ子は、唯一の理解者がいなくなってしまう事をひどく悲しむが、姑の言い付けに逆らう訳にもいかず、房枝は荷物をまとめて植村家を辞する事になる。
そんな房枝を慕い、門まで行かないでくれ通って来たひろ子だったが、姑が目を光らせているので、仕方なく屋敷に留まる事になる。
やがて季節が過ぎ、薄が茂る秋を迎える。
房枝は、静子の墓に参っていた。
そんな墓地に、弘子も独り、花束を持って通っていた。
その途中で、何時か、江ノ島の海岸で出会った弁護士の吉川と出会う。
吉川は、弘子の口から、母親が死に、家では祖母からいつも叱られてばかりいるので、こうしてたびたび一人で墓参りをしているのだと聞き同情する。
吉川と別れ、母親の墓にやって来た弘子は、偶然帰りかけていた房枝と出会い、自分も母親の元に行きたい、房枝も一緒に行ってと泣きつく。
そんな弘子の様子を不憫に思った房枝は、自分にできる事は、その幼女の言う事を叶えてやる事だと思い込む。
弘子の手を引いた房枝は、そのまま近くの線路まで歩くと、向って来た列車に向って一緒に身を投げる。
翌日、新聞に、母親の後を追って列車に飛び込んだ幼女が死亡し、一緒に飛び込んだ元女中は一命を取り留めたと載る。
生き残った房枝は、幼女を死亡させた罪に問われ、裁判にかけられる事になる。
房枝の行為に同情した植村大尉は、有人の吉川弁護士の元を訪れ、その弁護を依頼する。
話を聞いた吉川は、今回の事件は、家庭愛の欠陥が招いた悲劇だと気付き、弁護を担当する事を約束する。
法廷の傍聴席には、植村家の大尉と母親、そして節子、さらには静子の父親と菊代の姿もあった。
被告人席に立った房枝は、弘子を抱いて列車に飛び込む時、ひろ子は何と言っていたのかと聞かれ、自分は「奥様」と言い、弘子は「お母さま」と申されましたと答え、自分は早く、お二人の元に行って、お詫びしたいと答える。
検事は、房枝に、懲役5年を求刑する。
裁判長から弁護人として促された吉川は、今回の悲劇の元は間違った家庭愛であり、真に罰せられるべきは植村家の方にあると力説する。
裁判長は、10分間の休憩を告げ退室する。
傍聴席で聞いていた植村大尉は、隣に座った母親に向い、房枝に申し訳ないと思いませんかと小声で尋ねる。
さすがに、今回の悲劇で自分の愚かしさに目が醒めた母親は、素直に申し訳なかったと詫びる。
その言葉を聞いた植村大尉は、あなたのその言葉こそ、死んだ者たちへのせめてものはなむけですと言い添える。
休憩後、席についた裁判長は判決を言い渡す。
懲役3年、執行猶予4年と言うものだった。
それを聞いた植村家と、静子の父娘は喜ぶ。
裁判長は被告人席の房枝に向ってさらに付け加える。
いかなる事があろうとも、自ら死を選ぶと言う行為は間違っているが、今回の事件で被告も又被害者と任ずる。
お前の将来の幸福を心から祈っている…と。
後日、静子とひろ子の墓に独り参る房枝の姿があった。
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家系を守ると言う大義から、個人の幸福を破壊する歪な考え方が発生しがちだった戦前の悲劇を、シリアスかつ教訓的に描いた戦前の無声映画。
今観ると、いかにもわざとらしい筋立てなのだが、当時はこういう形で啓蒙するしかなかった背景もあったのかも知れない。
無声映画であるから、セリフは字幕で登場する。
特にアクションなどない典型的なメロドラマなので、退屈しそうだが、結構最後まで惹き付けられてしまう。
典型的な悪役を演ずる姑と節子の態度など、今観ると嘘臭く感じるが、当時は本当に良くあるタイプだったのではないだろうか?
ここでは、家長たる植村家の父親が出てこないので、母親、つまり姑が、家長としても権限を持っていると言う訳だ。
家系を守るため…と言うセリフは、戦後になっても、希に聞かないではなかったから、封建制度が強かった戦前では頻繁に使われていたのだろう。
特に女性の身分が低かった時代であるから、立場の弱い嫁の人権などないに等しかったに違いない。
今の感覚からすると、息子の植村大尉がだらしなく見えてしまうが、家長が絶対だった当時としては、こういう経過になるのもやむをえなかったのかも知れない。
つまり、この映画は、単なるお涙頂戴映画ではなく、当時としては社会派の作品だった可能性があるのだ。
ラストで弁護士の吉川が言う「家庭愛の欠陥」とは、そのまま「封建制度の欠陥」を指摘しているのだから。
主役は最初、静子の方かと思っていたので、女中の房枝の方がはるかに清楚な美人顔なのにちょっと違和感があったのだが、後半は、房枝の方こそ、物語の主役だったのだと気付き納得させられた。
今だったら、もっとヒロインはヒロインらしく、房枝に焦点を当てた撮り方をしているのだろうが、当時は、房枝をあくまでも脇役風に淡々と撮っているので、キャスティング的な違和感があったのだ。
被告人に求刑を求める検事に当る人物が、裁判長と同じ席に座っていたり、弁護士も、唐草模様が入った衣装を身にまとっていたりと、当時の裁判の様子をうかがい知る事ができるのも貴重である。
