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愛の陽炎

1986年、松竹、橋本忍脚本、三村晴彦監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

北関東の秩父地方にある田中製材所に、ウォークマンで音楽を聞きながらバイクでやって来た新井ルミ子(伊藤麻衣子)は、電動ノコギリで木材を切っていたへいさん(谷村昌彦)が、藤谷社長(佐野浅夫)に「2、3本でおじゃんだ」と愚痴っているのを聞く。

どうやら、切っていた大木の中に折れ釘があって、ノコギリを痛めたらしい。

折れ釘の正体は、誰かが人知れず打ち込んだ「呪い釘」であり、時々こういうのがあって困るとへいさんは怒っている。

ルミ子は、製材所の経理事務をやっていた。

馴染みのトラック運転手関口岩松(萩原流行)が藤谷社長に、これから木場の石塚木材に集金に言って来ると報告すると、事務所の前からトラックを出発させる。

仕事を終え、バイクに跨がったルミ子は、トラックで待っていた関口と合流し、ホテルに向う。

周囲には秘密だったが、実は、関口とルミ子は、結婚を約束しあって身体を許しあった仲だった。

ホテルで落合った二人は、貯金がすでに620万溜っており、早く1000万にして、日高の駒の里の高台に新居を作ろうと、将来の夢を語り合っていた。

ルミ子が帰宅すると、弟の茂がテレビを観ていた。

夕食時、兄の隆雄(小倉一郎)が、秩父の前島の話はどうだとルミ子に聞いて来る。

彼が結婚を勧めている相手の前島と言う男は、家一軒作ると言っていると言うのだ。

夕食後、二階の自室(それは屋根裏部屋と言った方が近い)に上がったルミ子は、同じ部屋に住んでいる祖母(北林谷栄)にだけ、飯能に住む関口と言う男と、すでに結婚の約束をしていると言う本当の事を打ち明ける。

すると、祖母は、ひょっとしたら、その男と言うのは、自分が仲間と一緒に山菜採りに出かけた日曜日、トラックに乗せてくれた親切な男の事ではないかと言い出す。

日曜日に何故こんな山道を走っているのかと聞くと、一日3〜5万円くらいで会社から借りているのだと男は説明したと言う。

話を聞いた祖母は、結婚は止めといた方が良いと一旦は口にするが、ルミ子が聞きそうにもない事に気付くと、その関口が32で、ルミ子が20才と言う年齢を考えると、ひょっとすると掘り出し物かも知れないと言い出す。

翌朝、藤谷社長は、問屋である石塚木材から、先日、関口が持って行った手形の数字が間違えていたと言う電話を受け、謝っていた。

さの後、その関口からルミ子に電話があり、走行中、自転車に乗った女子高生にトラックが接触してしまい、相手がどぶに落ち、相手の父親から事故にすると言われたので、見舞金を20万渡さなければいけなくなったと連絡がある。

狭山の「サンデースサン」で待っていてくれと言うので、ルミ子は用事があると事務所をバイクで出かけたルミ子は、途中で、最近、山土場荒らしが横行している噂を耳にする。

街の信用金庫で金をおろすとドライブイン「サンデーサン」に向うが、まだ関口は来ていない。

仕方なく、その足で関口が勤める野村運送へ向う。

飯田弘江(風祭ゆき)と言う事務員が迎えてくれたが、まだ関口は戻らないと言う。

ルミ子は、又その帰りに電話を入れ、「サンデースサン」に戻ったところでようやく関口と合流すると、これから河原新田の高校生の家に行って来ると言う関口に、下ろして来た20万を渡すのだった。

事務員の弘江さんの事を尋ねると、社長の女なのだと関口は説明し、今度の日曜日、新居を建てる家を見に行こうと誘う。

その日曜日、関口とルミ子は、約束通り、高麗山の神社の下にある土地を見に行く。

そこで、ルミ子は関口と熱い口づけを交わすのだった。

ある日、ルミ子の祖母は、武蔵野中央病院に出かける用事があり、そこで馴染みの弓子(戸川京子)と言う看護婦と会う。

なおみさんは、最近、高校生が妊娠中絶に来たと言う話を祖母に話して聞かせる。

一方、ルミ子は、その後も関口に金を渡す事になり、定期を崩したとちょっと機嫌が悪かった。

バスで、関口の住まいの近くに来た祖母は、馴染みの「おうけん寺」に出かけ、そこの住職(高田純次)から、関口の事に付いて知っている事を教えてもらう。

すると、女癖が悪く、金に対する欲も人一倍らしいと言うではないか。

祖母は、古い檀家の者として、その関口の身元調査をもう少し詳しくやってみてもらえないかと頼む。

その頃、ルミ子は関口とホテルで会い、ベッドを共にしていた。

その後、関口は、あの高麗の高台の所有者は西谷克子と言う後家さんで、なかなか手放そうとしないと教える。

それを聞いたルミ子は、帰って来た家でふて寝をしていたが、そんな孫の様子を、祖母は心配そうに見ていた。

やがて祖母は、実は、教師も兼任しているおうけん寺の住職に関口の身元に付いて聞いてみたら、関口には、東京でスナックをやっていた女と出来ていると言う事が分かったと報告する。

その女は、関口が家を建てると言うので金を出したが全く返そうとしないし、知り合いはヤクザばかりだとの噂もあると言う。

しかし、ルミ子が全く信用しそうにないので、佐山の中央病院で高校生を見たが、子供を堕ろしに来たと言う話を弓子と言う看護婦から聞いた。その看護婦に確認してみたら、嘘かどうかはっきり分かると祖母は必死に説得する。

その後、ルミ子は「サンデースサン」に関口を呼出し、河原新田の高校生の事は許さないと切り出す。

自分が渡した金も、その女子高生のために使われていた事は明らかだったからだ。

しかし関口は、金は本当に土地の所有者である日高町の前原さんと言う人に渡したと説明しだし、西谷克子は名古屋にいるだの、共栄不動産だのと、具体的な名前を挙げてみせる。

ルミ子は、日曜日に山に登っていると言う関口は、かねてより地元で噂になっている山土場荒らしではないのかと疑問を口にしてみる。

すると、関口は、確かに沢井峠あたりで、伐り出されて積まれていた木材を盗んでいた事を白状するが、その場所に行くのには理由があり、その下にルミ子が住んでいる家があるからだと訴える。

しかし、さすがに呆れたルミ子は無言で席を立つ。

帰り道、河原でルミ子は、関口の言葉は嘘か本当なのか迷う。

さらに独り、山の上まで登って考え続けていたルミ子だったが、結局、自分にはあの人しかいない。嘘か本当かなどどうでも良いと割きり、泣き出すのだった。

ある日、ルミ子は、結婚して東京池袋に住むようになった旧友、茂美(熊谷真美)に会いに行く。

茂美はすでに2児の母親だったが、下の赤ん坊をあやす時、主人が唄っていたと言う「秩父の子守唄」を唄い出す。

自分は奥武蔵の出身で、主人は奥秩父の出身なのだと言う。

ベランダに出たルミ子は、一緒に子守唄を口ずさみはじめるが、そこにトラックが近づいて来たのが見える。

連絡をしておいた関口が迎えに来たのだ。

トラックの助手席に乗って帰る途中でも、ルミ子は子守唄を唄い続けていた。

ある日、帰宅して来たルミ子に、暗い表情の祖母が、調べるなと言っておいたのだが、けんおう寺の和尚から電話があり、関口には飯田弘江と言う女房がいる事が分かったのだと教える。

実は、野村運送の河井社長(小松方正)の愛人だった弘江を寝取っていた関口は、ある時その現場を見つけられ、お前ら所帯を持てと、半ば強制されたのだそうだ。

その弘江は、駒に家を建てると言っているとの噂も、祖母は伝える。

さすがにその話は、ルミ子にも堪えた。

後日、ボリュームを目一杯挙げたウォークマンを聞きながら、ルミ子はバイクで弘江の車を尾行する。

弘江は関口とレストランで会っていたのだが、その席にルミ子はずかずかと近づいて行く。

弘江はその姿を見ると、「きちんとけじめつけるのよ」と関口に言い残し、自分は席を立つ。

ルミ子は、自分が出した200万をいつ返してくれるのか?貯金の半分は私のものだと関口に迫る。

しかし、腹を括ったかのような関口は、警察沙汰にしたら二人の関係がばれるだけ。自分も本当はあんな女とは別れて、ルミちゃんと一緒になりたいのだとしらじらしい言い訳をして、先に帰ってしまう。

家に戻って来たルミは、独り淋しげに子守唄を唄っていた。

あんちくしょう、ぶっ殺してやりたいけど、方法が分からないとベッドの上でルミ子が呟くのを聞いていた祖母は、釘をぶち込めば良いと言いながら、五寸釘、不思議な形をした金属の冠、鏡などを取り出して来る。

クシをくわえて、丑三つ時に、権現神社の御神木に、21箇所釘を打って相手を呪うのだと、祖母は「丑の刻参り」のやり方をルミ子に教える。

10日は続けなければ効果はないとも。

さっそくルミ子は、それを実行してみる事にする。

金属製の冠は、蝋燭を立てるものだったが、現代風に、豆電球が乗るようにし、その電源はウォークマン使う事にする。

祖母は、自分が昔着た白無垢の花嫁衣装をルミ子も着るように勧める。

どうしてこんなものを持っているのかと、ルミが素朴な疑問でぶつけると、祖母は昔からあったとだけ答えながら、ルミ子に藁人形を渡す。

さっそく、深夜、白装束に身を固め、鏡を胸に下げ、金属の冠を頭に被った姿で神社に向ったルミ子は、ウォークマンの電池のスイッチを入れ、豆電球を灯し、口にはクシを加えると、階段を登って行く。

そして、人形を逆さにして御神木にあてがうと、その股間部分や足、腕、胸などの部位に釘を打ち込んで行く。

すると、弘美と寝ていた関口は、急に痛がり出すのだった。

関口が病院通いをしていると言う情報がルミ子にもたらされる。

手足が痛くなって、配車の仕事を辞めて入院したと言うのだ。

祖母は、一本矢のかすがいを持って来て、これを使えばイチコロだとルミ子に勧める。

ルミ子は、その夜も、丑の刻参りを続けていた。

田中製材所の番頭である沼田(小坂一也)が、関口へのお見舞いの花を出すと言うので、ルミ子は仕方なく、それを持って病院へ向う事にする。

しかし、内科の6号室に入院していたはずの関口は、もうとっくに退院したと聞かされる。

看護婦の話では、ちょっとした風邪だったのだと言う。

さらに驚いた事には、昼間は別の女が来て、ちゃらちゃらしていたと言うではないか。

どうやら、その別の女と言うのは、西谷克子の事らしい。

その後、関口は又以前のように働きはじめる。

そんなある日、ルミ子は、後家さんの家の前にトラックが止まっている。どうやら西口は金づるを掴んで、運も掴んだらしいと言う沼田の話を、事務所で聞いてしまう。

ルミ子は、自分の丑の刻参りが何の効果も上げていないどころか、むしろ相手を元気付かせている事を知り、あんなものは年寄りの迷信であり、もう鈍い釘など止めると言い放つと、部屋でロックをかけてふて寝をする。

そう言われた祖母が、庭先で泣いていると、さすがに言い過ぎた事に気付いたのか、ルミ子が近寄って来て、止めないで、続けると告げる。

しかし、弱気になった祖母は、あんなものは迷信だから、止めた方が良いと忠告する。

それでもルミ子は、10日間の願掛けは、まだ後2日残っていると言う。

そして、ルミ子の丑の刻参りは再開される。

儀式を終えたルミ子が、神社から帰りかけた時、暗闇の中をやって来るトラックと出会う。

関口の運転するトラックだった。

関口は、白装束を着た異様な姿のルミ子の姿に驚き、ハンドル操作を誤ると、崖下に転落してしまう。

25日の2時20分過ぎ、関口が死亡したと言う新聞記事が載る。

さすがに、丑の刻参りを伝授した祖母も、自分のせいじゃないとおびえる。

弓子の家に遊びに言っていたルミ子は、元気を取り戻しており、東京に行って人生をやり直す事にしたと告げる。

そこに、藤谷社長から電話が入り、名栗の後家さんからルミ子が呼ばれているとの連絡が入る。

バイクで向ったルミ子だったが、はじめて会った後家さんこと西口克子(司葉子)は、思いのほかきれいな女性だった。

その克子は、やって来たルミ子に対し、野村運送の関口を殺したのはあなたなのねと言い出し、新井ルミ子名義になっている土地の譲渡状を見せる。

そして、女って、別れてみないとその良さが分からないものだと言う。

この女のためだったら命も捨てられる。

この世の中には、そんな一人の女に巡り会う事が重要なのだが、なかなか巧く行かないものだ。

病院で会った関口は、本当にあなたの事を愛しており、一日も早く土地を売ってくれと自分に迫ったのだと言う。

山土場荒らしがああいう結果を産んだのだが、それもこれも、みんなあなたのためだったのよと克子は続ける。

この権利書は関口のものですと言う。

話を聞いたルミ子は、人の心の奥深さは、奥武蔵の山のようだと気付く。

自分にはする事がもう一つある。それが分かったとルミ子は呟く。

バイクで権現神社に向ったルミ子は、金属の冠とクシを取り出すと、それを崖下に捨て去るのだった。

そして、山に向って「さよなら」と告げ、大きくルミ子は頷くのだった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

アイドル映画と言うには、あまりにも奇妙なオカルト風物語。

「人を呪わば穴二つ(呪いは、呪った方にも災いが降り掛かって来て、結果的に墓穴が二ついる事になる)」と言う戒めの現代版ともいうべき内容なのだが、そのまとめ方を子供向けにソフトにしてしまっているので、教訓話としてのインパクトも弱く、かといって、アイドルものとしての爽やかさにも欠けた、なんとも中途半端な印象の作品になってしまっている。

一歩間違えると「ギャグ映画」とも受取られかねない展開にも思える。

そもそも、屋根裏部屋に、20才の娘と老婆が同居していると言う設定自体が不自然だと思うのだが、そうしないと「丑の刻参り」を祖母から孫娘に伝授すると言う「大時代な」基本設定が成立しなくなってしまうからだろう。

ヒロインを演じている伊藤麻衣子は、清純派イメージのアイドルだったのに、いきなりベッドシーンやSEXがらみの会話など、かなり過激な演技をやらされている。

丑の刻参りのシーンは、大仰に雷が鳴ったり、すごい形相の伊藤麻衣子など、一種異様な迫力の見せ場になっているのだが、蝋燭を立てるべき冠に豆電球をつけたりしているため、なんとも間の抜けたイメージが「オカルト」としては相殺効果になっているのも否めない。

名匠と言われる監督や脚本家だが、この手のアイドルものには向いてなかったのだろう。

ロケ地を地方に設定して、発想の古さをごまかそうとしているが、さすがに現代に「丑の刻参り」は時代錯誤と言うしかない。

元々この手の「オカルトごっこ」と言うのは、どちらかと言えば若い女の子たちが好むものだろう。

さらに、男心を理解させようとするラストも、女の子向けと考えるしかない。

そう言うものを、伊藤麻衣子目当てで観に来た当時の男子ファンは、どう受けとめたのだろう?

戸惑っただけではなかったのか?

男の子たちには「女の子を裏切ると怖い事になるぞ」…と言う、大人からの戒めだったのか?

ただ、北林谷栄や萩原流行はまさにハマリ役と言った感じ。

この種の映画での司葉子の登場は、さすがに唐突な印象もないではないが、この時代にはもう、大女優が出るべき映画はほとんどなくなっていたと言う事かも知れない。