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風立ちぬ

1976年、ホリ企画制作、掘辰雄原作、宮内婦貴子脚本、若杉光夫脚色+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

昭和17年、軽井沢。

外交官である水沢欣吾(芦田伸介)の別荘では、仕事先の東京からその水沢が帰って来ると言うので、女中のはな(笠井うらら)が、夕食用の蕨やたらの芽を摘んで来たと、台所で餅を丸めていた先輩女中のしの(小夜福子)に報告していた。

水沢の一人娘で、女学生の節子(山口百恵)は、父親を迎えに自転車で駅に向う途中、近くに住む高校生結城達郎(三浦友和)に声をかけられる。

先ほど、水沢と駅で会ったので、もう小倉さんたちと自宅に戻っているはずだと言う。

4時52分に着く予定の列車の一本早い列車で到着したらしいのだ。

それを知った節子は礼を言い、達郎と一緒に自転車に乗って、自宅に戻る事にする。

達郎は、詩が好きな青年で、その時も古本屋でバベルの詩集を買って来た所だったらしい。

時は正に、日本が世界中を相手に戦争をしている最中であったが、確実に、この空間には、青春があった。

そんな二人を別荘前で待ち構え、この非常時に男女が肌を近付けるとはけしからん!と怒鳴り付けて来たのは、大学生の大浦(松平健)だった。

そんな大浦や達郎は、この水沢家にしょっちゅう遊びに来ては御馳走になる気のあった仲間であり、もちろん、その時怒鳴った大浦も冗談のつもりだった。

水沢自身も、若い連中と飲み食いする事が楽しいようだったが、学生たちがこの屋敷にやって来る目的には、美貌の節子に会えると言う楽しみがあった事も否定できない。

大浦は、今度、入隊する事になった事を明かしていた。

本来なら、来年卒業後の予定だったのだが、半年繰り上げて9月になったと言うのだ。

学徒には徴兵猶予があるはずだがと水沢が不審がると、大浦は、自分は高校入学時に二浪しており、大学でも裏表やったので、もう26なのだと言う。

そんな中、はなが水沢が持ち帰って来た写真を何かと尋ねるので、それは節子の見合い写真だと言う父親の答えを聞いた節子は、自分はまだ女学生だし、見合いなどするつもりはないと恥ずかしそうに怒り出すのだった。

翌日、学校にいた達郎に、節子が、夕べ別荘に忘れて来たバベルの詩集を持って会いに来ていると学友が教えに来る。

裏門に来ていた節子に会いに行き、礼を言いながら、兵隊になった大浦の事など噂しながら歩いていた達郎だったが、その後ろ姿を見つめる一人の男の姿があった。

帰宅した達郎は、兄の真次郎(森次晃嗣)が公用で帰って来たので、買い出しに出かけると言う母親(斎藤美和)とすれ違う。

職業軍人である真次郎は、父親康平(河津清三郎)と剣道をやっていた。

その一戦が終わった真次郎は、帰って来た達郎にも手合わせしろと迫る。

手合わせが終わると、真次郎は、さっき女と一緒に歩いていたようだが、そんな事だから腕が鈍るのだと叱りつける。先ほど、後ろ姿を観ていたのは、真次郎だったのだ。

ある日、水沢家にやって来た水沢の妹は、先日見合い写真で見せた小川男爵の甥、洋介(中島久之)なる人物を勝手に連れて来て、無理矢理、節子と会わせようとしていた。

強引な叔母の作戦に抵抗感を覚えた節子は、はなも一緒に連れて、渋々洋介と軽井沢の散策に出かける事にする。

そのデートを目撃したのが、たまたま近くを通りかかった康平や大塚らで、いたずらっけを起こした大塚は、節子の後を追って行くと、第一高女が火事になったのですぐに行くようにと伝える。

すぐに、いたずらに気付いた節子とはなは、一緒に洋介一人を後に残し、その場を立ち去る事に成功する。

その後、妹は、兄の水沢を再び訪ね、前回はとんだ恥をかいたと文句を言いながら、今度は、高木子爵の息子の写真を持って来たと、懲りずに見合い写真を広げていた。

そんな状況をしのから聞いていた節子は、達郎が東京の大学に行くと挨拶に来たとはなが知らせに来たので、喜んで勝手口から抜け出すのだった。

達郎に会った節子は、この前は面白かったので、今度又、見合いの話があったら、あなたに壊して頂きたいと意味深な言葉を投げかける。

東京の大学に入った達郎は、久々に軍服姿で現れた大浦と再会し、かつての仲間が待つ鳥鍋屋に案内する。

そこで待っていた中山(夏夕介)や杉(若杉透)は、自分達もやがて戦争で死ぬ事になるのだと暗くなっていた。

大浦も、いつ戦場に向うか分からない状況だと言う。

ある日、学校を休んで上京した節子は父親に会いに来ると、又叔母が持って来た縁談を断わってくれと訴える。

しかし、前回は笑って済ませていた水沢も、今回ばかりは良縁だと思うし、お前が婚期を逸する事を恐れているのだと打ち明ける。

それを聞いた節子は、自分の事は自分で決めますと言い残し、部屋を飛び出してしまう。

その後、達郎を呼び出し、久々に上野で再会した節子は、又、壊して欲しいんですと訴えかける。

それを聞いた達郎は事情をすぐに察し、明日、水沢に会いに行くと約束する。

その夜、帰宅した達郎は、兄の真次郎に呼ばれ、又、女と会ったのかと聞かれたので、大学を出た後、結婚したいので、今すぐ婚約だけでもしたいと打ち明ける。

すると真次郎は反対だと言う。

平和な時なら、弟の結婚を喜ばぬ兄がいるはずがないが、今は戦争の最中。

何時かお前も戦場に出向き、死が待っている運命だ。

そんなお前が結婚を約束してどうなる?相手を愛しているならなおさらだ。一人で死地に向えと説く。

そんな所に、誰かが訪ねて来たらしく、達郎が出てみると、中山がおり、大浦が戦死したらしいので、軽井沢の実家の方から、告別式に参加してくれと連絡があったと知らせに来たのだと言う。

翌日、役所にいる水沢を訪ねた達郎は、大浦の死を伝えた後、今日は、節子さんとの婚約を許してもらうために来るつもりだったが、大浦の戦死は、自分の運命でもあるような気がする。死が待っている自分が婚約などを願うのは、節子さんを不幸にするだけだと気付いたので、諦める事にしたと伝える。

それを聞いた水沢は、この戦争は負ける。死んではいけない。お互い、生き延びる事を考えようと返すが、そんな保証はないと達郎は答えるのみ。

寮に戻った達郎は、さっきから何度も、水沢と名乗る女性から電話があったと寮生から聞くと、今度かかって来たら、信州に帰ったと伝えてくれと言い残して部屋に帰る。

その後、再び電話をした節子は、寮生からそう聞くと、絶望して、咳き込むのだった。

夕方、玄関のチャイムが聞こえたので、喜んで出迎えに行った節子は、父親が帰って来ただけだと知り落胆する。

その様子を観た水沢は、達郎が来ると思っていたのだろうが、彼は今日役所に来て、大浦の死を伝えた後、同じ運命が待っている自分に、お前を幸せにする事など出来ないと言っていたと、正直に明かす。

しかし節子は、生きている限り愛しあう自由はあるはずだし、2年でも3年でも、生ある限り、私はあの人を愛したいと訴えた後、咳き込んで倒れてしまう。

知人の医者正木(宇野重吉)に診断をあおいだ所、節子の病名は結核だと分かる。

どうしてもっと早く来なかったのかと言われた水沢は自分のうかつさを反省するしかなかった。

正木博士は、八ヶ岳の麓にある富士見療養所を勧める。

昭和18年

抗生物質のない当時、結核は不治の病として忌み嫌われていた。

療養所への移転を勧められた節子だったが、頑として自宅を出ようとはしなかった。

そんな節子の容態など全く知らなかった達郎は、結婚を諦めた反動から、自堕落な酒に溺れる生活を過ごしていた。

杉と酒を飲んでいた飲み屋にやって来た中山は、達郎の自宅に寄ってみた所、兄の真次郎から、どこかその辺で酒を飲んでいるのだろうからこれを持って行ってやってくれと言われ、酒を持たされたと、二本下げている。

達郎のつらい気持ちを曲解した中山は、女を知らぬまま死んで行くのはないので、今晩は達郎の筆下しをやろうと言う。

その夜、遊廓で目覚めた達郎は、自分の居場所を知り、その場にいた女に謝って帰ろうとするが、それを止めた女は、達郎に、意中の女がいる事に気付いた様子で、このまま帰られたら、自分の立場がないから、今日はきれいな身体のまま帰してやるので、朝まで付き合ってくれと優しい言葉をかけて来る。

翌日、軽井沢から帰って来た水沢と出会った達郎は、久々に水沢のコーヒーを御馳走になりに行くが、その席で、何気なく聞いた節子の近況が、思わしくないと言う意外な返事だったので愕然とする。

胸を患っており、今年の冬が越せるかどうかと言うではないか。

この前は、未来がないと言う君の申し出に甘えた自分だったが、今度は、節子の方の未来が見えなくなってしまったと呟く水沢に対し、もう結婚させてくれとは言わないから、せめて、節子の側にいさせてくれと達郎は訴える。

それに対し、結核は感染する病気だよ…と、水沢は戸惑う。

しかし、達郎は、もうこれ以上、自分に嘘をつきたくないのだと吐き出すように言うのだった。

自宅療養していた節子の寝室に、満面の笑みを浮かべたはなが駆け込んで来て、結城さんがいらしたと伝えるが、節子は、病気が病気だし、帰って頂いてと冷たい返事を返すのだった。

素直に帰る事にした達郎だったが、その後ろ姿を二階の窓から見つめる節子は、彼が振り返る気配を見せると、急いでカーテンを閉じてしまうのだった。

帰宅して相談を受けた達郎の父康平は、断固として、病身の節子との付き合いに反対する。

しかし、ある日、朝目覚めた節子は、意外な訪問者が部屋に入って来たのを観て驚く。

先日追い返した達郎だった。

夕べ夜遅くやって来て、泊めてもらったと言うではないか。

何も知らずにいた自分を詫びた達郎は、どうして診療所に行かないのかと聞き、水沢に許しを得て、自分も一緒に診療所に行く事にしたと打ち明ける。

それを聞いた節子は、今まで堪えて来た感情を一気に吐き出すかのように、思わず、達郎にしがみつくのだった。

その後二人は一緒に列車に乗り、富士見の診療所にやって来る。

この当時、結核治療としては、栄養を取り、日光浴をするくらいの大気治療しか方法はなかった。

二人は毎日、南向きの場所で過ごす事になる。

その頃、水沢は、達郎の父親康平から速達を受取っていた。

その内容は、自分には三人の息子がおり、一昨年、長男を亡くした。

次男に真次郎は、職業軍人なので、何時死ぬかも知れず、自分にとって残されているのは、三男達郎しかいないので、どうか、息子を返してくれと言う懇願であった。

ある日、診療所の近くの森を散歩していた達郎と節子は、同じ療養所で治療を受けているつとむと言う少年とぶつかる。

少年は、セミ採りに夢中なのだ。

そのつとむの麦わら帽が、風で飛んだのを観た達郎は、思わず「風立ちぬ…」と呟く。

節子が聞き返したので、達郎は「風立ちぬ いざ生きめやも」と言うポール・ヴァレリーの詩を暗唱する。

達郎から「風が吹いた。さあ、元気に生きて行こう」と言う意味だと聞かされた節子は、その詩を気にいったようだった。

そんなある日、達郎は、新聞に載った「学徒徴兵猶予停止」の記事を読んで愕然とする。

そこへやって来た成田医師(波多野憲)は、この事は節子に知らせないでくれと頼む達郎に頷くと同時に、何時かつらい時が来る事になるので、その時の事を考えておいた方が良いと忠告する。

その後、面会が来たと告げられた達郎が会いに出向くと、父親の名代で来たと言う男から、10月21日、明治神宮外苑で学徒出陣の壮行会があり、その後、徴兵検査があるので戻って来るようにと言う。

達郎は、水沢に手紙を何度も出したそうだが、自分は家に帰るつもりはないと伝えてくれと言って帰す。

病室に戻って来た達郎は、学校に長く行ってないので、今度の10月21日、試験を受けに戻って来いと言われたと、節子に嘘を着く。

電報でしのを軽井沢から呼び寄せた達郎は、後の事を頼んで上京する。

しかし、そのしのが、新聞に載った学徒出陣の記事を熱心に読んでいるのに気付いた節子は、それを自分にも読ませろと迫る。

その夜、ベッドの中の節子が「風立ちぬ いざ生きめやも」と呟き、その意味を教えると、側で聞いていたしのも復唱し、思わず涙するのだった。

「日本に明日はないのか?」と嘆く杉と酒を酌み交わしていた達郎は、自分にはもう少し時間が欲しいと呟く。

その後、出征する兄の真次郎を見送りに出かけた達郎だったが、その姿を見つけた真次郎は、その場にいた父親康平に、達郎と節子との結婚を許してやってはもらえまいか。自分も結婚したいと思った相手がいたが、職業軍人であるため諦めたが、こいつは学生である。何としてでも生きて帰って来なければならないと言う「枷」があった方が良いと思うと説得する。

療養所に戻って来た達郎は、父親康平から結婚の許しをもらえた。すぐに僕たちは婚約するんだと、しのと共に途中まで出迎えてくれた節子を抱きかかえるのだった。

病室に戻った節子と達郎の婚約を祝うため、しのは無理をして鯛を見つけて来る。

看護婦も、花束を二人に持って来てくれる。

やがてやって来た水沢は、東京で達郎の父親康平と会ったと報告し、感謝の意を込めて達郎に頭を下げるのだった。

その場にいた皆で形ばかりの乾杯を終えると、節子は感激のあまり泣き出すのだった。

翌朝、検温に来た看護婦は、節子の体温がちょっと高めであると言いながら、つとむ君も風邪をひいたようだと教える。

そんな所に、中山が、昨日式を挙げたばかりだと言う妻弘子(岩川ひとみ)を連れて見舞いに来る。

中山は、達郎が入隊する事を秘密にしている事も知らずに、同じ松本の部隊に入る事になったと節子に打ち明けてしまう。

慌てた達郎だったが、それを聞いた節子は、もう入隊する事は知っていたと打ち明けるのだった。

その夜、節子は達郎に、自分達が結婚したら、父親が軽井沢のあの別荘を自分達に暮れる約束をしてくれた…と、楽しそうに結婚生活の夢を語りはじた後、後何日一緒にいられるのと聞くが、入隊日は12月1日で、後3日しかないと達郎から教えられると、酷い!酷すぎる!何もかも壊されてしまうと嘆き出す。

達郎さんが生きて帰って来る保証はあるの?私の病気が直る保証があるの?と詰め寄る節子だったが、その時、廊下から、医者を呼ぶ看護婦の声の直後、とおる!と泣叫ぶ母親の声が聞こえて来る。

あのとおる少年が亡くなったのだ。

そのつらい声を聞きながら、達郎は、大切なのは、何があっても生きようとする意思だ。節子、僕のために生きてくれと訴える。

ベッドに横にさせようとした達郎だったが、抱いてと節子が言うので、肩を抱きしめてやると、違うの、ちゃんとあなたのお嫁さんにして…と節子は訴える。

しかし、達郎は、必ず自分は帰って来るから、その時まで…と言い聞かせるように、節子を抱き締めるのだった。

入隊の朝、回診に来た成田医師は、少し風邪気味だが心配ないと達郎に告げて去る。

列車が遅れたのでと弁解をしながら駆け付けて来た水沢は、医者は本当の事を言ってくれないが、節子は相当衰弱しているようだから、後は頼むと言い残して、診療所を離れる事にする。

出発の時刻が迫り、必ず帰って来るから、君も必ず待っているんだ、約束して…と言う達郎の言葉に、約束しますと健気に答えて見送る節子。

雪の降る中出かけた達郎を追うように、ベッドの上に起き上がろうとする節子の姿を見つけた水沢は慌てて抱きとめるが、その腕の中で、節子は激しく咳き込みはじめる。

部隊の前に着いた達郎は、これから入隊すると最後の電話を診療所にかけるが、それに出た水沢は、節子は4時21分息を引取ったと答える。

しかし、電話が遠く、その言葉が聞こえなかった達郎は、頑張って生きるように節子に伝えてくれと叫ぶ。

その声を聞いた水沢は、涙ながらに、必ず伝える。君も必ず帰ってこいと呟くのだった。

昭和21年7月…

平和が訪れたのは、それから2年後の事だった。

それからさらに一年後、達郎は生きて日本に帰って来た。

しかし、そこには節子の姿はどこにもなかった…

「風立ちぬ いざ生きめやも」

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

堀辰雄原作小説の映画化で、山口百恵、三浦友和コンビの文芸シリーズ第5弾。

病気と悲恋と言った「お涙頂戴もの」の典型で、医者として宇野重吉が出ている所などは、吉永小百合の「愛と死を見つめて」を連想させるような雰囲気すらあり、意識しての出演依頼だったのかも知れない。

山口百恵の寂しげな風貌は、この種のお涙ものにはぴったりと言うべきで、ワンパターンと分かっていても、やはり、涙腺が刺激されてしまう事は確か。

芦田伸介が、渋い演技で若い二人の芝居を支えている。

本作の一番の見所は、若い頃の松平健が出ている所だろう。

前半、かなり重要な役柄で登場する。

松平健と言えば、「ウルトラマンタロウ」(1973)の主役を、篠田三郎と争った事が知られているが、それから3年後の風貌を見る限り、ちょっとエネルギッシュで熱いと言うか濃い感じで、「タロウ」の末っ子イメージではないように思う。

松平健は、あまり映画に出演していないだけに、今となっては、かなり貴重な映画なのではないだろうか?

シリーズもこのくらいになると、予算も削減されたのか、全体としては、かなり地味な印象で、あまりにも映画的な華がないような気がする。