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お富さん

1954年、大映京都、吉方鶴三原案、志摩裕二脚本、天野信監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

深川八幡の祭礼の日、神輿の廻りに集まる群集の中を逃げる男と追う男があった。

追っていた願人坊主の哲(上久保武夫)は、矢場に入り込むと、愛想良くいらっしゃいと声をかけて来たお富(小町瑠美子)に、小間物屋の和泉屋与三郎を見かけなかったと聞くが知らないと言うので、仕方なくすごすごと帰って行く。

しかし、追われていた与三郎(勝新太郎)は、女主人お春(大美輝子)の機転でその店に匿われていた。

与三郎が説明するには、願人坊主に肩をぶつけられて、いきなり強請られたので逃げて来たのだと言う。

与三郎とお富の仲が良い事を知っているお春は、気をきかせて、二人を一緒に帰してやる。

その帰り道、与三郎は、ゆうべお富の事を母親に話したと打ち明けるが、それを聞いたお富は喜ぶと同時に、不安そうな顔をも見せる。

それは、二人があまりにも身分違いだったからだ。

与三郎の家が大家であるのに対し、長家住まいのお富は、母親と二人暮しと言うだけでなく、その母親の情夫でならず者の権太まで背負い込んでいたのだった。

帰宅したお富は、先程、助けてもらった礼にと言って、和泉屋からニンベンの鰹節を届けに来たと喜んでいる母親おまさ(金剛麗子)と、その横で寝穢く酒を飲んでにやついている権太(伊達三郎)に迎えられ、顔を曇らせる。

翌朝、矢場には、右頬に蝙蝠の痣がある事から「蝙蝠安」と呼ばれている安(水原洋一)がやって来ていた。

彼も又、可愛いお富のファンだったのだ。

そこへお富がやって来るが、同じ頃、和泉屋の奥では、権太が与三郎の両親から小判を受取っていた。

その権太が帰った後、部屋にやって来た与三郎は、両親から、お富の事は諦めろと言い聞かされる。

八代続いた和泉屋に傷を付けたくないのだと言う。

その頃、矢場の方では、お春が、お富に、あんたの悪い噂が広まっていると教えていた。

権太が、先日の与三郎を助けた事をネタに、和泉屋から十両強請取ったらしいと言うのである。

それを聞いたお富は愕然とし、独り神社に出かけるが、そこに彼女を探してやって来た与三郎が来る。

話があると言う与三郎を、お富は良い所を知っていると良い、いきなり連れ込み宿に連れて行くと、出迎えた女中に酒を注文する。

偶然、その宿にやって来た蝙蝠安は、女中からお富が男連れで来ていると聞かされると、それは悪い男に連れ込まれたからに違いないと判断し、義侠心をたぎらせると二階に上がって行く。

部屋の中では、お富が、自分の体を自由にしてくれと、戸惑う与三郎に抱きついていた。

そこに入って来た蝙蝠安は、与三郎を表に呼出すと、面喰らう相手に向っていきなり飛びかかって行く。

しかし、あっさり与三郎にかわされ、転んだはずみに水たまりに手をついてしまい、その濡れた手で頬を擦ったものだから、蝙蝠の模様が取れてしまったと与三郎から指摘され、慌てる。

部屋に戻って来た与三郎に、お富は、自分は噂通りのあばずれなのだと泣き出したので、もっと落ち着いた時に話し合おうと、与三郎は帰る事にする。

表では、与三郎の事を見直したと、蝙蝠安が手をついて待っていた。

その頃、権太は、密輸の取り引きで越前屋甚兵衛(大邦一公)と出会っていた赤間の源左(玉置一恵)の元にやって来ていた。

賭場で借りを作っていた権太は、即刻、その50両を持って来るか、それが出来なければ、お富を木更津の芸者に差し出せと要求される。

その日、帰宅したお富は母親から、和泉屋に行って50両もらって来いと言い出す。

そんな事は出来ないと突っぱねると、それなら、お前が木更津の芸者になるしかないと言う。

横でニヤついていた権太が、自分が和泉屋に行こうかと言い出したので、腹を括ったお富は、自分が芸者になると言い放つ。

翌朝、長家を独り出かけようとしていたお富は、朝靄の中に、与三郎の姿を認め、慌てて身を隠すのだった。

その頃、矢場でお春から、消えてしまった蝙蝠の刺青を書き足してもらっていた安は、やって来た店の娘から、お富が芸者に身を落とした事を聞かされると義憤に駆られ、店を飛び出すと、川べりにいた権太を見つけると、ドスを抜き、もみ合いの末、腹に突き刺して、川に墜落させてしまう。

そこに偶然通りかかったのが与三郎。

安は、お富がおふくろの情夫のため、木更津の赤間の親分の元に行って芸者になった事を教えるのだった。

すぐに木更津に向った与三郎は、海辺でお富と出会うと、すぐに江戸に帰るように説得するが、その現場を監視していたのが、赤間の子分の松(藤川準)。

すぐに、近くで待っていた赤間の源左の所に知らせに行くと、子分たちは、お富と与三郎が抱き合っていた網置き小屋に向う。

与三郎は持参して来た金をお富に渡すと、これで、江戸へ戻って来てくれと頼んでいたが、そこに赤間の子分たちが踏み込んで来たので、必死にお富の手を引いて逃げ出す。

しかし、子分たちから斬り付けられてしまう。

手傷を負い、崖っぷちに追い込まれた与三郎は、顔に斬り付けられたはずみに海へ墜落してしまう。

それを観たお富も、自ら海に身を投げるのだった。

そして1年が経過した。

お春の矢場では、願人坊主の哲が暴れ回っていた。

お春は、用心棒代わりの蝙蝠安を呼びに行かせるが、その時店に入って来た頬かぶりの渡世人らしき男が、あっさり哲をやっつけてしまう。

少し遅れて店に駆け付けて来た安は驚くが、その安に向って懐かしそうに頬かぶりを取ってみせた男の顔を観たお春も驚いてしまう。

何と、その男こそ、死んだと思われていた与三郎だったからだ。

その後、安と酒を酌み交わしながら、海に落ちた後、一命を取り留めた与三郎は、 頬に受けた傷が脅しになり、それからヤクザ稼業で食べるようになったのだと説明する。

もう和泉屋の与三郎は死んだとまで言い切る相手に、安は、実は、赤間の甚左は今江戸に出て来ており、お富さんは、越前屋甚兵衛の囲い者になって、玄治店(げんやだな)に住んでいると教えるのだった。

さっそく、安と共に玄治店に向った与三郎だったが、留守番のばあやに木更津の親分の事を聞き出そうとした安は、ゆすりたかりと勘違いされ、一分を渡され追い出されてしまう。

外で待っていた与三郎は、ちょうど降り出して来た雨の中、風呂帰りであだな姿になったお富が裏口から入る姿を見かけると、安からその一分を受取ると、先回りして奥の間に上がり込む。

部屋に帰って来て、そこで背中を向けて待っている与三郎の姿を観たお富は、しつこいゆすりと思い込み、気の強い啖呵を切るが、頬かぶりを取った与三郎が、今じゃ「斬られ与三」と呼ばれる悪党になったと名乗ると、さすがに驚いて狼狽する。

自分もあの時、一緒に海に飛び込んだのだが、ちょうど抜け荷で船を出していた越前屋に助けられ、そのまま江戸に連れて来られたのだとお富は弁解するが、聞く耳を持たないと言った様子の与三郎は、まとまった金を貸してくれたら帰ってやると言い出し、百両を要求する。

悔しさに唇を噛み締めながら、お富が百両を差し出すと、それを受取った与三郎はあっさり帰ってしまう。

その金を見せびらかし、酒場でやけ酒を飲んでいた与三郎の元にすりよって来たのは、願人坊主の哲だった。

この際、自分を子分にしてくれと言う。

黙って、与三郎が酒を注いでやると、子分にしてもらったと喜んだ哲は、与三郎の機嫌を取ろうと、板前の八っつぁん(春日八郎)に、得意の歌を唄ってくれと頼む。

八っつぁんは得意の咽を披露しはじめるが、一番を唄い終わった所で、不機嫌になった与三郎が止めろと言い出す。

そこへ、蝙蝠安が飛び込んで来て、たった今、赤間一家が玄治店に押し込んだと言うではないか。

しかし、それを聞いた与三郎は、今さら、何をじたばたしているんだと、再び、八っつぁんに歌の続きをせがむのだった。

その歌を聞きながら、お富との想い出に浸っていた与三郎だったが、焦れた安が、そんな与三郎の頬をいきなり殴りつけながら、お富が捕まっているんだと怒鳴りつける。

その言葉で、ようやく目を覚ました気分の与三郎は、刀を取ると、急いで玄治店に向う。

その頃、お富が縛り付けられている中、越前屋は、押し掛けて来た源左から、自分の女を奪ったとして、あっさり斬り殺されていた。

さらに、源左がお富にも刃を向けようとしていた時、ようやく到着した与三郎が、待ち構えていた子分たちと闘いはじめる。

そして、源左も叩き斬った与三郎は、縄を解いてやったお富に、はかない縁だったと意外な言葉をかける。

例え、悪人とはいっても、源左らを殺したのは罪は罪だと言うのだった。

しかし、それを聞いたお富は、どこへでもついて行くよと彼にしがみつく。

その後、お春、蝙蝠安、願人坊主の哲らに見送られ、江戸から旅立つ与三郎とお富の姿があった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

春日八郎のヒット曲「お富さん」に合わせて作られた歌謡映画だが、もともとこのお話、歌舞伎の「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」と言う芝居の一部分をベースにしているだけあって、お馴染みのキャラクターが登場するエピソードになっている。

この歌舞伎自体は知らなくても、この「お富さん」と「斬られ与三郎」が偶然再会する場面は、コント等でも昔から繰り返し使われて来たので、「斬られ与三」やその仲間の「蝙蝠安」などの名前には聞き覚えがある。

この映画では、その辺を巧く物語として組み立てているので、もともと、こういう人間関係やストーリーだったのかと錯覚してしまう程。

ただ、大店の生白い若旦那が、蝙蝠安から売られた喧嘩であっさり勝ってしまったり、1年ぐらいで、すっかり腕っぷしの強いヤクザに変ってしまっている辺りの説明は何もなく、不自然さは否めない。

上映時間45分の中編だけあって、 ドラマ自体もたあいないと言ってしまえばそれまでだが、デビュー当時の白塗りの二枚目だった勝新や、ほっそりとした若き日の春日八郎(ちょっと、舟木一夫に似ているかも知れない)を見れるだけでも、今となっては貴重な作品かも知れない。

芝居では、いつも風呂上がりであだな姿の妾イメージしかなかったお富さんだが、この作品の冒頭で登場する、矢場で明るく働いている清純な娘のイメージは、ちょっと意外性もあり新鮮に感じた。