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蟲師

2007年、「蟲師」フィルムプロジェクト、漆原友紀原作、村井さだゆき脚本、大友克洋脚本+監督作品。

この作品は新作ですが、最後まで詳細にストーリーを書いていますので、御注意下さい。コメントはページ下です。

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連なる山、又、山。

雨の中、山道を歩く母子二人連れ。

その格好から物売りらしい。

子供の方は、空中に不思議な生き物の群れを見つけるが、母親は気付かぬ様子。

そんな二人の前の崖がにわかに崩れ出す。

鉄砲水だった。

気が付いた時、少年だけが生き残っていた。

それを崖の上から観ている不思議な女がいた。

その女の長い髪は真っ白だった。

タイトル

時が過ぎ、白い髪の青年が雪山を歩いている内に夕闇が迫って来たので、一件の屋敷の戸を叩いていた。

一夜の宿を願い出ると、厩の藁置きで良ければと、親切に下女が中に入れてくれる。

団欒中の家の男達に、蟲師のギンコ(オダギリジョー)と名乗って挨拶をしたその青年は、下女に教えられて、すでに先客がいると言う厩に向う。

先客は二人おり、どちらも、ギンコと同じく大葉巌の家に向う途中だと言う。

その一人、柴山文三と名乗った男の方が、骰子でいたずらでもしてみないかと誘うが、ギンコは乗らない。

そこへ、下女がやって来て、女将さんが呼んでいると言う。

対面した女将(リリー)が言うには、診てもらいたい者がいると言う。

病人かと思って、戸惑ったギンコだったが、その場に連れて来られたのは、片耳が聞こえなくなったと言う三人だった。

片耳さえ聞こえれば大丈夫かと思っていたが、その内、真直ぐ歩けなくなったのだと言う。

その話を聞いたギンコは、それはおそらく、「阿吽」の「吽」と言う名の、音を喰う蟲だろうと診断する。

もともと、山奥に住む蟲なのだが、雪は音を喰うので、音を求めて、こんな里まで降りて来たのだろうと推理する。

やがて、荷物の中から、薬を選びだすと、それをお湯に解き、患者の聞こえない耳の中に流し込むと、何やら、白い液体が流れて来て、耳が聞こえるようになったと言う。

後は、屋根裏に群れが潜んでいるので、それに吹き掛けておけば良いだろうと教え、一袋一銭の薬を分けてやる事にする。

時代は、昔に遡る。

白い髪の女ぬい(江角マキコ)に助けられた少年ヨキは、足を挫いていた為、しばらくぬいの家で世話になる事になるが、ぬいは、足が直ったら出て行ってくれと冷たくヨキに言い放つのだった。

ギンコは、又、雪の中の家にいる。

耳を直したその仕事振りを観ていた女将は、ギンコの人柄と、蟲師と言う仕事を少し理解したようで、実は、もう独り病人がいるのだと打ち明ける。

ギンコが招かれた部屋にいたのは、一人の少女だった。

女将の孫、真火(守山玲愛)と言うその少女は、前の秋頃から、囁くような声とか、轟くような大きな音など、聞いた事がないような様々な騒音に常時苦しめられていると言う。

その顔を観たギンコは息を飲む。

真火(まほ)の額には、四本の角のようなものが生えていたからだった。

ギンコは、その原因を、「阿吽」の「阿」と言う虫のせいだろうと診断する。

「吽」が食べた音の出口になると言われる虫で、その音が、額の角から入って来ているのではないかと思われるが、その虫は、耳の器官に入っているのではないと。

すぐに、蚊帳を引いて、その中に真火と二人で入ったギンコは、灯で蟲を遠ざけたので、少しは楽になったのではないかと前置きした上で、いつから角が生えたと聞くと、母親の真似をして、耳をふさいでいたら生えて来たと真火は答える。

同じ蟲に犯されて、音の為に衰弱し死亡した真火の母親(クノ真季子)が、良く耳をふさいでいたのだと言う。

その母親が死亡した時、角はどうなったと女将に尋ねると、桶に入れた時取れたと言う。

ギンコは、その角を調べたいので、墓をあばいても良いかと女将に聞くが、世間体を気にする周囲から言われて、無理矢理火葬にしてしまったので、もう遺体は残ってないと言う。

翌朝、泊めてもらった厩の窓から、ギンコは、雪の中、一人で出かけて行く真火の姿を見つめていた。

その後を追って行ったギンコは、筵で覆われた大木の所に来ると、入れてくれないかと中に伝える。

大木の空洞の中に真火がいる事を知っているからだった。

ギンコは真火に向って、母親の角を知らないかとズバリ尋ねる。

真火はおずおずと、見るだけだぞと言いながら、隠し持っていた角のようなものを取り出して見せる。

桶に入れる前、寝かされていた亡くなった母親の遺体に近づいた時、側に落ちていたものを拾ったのだそうだ。

母親を懐かしむように、その角を自分の額につけてみたら、私を忘れないでくれと言う、母親の声が聞こえて来て、それが頭の中をぐるぐると廻ったのだと言う。

その角は、僅かに左に渦を巻きはじめていた。

「阿」の抜け殻だったのだ。

ギンコは、空洞の上を眺め渡すと、そこに無数の蟲「阿吽」が生息していた。

その中から、「左巻き」の「阿」を探そうとするギンコだったが、圧倒的に「吽」の右巻が多かった。

それでも、どうにか「阿」を見つける。

屋敷に戻って来たギンコは横になると、側においた殻から這い出て来た「阿」に、自らの体に寄生させるのだった。

その後、女将と真火に、この蟲は、人が寝付いた時、頭の中の記憶の一番古い所に住み着くのだと説明する。

角は「阿」の殻で、その先がねじれて「吽」に変化するのだとも。

「吽」を喰う「阿」は、又、「吽」を生み出して行く事になる。

真火の角はどうなるのかと聞く女将に、それは、真火自身が直すしかないだろうと言いながら、ギンコは、持っていた角を握りつぶしてしまう。

それを見た真火は、泣きながら倒れてしまう。

荒療治だったが、「阿」は出て行ったとギンコが説明すると、真火の額から角が落ちていた。

仕事を終え、一服するギンコ。

時代は、又、昔に遡る。

ぬいもタバコを吸っていた。

ぬいは、ヨキに蟲の話を聞かせながら、足も直ってきたようだから、そろそろ家に帰れと催促していたが、ヨキは、自分には帰る家などないし、母の死を知らせるべき親戚もいない、足もまだ痛いと拒絶する。

そんな二人は、池の畔に来ていたが、その池に泳ぐ魚は、皆色が白く、片目がなかった。

ぬいは、池の光を繰り返し浴びていると、みんなそうなると言う。

それを聞いたヨキは、いつも片目を隠しているぬいの秘密を知った気がした。

この池には「とこやみ」と言う蟲が住んでおり、それを喰う「銀蟲(ギンコ)」と言う蟲も住んでいるのだとぬいは教える。

時代は、又、元に戻る。

ギンコは、お堂に集まっていた仲間の蟲師達と合流し、お堂の前に座っていた見知らぬ男の正体を聞くと、雨宿りの流れ者だと言う。

出発するギンコは、大きな瓶を持っているその男に旅の目的を聞くと、虹郎(こうろう-大森南朋)と名乗るその流れ者は、虹を入れてもって帰るのだと突拍子もない事を言う。

ギンコと共に歩き始めた虹郎は、子供の頃、動く虹を見たのだと言う。

それを聞いたギンコは、それは、虹蛇(こうだ)と言うものだろうと答える。

本来の虹は、太陽を背にして出るが、虹蛇はそうとは限らず、色の並びが本来の虹とは逆だとも。

ギンコがこれから向う家で、その記録を読んだ事があると言うのだ。

その家は、代々、変った虫に取り付かれる家系で、今そこの家の女主人は、指先から墨になって出る蟲を使って、全国の蟲にまつわる話を記録しているのだとギンコは説明する。

そして、もう瓶は役に立たんから捨てろとアドバイスする。

時代は、又過去。

ぬいは、湖の側に長くいると、その内、昔の事を何も思い出さなくなると教える。

「とこやみ」が迫っているからだと言う。

母親の事も忘れるぞと言われたヨキは、さすがに、それは嫌だと思うが、ぬいが、それから何も言わなくなったので、何か隠していると気付いたヨキは、 夜一人で池の側に来て、池の表面を叩いたり、石を投げ入れたりしながら、わざと「とこやみ」を呼出そうとする。

そんなものはいないのではと疑っていたからだ。

しかし、やがて、水面から黒い霧のようなものが沸き立って来る。

さらに、白く小さな光が、その黒い霧を喰う様も目撃する。

その直後、一匹の白い魚が輝きながら消滅してしまうのも見るのだった。

むいがやって来たので、その事を告げると、両目がなくなった魚は消えるのだと教え、ヨキにここを去るよう強く命じる。

やがて、「とこやみ」になってしまうからだと。

ヨキは、それでも、ここが自分の故郷だと言い張るが、ぬいは、違う、ここは自分と「とこやみ」の場所であり、お前がいて良い場所ではないと諭す。

やがて、ヨキは、その場所を旅立ちかける。

振り返って池を見ると、その中に入り込むぬいの姿が見えた。

水面には光が広がって行く。

ヨキは、持っていた行灯の火を消して池に戻ると、自分もその中に入って行く。

すでに、水面から沸き立って来た「とこやみ」に包まれはじめていたぬいに抱きついたヨキは、戻るように諭されるが、そのまま、ぬいと一緒に「とこやみ」に包まれてしまう。

「とこやみ」の底にいる銀蟲が目を探していると語るぬいは、すでに体温も両目も失っていた。

目は見えなくとも、お前の眼差しは太陽のように暖かく感じると呟いたぬいは、この先、一つの目はギンコに与え、片目は硬く閉じて行け、そうすれば、又、陽の光を見る事ができるはずだとヨキに命じて突き放すのだった。

いつの間にか、ヨキは森を彷徨っていた。

さっき沈んだ月が、又昇っている。これで、何回目だっけ…、時の感覚が曖昧になっていた。

その髪の毛は真っ白になり、片目からは血を流していた。

ヨキは、もう自分の名も思い出せなかった。

思い出す事ができる名前は「ギンコ」だった。

時は又、現在に戻る。

一緒に旅を続ける事になった虹郎は、もう5年も虹を追っているのだと話す。

ギンコの方は、自分は子供の頃の記憶がなく、片目はガラス玉なのだと打ち明ける。

目指す「狩房」の家に着いた二人だったが、遅れて来たギンコを責めるような口調で出迎えられた乳母のたま(李麗仙)は、同伴した虹郎を怪しみ、屋敷の中には入れなかった。

たまの様子から異変を察知したギンコは、古くからの馴染みのこの家の主人、淡幽(蒼井優)の部屋に急ぐが、そこには、半身が黒ずみ、床に臥せった彼女の姿があった。

何でも、三宿の多喜二から紹介されたと言う目の不自由な女と、口がきけない男の二人組が、一ヶ月前にやって来て、不思議な蟲の話を披露して行ったのだと言う。

その女が言うには、「とこやみ」と言う蟲がいる湖には、銀蟲(ギンコ)と言う蟲もいるのだと話しはじめたらしい。

ギンコは、そこに自分の名が出て来たので戸惑う。

その晩、いつものように、その話を巻物に記録しようとしていた淡幽は、突然、倒れてしまって、それ以来、こうなってしまったと言うのだ。

ギンコは、その記録を読ませてくれと願い出る。

膨大な巻物がおさめられた倉に案内する途中、たまは、問題の目の不自由な女は、帰りしな、しきりと、光脈の図面を見せてくれないかと頼んでいたと言う。

実は、昔、その女が住んでいた谷底にある村が、二年続きの不作の為、土地が汚れて枯れそうになった為、女の光脈の地図を見た亭主が、その光脈を開き、水を村に導いた為、村は水に溢れ湖になってしまったどころか、鉱脈に閉じ込められていた命の元である「とこやみ」までもが、その水流を伝って村に流れ込み、湖に住み着くようになってしまった。

この事件で、亭主も子供も失ってしまった女は、その場所に地蔵堂を作り、一人で住んで、「とこやみ」を調べはじめたのだと、淡幽が最後に印していた記録には印されてあったが、そこまで読み進んでいたギンコの体から、突然、黒いもやのようなものが立ち上がったのを、たまは見逃さなかった。

自分の中の蟲が「とこやみ」だと言うのか?と、一瞬狼狽したギンコだったが、気がつくと、巻物の文字は、後半になるにつれ滲んで読めない状態になっていた。

さらに、倉中の大量の巻物全てから、黒いもやが滲み出し始めていた。

太夫が封じた蟲が騒ぎはじめたと言う事は、蟲が主人を殺そうとしているとギンコは気付く。

その蟲を操れるのは、淡幽だけだった。

たまは、淡幽の血路を開いてみるから、ギンコは倉の中で「とこやみ」を捜せと命じて出て行く。

ギンコは、あまりに出て来るのが遅いので心配して勝手に入って来た虹郎に、土壁の外土を崩して、水とこねさせると、自分を入れたまま倉を外から封印しろと命じる。

倉の中の床や壁を這い回る蟲と対峙したギンコは、俺の中の蟲が、お前らを呼んでいるなら、どっちが喰うか喰われるか…と呟いていた。

その頃、淡幽の寝床に、刀を持って戻って来たたまは、淡幽の黒ずんだ右手先に刀を刺そうとするが、その部分はすでに石化が始まっており、刀の刃も通らぬくらい硬くなってしまっていた。

その時、庭先をうろついていた虹郎を見つけたたまは、すぐに、風呂の湯を焚くように命じ、その風呂に淡幽の体を漬けさせる手伝いをさせる。

そして、再び、淡幽の右手のまだ硬くなり切っていない部分に刀を突き立てると、黒い血がどくどくと湯舟の中に流れ込みはじめるのだった。

倉の中では、ギンコの体の中に、文字の形をした蟲が入り込みはじめていた。

どこからか「ヨキ!」と呼び掛ける女の声が聞こえて来て、「とこやみ」がギンコを包みはじめる、

「お前がこちらを見ると、陽が当るように暖かい」と女の声がする。

一方、湯舟につけた淡幽の腕からは、鮮血がほとばしる。

赤い血の色が戻ったので、急いで虹郎に淡幽の腕を止血させるたま。

その処置を終えた虹郎が倉の中に入ってみると、ギンコが倒れていた。

遅れてそれを観たたまは、「とこやみ」を捕まえたのだと説明する。

片足は不自由ながら、何とか歩けるようになった淡幽は、たまに、独特の菜箸を持って来させると、「とこやみ」を封じた私の文字たち…と、倉の壁に広がった文字に向って呼び掛ける。

たまが、まっさらな巻物を広げると、壁で蠢く文字を菜箸で掴んだ淡幽が、その文字を巻物に移す作業が始まる。

深夜まで、その作業に没頭していた淡幽は、疲労の為倒れてしまう。

たまは、「うしみつ」と言うハチミツを、淡幽の口に含ませる。

虹郎が味見をしてみると、それは苦いものだったが、働き蜂が女王蜂を育てる時に使うものだと、たまから教えられる。

元気を取り戻した淡幽は、又、倉の中の文字を菜箸で捕まえて、巻物の中に戻す作業を再開する。

翌朝、ギンコは、まだ完全に正気には戻っていなかったが、その闇の半分は、ギンコの中に元々あったものだとたまは説明する。

ギンコには、亭主も子供もいない私の側にいておくれ、ヨキ〜1と叫ぶぬいの声が聞こえていた。

ギンコは、その後もまだ半病人の状態だったので、庭先で、たまの巻物の虫干しを手伝いながら虹郎は心配するが、淡幽は、光脈を探して光酒(こうき)を求めるしかないと告げる。

ギンコは、かつて、足の悪い淡幽を背負って、外に散歩に出たときのことを思い出していた。

淡幽は、これは道行きだと冗談を言う。

一所にしかおれない太夫(淡幽)と、一所にいれないギンコとの…。

さっき沈んだ月が、又昇っている。これで、何回目だっけ…、ギンコは目覚めていた。

虹郎は、まだ意識のはっきりしないギンコを伴って、屋敷を出発する事にする。

座敷では、一人になった太夫が、又、巻物に何か書こうと指先を近付けるが、巧くまとまらず、書きかけの文字を手で払っていた。

その頃、口の不自由な男と旅を続けていた目の見えない女が、地元の子供に向い、ヨキの名を呼んでいた。

大きな木の下で雨宿りをしていた虹郎は、橋大工だった父親と、昔、錦ケ橋を見に行った想い出を話すと、ギンコは、又、見に行けば良いではないかと、今まで世話になった事の礼を言いはじめる。

しかし、その後も、虹郎はギンコについて旅を続け、一緒に温泉にも入る。

そうした治療の甲斐があってか、ギンコの体の中から、少しづつ「とこやみ」が抜けて行っていた。

蟲師としての仕事も元通りできるようになり、目の見えない男の額から、蟲を抜いてやり、直したりもする。

やがて、虹郎とギンコは、光酒がたまった池らしき場所にたどり着く。

谷底の草原には無数の蟲が飛び回っていたが、虹郎には空気の異様な重さを感じるだけで何も見えない。

ギンコには、無数の蟲たちが、ゆっくり渦を巻きはじめている様子がはっきり見えていた。

やがて、二人は光脈らしき場所を見晴らす場所に出、虹郎は、動く虹を見れるかと期待するが、肝心な時に雨が降り出し、虹は見えないまま、夜を迎える。

焚き火で、濡れた着物を乾かしながら、虹郎は、もう諦めて国に帰ると言い出す。

橋大工をやってみるつもりだと言うのだ。

それを聞いたギンコも賛成する。

虹郎は、そんなギンコに、淡幽があんたの事で一生懸命だったと教えるが、ギンコは、いつもだ、だから好きと言えないんだと寂しげに答えるのだった。

やがて、周囲の蟲がざわめき出したとギンコが呟く。

蟲達は集まり、うねりとなって空に舞い上がって行くと、やがて、動く虹と化して、山並みの奥に消え去って行く。

虹郎も、はっきり観ていた。

旅の目的を果たした虹郎は、ギンコと別れる時が来る。

ギンコと別の道を選んだ虹郎は、その内、自分の国に訪ねてくれと伝えるが、ギンコは、それまで生き延びていたらな、と答えて立ち去って行く。

しばらく歩いた後立ち止まった虹郎は、あんたは生きている。太夫の足も直って、二人でやって来る。俺には分かってるんだと大声で叫ぶのだった。

山の中の小屋から、口の不自由な男が、死んだ子供らしき体を外に持ち運んで行く。

そこに、偶然立ち寄ったのがギンコだった。

道を尋ねようとして来たギンコの姿を観た男は、驚いた顔で何かを叫び声をあげる。

その異様な様子に驚きながらも、ギンコは小屋の中を覗いてみる。

小屋の中にいた目の不自由な女から「とこやみ」が溢れだしていた。

女は、「ヨキだ!良く帰って来てくれた!お前の中にはギンコがいる」と叫びながら、ギンコに抱きついて来る。

女はぬいの変わり果てた姿だった。

思わず、小屋の外にはじき出されたギンコだったが、その瞬間、小屋の中が明るく輝く。

その後、ぬいを背負って森の奥へ移動したギンコは、蟲寄せはやった事がないが…と言いながら、むいの体に水をかけると、その場を立ち去る。

残された口の不自由な男が観ている前で、ぬいの体に蟲たちが集まって来る。

その後、水辺を歩いていたギンコの姿も消えて行くのだった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

コミックの実写化作品だが、原作は読んだ事がない。

しかし、この映画を観ているだけでも、大体の世界観は理解できる。

一種、独特の静的な幻想世界だが、個人的には、大変、好みの世界であった。

技術的な稚拙さがばれやすいクリーチャー系のCGキャラなどがほとんど登場しない事もあってか、エフェクト系は全体的に巧くいっているように感じた。

ただ、デジタルカメラで撮った為か、全体的に、画調が甘いのが惜しまれる。

観る前は、大友克洋監督の実写版に危惧感を抱いていたが、しろうと臭い感じはほとんどしなかった。

万人向けとは言えないかも知れないが、幻想映画としては、なかなかの秀作だと思う。