1968年、東宝、正木ひろし原作、橋本忍脚本、森谷司郎監督作品。
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地方のとある寺「蒼竜寺」。
そこの一つの卒塔婆の前で立ち尽くしていたのは、正木弁護士(小林桂樹)だった。
時は戦争中の昭和18年。
警察の取調室にいた男は、刑事から、やったのか、やらなかったのか!許可なく米を動かしやがって!と怒鳴られていた。
男が何も言わないでいると、刑事は、拳骨を固めて、その男の頭に殴り掛かる…。
タイトル
第二東京弁護士会所属の正木ひろし弁護士は、「近きより」などと言う個人雑誌を出している為、先輩弁護士の高林浩三(清水将夫)から、あまり、目立つ事をしていると経済警察に目を付けられるぞと注意されていたが、48才の働き盛りで自信もある事から、軽く聞き流していた。
その正木に、日頃「近きより」の印刷を依頼している茨木の印刷所の社長(今福正雄)から電話が入り、今こちらに、警察に拘留中に脳硬塞で死んだと言う人の会社の人が来ているので相談に乗ってもらえないかと言う。
正木が承知すると、上京してきたのは、亡くなった男が勤めていた茨木の滝田炭坑の代表滝田静江(南風洋子)とその部下の岸本(下川辰平)だった。
静江の説明によると、もともと、仙台で加最炭坑をやっていた死んだ夫が、そちらを畳んで、茨木に移ってきたもので、最盛期には7、80人の鉱夫が勤めていたが、今は34人、茨木には、自分達の加最炭坑以外にもう一つ、片山炭坑と言う所があると言う。
警察で死んだ男奥村登(宇留木康二)は、鉱脈を観る「先山」と呼ばれる重要な立場の男で、元は、常磐炭坑で働いていたのだと言う。
1月20日の夜、自転車で青倉村に帰ってきたその男は、安井(木崎)と言う地元の巡査に呼び止められ、そのまま大崎署に連れて行かれる。
花札賭博の容疑だと言う。
ところが、22日の朝、安井巡査が、事務所にやってきて、今朝方奥村が死んだので、すぐに遺体を引取りに来いと言ってきたと言う。
以前、警察に引っ張られた事がある石橋(小川安三)、河内(加藤茂雄)ら鉱夫仲間は、先山は闇をやっていたと疑われていたらしいと言う。
取りあえず岸本は、警察に行く前に、警察と懇意にしている川島運送の社長(寄山弘)に事情を聞きに行く事にする。
川島は、塩沢部長に、あんまり虐めないように良く言っておいたと言うが、岸本から、奥山が今朝死んだと聞くと、やっぱりヤキを入れたのかと悔やむ。
警察では、志望診断書がすでに出来ているので、すぐに遺体を引取れと言うが、親戚にも連絡したばかりで、まだだれも到着していない中、自分達が引取る訳には行かないと、岸本たちは抵抗する。
しかし、警察が勝手に、ハイヤーを拾ってきたので、仕方なく、遺体をそれに乗せて帰って来るしかなかったと言う。
志望診断書には、奥村、42才は推定、脳いっ血で死亡したと書いてあったと言う。
その日の内に埋葬をすませ、正木にあう為上京してきた今日が1月24日だった。
静江たちが帰った後、助手の山口(鈴木良俊)が、青倉山の事件をやるつもりなのかと聞くと、正木は、自分が行くまでもないだろうと答える。解体の解剖をすれば死因がすぐに判明する単純な事件だと思われたからだ。
正木は、懇意の大臣に連絡し、小森刑事局長に連絡を取ろうとしていた。
ところが、小森刑事局長は不在で、松田刑事課長が対応してきたので、死んだ奥田の解剖依頼をする。
しかし、25日になっても、何の連絡もなかった。
正木は、告発状を用意しはじめる。
再び弁護士会事務所にやって来た静江は、現地には何時発ってもらえるのかと尋ねるが、正木が行かないと答えたので驚く。
東京控訴院の田代検事が担当する事になったので、告訴状を携え、面会に行くと、むっとしたようにその告訴状を預かって別の部屋に向った田代検事は、部屋に再び戻って来た時、明らかに態度が変化していた。
満州から帰って来たばかりだと言う田代検事は、張り切り過ぎているだけだろうと考えていた正木だったが、この事件に関わった経過をしつこく聞かれはじめた辺りから、何かおかしいと気づきはじめる。
さらに田代検事は、小森刑事局長との関係等、司法庁の上層部と正木との関係を徹底的に聞きはじめる。
そんな事は、今回の事件とは関係ないだろうと反論した正木だったが、担当検事として、何もかも知っておきたいのだと言われると、正直に答えるしかなく、田代検事の質問はその後も延々と続いた。
現地へはいつ?と田代が聞いて来たので、行くつもりはなかった正木は、わざと明日にでも…とカマをかけてみる事にする。
すると、田代検事は、どこで遺体を解剖するかは教えられないと言い出す。
ここへ来て、正木は、自分は、信じてはいけない相手を信じ過ぎていたのではないかと疑問を持つ。
所詮検事局も、権力の構造の中にいる同じ穴のムジナであり、 今回の事件をはうやむやに握りつぶすつもりなのだ。
それは、戦争のせいだと感じていた。
戦争が、人間の善意や正義感を押しつぶしていたのだ。
正木はそれまでの考えを変え、静江と一緒に、すぐさま青倉村に向う事にする。
列車の中で、静江は、昨日の夜届いたと言う電報を見せる。
それには、すでに奥村の解剖は済んだと書かれてあった。
それを東京で正木に見せてしまうと、もう青倉村には行ってもらえなくなると考えての静江の判断だった。
静江は、安井巡査は、以前から片山炭坑の社長と懇意であり、いつも米やミソを調達してもらう関係であり、滝田炭坑を潰すのが本当の目的なのだと打ち明ける。
正木は、青倉に向う前に、解剖所見が届いているはずの水戸地方検事局に向うと言い出す。
検事局による証拠隠滅を恐れての判断だった。
正木は、いまや、この事件に徹底的に立ち向かう覚悟を決めていた。
水戸地方検事局では、秋山検事正(灰地順)が対応し、ついさっき報告を受けたが、脳いっ血だったと答える。
それをそのまま伝え聞いた静江は、これで一応安心したと言うが、正木は青倉に行くと言う。
遠い道のりを経て、ようやく青倉村の旅館に到着した正木は、待ち受けていた奥村の仲間の炭鉱夫たちから、証言を聞く事にする。
自分達が受けたように、奥村も拷問を受けた後がいないと言いながら、彼らは自分達が受けた傷跡を示してみせる。
正木は、解剖には誰が立ち会ったのかと聞くと、弟の奥村進(鈴木治夫)が自分だと進み出る。
雨の中、テント内で行われたテント内に、鉱夫たちは誰も入れてもらえなかったと言う。
唯一人、テントの中に入る事を許された進は、良く分からないなりに、兄の脳の中は、血で一杯だったと観たままを話す。
解剖を担当した室田(大滝秀治)は、その脳の状態を観て、完全に脳いっ血だと診断したと言う。
他に気づいた事はなかったかと正木から聞かれた進は、肩から背中にかけて、何本も殴られたような赤い筋があったが、それも、脳いっ血特有の症状だと室田から説明されたと言う。
後気づいた点として、兄のズボンを畳んでいたら、中からサルマタが出て来たと言う。
それを聞いた鉱夫たちは、おれたちもやられた。
取り調べの時、素っ裸にされたんだと言う。
結局、テント内にいた橋岡担当検事(館敬介)から、脳いっ血に決まったから、仏を大事にして早く埋葬するように言われたっと進は話を締めくくる。
その後、旅館を出て、雪の舞う、奥村を埋葬した蒼竜寺の卒塔婆の前に全員で行った正木だったが、急に、考え事がしたくなったので自分を一人にしてくれと、静江や鉱夫たちを、その場から立ち退かせるのだった。
1月17日、大崎署に出向いた正木は、署長か司法主任に面会したいと留守番の巡査に申し出るが、あいにく、二人とも不在で、何時戻るかも分からないと言う。
仕方なく、警察で倒れた奥村を診察しに行った堀本医師(池田生二)を訪ねてみる事にする。
その時の、奥田の体温の事を正木が聞くと、横に付き添っていた堀本の妻が、あの日、すっかり冷たくなっていたと帰って来て言ったじゃないかと口を出す。
続いて、川島運送の社長に会った正木は、常々、経済係りの塩川には、宜しく頼むと言っておいてと言う。
事件が起こった前夜、その塩川とは「鈴川」と言う料亭で会ったが、二日酔いで気分が悪いと言っており、奥村があんまり頑固で口を割らんので、ヤキを入れてやったと言ったと言うのだ。
それを聞いた正木は、その拷問が引き金となり、牢に戻された奥村は、朝方脳いっ血を起こしたのではないかと想像する。
真実を明らかにするには、もう一度、死骸にものを言わせるしかないと考えていた。
解剖を担当した室田医師に会いに行くと、出血は、脳の外部にあったと言う。
出血は脳の中ではなかったかと確認する正木に、否、確かに外部の出血だったと室田は繰り返すのみ。
写真は撮ったのかと聞くと、撮ってないと言う。
仏は、少し、動脈が硬化していたと付け加えた室田は、なにせ、自分は、あの仏が、警察で変死した遺体だったとは全く知らなかった。帰りの車の中で、橋岡検事から、はじめて教えられたくらいだと真顔で答えるのだった。
東京に戻り、田代検事と再会した正木は、再解剖の必要があると進言するが、それでは告発状を出してくれと言う。
それを聞いた正木は、正直に告発状を出すと、正式に打切られてしまうと直感する。
誰かに解剖を頼まなければならないと考えた正木は、東大教授福畑(佐々木孝丸)を訪ねるが、東大としては、民間からの依頼には応じられないとの返事を得る。
正木が行き詰まったと知った高林は、これ以上やるには、団体の力でも頼らなければ無理であり、第一弁護士協会に宮崎三郎(北竜二)と言う進歩派の人物がいるので、頼んでみたらどうかと勧める。
さっそく出向いた正木に、宮崎は、本来なら会員以外の申込は受け付けないのだが、事が重大そうなので、積極的に今度の水曜日にある会議で進言したいと答えてくれる。
ただし、その為には陳情書を書いてくれと言う。
1月30日事務所に戻って来た正木は、その日から脇目もふらず一心不乱に陳情書を書きはじめるが、書けば書く程、こんな事をしていても良いのだろうかと、心の奥底に不安が沸き起こるのを禁じ得なかった。
31日の朝に、ようやく陳情書は完成するが、書き終わっても、その不安は消えなかったが、その原因をはじめて自覚する。
墓に埋めてある奥村の遺体が、いくら寒冷地とはいっても、腐敗してしまい、解剖に耐えられなくなるのではないかと言う不安であった。
陳情書を読んだ宮崎は、定例議事会が2月5日にあるので、それまでにこれを人数分、タイプで打ってくれと言う。
印刷屋に向った正木だったが、タイプを打ったりしていては、とても間に合わないと判断する。
墓を掘るには、警察の許可がいる。
それでも正木は、何とか民間の解剖医に依託して、青倉村に行ってもらわなければならないと考える。
どう考えても、今回の件で、警察が許可を出すはずがない。
再び、東大の福畑教授を訪ねた正木だったが、もう教授は帰宅したと言う。
仕方なく、正木は、同大学内の解剖の世界的権威南教授(三津田健)にアドバイスを受けに行く。
すると、南教授は、ここへ首だけ持ってくれば良いじゃないかと教えてくれる。
正木は悩んだ。刑法189条に、無許可で墳墓を発掘しただけで2年以下の懲役、同191条には、死体を損壊したりすると、三ヶ月以上、5年以下の懲役刑を受ける法律があるからだ。
静江にこの事を打ち明けると、これ以上、事件を掘り返していると、もっと滝田炭坑が酷い仕返しを受けるかも知れない。岸本はもうこの辺にしておいた方が良いと言っていると言う。
話を聞いた高林は、すでに君には尾行が付いているかも知れない。
発掘の現場を取り押さえられたら、その場で逮捕されてしまうし、万一、首を東京まで持ち帰ろうとしても、途中で見つかってしまうかも知れない、正義とはもっと合理的な考え方の上に立つものであり、君のは賭けだと、自重を促すのだった。
しかし、正木は、決行する事を決意する。
宿で、静江と会った正木は、このままでは、自分の身や心まで、遺体と同じように腐ってしまうと言い切る。
その態度を観た静江は、青倉炭坑を失っても良いので、明日、切符を三枚用意して、8時、上野駅に行くと伝えるのだった。
首切りの役目をしてもらう人物として、南教授から紹介してもらった中原(大久保正信)と言う東大の小使いさんを伴った正木は、静江とともに列車に乗り込む。
何も事情を知らないその中原だけには、絶対に迷惑をかけまいと、正木は心の中で誓っていた。
しかし、列車の中でも、高林からの忠告が頭の中を駆け巡っていた。
途中で、警察に見つかるのではないかと言う警告であった。
その後どうにか、三人は無事、青倉村に到着する。
しかし、その車の到着を目撃していた人物がいた。
安井巡査であった。
旅館今村屋で、待っていた石橋と河内に、今回の事は絶対に秘密だと打ち明けた正木は、一緒に宿を出たら怪しまれるので、鉱夫らが先に蒼竜寺に向い、三十分遅れで向う自分達が来るまでに、墓を暴いておいてくれと頼む。
石橋ら三人の鉱夫が宿を出る。
その後、30分後に、正木と中原が出発した。
そんな今村屋に、安井巡査が訪ねて来る。
独り残っていた静江は、正木らは炭坑の方に行ったとごまかし、自分も料理の手配があるからと、その場を立ち去る。
蒼竜寺の墓にやって来た正木は、中原に首の切断を始めてもらうと共に、鉱夫三人には、誰も近づかないように見張っているように命じる。
正木には、何も知らず、のんびり作業をしているように見える中原の動きが苛立たしかった。
しかし、急がせて疑われるのもまずい。
その場での時は、明らかに遅く感じられた。
やがて、寺の住職(榊田敬二)が、気配に気づいて近づいて来る。
それを、見張っていた石橋から知らされ、正木は息が止まりそうだったが、何とか、中原は作業を終える。
一旦宿に戻った正木らは、中原の労をねぎらう為に、酒と水炊きをごちそうするが、それを中原は嬉しそうに飲み食いしていた。
しかし、正木の心中は穏やかではなかった。
一国も早く、バケツに入れた首を、東京に持って帰らなければならなかったからだ。
しかし、それを中原に打ち明ける事が出来ない。
そんな様子を観た静江は、先生が焦ってはいけないと正木に耳打ちする。
その頃、安井巡査は、本部に、正木が又村に来ていると電話で報告していた。
その途中、その横を、正木らが乗った自動車が通り過ぎて行ったので、今、車が水戸方面に電話で知らせる。
雪が降りしきる中、正木、中原、静江そして、奥村の首を入れたバケツを乗せたハイヤーは、駅に向ってひた走っていた。
運転手は、何とか、列車の時間に間に合いそうだと言っていたが、途中でパンクし、タイヤの交換に手間取ってしまい、列車への連絡が危うくなってしまう。
何とか、列車に追い付く方法はないのかと、正木が心配して尋ねると、運転手は赤塚駅まで向えば、ひょっとしたら間に合うかも知れないと思い付き、そちらに向う。
何とか、満員列車に乗り込んだ三人だったが、ぎゅうぎゅう詰めの車内の熱気で、バケツの中の首が匂いだし、周囲の客が何事かと鼻を動かし出す。
おまけに、警官の荷物調べがやって来たと静江に教えられて、正木は窮地に追い詰められる。
見れば、車両の前後から、二人の警官が近づいて来るではないか。
万事窮す。
やがて、正木の足元に置いてあったバケツを不審に思った警官が、中は何だと詰問して来る。
異様な匂いにも気づいているのだ。
正木が返事に窮していると、あろう事か「それは人間の首だ」と平然と中原が言うではないか。
中原は、罪を犯していると言う事実を何も知らないので、至って平気なのだ。
すると、先ほどから、匂いに気づいていた近くの乗客たちが、それを冗談だと思ったのか、魚の腐ったのだろうと言い返す。
その言葉をとっさに利用し、正木は、畑の肥やしにでもしようと思って…と頭を下げたので、警官は、他の人間の迷惑も考えてデッキに出ろ!と、中身を改める事ともしないで正木をデッキに追いやってしまう。
列車が、日暮里駅に付いたところで、中原は、自分はここで降りた方が家が近いのでと降りて行く。
上野駅に到着した正木は、駅で張込んでいた刑事二人に呼び止められ、持ち物は、その鞄だけかと聞かれる。
正木と、その後ろから付いて来ていた静江は、どちらもバケツを持っていなかったのだ。
東大の南教授の部屋を訪ねた正木は、中原が持って来た首のバケツを見せる。
バケツは、中原が日暮里駅から持って帰っていたのだった。
南教授は、福畑教授に電話を入れ、首の解剖を依頼する。
法医学教室に持ち込まれた首を観た福畑教授は、それを助手に解剖するように命じる。
その様子を観ていた正木は、福畑教授自身は、このうさん臭い民間からの依頼を避けようとしているのだと気づく。
助手たちは、バケツから首を取り出すと、水道水で丁寧に洗いはじめる。
それを観ていた正木は、あんなに洗ったら、証拠も何も流れてしまうではないかと絶望するのだった。
しかし、その後、すみやかに、頭部が切り開かれ、遅れてやって来た福畑教授が、脳の様子を観て、これは脳いっ血ではなく、殴り殺したものだと簡単に診断する。
それを聞いた正木は、これまでの心配が全て杞憂であり、ようやく真実にたどり着いた感動で、思わず涙するのだった。
この顛末を知らされた高林は、正義とは、単に、合理的な精神だけではなかったんだなと呟く。
さらに、今回の事件で、正木の人格が変わってしまうのではないかと心配してみせる。
正木は、今回の事件の根源は戦争にあり、戦争さえ終われば、もうこんな不幸は起こらないだろうと返事をするのだった。
奥村の首は、その後、慶應大学に移され、中里教授の解剖結果も、福畑教授の物と同じであった。
世に、この事件を「首なし事件」と呼ばれた。
慶應大学に保管されいたその首は、空襲による火災で何時しか焼失してしまう。
正木は、その後も変わらなかった。
戦争が終わっても、その中の機構や仕組みは、それほど変わらなかったからである。
若干年をとった正木だったが、八海事件の公判でも、昔と変わらぬ熱弁を奮っていた。
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現実に起こった「首なし事件」を題材にした、正木ひろしの「弁護士」を映画化した作品。
劇中に登場する人物名を変えてある他は、ほぼ、実際の事件経過をそのままを描いていると思われる。
ただし、クライマックスの、首を東京に持ち帰る辺りの強烈なサスペンスは、かなり映画的な演出が加えられているのではないかと思う。
主役を演じている小林桂樹の一徹振りは、後の「日本沈没」での田所博士の原点のように見える。
南風洋子扮する炭坑の社長も、その独特の風貌が逆にリアルな女性を感じさせ、印象に残る。
印象に残ると言えば、酷薄なインテリイメージがピッタリの田代検事役の神山繁と、眉がないので無気味な医者役の大滝秀治の無表情な演技も強烈。
決して映像的な派手さはないが、サスペンス性は濃厚で、最後までグイグイ引き込まれる秀作になっている。
