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キャプテントキオ

2007年、「キャプテントキオ」製作委員会、渡辺一志脚本、監督作品。

この作品は新作ですが、最後まで詳細にストーリーを書いていますので、御注意下さい。コメントはページ下です。

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20XX年、東京は、マグネチュード10の大地震によって壊滅し、日本政府は、東京都を切捨てる事にする。

新しい東京には、若い芸術家たちが集まり、芸術文化の中心として、新しいエネルギーに満ちた独特の地域に変貌していた。

そんな新東京に、映画のしり取りをしながら、チャリに乗ってやって来たのは、フルタ(ウエンツ瑛士)、ニッタ(中尾明慶)と言う高校生コンビ。

東京で、ロックのライブがあるとの噂を聞き、学校をさぼってはるばるやって来たのだ。

フルタの方は、今帰れば停学で済むかも知れないとビビり始めるが、ロック好きのニッタは、ライブ開催のポスターを見つけ、今さら帰れないと意気込んでいた。

タイトル

新東京、港区

警官(車だん吉)に、ロックライブの会場の事を聞こうと近づいたフルタとニッタだったが、その警官は、いきなり銃を彼らに突き付けて来て、ニッタが1年間バイトして購入し、持っていたエレキを取り上げてしまう。

警官が何をするんだと抗議する二人だったが、警官は笑いながら、この町には法律なんてない、つまり警察なんて存在しないんだと嘯く。

やがて、身ぐるみはがれ手錠をはめられたままトラックに乗せられる二人。

警官は、その運転手から、二人の若者の代金として20万円受けとっていた。

そのトラックが走って来る様子を、遠くからカメラで狙っている二人組がいた。

革命家気取りの映画屋(渡辺一志)と、助監督で友人のアロハ(いしだ壱成)だった。

そのアロハから、トランシーバーで連絡を受けたモヒカン(渋川清彦)とタムラ(飯田一期)は、隠れた場所から、バズーカで迫りくるトラックに向けて発射する。

爆破されたトラックは、派手に横転してしまう。

その様子を、アロハたちは、しっかりキャメラに捕らえていた。

横転したトラックの後部からは、パンツ姿のフルタとニッタが出て来るが、そこにパトカーが接近して来たので、ジープでやって来た映画屋とアロハは、モヒカンとタムラに撤収と叫びながら、一緒にその場を逃げ出す事にするが、裸の二人も何となく同乗させられてしまう。

ジープが向った先は、市場だった。

そこに、高級車に乗った変な爺さん(泉谷しげる)が降りて来て、自分は東京都知事であり、映画を撮るには許可がいると彼らに話し掛けて来たので、映画屋が、ここは東京だ、誰の許可もいらないと突っぱねると、気に入ったので、今度都知事室に遊びに来てくれと名刺を渡して去って行く。

彼ら映画屋グループが落ち着いたのは、馴染みの喫茶店だった。

そこは、店のママ(藤谷文子)と、常連の女の子カンナ(山岡由実)がいた。

フルタは、手先が器用だと言うアロハから、手錠を開けてもらっていた。

ニッタの方は、映画屋の銃で、取りあえず、手錠の鎖を斬ってもらう。

二人は、何となく、映画屋が撮っている映画「メキシコの烙印」に役者として出る事になるが、下手で使えない事が分かる。

主役を演じている役者(設楽統/バナナマン)も、嫌味な奴で、映画屋は気に入ってない様子。

その後、新東京の港区で撮影を続行していた映画屋グループで、映画好きのフルタは、何となく助監督の真似事を始めていた。

一方、ニッタの方は、ライブのチケットを買いに行くと市場に向う。

しかし、そこで出会ったヨネと言う女は、そんなライブが行われると言うのは伝説に過ぎないと相手にしない。

ネズミと呼ばれた男が持っていたのは、自分が警官に取り上げられたエレキだったが、欲しいのだったら、金を持って来いと言われる。

一方、アロハは、フルタが映画好きである事を知ると、自分の夢を全部のートにぶちまけろとアドバイスする。

そんな映画屋グループが、とある場所で撮影しようとやって来ると、その場所の所有者らしき老人がライフルを持って立ちふさがる。

この辺りの土地は、地震が起こった後、自分が買取った私有地だから、勝手に入るなと言うのである。

仕方なく、映画屋グループは立ち退く事にする。

喫茶店では、ニッタがママに、ギターを取り戻してくれと甘えていた。

一方、フルタの方は、一生懸命ノートを書き綴っていた。

そんなフルタに、近づいて来たニッタは、カンナをデートに誘ってみろとからかう。

正直にアタックしたフルタは、戻って来て、あっさり承諾されたと言う。

その後、映画屋グループは、約束していた新東京都庁の知事室の都知事を訪ねる。

彼らを出迎えた都知事は、同室していた警察署長(日村勇紀/バナナマン)に、このグループの今までの行為をどう思うかと聞いていた。

署長は、強盗、器物破損など、その罪状は数知れず、本来なら死刑でしょうと、都知事にへつらいながら答える。

しかし、都知事が、映画屋たちに話しはじめたのは、金はいくらでも出すから、東京都のPR映画を撮って欲しいと言う意外なものだった。

断われば、警察が捕まえると言う事らしい。

だが、椅子に座っていたタムラが、着ていたシャツをまくると、腹にダイナイマイトが巻き付けてある。

最初から、危険を察知し、準備していたのだ。

手が出せないまま、知事室から彼らを帰した後、署長は、あらかじめ彼らのボディチェックしていなかった事を都知事に詫びるのだった。

カンナと、新東京の新宿区にやって来たフルタは、映画をみないかと誘い、カンナの行き付けの店でビデオを観る事にする。

その頃、ニッタの方は、喫茶店のママのペディキュアなど塗らされていた。

その後、店を出たニッタは、警官に捕まり、都知事室に連れて来られると、来月、ロックライブをやるのだが、そのチケットはすでに天文学的金額に高騰していると、誘拐を指示した都知事本人から説明される。

そんなチケットを手に入れたくないか?その為には、映画屋グループの事が知りたいと打ち明けられる。

スパイになれと言う事だった。

翌日、やって来ないタムラの家に出かけたフルタは、出て来たタムラから、指名手配された自分のポスターを見せられる。

撮影現場に帰って来て、その事を映画屋に伝えると、あいつも母親がいるので仕方ないかと納得するが、カメラを担当する者がいない事になる。

それを見かねたフルタは、自分がやってみようかと申し出る。

今まで、観て来て、大体キャメラの使い方は分かると言うのだ。

しかし、キャメラを手にしたフルタに映画屋は銃を向ける。

驚いて、キャメラから手を離したフルタに、死んでもキャメラから手を離さないのが本当のキャメラマンだと、映画屋は呟くのだった。

その後、映画屋はジープに乗って現場を去ってしまう。

現場に取り残された形となったアロハとフルタは、とぼとぼと帰る事にするが、途中、フルタが道ばたで売っていたコーヒーを買ってアロハに渡すと、アロハは、フルタが書き溜めていたノートを読んでくれ、字が多いとアドバイスをしながら、実は自分は映画をほとんど知らなくて、観たのは「E.T.」くらいだと告白する。

最後に、「キャプテントキオ」と題されたフルタのシナリオを読み終えたアロハは、ヒーローのファッションだけはセンスがないと言いながらも、お前は見込があると言ってくれる。

その頃、都庁では、都知事がくしゃみをしながら、誰か噂しているな…と独り言を言っていた。

ある日、フルタがカンナに会いに喫茶店に出かけると、海岸に出かけたと言う。

後を追ってみると、映画屋と仲良く話しながら笑っているカンナの様子を観て、ちょっとショックを受ける。

自分とのデートの際には、一度も笑顔なんか見せなかったからだ。

映画屋グループのメンバーたちは、全員、都知事の指令によって、指名手配されていた。

その手配書を観ながら、スパイになるかどうかニッタが悩んでいると、そこに同居しているフルタが帰って来て、こちらも何かに悩んでいるようにふさぎ込んでしまう。

後日、撮影現場に付いて来たニッタは、隠しカメラで映画撮影のグループの様子を撮りはじめる。

そんなニッタ、ロケ弁当を俳優に渡すように指示が出されたので運ぶが、その途中でこけてしまい、弁当を台なしにしてしまう。

その姿を観た映画屋が、あいつは何をやらしてもダメだなと呟いたのを聞いたニッタは、キレて、その場から立ち去る。

アロハは、フルタを置いて去るなんて良くない、友達は大切にしようとニッタに忠告するが、もはやニッタに聞く耳は持たなかった。

そんなある日、監督が現場に何時まで立っても現れないので、中止しようかとアロハが諦めていると、フルタが、折角準備したのにもったいない、自分が指示して良いかと言い出す。

モヒカンも別に反対しなかったので、そのままフルタの進行で、撮影が始められようとしていた所に、映画屋がやって来て、出過ぎた真似をしたフルタを殴りつける。

しかし、これまでの鬱憤がたまっていたフルタも、そうしたワンマン的な映画屋の考え方は嫌いだと反発してしまう。

キレる映画屋に、モヒカンも呆れてしまい、フルタと共に、現場から去る事になる。

その頃、都知事室では、警察署長主催のコメディアンのオーディションが行われていた。

しかし、皆下らないネタばかりで、都知事はお冠状態。署長自らも、「子供の頃のた○ノ花」の物まねを演じるが、逆効果。

とうとう、あまりに笑えないネタを披露した二代目ダンディー坂野に至っては、堪忍袋の緒が切れた都知事によって、その場で射殺されてしまう。

都知事は署長に、来年は本土から新東京に人が戻って来る予定なので、今こそ何か、大きな新東京のPR、プロパガンダが必要だと力説していた。

そこに、ニッタがやって来て、隠し撮りした撮影メンバーの写真と、部屋から勝手に持って来たフルタが書き溜めていた「キャプテントキオ」のシナリオを都知事に渡す。

それからしばらくして、フルタが町でぼんやりしている所に、車で乗り付けて来た都知事は、「キャプテントキオ」の脚本を読んで大変感動したと、握手を求めて来る。

かくして、18才の新人監督が、都知事を主役に、この「キャプテントキオ」を撮ると言う話題が、新聞紙上を賑わす事になる。

本格的な機材を使った映画の撮影が始まり、野次馬の女の子たちも、この新人監督に熱い視線を向けはじめる。

急遽、警察署長も悪役として出演する事になり、撮影は順調に進んで行く。

絵作りにこだわり、天気待ちで粘ろうとするフルタだったが、主役、都知事の「臨機応変で行こうよ」の声で、つい妥協してしまう事も…。

そんなフルタの前に現れたのが、以前、出会った謎の老人。

彼は、自分が君で、待つ事くらいで、良い絵が撮れるんだったら、いつまでも待つのだが…と、言葉をかける。

その頃、アロハは、映画作りの協力者を捜しまわっていたが、皆、都知事から圧力がかけられていると言って断わる。

そんなアロハに巡り会ったフルタは、自分の映画を手伝ってくれないかと頼むが、自分がやりたいのは、金とかステイタスなんかで作る映画じゃないんだと断わる。

自分が映画屋に協力しているのは、あいつが独りぼっちだし、ダメな奴だと分かっていても、友達だからだとも。

いよいよ、フルタの映画も最終カットを撮り終え、フルタは、都知事に編集に関する誓約書と撮り終えたフィルムを渡す。

しかし、帰りの車の中で、都知事は、その誓約書をバカにしたように破り捨てるのだった。

その頃、ニッタは、懐かしい喫茶店に向おうとするが、店の前で立ち止まり、アパートへ戻る。

スパイ行為をした自分が、前と同じように、映画屋グループの前に行く事がためらわれたのだ。

アパートに戻ったニッタが、かかって来た電話に出ると、それは、フルタにかけて来たアロハからのもので、フィルムが5本見つかったと知らせる内容だった。

その後、ニッタは、その事を都知事に通告する。

新歌舞伎町でフィルム缶を持っていたアロハは、突然目の前にやって来た車から降りて来た武装警官たちによって撃たれる。

倒れた後も、必死に、フィルム缶を守ろうとするアロハ。

その頃、喫茶店では、フルタの映画がテレビ放映されると言うので、みんながパーテイを開いて、テレビの前に集まっていた。

一方、死にかけていたアロハの前に現れたのは、謎の老人だった。

テレビ放送が始まり、フルタや喫茶店の仲間たちが目にしたものは、完璧に都知事のPR映像に編集し直された作品だった。

それを観ていたフルタは騙されたと激怒するが、映画屋はぽつりと、お前が坊やだからさと呟いていた。

喫茶店に集まった仲間たちは、全員、この結果に落胆してしまう。

都知事室に乗り込んだフルタは、自分の意図とは全く別の作品に編集し直されていた事を抗議するが、これは、金を出した自分の映画だと都知事から居直られてしまう。

映画屋に頼んでも良かったんだが、君の方がセンスが良さそうだから使っただけだとも言われてしまう。

警察からつまみ出されたフルタは、ゴミ置き場に捨てられるが、そこで、アロハの写真に×印が付けられている指名手配ポスターを見つけ、彼が殺されてしまった事を知り、愕然とする。

アパートに戻って来たフルタは、いらついていた事もあり、ニッタとちょっと揉めるが、その際、思わず投付けた本の中から、大量の札束と、映画屋たちの撮影現場を盗み撮りした写真を見つける。

フルタは、ニッタがスパイをやって、金を得ていた事に気づきなじるが、ニッタは、自分は最初からライブのチケットを手に入れる為に東京に来たんであり、その為なら何でもやる。お前だって、いい気になって、俺を見捨てただろうがと開き直る。

やがて、新東京都音楽祭が開かれ、それを観に出かけたニッタは、会場を囲っているフェンスの外で、ダフ屋から声をかけられたので、売ってくれと申込む。

都知事は、日本国首相に電話をかけ、そろそろ東京を日本に復帰させてくれと根回しを始めていた。

一方、何もかにものに絶望し砂漠を彷徨っていたフルタは、途中で行き倒れになるが、それを助けてくれたのは、例の老人だった。

老人は、フルタを自宅の奥に案内すると、想い出はフィルムの中にあると言いながら、一本のビデオをフルタに見せると、その中には、老人の若い頃の芝居が写っていた。

老人は元役者だったのだ。

その老人は、フルタに、何故最後まで戦わん、自分の魂をフィルムに焼きつけるんだと叱咤激励する。

そして、お前の友達が、命を賭けて守ったものだと言いながら、死んだアロハから託された血染めのフィルム缶を見せる。

音楽祭がいよいよ始まりそうな会場前、ダフ屋がニッタにチケットを持って来ると、ニッタは急遽それを断わると、オーディエンスじゃダメなんだと言いながら、側にあったエレキを手にして去って行く。

そして、覆面を被ると、都民からの苦情の電話処理に忙殺され、ようやく昼食のピザを喰おうとしていた警察署長室を訪れると、フルタのネガを出せと脅す。

弱腰の署長は、すぐにロッカーの中にしまってあったネガを差し出す。

その頃、喫茶店にやって来たフルタは、アロハのフィルムだと言って、血染めのフィルム缶を映画屋に渡す。

署長室では、ネガを確認していたニッタの隙を狙って、署長が拳銃を抜き出していたが、すぐにニッタに気付かれ、野球のボールを投げ付けられて気絶してしまう。

映画屋は、指名手配を受け、家に籠っていたタムラを迎えに行くと、キャメラを渡し、ようやく、元の映画やグループが再結集するが、彼らを襲いに来た武装警察が駆け付けて来たので、彼らは銃で応戦しながら逃走を始める。

タムラが撃たれ、その身体を背負って逃げていたモヒカンも、途中で力つき、タバコを一服すると、追い付いた警官たちに射殺されてしまう。

フルタと一緒に逃げていた映画屋は、自分はどうしたら良いんだと問いかけるフルタに、監督はお前だ、自分で決めろと言いながら、一人で先に逃す。

再び、都知事室に戻って来たフルタは、自分の映画を返せと迫るが、又しても、しらを切りながら、拳銃を取り出した都知事に、フルタは一歩も下がらず、カメラを持って都知事を狙いながら、自分も狙っている、撃てるなら撃てと息巻く。

そこに野球のボールが飛んで来て、都知事の額に当り、都知事は倒れてしまう。

入口に立っていたのは、「ハン・ソロは、最後に帰って来るんだよ」と決め台詞を吐いたニッタだった。

二人で一緒に帰る砂浜。

ニッタがライブを観れなかった事に同情するフルタだったが、ニッタはエレキを見せながら、自分はロッカーだからと返答しながら、奪い返して来たフルタの映画のネガを渡す。

劇中劇「ブランド オブ メキシコ(メキシコの烙印)」

花田(設楽統/バナナマン)と言う殺し屋は、とある喫茶店で彼を待っていた美女(藤谷文子)から、1億払うから、ある男(日村勇紀/バナナマン)を殺して欲しいと依頼を受ける。

喫茶店を出たところで、花田は二人の若者(ウエンツ瑛士、中尾明慶)に銃を向けられ、お前を殺して、俺がオンリーワンになるんだと言われる。

「じゃあ、俺は関係なじゃないか」と花田が答えると、二人の若者は、あっさり納得して帰って行く。

目的の男を無事狙撃した花田は、やって来た依頼者の女に、何故あいつを殺したがったんだと尋ねると、惚れた男を殺されたのだと言う。

仕事が終わった花田は、ブローカー(いしだ壱成)から、メキシコへ渡るパスポートを受取る。

何故、メキシコへ行くんだと男から聞かれた花田は、エルパソは、犯罪者たちの楽園だと聞いたからだと答える。あそこに行けば、全ての事が許されるのだと。

それを聞いていたブローカーの男が、突然何者かに狙撃されて倒れる。

死ぬ間際、男は、逃げてくれ、俺の分まで…と花田に言い残す。

逃げる花田を追って来る二人の殺し屋。

その二人を振り切って歩いていた花田は、突然現れた依頼者の女から撃たれてしまう。

女は言う、私の男を殺したのは、大差に頼まれたタフガイさ…と。

それは、花田の事だったのだ。

その女も、若者二人に射殺されてしまう。

その二人の若者も、互いに撃ち合い、共に倒れる。

独り取り残された花田は呟く。「誰だって、みんな、オンリーワンさ…」

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

近未来の東京…と言う設定だが、SFと言う感じではなく、基本的には映画青年の夢と挫折を描いた低予算の青春映画。

正直、感覚がかなり古い。70年代くらいのセンスだと思う。

作者は、ギャグのつもりで、古いネタなどをセリフにちりばめているつもりのようだが、その手のネタが笑えるのは、新しい感覚の中で使うから意味があるのであって、作品のテーマ自体も古臭いこの作品では、古臭さを増加させているだけでシャレになっていない。

ロケ地が北九州市と言う事もあって、全体的に、どんより曇った「日本海側」の雰囲気なのも、作品が弾まない事に関係していると思う。

基本的には、映画マニアの自己陶酔的テーマなのだが、同じ映画好きの観客が、そうしたテーマに素直に共感できるかどうか。

同じマニア同士だから、多少は共感も感じるが、鏡の中の自分自身を観ているような感じで、なんか気恥ずかしいというか、ちょっと引いてしまう所がある。

この手の映画青年の憧れるアクション要素と言うのが、いまだに「日活風ガンアクション」ってのもちょっと興醒め。

泉谷しげるとバナナマン日村勇紀を中心に繰り広げられる、芸人たちの悪ノリと言うかコント風演技にも、最後まで乗り切れないものがある。

最後に流れる劇中劇のアマチュア映画、それに出ているウエンツやいしだ壱成は、本編の芝居と差を出す為、わざと素人を強調するような「棒読み口調」でセリフを言っているが、同じアマチュアと言う設定で出ている藤谷文子がいつもの口調なのは狙いなのだろうか?

前作「スペースカウボーイ」も、チープ&独りよがり風の内容で、さっぱり面白くなかったが、この作品も似たような自己満足の域を出ていない作品のように思える。