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春爛漫狸祭

1948年、大映、木村恵吾脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

森の中で、かくれんぼうの鬼をやっているのは、母親の墓参りの帰り、道草を喰っている、狸御殿の姫、夕月(明日待子)であった。

しかし、途中で早く帰らなければと我に帰った姫に、隠れていた河童や兎たちが、もっと踊って遊ぼうよと声をかける。

夕月姫は、いつまでもこの森でいたいのだが、自分には新しい母親が出来たと言って泣き出す。

自分は狸御殿の姫だけど、その狸御殿が嫌いなのと言うので、動物たちが何故と問いかけると、聞かないで…と言いながら、彼女の姿は消えて行く。

その地平線の向こうには、狸御殿の姿が現れるのだった。

その狸御殿の中では、夕月の継母で、今や御殿の女主人となった満壽妃(草笛美子)が、自分の器量自慢の娘たちの事を歌で紹介していた。

長女のとどろ姫(暁照子)は、ちょうど、部屋で着物を着替え中で、肩を露にした所をカメラに覗かれ、慌てて着物を羽織る。

次女のきらら姫(萩まち子)は、自室に呼び込んだ小姓と接吻の真っ最中だった。

歌の最後は、自分の美貌を自画自賛。

そこへ、夕月が現れたので、継母は、又森で道草を喰い、貧しい者どもと遊んでいたんだろうと叱りつける。

どうして、貧しい者たちと遊んではいけないのかと夕月が質問すると、継母は、狸御殿の家柄が守れないと言うのである。

そうした母親に似て、姉のとどろ姫も高慢ちきで、居並ぶ腰元たちが腹鼓を打つのを、下品だからと止めるので、腰元たちからは嫌われていた。

やがて、広間に集まった姉妹たちは、家老の狸左衛門の歌に続き、母親の前で各々自慢の咽を披露するが、最後に歌った夕月の、亡き母親を慕う歌には、感動した腰元や鼓太夫も思わず唱和してしまったので、それを不愉快に思った継母は、召し使いの分際で勝手に歌うとはけしからんと叱りつけ、全員、消えるように命ずる。

さらに、狸左衛門に、何故、夕月だけにあのような美しい着物を着せるのかと難癖をつけるが、狸左衛門は、何を着せても、夕月の肌に触れた途端、綺麗になってしまうのだと弁解する。

その返事にまたまた不愉快になった継母だったが、すぐさま狸左衛門を以前から頼んでおいた使いに行かせる。

すぐさまその場から姿を消し、間もなく姿を又現した狸左衛門が報告するには、起こし下さるとの事。

女主人になって、世の中、思うがままになったと思われる継母にも、たった一つか叶わぬ思いがあった。

それは名誉だった。

そんな継母の野望は、御名門から婿をもらう事。

それによって、狸御殿も高貴な家柄のお仲間入りになれると信じていたのだった。

その相手とは、小鼓山の狸吉郎と聞かされた娘たちはもとより、城の腰元たちも大喜び。

間もなく、狸祭りが盛大に開かれると言う事で、城内、賑やかになる。

そうした城の様子を見ていたのは、森のカラス。

何か、城であるらしいと、森の仲間たちに知らせるが、詳細は、偵察に行っていた河童のブク助(坊屋三郎)コンビが、間もなく駆け付けて来て報告する。

いよいよ、祭りが始まり、狸吉郎を巡る、姉妹たちの色競べが始まる。

腰元たちによる、花笠踊りに誘われるように、狸御殿に出現した狸吉郎(喜多川千鶴)は、大勢の前で歌いはじめると、ちょっとはにかみながら自己紹介する。

やがて、その狸吉郎に添うように歌い踊り始めた姉のとどろ姫はドレス姿に変身するが、それを見ていた狸吉郎のお付きの爺や(杉狂児)は、あわてて、狸吉郎の着物の事を知らせようとする。

それに気づいたのか、狸吉郎もタキシード姿に変身し、姫とのバランスが取れたので、爺やも一安心。

妹のきらら姫も、脇で歌っていたが、三番目に登場した夕月の美貌に、狸吉郎はたちまち釘付けになってしまう。

しかし、恥ずかしがった夕月は、その場から逃げるように立ち去る。

腰元たちは、そんな夕月を探して城内を右往左往するが、彼女らが一斉に、夕月が狸吉郎の心を射止めたのを喜ぶ声を陰で聞いていた継母は、面白かろうはずもなく、そんな彼女の前に出現した夕月に、猫なで声で、狸吉郎に見初められた手柄として御褒美を上げると言い出す。

思わぬ継母からの申し出に喜んだ夕月は、彼女が持って来た飲めばたちまち美しくなる大変貴重な酒と言うのを、何も疑わず飲むが、実はそれは、早く老けてしまう「早老酒」と言う魔の酒であった。

その後、城内で再び狸吉郎と出会った夕月は、喜んでその胸に飛び込んで行くが、その一瞬の内に、彼女の髪は真っ白になり、たちまち老婆の姿に変身してしまったので、抱きとめた狸吉郎は、思わず他人と思い込み、夕月を突き放してしまうのだった。

倒れた夕月の前にやって来た狸左衛門からも、お前のような見知らぬ老婆は即刻出て行けと言われ、はじめて夕月は自分の髪が白髪になったことに驚き、さらに、城内の池に写した我が姿を見て、自分が急に年老いてしまった事実を知るのだった。

おぼつかない足取りでようやく森にたどり着いた夕月だったが、疲労の余り、その場に崩れ落ちてしまう。

その頃、まだ夕月の姿を探し求めていた狸吉郎に、継母たちは、夕月等と言うのはただの老婆を見間違えただけだろうとごまかし、艶かしい余興を観るよう勧めるが、狸吉郎はその下品さに飽き、すぐさま席を立つのだった。

しかし、継母は諦めず、廊下に出た狸吉郎に、とどろ姫が洋装で踊っている様を披露する。

すると、ようやく、狸吉郎も、白いタキシード姿に変身し、一緒に踊るのだった。

一方、森の中では、倒れた夕月を見つけて集まった動物たちが、心配そうに見つめていた。

やがて、連れて来られた老河童の医者ガタロウが見立てた所によると、これは早老酒を飲まされた結果で、これを直すには二つしか方法がなく、狸御殿の女主人が持っている「不老酒」を飲ませるか、この世の中で一番優しく情け深い若者にくちづけしてもらうしかないと言う。

優しく情け深い若者等、どうやって見つけるのか見当も付かないので、取りあえず、河童のブク助と兎が、城にある不老酒を盗み出しに行く事にする。

狸御殿の中に侵入したブク助と兎は、階段を登ろうとして、その階段が音が出る鍵盤になっている事に気づき、面白くなって遊んでいる内に、その音を聞き付けた家老に見つかって、矢を放たれてしまう。

その矢は、ブク助の尻に刺さってしまうが、曲者と腰元たちが追い掛けて来たので、兎共々、そのまま城内を逃げ回る事になる。

ブク助は、彫像にぶつかり、その彫像が台から落ちてしまうが、その彫像が手にしていた二つのビンが転がったのに気づき、その一つを手に取ってみると、それには「不老酒」と書いてあった。

その不老酒を持ったブク助と兎は、ラインダンスを踊っている踊子の中に紛れ込み、ようやく二人とも姿を消して、森に戻るのだった。

しかし、夕月に持って来た不老酒を飲まそうとしたブク助は、途中で中身を全部こぼして来てしまった事に気づく。

狸御殿では、まだ余興が続いていた。

タララ姫(笠置シヅ子)が、陽気に「サムカム・ブギ」を歌って踊っているが、狸吉郎の気持ちは晴れない。

廊下に独り抜け出て沈む狸吉郎の姿を観た絵画の中の女神は、抜け出て来て歌を歌うと、又元に戻るが、その後には花束が一つ落ちていた。

その花束に気づき拾い上げた狸吉郎は、近づいて来た爺やに、もうけばけばしいもてなしには飽きたので、自分は森に散歩に出る。

その間、お前が自分の身替わりに化けて相手をしていてくれと命ずるのだった。

ただし、女にマメな性分である爺やに、御婦人方に対し、あまり夢中にならないようにと釘を刺すのを忘れなかった。

その命に従い、狸吉郎に化けた爺やは、さっそく、とどろ姫の相手をしたり、きらら姫の相手をしたりするが、よる年並には勝てず、途中で、変身が戻ってしまったので、怪んだ姫たちに追い掛けられるはめになり、取りあえず、金魚に化けて、水槽の中に逃げ込んで身を潜める事にする。

一方、森にやって来た狸吉郎は、泣いている動物たちを発見、訳を尋ねると、夕月姫が魔法で老いてしまったが、優しい人から接吻をしてもらえないと元に戻れないと、ガタロウ先生から言われたので、これから旅立つ所なのだと言う。

その夕月を探すと、あの時の老婆ではないか。

その顔をまじまじと見つめた狸吉郎は、城で出会った瞬間、たちまち恋をしてしまったあの姫の面影を見い出し驚く。

そんな夕月を抱きとめようとする狸吉郎であったが、当の夕月は、老いさらばえた自分を恥じて身を避けようとする。

しかし、そんな夕月を抱きしめた狸吉郎は、熱い接吻を交わす。

すると、突然、夕月は元の美しい姿に舞い戻って行く。

やがて、二人の幸せを祝福するように、森中の花々が咲き乱れる。

沼の側に身を寄り添って座った狸吉郎は、自分が持っていた希望の指輪を夕月に渡し、これを胸に当て、欲しいものを3回唱えて空高く投げ上げれば、何でも願いごとが叶うと説明する。

自分は何もいらないと言った夕月が、貧しいみんなの為にとその指輪を投げあげると、森の中はたちまち、クリスマスツリーに変身する。

森はたちまち、祝福のお祭りが始まる。

その頃、まだ、とどろ姫ときらら姫から追い掛けられていた狸吉郎に化けた爺やは、姿を消して地蔵に変身して、二人をやり過ごそうとするが、彼女たちに転がされてしまい、とうとう、元の姿に戻ってしまう。

そこにやって来た継母が、本物の狸吉郎はどこかと尋ね、爺やがそこにいると指差した先には、森の動物たちと混じって踊る狸吉郎の姿があった。

その踊りの輪を、姉妹たちと見つめていた継母は、何時の間にか、その輪の中に自分も入って行く。

彼女が身に付けていた豪華なネックレスが、木の枝にちぎれて落ちた事をもう気づいていなかった。

夕月は、自分と一緒に手を繋いで踊っている相手が、何時の間にか継母に変わっている事に気づき驚くが、継母は、自分は本当の幸せを今日まで知らなかった、今こそ、それが、こんな手近にあったと言う事が分かったと言うので、それを聞いた森の動物たちは一斉に拍手する。

母親は、そんな森の仲間たちに、今日からは、狸御殿はみんなのものですと宣言するのだった。

喜んだ森の仲間たちに、タララ姫らも加わり、踊りはますます盛り上がるのだった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

木村恵吾監督の独壇場「狸御殿もの」の第3弾。

「オペレッタ」すなわち、全編歌と踊りで構成された軽喜劇である。

戦後の作品らしく、狸御殿のセットも華やかなネオンサインがきらめき、踊る狸たちも、着物姿だけではなく、洋装もふんだんに出て来て、何でもありの雰囲気になる。

笠置シヅ子など、時代劇のイメージ等全く関係なく、普通のワンピース姿で、元気に歌って踊っている。

基本設定は、シンデレラなどを連想させる他愛のないものだが、身分を気にし、虚栄を得ようとする愚かな継母が、最後に改心する教育的なメッセージも含まれている。

この作品で一番印象的なのは、狸吉郎の上品な美貌と、その狸吉郎が夕月姫と接吻するシーンがはっきり映し出される所だろう。

今観ても、独特の艶かしさを感じるくらいだから、男と女の接吻描写すらまだ珍しかった当時、女性同士の接吻と言うのは、かくべつの衝撃感があったはず。

森の動物たちの表現は、頭の部分だけ大きな着ぐるみを被っていて、首から下は着物姿と言うちょっと人形劇風の珍妙なもの。

河童は、腰蓑姿に頭の皿があるくらいで、背中の甲羅はない。

まだ、若い坊屋三郎が、半裸姿で頑張っているが、この当時は、まだ、多少セリフを咬んだくらいで撮り直しはしなかったらしく、彼は、最初の登場シーンで、かなりセリフをとちっているのがそのまま映し出されている。

美声の家老役といい、登場して歌っている女性たちは皆、当時の人気歌手だったのだろう。

今観ると、当時の女性の顔つきや体つきが、現代女性とはかなり違っているのが良く分かる。

大半が丸顔というか、顔が大きくて身体は小さいのだ。

その身体も、かなり寸胴気味で、歯並び等もかなり悪い。

ファンタジー要素があるだけに、特撮シーンもいくつかあるが、大半は、パッと姿を消したり現れたりする
初歩的なトリックだが、後半、狸吉郎に化けた爺やが、きらら姫と抱き合っている時、その顔の部分だけが元の爺やに戻る様子が数度繰り替えさせるが、マスクラインがどこにあるのか分からないくらい巧いので驚かされる。