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エノケンのとび助冒険旅行

1949年、エノケンプロ+新東宝、山本嘉次郎脚本、中川信夫監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

皆さんな、怖い話が好きですか?それとも楽しく愉快な映画が好きですか?それとも、ためになる話が好きですか?それでは、それらが全部は言ったお話をはじめましょう…と徳川夢声のナレーションが流れながら、雲の上から、都の鳥瞰図になって行く。

昔、昔、ある所に、とても正直で優しい人形遣のとび助さん(榎本健一)と言う人物がおりました。

子供達相手に、「兎と亀」の人形劇を見せているとび助、劇が終わって、子供達から料金を徴集しているが、最後に残った女の子はお金を持ってないと言う。

優しく注意して、料金を素早く勘定してみると、15、6人くらい観ていたのに13人分しかない。

仕方がないと帰りかけると、先ほどの少女が「おじさん、一緒に連れてって」と、後から付いて来ている。

そんな訳には行かないと、逃げ回ってみるが、少女は目ざとく、とび助を見つけだす。

木の影に隠れても、足跡を見つけた少女がすぐに探し出してしまう。

身体を触られたとび助は、くすぐったがりなので、すぐ笑ってしまう。

しかし、そこは、花の都、京都だったが、今は荒れ果て、悪い事をする人が増えていた。

陽も暮れかけた頃、少女はいきなり盗賊から誘拐されてしまう。

その叫び声を聞いたとび助は、さすがに放っておけないと後を追い掛けるが、盗賊の恐ろしい姿を見ると、ちょんまげが飛び起きてしまう。

女の子を置いた盗賊は、今度はとび助と追いかっけこになるが、とび助の後ろに廻ると、大きな石で、その頭を殴りつけてしまう。

とび助が気絶している間、盗賊は少女を置いた場所に戻って来るが、もう少女の姿がいなくなっていたので、諦めて帰ってしまう。

少女は壁の陰に隠れていたのだ。

気絶したとび助を起こしに行った少女は、それから彼の家で一緒に住みはじめる事になる。

お福ちゃん(ダイゴ幸江)と言うその少女は、戦で家を焼かれ、二人暮しだったお母さんと生き別れになった為、それ以来、全く笑わなくなってしまったのである。

その夜、これからは算数等勉強も教えなくては…と、お福ちゃんの将来の事も心配しながら、料金の確認を始めたとび助だったが、ひ〜、ふ〜…と数え出したところで後が出て来ない。

何度やってみても同じ、そんなとび助の事を奇妙に感じたお福ちゃんは、彼の足の裏をくすぐってみるが、あれほどくすぐったがりだった彼が全く感じないと言う。

体中どこをくすぐっても全く無反応。

どうやら、石で頭を殴られた事で、知恵も感覚もおかしくなったらしい。

これでは、今後、商売も出来なくなった…ととび助が嘆いていると、、日本一高い御山の麓で生まれた私のお母さんが、そこにある金色の木の実を食べると利口になり、病気も良くなると話していたと、お福ちゃんが言い出す。

しかし、にわかには信じ難い話だけに、とび助が疑っていると、本当だと思っていれば、それは本当になる。でも、そこへ行くには、苦しい事や怖い事がたくさんあるので、本当にやり遂げる事は難しいとも、お母さんが言っていたと、お福ちゃんは続ける。

とにかく、その黄金の木の実を食べると、頭が元に戻るのなら、行ってみようと言う事になり、とび助は、お福ちゃんを連れて旅立つ事にする。

二人は、都の外れで、わからず屋のがんこ坊(倉橋亨)と、気の弱いふらふら坊(甲斐三雄)が座っているのに遭遇する。

二人は、とび助が旅に出ると聞くと、ふらふら坊は、自分も一緒に連れていってくれと立ち上がるが、がんこ坊は、自分の住み慣れた所が一番なので、ここを動かないと言う。

すると優柔不断のふらふら坊は、じゃあ、自分も行かないと座りかけるが、又、とび助が立ち去ろうとすると、付いて行きたがる。

数回、この繰り返しで迷ったあげく、結局、ふらふら坊は付いて来る事になる。

三人で旅の途中、お福ちゃんは、黄金の木の実は、食べても食べても食べきれないくらいたくさんあるらしいと話す。

やがて、山犬の遠ぼえが聞こえて来る。

この辺の山犬は、人の肉の味を知っているので危険なのだ。

そんな三人は、がっかり沼と言う沼に足を取られてしまう。

何とか、はまりかけて逃れたふらふら坊は、こんな怖い思いは嫌だと言って、さっさと逃げ帰ってしまった。

困ったのは、とび助、お福ちゃんを抱いたまま、身動きが取れなくなってしまったが、たまたま近くを通りかかったお姉さんに、まず、お福ちゃんを抱き取ってもらい、それから木の棒を差し伸べてもらい、ようやく、それにすがって、とび助も沼から這い出る事が出来た。

やがて、たどり着いた村で、又、人形劇を子供達に披露したとび助だったが、料金をもらっても計算が出来ない。それを見かねたお福ちゃんが、勘定をしてやる事にする。

やがて、二人は橋を渡ったところで、妙にうねうねと曲がりくねった奇妙な道に出くわす。

それを進んで行くと、道にかぶさる門があり、そこにへそ曲がりのいじわる悪兵衛(久保春二)が立ちふさがりながら、ここを通りたいか?と聞くので、とび助が通りたいと言うと、では通さないと、いじわるな事を言う。

では、通らなくても良いととび助が弱気になると、では通って良いと言うので、通ろうとすると、やっぱり通せんぼをして通さない。

すっかり困ったとび助の様子を観たいじわる悪兵衛は、わしの言う事を聞くか、そこで一生、突っ立ていろと命じながら愉快そう。

さらにいじわる悪兵衛は、もっともっと意地悪をしてやると言い出し、 一生にらめっこをしてみるかと言い出したので、とび助は頭を抱え込んでその場にしゃがみ込んでしまう。

その時、お福ちゃんが私が相手になると言い出し、にらめっこをするが、何せ、彼女は今まで笑った事がないので、この勝負は圧倒的に有利。

そのお福ちゃんの無表情さには、さしものいじわる悪兵衛も手が出ず、つい目を反らしてしまう事になる。

その様子を観ていて、笑いながら姿を現したのは智慧先生(寺島新)。

人を困らせようとすればするだけ、自分で困る事になるだけだと諭すと、困っている事は困っているといじわる悪兵衛も正直に告白する。

すると、その涙でお前の心は洗い浄められたと智慧先生が指し示した門の向こう側の道は、まっすぐになっているた。

無邪気な子供の心に叶うものはないと智慧先生は教える。

さらに旅を続けたとび助とお福ちゃんは、苦しみ峠と言う場所へやって来た。

そこには、いばりや(谷三平)、うすのろ(野津伸一)、なまくら(菊川修一)と言う三人の男が寝ていた。

二人に気づいたいばりやが起き上がり、峠はきついぞ、ここで休んで行けと言う。

その気になったとび助だったが、先を急ぎましょうと、お福ちゃんに手を引かれたので、とび助は先に進む事にする。

すると、いばりやが、俺の言う事をきけないのかと怒って来るが、うすのろらに諭され、又、その場に寝てしまう。

峠に向ったとび助たちは、岩と共に落ちて来た二人の旅人に出会う。

助け起こして訳を聞くと、こわがり(川上正雄)とうたがい(木下万平)と言う旅人は、早道をしようとして間道を選んだら、2頭の熊に遭遇したのだと言う。

その話に怯んだとび助だったが、又しても、お福ちゃんに励まされ峠を登って行くと、やっぱり2頭の熊に遭遇、立ちすくんでいると、その熊の買主らしき人物が現れ、これは怖くないと言うではないか。

良く見ると、ペットのようにちゃんと紐で繋いでいる。

その侍らしき男は、自分は、この上にある見張御殿の見張之助(弘松三郎)と言い、まだまだこの先は長いから、御殿で一晩休んで行きなさいと勧めてくれた。

世の中には良い人もいるようで、その御殿では、優しい主人(生方賢一郎)と三人の娘が住んでおり、二人に食事を振舞ってくれただけではなく、お福ちゃんにと、長女が自分の子供時代の着物まで渡してくれた。

そのお礼にと、とび助は、狸に化かされた酔った農民の人形芝居を披露する。

翌朝、その御殿を出発したとび助とお福ちゃんの旅はまだまだ続き、雨の日には、道ばたの蕗の葉を取って傘代わりにし、落ち葉の森や、雪の中、さらにはお花畑も通り過ぎて行く。

そんなある夜、野原の真ん中で野宿をしていると、寝ていたお福ちゃんが夢を観たのか「お母ちゃん」と寝言を言ったので、思わず目を覚ましたとび助が、焚き火用の小枝を拾いに、ちょっとお福ちゃんと離れて帰って来ると、そこで寝ているはずのお福ちゃんの姿がない。

きょろきょろ捜しまわっていたとび助は、大きな花が咲いた気の根元の穴に落ちてしまう。

その深い穴の底には、毒グモの精(中村平八郎)が住んでいて、落下して気絶したとび助を、久々に会った憎い敵、人間だとして生贄にしようと、廻りを踊り始める。

気が付いたとび助は、自分は子供の頃から虫一匹殺した事がないと命乞いをするが、クモの精は、子供は我々の仲間をすぐ殺してしまうので、お前はその悪い子供の身替わりだと言う。

やがて、別の狭い穴の中に入れられたとび助は、そこでお福ちゃんと出会う。彼女も穴に落ちて、クモの精に捕まっていたのだった。

何とか、ここから逃げ出そうと、とび助は土を掘るものを探すと、お福ちゃんが近くに落ちていた竹の棒を差し出す。

それを使って、穴を掘り出すと、何と、そこから水がほとばしり出て、とび助たちがいる穴に溜まり出す。

とび助は、お福ちゃんを肩車して何とか持ちこたえようとするが、もう水位は顔の近くまで上がって来る。

万事窮す!とび助は、持っていた竹の棒を口にくわえて、それで息をするが、もう水は頭の上にまで到達してしまった。

お福ちゃんは、お母さん助けて!と言いながら、自分の懐を探すと、お母さんからもらった守り袋が出て来る。

それを開けてみると、中には一本の鍵が入っており、お福ちゃんは、とび助に前に進むように伝えると、何とか、目の前の扉に近づく。

そこで、その鍵穴に鍵を入れて捻ると門が開き、大量の水が深い穴の底に向って流れ出し、下にいた毒グモの精は、その洪水に溺れてしまう。

ようやく、毒グモの土牢を脱出し、地上に戻ったとび助とお福ちゃんは、又旅を続ける事になる。

ある日、陽がくれて来たので、どこか泊まる所でも探そうと、とある茶店の横を通りかかると、そこの女(旭輝子)が声をかけて来て、この先の森には人喰い鬼が住んでいると言う。

それを聞いたとび助は怖じ気付き、これ以上先に行くのは止めようと言い出すが、お福ちゃんは、毒グモに邪魔された時間が勿体ないから急ごうと言っていたのは誰?と嫌味を言う。

結局、そこの女の親切に甘え、その夜は茶店で泊まる事にするが、その夜、目覚めたお福ちゃんは、障子の影に写る隣の部屋の女が、大きな包丁を研いでいる姿を見る。

そっととび助を起こし、その様子を見せると、その気配に気づいたのか、女が部屋に入って来て、子供は旨そうだと迫って来る。

二人は急いでその茶店から逃げ出すが、包丁を持った女が後を追い掛けて来る。

やがて、その女は先に行く二人の上を飛び越して、鬼に変身する。

人喰い鬼とは彼女の事だったのだ。

鬼は、二人の目の前であっという間に巨大化する。

もはやこれまでと、とび助は観念するが、お福ちゃんは、どうせお母さんに会えないのなら、ここで食べられても良いと肝の座った事を言い出す。

さらに、私が食べられたら、おじさんを助けて欲しいと殊勝な事まで。

その言葉を聞いたとび助は、もう命はいらない、自分も鬼と戦うと言い出す。

やがて、鬼は元の大きさに戻ったので、二人は必死に森の中を逃げ回る。

木に化けたりして逃げ回った二人だったが、結局、見つかってしまい、とび助は鬼に跳ね飛ばされ気絶してしまう。

その上には、大量の木の葉が降り注ぎ、彼の身体を覆ってしまう。

とうとう鬼に捕まったお福ちゃんは、私と遊んでと言い出す。

どうやるのだ?と鬼が興味を示すと、地面に降り、「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」と鬼ごっこを始める。

あちこち逃げ回ったお福ちゃんは、谷間にかかった細い木の橋を渡ったところで振り向き、鬼さん、これでお終いよ、大きくなって、捕まえてごらんと呼び掛ける。

すると、バカ正直に巨大化して橋を渡りはじめた鬼は、重みに耐えかね折れた木の橋と共に、まっ逆さまに谷底に落ちてしまう。

ようやく気がつき、対岸にやって来たとび助は、渡れなくなった向こう岸にいるお福ちゃんと会う為に、夜が開けるのをまとうと言うお福ちゃんの言葉を無視して、互いに名前を呼びながら、ふもとまで下って行けば、その内会えるだろうと考え、それを実行しはじめる。

ところが、夜が開けるまで山を下っても、二人は会えなかった。

何時まで経っても、とび助の姿が見えないので、お福ちゃんは泣き出してしまう。

とび助の方も途方にくれていたが、ある女性が、この先に「いかさま町」と言うおかしな人間ばかり集まっているところがあるから、そこに娘さんがいるかも知れないと教えてくれたので、さっそくそこへ向ってみる事にする。

町に着いたとび助は、いつものように、そこでも河童の人形劇を子供達に見せるが、観終わった子供達は、誰も金を払おうともせず帰りはじめたので、慌てたとび助が料金の事を言うと、いくらなのかと一人のませた子供が聞いて来る。

いくら…と、聞かれて考えはじめたとび助だったが、計算が全くダメになっているので、とんちんかんな答えをしてしまい、子供達にまで呆れられる始末。

そこは、本当におかしな男女ばかりが集まった町で、「いかさま座」と言う見世物小屋の前まで来たとび助は、中から聞こえて来る「お福ちゃんや〜い!」「あい、あ〜い」と言う子供の声を聞き驚く。

どうたら、今の声はお福ちゃんのだったようなので、急いでは入ろうとしたとび助は、入口で金を払わされ、勘定が出来ないので、呼びこみの男(田島辰夫)の言い様に金をふんだくられてしまう。

中に入ったとび助は、仙人(山川朔太郎)が解説する中、大きな岩を持ち上げ怪力自慢をしている大男(曽根通彦)が舞台に出ているのを見るが、席を探している内に、「お福ちゃんや〜い」「あい、あ〜い」と言う、聞き覚えのある声を聞き舞台を見ると、そこに、ろくろっ首にされているお福ちゃんの顔を見つける。

急いで舞台裏に廻ってみたとび助は、仕掛けの上に顔を突き出されているお福ちゃんを見つけるが、小屋の親方(北村武夫)に見つかってしまい、追い出されそうになる。

その子は、自分の連れだと訳を話しても、聞き入れてくれる様子はない。

しかし、訳を知った怪力男が同情してくれ、親方を取りなそうとするが、それも相手にしてもらえず、結局、楽屋裏は大騒ぎになり、天井からぶら下がった紐に捕まったとび助は、そのまま幕の表にまで飛び出してしまい、客席も巻き込んで大混乱。

ようよう、お福ちゃんを助け出して逃げ出したとび助は、又旅を続けるが、道を間違えて、死の谷に入り込んでしまう。

そこは、ありとあらゆる怪物がいる恐怖の谷だった。

まず、とび助は大木の蔦に絡まれ、地上高く持ち上げられてしまう。

お福ちゃんが、その大木の根の部分を叩いてくれたので、何とかとび助は下に落ちて来る。

やがて、人魂がたくさん浮かぶ森の中に入ると、今度は、お福ちゃんが大きな茸の傘に捕えられそうになったので、とび助が助け出す。

吊り橋があったのでそれを渡ろうとして、下を覗いてみると、谷底の沼には、巨大なガマやワニ、カメ等が這い回っている。

そのうちの一匹のガマが、橋の上にまでとび乗って来て、二人の行く手を遮るが、自ら橋から落ちてしまう。

恐る恐る渡りはじめるが、二人の重さのせいか、橋はどんどん下へずり落ちはじめる。

もうすぐ、ワニが口をあける沼に接しようかと言う所まで落ちた橋だったが、何とか、急いで渡り終えた二人は、安堵して、大きな大木の上に腰を降ろす。

すると、その大木が横に動き出したので、不思議に思い、降りて、その大木の先を観てみると、それは木ではなく大蛇だった。

その場を逃げ出すと、大きな鬼が何人も待っている所へ出てしまう。

二人になったり、三人になったりする巨大鬼が笑っている。

巨大なガマも迫って来る。

夜空には稲光が走る。

しかし、その恐怖の一夜も、夜が開けると、不思議な事に皆幻影だった事が分かる。

巨大な鬼と見えたものは、ただの巨木だった。

巨大な蛇やガマも、実は大きな石だった。

動いて見えた茸の森も、普通の茸だった。

やがて、地面に落ちていた木の葉が大量に舞い上がる中、二人が足を進めると、辺りが浮き浮きした輝くような明るい所に出る。

お福ちゃんは、日本一高いお山が見えるお母さんの国だと言う。

黄金の木の下にお母さんは待っていた。

良くやって来ましたねと迎える母親に抱きつくお福ちゃん。

一方、とび助も、しっかり黄金の木の実を食べていた。

試しに、木になっている木の実の数を数えてみると、以前のような素早い計算ができるようになっているではないか。

頭は正常に戻って嬉しいとび助だったが、残念なのはお福ちゃんと別れる事。

すると、そこにお福ちゃんがやって来て、とび助をくすぐると、以前のように猛烈にくすぐったくて笑い出してしまう。失った感覚も全部元通りに戻ったのだ。

とび助は、その平和な丘に、お福ちゃん母子と共に暮す事になる。

旅の途中、諦めたり、迷ったりせず、最後まで頑張ったから、ここで暮して行く内に、やがては、お福ちゃんの顔にも笑顔が戻って来る日も近いだろう…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

書き割りセットと絵合成、それに特撮を加えた、一種風変わりな絵本のような雰囲気を持つ幻想映画になっている。

特に、グラスワーク(カメラの前に置かれた大きなガラスに絵を描き、実写と同時撮影する技法)を使った独特のアングル(大木の上から、地上を見下ろしたような極端にパースを付けた画面)などが印象的である。

河童のマンガで有名な清水崑が担当した画案と出て来るが、今で言う美術の事だろうか?それとも、イメージボードのようなものを書いたと言う事なのか?

ストーリーは、子供向けの教訓をいくつも含んだ民話風である。

かなり大雑把な展開である所からみても、お福ちゃんと同年輩くらいの、未就学児程度の年少向けを意識したものだろう。

とび助の頭の上まで水で溢れている部屋の、扉の鍵穴に、肩車された少女がすんなり鍵を差し込んだり、数百メートルくらいの穴のそこからどうやって脱出できたのかとか、細部を言い出したらおかしな所だらけで、子供騙しと言うか、御都合主義以外のなにものでもない展開だが、そのシュールなビジュアルや、独特の怪奇ムード等は今でも十分楽しむ事ができる。

特に、クライマックスの「死の谷」の部分は、「キング・コング」(1933)を連想させるようなイメージがあり、とにかく怪物もたくさん登場して来て飽きさせない。

ガマや大蛇、ワニ等と言った怪物は、大半が小さな人形のようだが、当時の子供達は、大興奮したに違いない。

毒グモの土牢の中での大洪水のシーン等は、なかなか特撮としても迫力があり、良く出来ている。

ちなみに、山姥風の鬼女に扮しているのは、神田正輝の母親、つまり松田聖子の義母、二人の間の子供SAYAKAの祖母に当る旭輝子である。

エノケン主演のコメディとしては、取り立てて上出来と言う程のものではないが、トリック映画としては、戦前の「エノケンの孫悟空」(1940)と並ぶ重要な作品で、戦中に作られた「兵六夢物語」(1943)などよりは、はるかに面白く出来た作品だと思う。