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馬喰一代('63)

1963年、東映、中山正男原作、田坂啓脚色、瀬川昌治監督。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

北海道、北見の馬の競り市に、馬喰仲間の片山米太郎、通称米(三國連太郎)を捜しに来た孫市、通称孫(多々良純)は、そこで右目に青痣を作っている小坂六太郎、通称六(西村晃)の姿を見つける。

どうやら、日頃から馬が合わない米と又喧嘩して殴られたらしい。

近くにいた仲間たちに行方を尋ねると、最前までここで博打をやり、20人抜きをやったので上機嫌で阿波踊りを踊っていたと言う。

その後、馴染みのあいまい屋に出向いてみた孫は、北海荒しの米なら二階で寝ていると聞かされ、さっそく部屋に上がってみると、何と、その米が、股間を押さえてうずくまっているではないか。

店の者が言うには、今朝来たばかりの新顔、ゆき(新珠三千代)と言う酌婦にちょっかいを出し、蹴られたのだと言う。

その気丈そうなゆきは、駆け付けて来た巡査に身元調査されていた。

出身地は新潟で、ここに来る前は小樽にいたのだと言う。

一方、孫は米に、女房のハルノ(藤里まゆみ)が産気づいたと伝えていた。

それを聞いた米は、始めての子供の顔を見に勇んで家にかけ戻るが、そこには、沈痛な面持ちで座っている近所の者たちの姿があった。

訳を聞くと、相当な難産らしい。

矢も盾もたまらなくなった米は、裏庭で薪を割りはじめる。

やがて、その薪の数が増えはじめた頃、ようやく赤ん坊の泣き声が聞こえ、無事男児を出産した事を知らされた米は、抱けと勧められた赤ん坊に一旦手を伸ばしながら、汗まみれの自分に気づいたのか、急いで、井戸で水浴びをすると、ようやく戻って来て、その赤ん坊をこわごわ抱くのだった。

ところが、喜んで妻の元に出向いた米は、寝ているハルノの様子がおかしい事に気づき、急いで医者を呼びに走らせる。

結局、ハルノは他界し、残された赤ん坊を男手一つで育てる事になった米は、小学校の教師である斉藤(中村是好)に名前をつけてもらう事にする。

小学校を3回も落第した米が、自分が読めないような難しい名前はつけてくれるなと言われた先生は、いくつかの漢字が書かれた半紙の中から、お前が読めそうなものを選べと米に選ばせ、そこに書かれた漢字を組み合わせて「大平(だいへい)」と名付ける。

その後、北海道は未曾有の大冷害に見舞われ、凶作が続く。

そんな中、赤ん坊を育てていた米の元に、孫たち仲間がやって来て、農民たちも馬等買うような状況ではなく、娘まで売っている状況では、とても馬の競り市等成立するはずもなく、旅馬喰をしようと思うがと相談しに来るが、子供の面倒を観なければ行けないからと、米は断わる。

その米も、この秋口から、全く商売をしていない事は仲間たちも良く知っていたのだ。

その赤ん坊を背負ってあいまい屋にやって来た米を見つけた、あのゆきと言う女は、これで落ち着いて飲めるだろうと、赤ん坊を籠に入れてくれたり、そこで店から帰る所だった六と鉢合わせになった米が、又険悪そうな雰囲気になったので、両者をなだめる役目もそつなくこなしていた。

六は、先行きのない馬喰から足を洗い、今では林業の方に手を染めていたので、米には、そういう六の計算高さが気に食わなかったのだ。

しばらく飲んでいた米が、赤ん坊の様子を見に、籠の所に来ると、赤ん坊の姿が消えている。

慌てて、あちこち部屋を覗き廻っているうちに、ようやく、自分の布団に寝かせているゆきの姿を見つけ、こんな所に寝かせると汚れると悪態を付いて、赤ん坊を背負うと、そそくさと帰り支度を始めるのだった。

しかし、降り始めた雪の中を帰りかけた米の背中に、近づいて来たゆきが、そっと毛布をかけてやると、恥ずかしそうに軍歌を歌いながら帰るのだった。

デンデン太鼓、めんこ、風車等の映像がオーバーラップして行き、時間の経過を表現する。

小学校に上がる年頃に成長した大平(金子吉延)を、小高い丘の上に生えた白樺の所に連れて来た米は、毎年やっているように、その年も、白樺の幹に成長した大平の身長を刻み付けた後、将来は日本一の馬喰になれと言いながら、学校に行っても大きな返事ができるようにと、その場で大きな声のだし方を自ら教えるのだった。

ところが、自分も付いて行った小学校で、馴染みの斉藤先生が、新入生の名前を点呼しはじめた時、大平の名が呼ばれると、思わず、自分の方が返事をしてしまう米だった。

大雪で休校になった日も、米は大平を自ら背負って学校に連れて来るので、他の生徒が誰もいない中、呼出された斉藤先生は、大平一人の為の授業をやらされるはめになったりもする。

夏が来て、ワンパク盛りになった大平は、他の子供と一緒に、畑からスイカ泥棒をやったりするが、それを知った米は、泥棒をする等とんでもないと、馬小屋に大平を吊るし上げるのだった。

そんな米の元を訪ねて来た斉藤先生は、単なる子供のいたずらなんだからと、行き過ぎた折檻を注意するが、一人前の馬喰にする為の躾にうるさい米は聞く耳を持たない。

やがて、大平を連れて、亡き妻の墓参りにやって来た米は、電気も通っている瑠辺蘂(るべしべ)と言う町に引っ越そうかと、母さんと相談していたと打ち明ける。

大平の将来を考えると、この土地にいても先はないと考えた末の決断だった。

米と大平は、斉藤先生や級友たちに見送られて、住み慣れた土地を後にする。

やがて、るべしべの小学校に転入した大平は、津田先生(岩崎加根子)と言う女先生の受け持ちになる。

米は、蹄鉄業を営む小笠原(渡辺篤)の隣に住む事になるが、そんな米に、小坂と言う人物の牧場で、人を求めていると言う話が届き、孫らと共に出かけてみるが、小坂とは、あの六の事だった。

牧場主として、すっかり羽振りが良くなった六は、これからは薄利多売の時代だと集まって来た馬喰たちに演説をしていた。

やがて、その群集の中に米の姿を見つけた六は、君には10円出そうと好条件を提示するが、北見一の馬喰と自負していた米は、自らのプライドを守る為に、仕事にありつきたい他の仲間たちの気持ちは無視して、強引に引き連れてその場を立ち去ってしまう。

そんな中、大平は秀才振りを発揮しはじめ、算術のテストで95点と言う高得点をもらって来たので、一番になったかと喜ぶ米に対し、クラスには自分よりできる子供が一人いるのだと大平は言う。

何でも、お寺の住職の子供なので、家に帰っても、親から勉強を教えてもらっているのだと言うので、その言い訳じみた言葉に激怒した米は、大平を捕まえて、ツルツル坊主に頭を剃ってしまう。

他の生徒からからかわれる大平の姿を目撃した津田先生は、米を呼出すと、拳骨を振り回すだけではダメで、母親代わりに優しくいたわる人物が必要だと諭すが、米は知らん顔。女先生自体をバカにする気持ちもあるのだ。

ある日、町のバーに出向いた米は、そこで働いていたゆきと再会する。

しかし、そこにやって来た六と孫の姿を見た米は不機嫌になり、外で待っているとゆきに耳打ちすると、すぐに店を後にする。

やがて、やって来たゆきを丸太の上に座らせると、大平のおふくろになってくれないかと、土下座をし始める。

生まれてこの方、一度も人に頭を下げた事がなかった米の必死の姿だった。

それは、とりもなおさず、自分の妻になってくれと言う求婚の言葉だと理解したゆきだったが、いつも首にしているスカーフを取ってみせて、自分は昔、駆け落ち同然で国から逃げて来た男と心中しそこなって生き残ってしまった女だと告白する。

そんな事はどうでも良い、お前に惚れているんだと懇願する米だった。

後日、ウドン屋で大平にウドンを食わせながら、米は、旅馬喰に出ようと思うので、しばらく一人暮らしになるが大丈夫かと問いかける。

大平は、大丈夫だと口では言うものの、その顔には明らかな寂しさが漂っていた。

そして、津田先生は、死んだ母親は、いつも天から見ていてくれると教えてくれたが、そんな事があるだろうかと逆に問いかけて来たので、米は、そんな事は嘘っぱちで、母親は土の中にいると答える。

雨の中、仲睦まじくウドン屋から出て来た米と大平の姿を、たまたま通りかかったゆきは目撃するのだった。

米が旅に出かけた中、一人留守番をしていた大平の様子を見に行ったゆきは、何かを書いていた大平が、その紙と風船を持って黙って外に飛び出して行くのを見る。

練習していたと思われる紙を広げてみたゆきは、大平が死んだ母親宛に手紙を書いていた事を知り涙するのだった。

その手紙を結び付けた風船を、丘の上から天に向って放す大平の姿があった。

一方、孫たちと旅を続けていた米は、時々来る大平からの葉書を旅館で熱心に読む生活が続く。

やがて、帰宅して来た米は、家の中の様子が変わっており、ゆきがいる事に気づく。

そして、遅れて帰って来た大平が、すっかりゆきになついている姿も見る事になる。

その夜、ゆきは、これからは、自分の本名であるきくと呼んでくれと米に願い出、自分は小学校に上がる年、母親が胸を患って亡くなってしまい、その後、父親との生活が嫌さに、19の時に新潟から小樽まで駆け落ちして来たのだと過去を打ち明けるのだった。

さらに、夜は一緒に寝なければおかしいと言うきくの言葉は、米と夫婦になる事を受諾したものだった。

それからは、大平の勉強や習字も、しっかりきくが教え込むようになり、今までのように、米が孫らと一緒に家で花札等をすると、激怒するようになる。

きくの教育熱心のお陰もあり、6年生になった大平(中尾純夫)は、学制発布50周年記念の模範習字を、全校生徒の前で披露するまでになる。

そんな大平は、授業中、中学への進学希望者を聞いた津田先生の問いに、迷わず手を挙げた寺の子や町長の子に釣られるように、思わず手を挙げてしまうのだった。

そんな大平の気持ち等、全く知らない米は、小学校を出たら馬喰への道に歩ませようと、馬の世話の仕方をみっちり教え込んでいる最中だったが、家を訪れて来た津田先生が、中学受験の為の参考書を渡して帰ったので、始めて事情を知り激怒するが、きくは、このまま馬喰をやらせても将来性はなく、今や、組合に残っているのは、孫とあんたの二人だけで、その孫もどう言う生活をしているのか考えて見なさいと説得するのだった。

しかし、頑固一徹の米は、そんな言葉には耳を貸さず、その後も、徹底的に大平に馬の世話をやらせ、彼が隠し持っていた参考書を見つけると、奪い取って破いて捨てるのだった。

そんな米の元に、孫が刺されたという知らせが届く。

駆け付けてみると、もう孫は虫の息で、自分達本物の馬喰二人だけが持っている鑑札を見せてくれと言うので、米が取り出してみせるが、もう孫は息絶えていた。

そんな米に、その場にいた孫の女房は、鑑札なんて何の役にも立たない、赤ん坊の乳代にもならない、こんな生活に追い込んだのはあんただ、もう来ないでくれと罵声を浴びせる。

その夜、酔って帰宅した米は、大平とにらみ合うと、馬喰を卑しい商売だと思っているのかと問いかけるが、思っていないと聞くと、それで良いと満足げに頷く。

そして、14の時、父親に付いて網走から北見に出て来て、苦労を重ね荒れた土地を開墾して、今に至った苦労話を聞かせると、お前は中学に行け、北見馬喰は俺一代で終りだと続けるのだった。

その夜、目覚めたきくは、寝ている大平の顔に、眼鏡とヒゲの落書きをして、それを跨いで、末は学者になれと呟やきながらジッと見つめている米の姿を発見し、笑いながらも胸に迫るものを感じるのだった。

後日、馬が病気である事を作文を読んで知った津田先生が、奨学金をもらえるようにと、申請書を携えてきくを訪れて来る。

その心遣いに礼を言って先生を見送りかけていたきくは、突然咳き込み、その場に崩れ込んでしまう。

驚いた津田先生が、その身体を支えると、すごい高熱である事が分かる。

一方、六に呼出された米は、大平の学費として50円出すから、明後日の馬市共進会でうちの馬が金賞をもらえるように審査に手心を加えてくれと持ちかけていた。

どうやら、他の審査員になる農林省のお偉方には、すでで金で承服させている様子。

提示された金には、正直咽から手が出るほど未練があったが、俺は馬車馬みたいに真直ぐしか走れないと言い、米は立ち去ってしまう。

そんな両親の苦労を影ながら察していた大平は、ある日、自分はもう中学へは行かず、馬喰になると言い出すが、それを聞かされたきくは泣き出すのだった。

しかし、後日、小笠原から、六から金を受取っている米の姿を観たと聞かされたきくは、帰宅して来た米に、馬喰から意地を取ったら、何が残るのかと詰め寄る。

そして、自分の母親の形見だった懐剣を売って得た金を、米に渡すのだった。

その頃、既に始まっていた共進会では、六の馬が金賞を受取ろうとしていたが、その場に待ったと声をかけてやって来た米は、六が手にした金杯の中に、六から受取った金を放り投げると、金で動いた役人たちに嫌味を投げかけた後、自分が自ら選んだ馬の前に、金賞の立て札を刺すのだった。

その頃、小笠原と留守番をしていたきくは、喀血して倒れる。

その後、いよいよ、中学の寄宿舎生活に出発の日を迎えた大平に、かいがいしく準備をしているきくの姿があった。

まだ、身体は辛そうだったが、案ずる大平に心配いらないと気丈な所を見せる。

そして、米と一緒に馬で駅に向う途中、丘の白樺の所に連れて来られた大平は、米と一緒に木の上に登り、見慣れた周囲の町々を眺めた後、札幌に行ったら、10日に一度でも良いから葉書を寄越せと頼んだ米は、かつて小学校に入学する時と同じように、大きな声で大平の名を呼ぶが、大平もそれを覚えていて大声で答えるのだった。

その後、一人で駅に行けと言われた大平は、津田先生や級友たちに見送られて列車に乗り込むが、走り出した列車を、馬で追い掛ける米の姿があった。

やがて、列車に並ぶと、気づいて窓から手を振る大平に、最後の言葉をかける米。

やがて、馬を降りた米は、遠ざかって行く列車の音を大平の心臓の音のように聞こうと、レールに耳を押し付け、しばらく音を聞いた後、立ち上がると、小さくなった列車の後ろ姿に向い「大平よ〜!!」と絶叫するのだった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

三船敏郎主演の大映版「馬喰一代」(1951)に次ぐ、二度目の映画化。

どこか「無法松の一生」にも似た、無学で乱暴な男が、一人で子育てをする事になった為、ひたすら子供に愛情を注ぎ込むが、やがて、その息子と別れを迎えなければならなくなる…と言う、限り無い父子愛を描いた感動作。

米という本作の主人公は「無法松〜」も演じた三船には正にうってつけの役柄に思えるが、本作で演じている三國連太郎も見事に演じ切っている。

大平の幼年時代を演じている金子吉延は、もちろんテレビ特撮もの「仮面の赤影」の青影役で有名な天才子役。

この作品当時から、その名は映画界に知れ渡っており、本作も、彼を念頭に置いた企画だったようだ。

その自然な演技が、廻りの大人たちを全部食ってしまうので、役者魂に燃える三國連太郎などは、いつも以上に負けじ魂を見せて、場面ごとにあれこれ工夫を凝らしていたとも言う。

気丈なゆき役を演じている新珠三千代、仇役を演じる西村晃や渋い味を出している多々良純ら脇役陣も印象深い。

馬市等の描写も、本物を撮っているのではないかと思わせるほどの自然なエキストラ陣。

劇中、重要な場面として登場する白樺の木は、別の場所から、根を切って来たものを丘に置いただけだったので、木の葉が枯れないうちに、急いで撮ったと言う。

また、後半のシーンでは、最初に置いた場所からは、廻りの町の様子がうまく入らなかったので、スタッフ総掛かりで、移動したと、監督自ら語っておられた。

ちなみに、金子吉延君の役は、途中から別の子役に交代するが、最後の列車のシーンでは、金子君もちゃっかり乗っていたと、金子氏自身が打ち明けてくれた。

三國の記憶はあるが、新珠三千代に抱きついていた等と言う、何ともうらやましい記憶は、御本人には何故かないのだそうだ。

坊主にされるシーンは、出演最後の日に本当にかみそりで剃られたそうで、学校に行った後、虐められないようにと、スタッフからカツラをもらったと言うエピソードも教えて下さった。

その金子氏も、子供時代以来、久々に見た本作が、こんなにも感動作だったとは知らなかったと言っておられたが、まさしく名品である。