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王と鳥

1980年、アンデルセン「羊飼い娘と煙突掃除人」原作、ジャック・プレヴェール脚本、ポール・グリモー脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

大きな鳥が観客に向って挨拶をする。

タキカルディ王国のシャルル5+3+8世は、国民も家来も、とにかく廻りのみんなが大嫌い。

狩りが唯一の気晴らしと言う孤独な人であった。

今日も、一人で的を狙い、銃の練習。

的のすぐ近くで待機している防護服を着た家来が、全く当っていない的に、素早く千枚通りで穴を開けてやって、それを王に見せたりしている。

そんな王の狩りの犠牲になりかけていたのが、駕篭に捕まった小鳥。

楽団が音楽を奏でる中、すでに猟銃を構えている王。

しかし、小鳥は、自分の運命を察知しているのか、外に出ようとしないので、家来が何とか空に放そうと駕篭を振ったりしてしている。

それを空から目撃していた大きな鳥は「人殺し〜!」「汚い男だ!」と王を罵り、小鳥を助けてやる。

そんな王は、エレベーター完備の巨大なビルのような城に住んでいた。

今日は、王の肖像を描く画家が招かれ、ものすごい素早さで仕上げて行くが、問題は、最後に残された眼の部分。

王の眼は、誰が観ても「寄り目」なのだ。

それを「リアル」に描くか、「美化して」描くか、見守る側近たちも画家の動向を注視していたが、結局、画家は、見た目通りに「寄り目」に描く。

その完成画を観た王は、画家に褒美として勲章を授けた後、部屋を退出して行った画家が、外の廊下を歩き始めたところで、落し穴の開き、画家を落としてしまうのだった。

そんな王は、城の297階に、誰にも入らせない秘密のアパルトマンがあった。

その部屋の棚の中には、秘密の部屋に通じる隠し戸があり、王はそのドアを開いて、自らのプライベートルームに行っていくのだった。

プライベートルームには、多くの壁画や彫像が置かれており、その中に、先ほど描かれた「寄り目の肖像画」も置かれていたので、王は、自ら絵筆を取り、その眼を「普通の眼」に描き直してしまう。

そして、改めて、自分の素顔を大鏡に写し、醜い「寄り目」をそのまま映している鏡を壊してしまうのだが、その様子を窓の外から観ていた大鳥が、現実を受け入れようとしない王を嘲るように笑うのが見えた。

その夜、王がその部屋のベッドで寝ていると、急に、部屋に置いてあった、白馬に乗った老人の彫刻が動き出し始める。

隣り合った壁画の中の人物も動き始め、恋の言葉を囁きはじめる。

描かれていたのは、羊飼いの娘と煙突掃除の青年。

白馬に乗った老人は、二人の言葉を聞いて、互いの身分が不釣り合いだと忠告する。

こうした室内の異変に気づいたのか、王のベッドの下で寝ていた子犬が目覚め、唸りはじめる。

煙突掃除の青年は、自分の絵を抜け出すと、隣の羊飼いの娘の絵の中に入り込む。

そんな中、あの王の肖像画も動きだし、羊飼いの娘に色目を使いはじめる。

羊飼いの娘と煙突掃除の青年は、壁画から抜け出すと、部屋の中から脱出しようと出口を探すが、暖炉の火が燃えていて逃げだせない。

すると、暖炉の上に飾ってあった水瓶を持った女神の像が動きだし、水瓶の水を流して、火を消してくれた。

娘を追おうとする王は、彫刻の老人を落とすと、自ら白馬の石像に跨がり、絵の中の湖に飛び込んで行く。

馬から落とされた老人の像は、目覚めた本物の王に文句を言うが、王はチェス盤のスイッチを押すと、落し穴が開き、老人は落ちて行ってしまうのだった。

その時、絵の湖の中から、肖像画の王が出て来たので、驚いた本物の王は、城内警察を呼ぶ呼びスイッチを押すが、警察隊が駆け付ける間に、肖像画の王に落し穴のスイッチを押されてしまい、自らその中に落ちて行ってしまう。

そして、駆け付けて来た警官たちに、何食わぬ顔で、逃げた羊飼いの娘と、煙突掃除の青年の二人を捕まえて来るように命ずるのだった。

警官たちに、王が、別人にすり変わっている事等気づき様もなかった。

その頃、はじめて外に出た羊飼いの娘と煙突掃除の青年は、城の天辺に腰掛け、大きな空や世界を見渡して幸せに浸っていた。

その時、屋根の一角に仕掛けられた罠に引っ掛かっている小鳥を発見する。

以前、王の狩りの標的になりかけていたあの小鳥だ。

又性懲りもなく、罠のエサに引っ掛かってしまったらしい。

罠は、屋根の端にかろうじて置かれてある状態で、ちょっとでも動けば下に落下しそう。

煙突掃除の青年は、その罠の所まで伝って行き、何とか、小鳥を救出してやる。

それを観ていた大鳥は、青年と娘に礼を言って、自分の子供である小鳥たちの兄弟に、「世界の不思議」と題する歌を歌わせるのだった。

その歌には、太陽の廻りを地球が廻っていると言った、世界の不思議のあれこれを教える教育的な内容が詰め込まれていた。

そんな鳥たちと、二人の恋人に、城のアナウンスが聞こえて来る。

何でも、美しい羊飼いの娘と、ろくでなしの煙突掃除の青年に莫大な懸賞金が付いているので、全員捜せというものである。

それを聞いた大鳥は、今後助けが欲しい時は「鳥さん」と叫べば、どこへでも駆け付けると二人の恋人に告げる。

すぐさま、羊飼いの娘と煙突掃除の青年は逃避行を始める。

それを追う、城内警察の面々。

飛行船が二人の姿を発見、あわやと言う所で、青年は鳥を呼び、二人は警官たちが乗った壁面エレベーターの重りに捕まり、下に降りる事に成功。

ドタバタ劇の末、二人の恋人を取り逃がした警官たちが、ススだらけになって、王に報告に来るが、リモコン移動椅子に座った偽の王は、落し穴を開き、無能な警官たち全員を落としてしまうのであった。

王は、運河が流れる階で、玩具ボートに乗って追跡を始める。

彫刻が集められた美術室に逃げ込んだ恋人たち。

しかし、そこにも、二人を探せと言うアナウンスが聞こえきて、それを聞いた守衛は二人を怪しみだす。

結局、その守衛の報告により、王と警官たちに追い詰められ、ベランダの彫像の背後に隠れた二人は捕まりそうになるが、又しても鳥を呼び、集まった無数の鳥たちが集まって、追跡隊の眼から恋人たちを隠すように、巨大な彫像の姿になってくれたので、難を逃れる事になる。

逆に、通報した守衛は、無駄足を踏ませたと、警官に殴られてしまう。

しかし、その守衛、又、二人の姿を発見して、大声で警官たちを呼びはじめる。

階段を掛けおりる恋人たち。

翼を付けた飛行警官たちがその後を追う。

二人の恋人は、下層市街に乗り込むが、その様子を、壁に溶け込んで潜んでいたスパイに目撃されてしまう。

王たちは、滝に乗って下層階に降りて行く。

その頃、あの小鳥が、水辺で又しても罠にかかっていたが、今度は王の愛犬に助けられていた。

王は、巨大ロボットに登場し、二人を追い掛けはじめる。

その頃、下層市街に迷い込んでいた恋人たちは、下層階級の人々と出会う。

彼らは、生まれてこのかた、一度も地上の世界と言うものを観た事がなく、特に盲目のアコーデオン弾きは、自分達が目撃した太陽や鳥たちの事を語る恋人二人の話を聞き感動するのだった。

そこへ、突如、町を破壊して巨大ロボットが登場。

捕まった二人は、すでに捕まっていた大鳥のいる牢へ入れられるが、巨大ロボットは、二人の恋人を手の平に摘まみ上げると、王は、羊飼いの娘に、自分の妃に成らなければ、煙突掃除の青年をライオンやトラたちのエサにしてしまうと脅して来る。

やむを得ず、承諾する娘。

すると、巨大ロボットの胸が開き、その中に供えられていたパイプオルガンが、結婚行進曲を奏ではじめる。

その後、大鳥と煙突掃除の青年は、強制労働をさせられる事になる。

強制労働の工場内では、王の姿をかたどった彫像や王冠などが、ベルトコンベア式に無数に作られていた。

煙突掃除の青年は、同じ王の顔の絵を再現なく描く仕事を押し付けられていたが、やがて、いたずら描きをはじめ、それを検査係に発見されてしまったので、不敬罪として、大鳥と共に、ライオンやトラら猛獣が飼われている動物園に送られてしまう。

そこには、あの盲目のアコーデオン弾きも入れられていた。

ライオンたちは、青年を食べようと迫って来るが、その時、木の上にいたアコーデオン引きが陽気な曲を奏ではじめたので、一斉に踊り始める。

やがて、青年の恋人が王にさらわれ、無理矢理結婚式を挙げさせられそうになっていると聞かされた猛獣たちは、一斉に、青年に同情して決起すると、動物園を抜け出し、市街地へと行進して行く。

その頃、城の広間では、大勢の来賓の中、王と羊飼いの娘の結婚式が行われていた。

結婚の誓いを口にしない娘に代わり、後ろに控えていた警官が姫の声色を使って承諾の返事をするが、王は、その出しゃばり行為を嫌ったのか、口封じの為か、その男も床下の落し穴を開け、落としてしまうのだった。

しかし、その大広間に、猛獣たちがなだれ込んで来る。

その騒ぎを知り、窓から脱出した王は、巨大ロボットに乗り込むが、運転席にいたのは大鳥だった。

大鳥は、巨大ロボットをムチャクチャに操り、城を破壊しはじめる…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

若き日の宮崎駿や高畑勲が感銘と影響を受けた「やぶにらみの暴君」(1950)というアニメ作品の、作者自身による完成版。

支配するものの孤独と狂気、支配されるものの無力感と抵抗を描いた風刺作品。

あちこちに、後の宮崎作品への影響が伺われ、そうしたイメージを探す楽しみもある。

一番分かりやすいのは「ルパン3世 カリオストロの城」との相似だろう。

未見だが、元々の「やぶにらみの暴君」の方が完成度は高かったらしく、作者自身が手を加えて、後年完成させたこの作品は、様々な暗喩は感じられるものの、一本の映画としては、やや散漫な印象のものになっているような気がする。

ディレクターカットと言うのが、往々にして、作者の思い入れに偏り過ぎて、陥りがちな例にもれなかったと言えよう。

前半は、丁寧な描画なのに、後半、特に、動物園での猛獣たちの描写が、明らかに荒く感じられるのは、そうした追加処理のせいかも知れない。

それでも、全体的なフルアニメの流麗さ、豊かなアイデアやイメージで、十分楽しむ事ができる事は確か。

子供は子供なりに、大人は大人なりに、別の楽しみ方ができる作品だと思う。