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女獄門帖 引き裂かれた尼僧

1977年、東映京都、島守俊夫「女地獄獄門帖」原作、志村正浩脚本、牧口雄二監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

雪山の中、独り逃げる女おみの(田島はるか)は、雪を掘ってフキノトウを見つけると、それにかぶりつく。

さらに、こ○きの子と、子供達にはやし立てられながら寄った村では、大根を盗んでかじり付く。

そのおみの、すれ違った旅人に「悠月院を知っているか?」と尋ねるが、土地の者ではないので知らないと言われる。

とある町の飯屋の前に来たおみのは、立食い客が道に吐き出したものを拾って、むさぼり食らうが、その飯屋に少し遅れて入って来た二人連れの男の姿を観て、店の横に身を隠す。

二人の男は、足抜けした女郎のおみのを追って来たくちなわの弥太八(汐路章)とその子分格の蛾次郎(佐藤蛾次郎)だった。

おみのは、その二人から、すでに年期が終わっているのに、さらに五年間も品川の女郎宿で働く約束になっていると、無理難題を押し付けられ、拷問を受けていた頃を思い出していた。

弥太八は、おみのに惚れていたらしく、拷問の後、抱こうとするが、肝心のものが役に立たない。

蛾次郎に、おみのの身体の方を押させて何とかしようとするが、どうにもならない。

その夜、馴染み客の沢吉(小林稔侍)に抱かれながらその話をすると、沢吉は酷い話だと同情してくれたので、一緒に逃げてくれとおみのは頼む。

足抜けに加担するのには気が乗らない様子の沢吉だったが、上州妙来山に悠月院という女の駆け込み寺があると教える。

その夜、宿から一緒に逃げ出しかけた二人だったが、外で待ち受けていた弥太八らにすぐに捕まってしまう。

沢吉は、俺は嫌だったが女に頼まれたので仕方なく…と、卑怯な言い訳をするが、非情な弥太八から、その場で刺し殺されてしまう。

その一瞬の好きを見て、おみのは逃げ出し、橋の下の川に浸かり、追っ手の目をごまかしたのだった。

回想から覚めたおみのだったが、窓の外から覗いている所を、弥太八らに見つかってしまう。

その後、追って来た二人は、神社で休んでいた旅の商人に女を見なかったかと尋ね、その教える方向へ去って行く。

しかし、その商人の背後に、おみのは隠れていたのだった。

おみのは、その商人から握り飯をもらい、それにむしゃぶりつくと、悠月院の事を聞くが、やはり知らないと言われる。

匿われた上に、握り飯までもらった礼として、自分を抱いても良いと申し出たおみのだったが、もっと自分を大切にしろと真面目な返事をされたので、プライドを傷つけられた腹いせに、捨て台詞を吐いて、一人山を登りはじめる。

やがて山中で、食事中だった二人連れの漁師(片桐竜次、野口貴志)に出会ったおみのは、又しても、悠月院の場所を聞くが、二人は知っているらしく、飯を喰わせてくれた上に、自分達が途中まで送って行ってやると言う。

食事の後、おみのが近くで小用を済ませていると、その二人の漁師が襲って来る。

犯された後、傷だらけになりながら、その後も一人山を登っていたおみのは、崖から転がり落ちる内に、とある山門の前にたどり着く。

そこには、あれほど探していた「悠月院」の文字が!

山門には、桂秀尼(折口亜矢)と名乗る美しい安寿が立っており、優しくおみのを迎え入れてくれ、自分が娘時代に着ていたと言う着物を着せてくれる。

おみのは、地獄絵図が描かれた屏風の裏から出て来た少女を見つける。

桂秀尼の説明によると、人見知りをするお小夜(佐藤美鈴)という娘で、誰にも口を聞かないのだと言う。

その後、おみのは、おかじ(ひろみ麻耶)、おつな(芹田かおり)、おとく(藤ひろ子)という三人の尼を紹介される。

物おじしないおみのが、さっそくおとくに、あの桂秀尼というのはどういう人なのかと尋ねると、昔は旗本の娘だったが、次々に男に騙されてこの寺にたどり着き、先代の安寿様に助けられたのだと言う。

さらに、お小夜は、その桂秀尼が北陸をたく鉢中に拾って来たのだとも。

その夜、おみのが寝ている頃、おかじはペットの蛇に鼠を食べさせ、おつなはペットのタマを可愛がり、おとくは一人飲み食いし、桂秀尼は、お小夜を横に侍らせ、阿片を吸っていた。

その尼寺の庭には、芥子の花が咲き乱れていたのだ。

そんな夜更け、助けを求める男女の声が聞こえて来る。

桂秀尼が出てみると、駆け落ちして来たと言うお絹(内村レナ)と嘉助(五十嵐義弘)という若い男女。

桂秀尼は、最後の別れを惜しんでくれと、ある部屋で泊めてやる事にするが、二人がその部屋で愛しあった翌日、おみのは、嘉助の行方を桂秀尼に問いただすお絹の姿を目撃する。

お小夜、おとくらと風車を作っていた桂秀尼は、今朝一人で旅立ったと答えるが、そんな言葉に納得しないお絹。

不審に思ったおみのは、そんなお絹を連れて、おかじとおつなにも聞こうと部屋に入るが、ちょうど二人は、女同士で愛しあっている最中だった。

良い所を邪魔されたおかじは、嘉助の事等知らないと言い、二人にペットの蛇たちを投げつけてくる。

小夜に聞いてみると、黙ってタバコ入れを投げて来るが、それは嘉助のものだった。

これをどこで見つけたとさらに尋ねると、ある方向を指差すので、そちらに行ってみると、そこでは、顔が白く無気味な寺男(志賀勝)が、得体の知れない獣の骨を切断して、大きな鍋で煮込んでいた。

夕べ、猪が罠にかかったと言うと、骨付きの肉を小夜にも食べさせる。

その異常な様子を見たお絹は、絶叫しながら寺に逃げ帰る。

それを追ったおきぬは、寺の中で首を吊っているお絹を発見する。

おみのは、集まって来た桂秀尼らに嘉助の事を再度尋ねるが、答えはなく、お絹も殺されたのではないかとの疑念が湧き、こんな所に来るんじゃなかったと叫ぶと、そのまま寺から逃げ出してしまう。

しかし、山の中で遭遇したのは、何時か襲われた漁師二人だった。

二人に再び犯されそうになったおみのは、結局、元の悠月院に舞い戻るが、寺の中まで追い掛けて来られ、一人に捕まって犯されそうになる。

しかし、おみのに組み付いた男に、入って来たおかじが突然飛びつき、その首筋を食いちぎってしまう。

他の尼たちも、部屋に入って来る。

桂秀尼が投げ付けた数珠が、もう一人の男の首に絡み付き、その男の背後にあった扉が開くと、その中には、僧衣をまとったミイラが安置してあった。

おみのは、桂秀尼に言われるまま、渡された槍で、その男を刺し殺してしまう。

その後、荷車に積んだ二体の死体を、川に捨てる寺男の姿があった。

桂秀尼は、夕日を背景に阿片を吸いながら、おみのを抱いていた。

現世は女にとって地獄そのもの。その供養の為、男を生贄に捧げる…、それがこの尼寺の掟だと説明する桂衆尼。

お小夜は、芥子の花を乾かし、阿片に加工していた。

そんな悠月院へ、くちなわの弥多八と蛾次郎がやって来て、ここにおみのが来ているのは分かっているから出せと迫る。

応対した桂秀尼は、ここは縁切り寺なので渡す訳にはいかないときっぱり拒絶するが、聞く耳を持たない弥多八らは、ずかずかと寺の中に上がり込んで来る。

すると、待ち構えていた他の尼たちが、廊下に大量の竹筒を転がし、それに足をとられて転んだ二人は、たちまち尼たちから捕えられ縛り上げられ、徹底的にいたぶられる事になる。

弥多八は、おみのの姿を見て、助けてくれと哀願するが、おみのは、これまでの自分に対する仕打ちをなじる。

尼たちの慰みものになった弥多八は、泡を吹いて気絶してしまう。

その後、今度は、おみのが道中助けてもらったあの商人が、足を挫いてしまったと悠月院を訪ねて来る。

その姿を門前で見つけたおみのは、ここは危険な所だから、すぐに帰るように説得するが、桂秀院らに発見され、そのまま商人は寺に泊めてもらう事になる。

お小夜がもってきた夕食の膳も、商人が箸を口に運ぶ寸前でひっくり返して食べさせないようにするおみの。

そんなおみのに対し、商人は落ち着いて、実は自分は代官所の隠密廻り伊三郎(広瀬正)だと正体を明かすのだった。

その夜、おとくは一人で祈祷をし、桂秀尼はいつものように阿片を吸いはじめる中、おみのは伊三郎に抱いてもらう。

そして、入浴中の桂秀尼の所に、伊三郎だけは助けてやってくれと頼みに来たおみのの言葉から、彼女が伊三郎と寝た事を知った桂秀尼は、汚らわしいけだものは、この世から抹殺しなければならないときつく言い含めるのだった。

がっかりして、部屋に戻って来たおみのが見たものは、首を切断された伊三郎の裸の身体だった。

思わず、台所の水瓶に水を飲みに走ったおみのだったが、その水が赤く染まっている事に気づき、水瓶の中を覗き込むと、底に、十手を加えた伊三郎の生首が沈んでいた。

おみのは、幻想的な空間の中で、他の尼たちから拷問を受ける。

翌日、寺男が、いつものように死体の切断を始める。

そんな中、おつなは、可愛がっていた猫のタマが吊り下げられて死んでいるのを発見、思わず、おかじの仕業と思い込み、おかじのペットの蛇が入った小箱を持ち出すと、寺男が骨付き肉を煮ていた大鍋の中に蛇たちを全て放り込んでしまう。

それを目撃したおかじは逆上し、寺男が喜ぶ中、おつなと壮絶な掴み合いの喧嘩が始まる。

そして、おかじは、おつなを崖下に突き落として殺してしまうが、その直後、隠れていたおみのから槍で突き刺されてしまう。

崖下に落ちた槍に付着してしていた血を発見したのは、お小夜だった。

それを聞いた桂秀尼は、おみのが全て計った事だと気づき、彼女を捕まえると折檻するのだった。

しかし、その後おみのは、捕まえられていた弥多八と蛾次郎を助け出すと、桂秀尼を血祭りにあげるように命ずる。

不承不承承知した弥多八だったが、蛾次郎の方は、意識朦朧とした状態で逃げ出そうとして、おとくが祈祷している所へ迷い込んでしまう。

そのあげく、蛾次郎は、捕まったおとくの胸乳をムリヤリ飲ませられ、又しても気絶してしまうのだった。

一人で花を活けていた桂秀尼の部屋に忍び込んだ弥多八は、鎌で、彼女の背後から斬り付けるが、倒れた桂秀尼の顔は蛾次郎に変わっていた。

逆に、弥多八は、どこから現れたのか、鎌を持った桂秀尼から斬り付けられ死んでしまう。

おみのは必死に寺の中を逃げるが、そこにはおとくが待ち構えていた。

おみのは、手近にあった祈祷用の火薬を火の中に投げ付け、大爆発を起こす。

火はたちまちの内に寺の中を焼きはじめ、着物に火がついたおとくは転げ回った後、天井から下がっていた天飾りが落ちて来て圧死する。

おみのは、鎌を持った桂秀尼から襲われ、身体を斬りつけられるが、鎌の刃の部分が床に刺さって抜け落ちてしまったのに気づき、必死でその刃を抜くと、再び乗りかかって来た桂秀尼の腹にその刃を突き立てる。

やがて、室内の火の手は大きくなり、隠し扉に燃え移ると、その中に安置してあったミイラが突如立ち上がり、生きているかのように手を広げたかと思うと、そのまま炎に焼かれて行く。

放心状態のおみのの背後に忍び寄ったお小夜は、庭造り用の鋏で、おみのの背中を突き刺すのだった。

お小夜は、燃え盛る寺の中で、桂秀尼に拾われ、雪山の中を旅している途中、男に襲われ、二人して、その男を殺害した過去を思い出して、うっすら微笑むのだった。

その後、悠月院は燃え落ち、雪の中を独り歩いて行くお小夜の姿があった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

エログロナンセンスの見本のような珍品時代劇。

一応成人映画だが、今となっては、そのハチャメチャなグロ表現の方が強烈で、お色気表現の方は付け足しのようにも思えてしまう。

冒頭、あっという間に殺されてしまう、気の弱いヤクザに扮している小林稔侍や、白塗りの無気味な寺男を演じている志賀勝、さらに、悪役と言うよりも、コメディリリーフのような役柄を演じている汐路章や佐藤蛾次郎らのおとぼけ演技が印象的。

首を切断された伊三郎のシーンは、なかなか特殊メイクとしても良く出来ているシーンだと思う。

後半は、何やら、山田風太郎原作の忍術映画でも見るような破天荒さで、理屈で考えながら観ていると付いていけなくなる。

もうお色気表現等はそっちのけ…と言った感じだ。

ある種のトンデモ映画とでも言うべき怪作だろう。

この時代の東映製成人映画は、ある意味、新東宝のエログロ映画とは、又一味違った、独特の魅力に溢れている。