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寝ずの番

2006年、光和インターナショナル、中島らも原作、大森寿美男脚本、マキノ雅彦監督作。

これは、比較的新しい作品ですが、最後まで詳細にストーリーを書いています。さらに、かなり下品な下ネタ満載ですので御注意下さい。コメントはページ下です。

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歌いながら手術中の執刀医が、うっかり手元を滑らせて指を傷つけたのか、「この患者、B型かかってないだろうな?」と他のメンバーに確認する。

「医者も、命がけで手術しているんや」。

入院していた上方落語界の重鎮、笑満亭橋鶴(長門裕之)の妻志津子(富司純子)が、息子の橋弥(岸部一徳)に、師匠の余命が幾許もない事を伝える。

その言葉が、橋弥から一番弟子の橋次(笹野高史)に、さらに、橋太(中井貴一)、橋枝(木下ほうか)、橋七(田中章)と、病院に集結した弟子たちに順々に伝えられる。

病室に入った橋次は、師匠に対し「何か、心残り…」と言いかけて、廻りから「心残りと言う表現はまずいやろ」と突っ込まれ、慌てて、今、何かしてみたい事がないかと尋ねる。

師匠の口が動く。

聞き取りにくい言葉を確認しようと、橋次が師匠の口元に耳を近付けると、「そ○が観たい…」と聞こえた。

すぐに、病室の入口付近に集まっていた弟子たちを集め、橋次は「大したもんだ、師匠はおそそが観たい、言うてはる」と伝え、善後策を協議しはじめる。

途中、師匠の横でそれとなく会話を聞いていた志津子が、あの〜…と、声をかけるが、夢中で協議している弟子たちの「とにかく若い子でなくてはダメだ」と言う強い声を聞き、志津子は面目丸つぶれ。

結局、一番適役なのは、橋太の妻茂子(木村佳乃)に頼むのが一番という結論になり、当の橋太は大慌て、内は恐妻家だから無理と断わろうとするが、他に適当な候補もいないので仕方なく引き受けさせられてしまう。

チャリで、自宅アパートに帰って来た橋太は、その事を妻に頼むが、案の定、激怒されてしまう。

しかし、そこは得意のヨイショ術で適当におだてて、ようやく承知させる事に成功した橋太だったが、人前で脱ぐのは恥ずかしいと、その場でパンティを脱ぎはじめた妻の姿につい欲情し、昼日中から一戦交える事に。

その二人が病室に到着すると、橋次が俺だけは一番弟子だからと、訳の分からない理由で病室に残ると言い出し、文句を言う他の弟子たちと志津子を病室から出す。

そして、橋次が師匠の目に眼鏡をかけさせると、ベッドの上に跨がった茂子は、師匠の頭の近くまで進み、思いきってスカートをたくしあげる。

しばらくして、茂子に合掌して礼を言った橋次は、師匠の眼鏡を取りながら、どうでしたか?と尋ねるが、師匠は「わしは、外が観たい言うたんじゃ、アホ!」と叱られる。

その3分後に、橋鶴師匠は他界する。

タイトル。

通夜の準備の席、弟子たちは、新聞に掲載された師匠の死亡記事を観て、あらためて、その偉大さを再認識していた。

台所では、料理や酒の準備をしている橋弥の妻、多香子(土屋久美子)と茂子、橋七の妻美紀らが、病院でのおそ○事件を話題に盛り上がっている。

やがて客たちは帰り、落語作家の小田先生(石田太郎)もやって来て身内だけになったので、志津子は、今夜は無礼講でいきましょうと勧める。

橋次が音頭をとって乾杯となり、色々師匠を巡る思い出話が始まるが、やはり、先日のおそ○事件の話から、淡路島での「おちゃこ事件」の話題へと話は繋がる。

その話に興味を抱いたように、見知らぬ中年男(蛭子能収)がテーブルに近づいて来る。

何でも、志津子の親戚筋の人間なんだそうだ。

おちゃこと言うのは、落語の世界では、咄家と咄家の合間に座布団をひっくり返したり、演者名を書いた紙をめくる係の事、ところが淡路島の方では、これが女性器やSEXを意味する言葉だったので、地元で公演を開く時、地元の女の子が手伝いに来たので、師匠が何気なく「おちゃこでもしてもらおうか」と頼むと、その女の子は恥ずかしがって逃げ出したというのだ。

その女の子を追い掛けて、堤防までたどり着き、事情を説明しようとして海に落ちてしまったのが橋七で、それがきっかけになって、橋七と結婚した女の子と言うのが、今の美紀なのだと言う。

これは身内で「チャコの海岸物語」という逸話になっているらしい。

それを聞いていた志津子の親戚なる中年男が、それはおめでとうと言うと、すかさず、金髪頭の橋枝が、通夜の席で「おめでとう」は禁句だと注意する。

しかし、さっき橋次が乾杯の音頭を取る時、「祝して…」と言っていたではないかと、その男が反論すると、あれは身内の洒落だから構わないので、部外者はダメなのだと言う。

橋次が、ある時、講座がはねた師匠から、今夜暇かと尋ねられたので、飲みに連れて行ってもらえると喜んで空いてますと答えると、だったらさったと帰れと言われたという逸話を披露したのを聞いた息子の橋弥が、寂しそうに、俺は一度も、飲みに連れて行ってもらった事もなければ、落語をまともに教えられた事もなかったと愚痴りはじめる。

息子であるだけに、依怙贔屓しているように思われたくなかったのだろうが…という橋弥に、橋枝が、師匠はあんなには才能がないと言っていたと嫌味を言う。

それに怒った橋弥に対し、橋七は、兄さんは5秒でネクタイが結べるので尊敬しているとお愛想を言うと、急に橋弥は機嫌が良くなってしまう。

その橋七が、去年の2月、地方公演にお供した時、駅の中で、師匠が急に便意を催してきたが、慣れない構内で便所を捜しまわっている内に、とうとう便所の入口で洩らしてしまったという逸話を話す。

それを聞いていた石田先生は、師匠は酒を良く飲んでいたから、慢性的なゲリだったのだと説明し、実は以前、通常なら一時間はかかる「地獄八景亡者戯」という大ネタを演じた時、途中から、急に話のテンポが早くなり、35〜6分で終わってしまったので、新しい趣向かと後で聞いたら、話をはじめた途端、ババ(大便)がしたくなっただけだと、師匠からさらっと打ち明けられた逸話を語る。

そんな話を聞きながら、台所にいた茂子が、螢にでもなって師匠が戻って来ないかとロマンチックな話をすると、その横で多香子が蚊を叩き潰していた。

そんな中、橋枝が、煮物の中に入っている昆布は、通夜の晩に食べたらいけないなど、蘊蓄を語り出したので、みんなが感心しながらも、何でそんなに通夜の作法に詳しいのかと尋ねると、僕の廻りでは何故か葬式が多いのだと打ち明け話を披露する。

そんな自分が一番悔しいのは、自分の通夜の様子を自分で観れない事だと言う。

自分が死んだら、天井の片隅からでも自分の通夜の様子を覗きたいくらいだから、今夜も師匠は観ているかも知れないと話した途端、供えてあったロウソクの火が二本とも消えてしまう。

酔った橋弥は、どうした訳か、急に妻の多香子に抱きつき、はねつけられる。

橋太は、昔、自分の話が、師匠を感動させた事があると話しはじめる。

韓国料理屋に師匠と行った時、「カオリフェ」という聞き慣れぬ品書きが壁にかかっていたので、師匠がその意味を聞いて来たので、橋太は「エイ」の事だと教えるのだが、そのついでに、実は、自分の初体験の相手は「エイ」だったという話を披露する事になる。

子供の頃から、「エイ」の性器は人間のそれと似ていると親父に常々聞かされていたので、自分の初体験は「エイ」としてみようと決意した18才の橋太は、和歌山まで出かけ、漁船に乗せてもらってエイを釣りに出かけた所、運良くすぐに捕れたので、その漁船の上でやってみたと言う。

その話を聞いた師匠が感心して、それで、エイのはどうやった?と聞いてくれたと言うのだ。

その時は、女性を知らなかったから、比較しようもなかったので答えられなかったが、今考えると、冷たかったと、回想から覚めた橋太は答える。

それを側で聞いていた茂子は、呆れたように「私は、エイと兄弟か!」と突っ込む。

その内、誰ともなく、師匠が金が余っていた3年前、どうせ税金に取られるくらいなら、福利厚生と言う事にしてハワイに出かけた時、アラモアナセンターの二階にあった「ジャバジャバ」という喫茶店で、急にマリファを吸いたいと言い出した出来事の事を話しはじめる。

仕方ないので、橋七があちこち走り回って、ようやく手に入れたマリファナ、あちらではプッシャーというそうなのだがを、ホテルの一室で一門全員が吸ってみたと言うのである。

ところがさっぱり効き目がない。

妙だなと思いながらも、2本目を吸い終わって、全員が昼食を食べはじめた時、急に橋弥が笑いはじめ、それに橋太も吊られはじめ、笑いが止まらなくなる。

やがて、師匠が、橋次の頭に輪っかが見えると言い出し、鬼が見えるとも言い出し、全員がトランス状態みたいになったと言うのだ。

ところが、後になって、ガイド役を勤めてくれた現地の女性ミリアムさん(イーデス・ハンソン)に観てもらうと、そのプッシャーはマリファナでも何でもなく、単なる「芝生の草」だと言われる。

全員、まんまと騙されていた訳だ。

突然、橋弥が「責任者出て来い!」と叫び出す。

「犯人はお前や」と言いながら、師匠の遺体に近づいた橋弥は、守り刀として遺体に乗せてあった小刀を抜いて、「おそ○」とは何事や!落語家だったら、ハッキリ発言しろ!もういっぺん何か言うて!と絡み出したので、妻の多香子が取り押さえる。

その内、橋弥は、落語「らくだ」で死人のカンカンノウというネタがあるが、そんな事実際にやった事ない。やった事ないものを話せるか!などと脱線しはじめ、この際、師匠にカンカンノウ踊ってもらおうと言い出したので、次第に、聞いていた他の弟子たちも乗って来る。

やがて、全員で、師匠を起こし、カンカンノウを踊らす準備にかかるが、台所からやって来た志津子は、誰にも支えられず立っている師匠の姿を観て、思わず気絶してしまう。

全員の準備が終わり、橋七と茂子が三味線を弾きはじめると、全員で師匠の身体を支え動かしながら、かんかんのうを、踊らせはじめる。

橋太は、志津子を揺り起こし、師匠の最後の高座やから、見届けてくれと言う。

その内、師匠の遺体を中心に全員で、ラインダンスを踊り始める。

こうして、寝ずの番は終わったように見えたが、実はこれはほんの始まりでしかなかった。

しばらくして、一番弟子の橋次が急死してしまったのである。

テレビの仕事が多かった橋次の通夜らしく、式場となったお寺には有名人が次々に訪れて来る。

桂三枝、笑福亭鶴瓶、浅丘ルリ子、米倉涼子、中村勘三郎…。

来客たちがいなくなり、血圧が高いので、茂子が家に送り届けた志津子など、女性陣はいなかったものの、またもや身内だけとなった弟子一同と小田先生、そして、何故か又いる志津子の親戚だと言う中年男というメンバーは、思い出話を中心とした寝ずの番を始める事になる。

橋次は、つくづく運がなかった人だったと話が始まる。

堺の治安寺という所で落語会があると言うので、主催者の松本さん(梅津栄)という人と待合せの待ち合わせをしていたら、なかなかやって来ないのでおかしいなと思っていたら、血相変えた松本さんがやって来て、寺が火事だと言う。

次に、茲得院と言う所でやる事になった決まったが、吉野さん(横山道乃=横山道代)という主催者が、坊さんが死んだと知らせに来てオジャン。

その次は、徳心寺と言う所で独演会を開いていたら、演じている内に救急車の音が近づいて来て、場内は騒然と鳴る。実は近くでガス爆発事故が起こって、その寺が遺体の安置場所になってしまったと言うのである。

それを聞いていた小田先生は、橋次が6日続けて独演会を開いた事があって、最初の日がホテルニュージャパンの火事(1982年2月8日)、翌日には日航機が羽田沖で墜落(2月9日)、その2日後に志村喬(2月11日)が亡くなり、その2日後には江利チエミが亡くなり(2月13日)…と、ものすごい事件続きだったという逸話を語り出す。

この辺から開き直った橋次は、事もあろうに、昭和天皇の崩御の日に高座を開いたと言う。

橋弥が「ヤカンの話」を紹介する。

3〜4年前、とある施設で公演した時、図書館で橋次が文庫本を読んで笑っているので近づいてみると、「志ん生半生記」という本で、その中に、なかなか化けなかった息子の馬生との対話が紹介してあるのだと言う。

父親でもあり師匠でもあった志ん生は、馬生に対し、器の小さいヤカンはすぐ沸騰するが冷め易い。逆に、器の大きなヤカンは、なかなか沸騰しない代わりに、一旦沸騰したら冷めにくいと話し、お前はヤカンが大きいのだと慰めたと言うのだ。

つまり、橋弥と似ている、橋弥はヤカンが大きいんやと他の弟子がおだてるので、すっかりその気になりかけると、去り際の同じメンバーたちから「せめてガスに火をつけないと」とか「水くらい入れとかな」と茶化されたというエピソードである。

一番弟子であったためだろうか、師匠に対して、結構、傍若無人な所もあり、橋枝が出かける師匠の靴を玄関口に揃えておいていたら、それを橋次が履いて出かけたりしたので、自分が師匠から起こられたと、橋枝が思い出すと、そう言えば、その師匠がある日帰って来たので、食事中だった橋次が迎えに出ると、あなたはどなた様ですかと師匠が言った事があるのは、その仕返しだったのかと、他のものが思い出す。

冗談かと思い、一番弟子の橋次ですよと答えると、へ〜、あんたが一番弟子なら、わしがいつも朝、週刊誌を持って便所に行きかけると、その前に自分が便所に入ってしまったり、ミカン食べる時、その汁がわしにかかっても知らん振りをしているあの人かなどと嫌味を言い出し、そんな弟子は今日限り出て行ってくれと言い出したので、それほど自分の事を気にしてくれていたのかと、橋次が泣き出したと言うエピソードを思い出す。

ところで、橋次は生涯独身だったが、女の方はどうだったのかと小田先生が聞くと、基本的に飲んべえだったので、助平ではなかったと弟子たちがフォローする。

ただし、最後の晩だけは違った…と、橋太が語りはじめる。

バーで、橋次と二人で飲んでいると、橋次の隣に酔っぱらったコピーライターだとか言う女(高岡早紀)が座っていて、橋次にモーションをかけて来たと言うのだ。

将来、作家になりたいと言うので、それじゃ、危ない薬等には気をつけないとと橋次が冗談を言うと、あなたが麻薬でしょうなどと女が言い出し、チークダンスを始めたのだと言う。

何時の間にか、橋次の幻影が出現し、その夜の事を語りはじめる。

橋太は何時の間にか、タクシーの手配を頼まれ、二人はその後、ホテルに向ったそうだが、そのタクシーの中で、橋次が女の身体に触ろうとすると、そこじゃない!と大声を出されたので、思わず、運転手が車を止めてしまったとか。

その後も、ホテル内で色々やったらしいが、どうやらその女性、「万馬券」つまり「大穴」だったらしい。その報告を橋太に愉快そうに話している途中に、くも膜下で死んでしまったと言うのだ。

その後、橋太は志津子のお供をして、師匠の墓参りに来ていた。

志津子は、橋太が率先して、墓参りに度々来てくれている事を感謝する。

後日、やはり、橋太が、師匠の家のガラス戸磨きをしている時、志津子が三味線を弾きながら都々逸を歌い、私は、昔、この歌に殺されたのよと謎めいた言葉を聞かされる。

そして、橋太に色っぽくしなだれかかって来るので、対応に困った橋太は、取りあえず便所の中に逃げ込む事にする。

ドアをノックする音に、何度も生返事をしながら、冗談なのか本気なのか判断しかねている内に、音がしなくなったので、そっと外をうかがってみると、志津子がふらっと倒れるのを目撃する。

今度は、志津子の通夜の寝ずの番が始まる。

橋太は、自分がおかみさんを殺したんだと泣いていたが、橋弥が、おふくろはもともと高血圧で危なかったのだから、気にするなと慰める。

それでもその夜は、橋太は珍しく酔いつぶれて、早々に寝てしまう。

その夜も、志津子の母親の三番目の亭主の弟の息子だと言うあの中年男が参加していた。

亡くなった志津子は、40年前、今里新地で一番人気の、源氏名を「こまゆう」という芸者だったと話が始まる。

そんな人気者だったから、当時、師匠以外にも志津子を狙っていた男は多く、どこかの鉄工所の社長と張り合っていたらしいと、何時の間にか起きて来た橋太が語っていると、襖の向こうから、私がその社長ですと声がする。

座敷に入って来た白髪の老人(堺正章)は、当時、尼崎の鉄工所で社長をやっていたが、妻を亡くして一人身だった事もあり、志津子に入れ揚げるあまり、とうとう、その工場を潰してしまい、今は、タクシーの運転手をやっているのだと語り出す。

そして、競争相手だった師匠にも志津子にも先立たれ、私はどうしたら良いのかと嘆くが、その内に、志津子から昔教わった歌を歌っても良いかと言い出す。

三味線を渡すと、その男が歌い出したのは「チ○ポ、チ○ポと威張るなチ○ポ、チンポ、お○このつまようじ」という「ちょんこ節」、つまりは猥歌だった。

それに乗った橋太は、そう言う趣向なら、ここで互いに歌合戦をやりませんかと申し出る。

すっかり、全員が乗ってしまい、その晩は、猥歌の歌合戦と化す。

さすがに、プロの橋太のレパートリーの方が豊富で、さすがに昔遊び人だったという社長も、途中で音をあげてしまう。

すると、茂子ら女房陣が手伝いに参加すると言い出し、自ら三味線を弾きはじめ、猥歌を歌いはじめる。

その内、社長は、自分と師匠は座敷で鉢合わせした事はなかったが、一度、敵状視察と言う目的で高座を見に行った事があると語りはじめる。

その結果、師匠の大ファンになってしまったとも。

すると、みんなの前に志津子の幻影が現れ、一踊り舞ってみせると姿を消して行く。

橋太が、そんな社長に、最終的に師匠が勝った理由は何だったのかと尋ねると、師匠が志津子に贈った一つの歌だったと社長は教える。

「♪俺の心は〜トタンの屋根よ〜、変わら(瓦)ないのをみておくれ〜♪」と、社長が覚えていたというその曲は、志津子が倒れたあの日に歌っていた都々逸だった。

感動した橋太は、死んだらよ〜と歌い出す。

それに唱和して、その場にいた皆も、同じ歌を歌いながら、志津子の遺体の前に正座する。

その内、橋七が、勝負抜きで歌合戦しましょうと言い出し、まずは自分が「草津節」の猥歌を歌いはじめる。

やがて、皆、輪になって踊りだし、その中には、時々、亡くなったはずの師匠の姿も混ざっていた…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

マキノ雅彦こと津川雅彦の第一回監督作品。

落語家の通夜と言う設定で、哀しみとおかしさが同居したエピソードの数々が披露されて行く。

その大半は下ネタ。

それでも、これだけあっけらかんと描かれると、下品さや卑猥さはない。

単なるバカ話の羅列のように見えながら、その奥には、ちゃんと亡くなった者とそれを送る者たち双方の人間味が浮き上がるように描かれており、じんわり心に染み入るような味わいがある。

原作は、中島らもの短編集におさめられた「寝ずの番」「寝ずの番�」「寝ずの番�」という連作を一つにまとめたものだけに、映画としては、同じような回想シーンの連続で、若干、単調に感じないでもないが、下ネタでも引かずに笑って受け止められるような人なら十分楽しめるはず。

原作との違いは、細部に関しては色々あるが、一番の相違点は、全体的に情感を深めるような描き方になっている事だろうか。

通夜の席で、弟子たちからカンカンノウを踊らされるはめになる橋鶴を演じる長門裕之の姿は、若い頃の彼が、同じように「らくだ」ネタで笑わせてくれた「猫が変じて虎になる」(1962)を思い出させてくれるが、年を経て、何ともとぼけた老人キャラクターになった姿が愉快さを増しているように思える。


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