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超力戦隊オーレンジャー

1995年、東映、八手三郎原作、上原正三脚本、こばやしよしあき監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

荒涼とした原野に突如出現した「ブルドント・スタジオ」と書かれた門。
カメラトリックと言う映画キャメラを供えた鳥が空に飛び立つ。

そこには巨大な木馬が置かれており、その木馬が放り出した糞のような球が変型し、皇子ブルドント(声-関智一)と執事アチャ(声-肝付兼太)が誕生する。

ブルドントは「歴史に残る映画を作るぞ!」と大張りきり。

チャリに乗った三人組が街を走っている。

空にはセスナ機が飛んでいる。

同級生のみさ子が、道路に設置されたパイプに耳を当てているので、何をしているのか尋ねると、風の音を聞いているのだと言う。

三人組の二人は、いつも虐めているらしく、社長の息子であるチビをパシリにしようとするが、チビは金を持っていないと当惑する。

そんな三人組の様子を捕えていたカメラトリックが、シャッターを切ると、三人組は、突如、町中から姿を消してしまう。

この異変を察知した本部通信係のオーピンクこと丸尾中尉(珠緒)は、オーレンジャーたちに現場に急行するよう指令を出す。

ブルドントは「機械帝国の世紀」というSFXスペクタクルを作ると意気込んでいる。

セスナ機からは、映画の出演者には1000万のギャラを払うと言う募集要項を書いたビラを町中に散布しはじめる。

これを目撃したオーイエローこと樹里(麻生まゆみ)とオーレッドこと星野隊長(宍戸勝)は、セスナの追跡を開始する。

ビラを拾った子供達は、次々に消えて行く。

そんな中、ビラを拾ったみさ子の前に、風船を持ったチャップリン風のメイクをした老婆が現れ、突然、その身体が炎上したかと思うと、大爆発を起こす。


気がつくと、ブルドントスタジオにおり、そこには馬に跨がったロッカーナイトがやって来る。

みさ子や三人組たちは、ロケバスに乗せられ、スタジオに向う。

スタジオの中には、戦場ヶ原と書かれた列車の駅のような不思議な風景のセットが用意されており、プロデューサーを名乗るアチャが、超体感映画を見せてあげると、子供達に特殊なゴーグルのようなものを装着させると、椅子に腰掛けた三人組とみさ子は、ジェットコースターやSLに乗っているような感覚になる。

列車の中は、菓子等が全部ただだったので、三人組たちはおおはしゃぎ。

みさ子や他の子供達は、約束通り1000万円の札束をもらう。

車掌は、ネコシグナルという不思議な生物だった。

その頃、本部では、隊長(宮内洋)が、丸尾中尉にもオーレンジャーに合流するよう命じていた。

ブルドント皇子は「映画は戦場だ!」とますますヒートアップ。

みさ子たちを乗せた列車は「戦場ヶ原」という駅に到着する。

駅には、楽隊が待っており、「♪な〜べちゃんったら、ギッチョンチョンでパイノパイノパイ」のメロディを奏で出す。

みさ子たち子供は、そこからさらにロケバスの乗せられて現場に向うが、彼らをそこまで乗せて来た列車は、何時の間にか姿を消して行く。

その頃、大きな木馬は、又しても、糞のような球を放り出し、それが変型してカボチャンプキンが出現する。

そんなスタジオに到着していたオーレンジャーたちは、人形の顔をしたギター弾きと女学生を発見。

女学生の足を取り外していたギター弾きは、オーレンジャーたちに気づくと、ギターを向け、そこから光線がほとばしる。

オーレンジャーたちは、そこにあった玩具たちから一斉に攻撃を受け、丸尾中尉はロープに弾きづられて、空中に浮かび上がらせられる。

空中に浮かんだ丸尾中尉は、カボチャンプキンの炎攻撃にされされていたが、変身した仲間にようやくそのロープを切ってもらい、オーピンクに直ちに変身。

カボチャンプキンは、帚に跨がって、空高く逃げてしまう。

スタジオの中に入ったオーレンジャーたちの前に、ネコシグナルが出現、彼らに攻撃をかけて来る。

ただちに二人変身。

SLが向って来て、ギャグチャックが出現し、股間の蛇口から水流攻撃を仕掛けて来る。

しかし、すぐに電池切れで水が止まって、ギャグチャック形なし。

助監督のアチャは、すぐにグレードアップしろ!と命令、ギャグチャックは「シェー!」してしまう。

そのころ、戦場ヶ原を走っていたロケバスに近づいた兵隊たちが、一斉にバスを狙って撃って来る。

映画と思って楽しんでいた乗客の子供達は大パニック。

ロケバスの進路は次々と大爆破が起こり、兵隊だけではなく、機械帝国のメカ類も次々と襲って来る。

空に飛んで来た戦闘機も、ロケバスを攻撃して来る。

こうしたロケ地の様子がスタジオのモニターに映し出されたので、何とか子供達を救おうと考えたオーレンジャーたちは、何とかロケ地に向う方法を捜すが、セット内にあった井戸のようなものがトンネルになっている事に気づき、全員そこに飛び込む。

出口は、戦場ヶ原のど真ん中であった。

その場に出現したロッカーナイトの馬に引きずられたオーレッドだったが、すぐに全員、馬に跨がりロケバスを負う事になる。

何とか、走行中のロケバスの乗り移ったオーレンジャーたちだったが、気を失っているように見えた運転手を助け起こすと、それはロボットだった。

そのロボットが爆発し、バス全体が火の車になる瞬間、オーレンジャーたちは間一髪、外に飛び出す事に成功する。

やがて、山奥の吊り橋にやってきたオーレンジャーたちは、空中から、敵の飛行メカの攻撃を浴びせられた後、突然、渡っていた橋が真っ二つになり、谷底の河に落下してしまう。

その頃、皇帝バッカスフンド(声-大平透)と皇妃ヒステリア→皇太后ヒステリア(声-松島みのり)は、地球ではいつも戦争ばかり、今後は、自分達、地球に優しい機械たちが地球の住民になるんだと予言しながら、上機嫌で歌いはじめる。

一方、ブルドント皇子は、助監督のアチャから、次の撮影予定である、八つ裂きを描く「3013-6」シーンの絵コンテを見せられていた。

戦場ヶ原では、まだ、兵隊たちによる殺戮が繰り広げられていたが、あちこちに散らばった死体の仮面を剥がして観たオーレンジャーは、それが皆、ゲリラ兵に改造された普通の人間だった事を知る。

そんな戦場に、「埴生の宿」の曲が流れて来たので、その曲が聞こえる小屋にやって来たオーレンジャーたちは、笛を吹いている機械人形を発見、すぐさま身を避けるが、その機械人形は自爆する。

戦争で負傷した人間たちは、皆、一ケ所にまとめられており、 みさ子たち子供達も入れられいたのだが、懸命にみさ子は、負傷兵の治療をしようとしていた。

しかし、そんな人間たちの事等お構いなしのブロドント皇子は、人間はすぐ壊れてしまうので、手足を改造しろと、アチャに命ずる。

処刑場に連れて来られ、無惨にも、手足を大きな斧で切断される現場を観たみさ子は、もう止めて!と叫ぶのだった。

人間の命は、機械たちの電池のように交換できないものなのだと説明するが、ブルドントに理解できるはずもない。

映画の迫力と画面効果にしか興味がない彼は、処刑を続行しようとする。

何とか、その場から逃れようとしたみさ子たちだったが、すぐさま捕まってしまい、その場に横たわったみさ子とチビことヒロシは、流れる雲や風の声、咲き乱れる花の歌を聞き、地球は生きているんだと実感するのであった。

やがて、目隠しされたみさ子が処刑の椅子に腰掛けさせられて、ブルドントの「部品交換、開始!」の声と共に、大きな斧がふりかざされた時、その場に駆けつけて来たオーレンジャーの五人が、超力変身する。

それに対抗する為出現したネコシグナル、カボチャンプキン、ロッカーナイト、ギャグチャックらが一斉に反撃を開始するが、最後に4体は合体して、スチームパンクスに変身する。

それを、アチャが振り回したコチャ(声-安達忍)が巨大化するのであった。

巨大化したスチームパンクスは、みさ子ら子供を体内に吸収してしまう。

オーレンジャーは、オーレンジャーロボを合体させ、スチームパンクに乗り移ったオーレッドが列車に乗っていた子供達を発見、何とか外に救出する。

さすがのスチームパンクスも、オーレンジャーロボの攻撃には叶わず、縮小化。

オーレンジャーロボは、クラウンファイナルクラッシュで、その小さなスチームパンクスが走っていた鉄橋を切断してしまうのだった。

その後、荒野にあったブルドントスタジオは消え去って行く。

しかし、ブルドント皇子は「次は金に糸目を付けない怪獣映画を作るぞ!」と構想だけは持っていた。

現実の世界に戻り、又、以前のように、チビをいじめている二人を観たみさ子は、「いいかげんにしたら!」「月に代わってお仕置きよ!」と叱りつける。

すると、少年たちも「帰って、『オーレンジャー』を観ようっと!」と帰って行くのだった。

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

「超力戦隊オーレンジャー」の劇場版。

戦隊ものでは時々登場する「映画パロディネタ」なのだが、本作は、数ある劇場版戦隊ものの中でも白眉とも言える内容になっている。

ブラックユーモア、シュールさ、アクションの迫力、メッセージ性、どれをとっても単なる幼児ものと切り捨てるには惜しい完成度を持っている。

いくつも見せ場は用意されているが、中でも秀逸なのは、山の吊り橋に乗ったオーレンジャーたちが、橋を真っ二つに切断され河に落下するシーン。

実景の中、実物大セットで撮られたこのシーンは、迫力満点。

また、(さとう)珠緒が、空中に吊り上げられ、炎攻めにされるシーン等も、子供向きと言うより、大人を喜ばせるような意図が垣間見える。

戦争シーンも、かなり本格的で、ラストの巨大ロボットの撮り方等も、従来の平凡なカメラ位置ではなく、ちゃんと巨大感を強調する為、カメラ位置を下げて撮っていたりする。

この内容は、幼児にとっては、少し意味不明なものに感じるかも知れないが、映画好きな大人が観れば、その奥に様々なお遊び感覚やメッセージ性が透けて見えて、より面白く思える作品だと思う。