1966年、大映京都、子母沢寛原作、新藤兼人脚本、池広一夫監督作品。
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四国へ渡る船の中で、一人の男(田中邦衛)が面白おかしく話をしている。
それを興味深そうに聞いている金比羅参りの旅人たち。
何でも、17、8の娘が乗った駕篭かきが、赤鬼のような雲助だったので大ピンチ…というような話。
あまりにも勿体ぶって、その男が話を途中でじらすので、客たちが先をせかすと、その雲助の前に立ちはだかったのは自分だと言い出す。
あまりにも意外な展開に、聞いている客たちが半信半疑の顔をすると、男は、自分は本当の事を話していると自慢げに続けようとする。
すると突然、大波を横っ腹に受けた船が大きく傾き、客たちは一斉に転がりはじめる。
先ほどから握り飯を頬張っていた座頭市(勝新太郎)などは、反対側に座っていた女の又の間に顔を突っ込んでしまう始末。
その最中、一人の男が、財布を掏られたと騒ぎ出す。
掏ったのはその男だと名指しされた男は、開き直ったように、その場で裸になるが、そこに財布が隠してあったのを見つかると、その掏りは、恐れ入るどころか逆に威丈高になる。
そして、みんなが観ている中で、堂々と奪い返された財布を又奪い取ると、文句があるかと、客たちの頭を、その財布で殴りはじめるのだった。
もちろん、先ほど、自慢話をしていた男も、隅で震えているばかりで何も出来ない。
その行為を笑ったのが市。
彼は、あっという間に、その掏摸の財布を握った右手をすっぱり斬り取ると、「お前さんのような未熟な者が威張るんじゃない」と静かに言い渡す。
客の間から、その一部始終を凝視していた男がいたが、眼の見えない市にその事が気が付くはずもない。
四国金比羅に着いた市は、「自分はこれまで何人も殺めて来たので、その供養に88箇所巡りしようと来たが、これからはもう二度と、人を斬るような目に会わせないで下さい」と願をかけるのだった。
しかし、その市の動きを馬に乗って監視していた男が、橋を渡って来る市の前に立ちふさがる。
もちろん、その男は、刀を抜いていた。
市は、その男と共に川に落ちると、水中で斬り殺すが、その遺体を岸に引き上げて来て「どう言う理由で、自分を襲ったのか、聞かせて欲しかった」と呟く。
そこへやって来たのが、男が乗って来ていた馬。
主人の遺体の側に来て、その死を確認したかのように嘶いたその馬は、市が歩き始めると、その後を付いて来る。
主人を殺した市を恨むように後を付いて来たその馬は、とある道で曲ったので、今度は市が、その馬の後を歩く事になる。
行きたくはなかったが、馬の持主から事情を知りたいという気持ちがそうさせたのだろう。
やがて、馬は一件の家に入って行く。
そこで市を出迎えたのは、一人の若い娘だった。
娘は、馬だけが帰って来たのを見ると、それに乗って出かけたはずの兄が、目の前に入る男に殺されたと瞬時に悟り、小刀を持って来ると、にわかにそれで市に斬り掛かるのだった。
市はそれを避けなかった。
右肩を斬られた市を見た娘は、今度はそれに驚く。「何故、避けなかったのか?」と。
市は、お吉(安田道代)というその娘の家で、傷の看病を受ける事になる。
そんなお吉の元へ、心配した近所の農民、安造(東野孝彦)が様子を見に来る。
さらに、藤八の手下(伊達三郎)らが、栄五郎は帰って来たかと尋ねて来る。
お吉が言うには、市を襲ったのは、栄五郎(井川比佐志)という自分の兄で、実は、山向こうに入る荒駒の藤八(山形勲)という5〜60人の手下を抱えるゴロ付きに30両の借金をしてしまい、そのカタがわりに、市暗殺を命じられたのだと言う。
この辺りの芹ケ沢と呼ばれる土地は、もともと、お吉の家の田畑だったのだが、兄が博打で身を持ち崩して、名主の権兵衛(三島雅夫)に取られてしまい、今はスイカ畑になってしまい、藤八は、その土地を欲しがっているとも。
その頃、藤八は一味のねぐらで、英五郎が失敗したらしいと部下たちから聞かされていたが、別に残念がってもいなかった。
弟を市に殺された兄が、市の後を追って四国までやって来たが、その殺しを藤八は依頼されただけで、英五郎が失敗しようと、成功しようと、彼本人は別に痛くも痒くもなかったからである。
翌日、お吉の家に乗り込んで来た藤八は、これからは、この辺の土地は自分が支配すると宣言するが、お吉は、兄は三日前に出かけて留守なので、そんな事は自分の後見人に話してくれと言う。
その後見人とは、座頭市の事だった。
その座頭市やお吉も伴い、実質的な今の地主の権兵衛の元へ向った藤八だが、当の権兵衛はヘラヘラ笑っているだけで、取りつく島もない。
スイカでも食べて行ってくれと人を喰ったような事を言う権兵衛だったが、当八の子分たちが、そのスイカを武器で投げ付けるや、権兵衛の前に転がったスイカには、藤八が放った矢が刺さっていた。
しかし、更に驚くべきは、そのスイカに触れようとした権兵衛の手の前で、スイカが4つに切れて割れた事。
市の居合い抜きの技であった。
このすごい腕を目の当たりにしたお吉は、たちまち市にぞっこんになる。
すっかり客人扱いになり、お吉が面倒を見てくれる中、入浴していた市に、藤八から、ねぐらに遊びにくるよう誘いの手紙が来る。
そんな中、名主の権兵衛は村人たちに、自分達は何もせずに、座頭市に藤八たちを斬らせようと相談していた。
仮に、座頭市が勝てば幸い、負けても、どうにかなると、ずる賢い考えを吹き込んでいたのだった。
その後、臆する事なく、ねぐらに独り出かけた市だったが、焼いた獣肉等振舞われながらも、お吉のと関係を下品にからかわれ、思わず帰りかけた所に、賭けをしないかと藤八に誘われる。
それでは、英五郎が借りた30両を返してもらう事を条件に受けて立とうと言う市に対し、藤八は矢を放つが、市はそれを真っ二つに斬り裂いてしまう。
感心して金を渡した藤八は、夜道は暗いからと、盲目の市に行灯を持たせて帰る。
そして、弟の仇を討ちたがっている客人の兄に、あの行灯を目印に斬れば、市は殺れるとそそのかすのだった。
その言葉を真に受け、藤八が付けてくれた助っ人と共に、闇夜の市を斬りに出かけた兄だったが、とっくに、そんな計略はお見通しだった市によって、全員返り討ちにあってしまう。
そんなある日、お吉と市は近くの湖に遊びに来ていた。
お吉は、すっかり市に気を許しており、その湖で着物を脱ぐと泳ぎだし、それにつられて、市も泳ぐのだった。
その夜、市は布団の中で、幼い頃、裸で泳いだ女の子との思い出を夢見ていた。
そんな夜半、お吉に、村を逃げ出そうと呼びに来たのは安造だった。
しかし、お吉は、この土地を逃げるつもりはないとはっきり答えるのだった。
翌日、藤八の使いがやって来て、明日までにお吉を嫁にするからねぐらまで来いと言う。
いよいよ、藤八と勝負しなければならなくなったと覚悟したお吉と市は、権兵衛や他の農民たちの家に加勢を頼みに行くが、自分達は暴力は嫌いだし、ただの農民なので争い事なんかできないと、異口同音に断わられてしまう。
あろう事か、あの安造までも、母親(小林加奈枝)に止められて家に籠ってしまう始末。
市は、村人たちのずる賢さを身に染みて感じ、自分一人で敵に立ち向かう事を決意するのだった。
翌日、藤八一味が馬を駆り立てて村にやって来る…。
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シリーズ14作。
「海を渡る」と言っても、四国へ渡るだけである。
しかも、本格的な四国ロケをしているかどうかも定かではなく、メインとなる舞台は、どこにでもあるような普通の村である。
しかし、海の向こうと言う響きに触発されるように、西部劇風の設定になっている所が面白い。
クライマックスは「真昼の決闘」を連想させるような展開になっている。
ヒロイン役の安田道代は、北野武版「座頭市」で、やはり、市が居候する農家の老婆役を演じた大楠道代の若い頃である。
つまり、彼女は、勝新とたけしの二人の座頭市映画に出ている事になる。
この作品の頃は、ピチピチの娘時代。
キリッとした勝ち気な顔だちと、まだあどけなさが同居したような初々しさが魅力。
このシリーズお馴染みのお色気シーンとして、今回は、この安田道代が泳ぐシーンがあるが、健康的で嫌らしさはない。
むしろ、犬かきを披露する市のユーモラスな泳ぎの方に目を惹かれるくらい。
その安田道代に好意を抱いている安造役の東野孝彦も、この頃はまだ痩せているせいか、角度によっては、驚くほど、父親(東野英治郎)そっくりな容貌である。
人を喰ったような地方の悪役を演じている山形勲や、にやけていて小狡い役柄を演じさせたら天下一品の三島雅夫等、適材適所の配役で、安心して観ていられる娯楽作品に仕上がっている。
達者な役者が出ている中、主人を失って、市に付いて来る馬も、なかなかの名演技。
広大な地方の風景と馬と市の取り合わせは、一幅の絵を観るようで、のどかさの中に風情と哀愁がある。
