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藪の中の黒猫

1968年、近代映画協会+日本映画新社、新藤兼人シナリオ+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

都の外れにある薮の側の一軒の農家があった。

ある日、その側に生い茂っていた薮の中から、武士の一群が這い出て来て、農家の周囲を流れる小川の水を飲むと、その農家に侵入する。

ちょうど、食事中だった母親と嫁は、突然の侵入者たちに、言葉を発する暇もなく、食事を奪われただけでなく、身体まで犯される。

その武士の一団が、農家から出て、又、薮の中に姿を消した後、農家から煙が立ち上り、たちまちのうちに農家は焼け落ちてしまう。

その焼跡に残された二体の女の遺骸の側に、昔から可愛がっていた子猫が近づいて来て、二人の身体を舐め廻るのだった。

時が過ぎ、ある夜、都の羅城門の前に馬で差し掛かった一人の武士(戸浦六宏)は、突然現れた女の姿を見かけ怪しむ。

しかし、その女が言うには、藤原家に所用で出かけた帰りだが、薮が怖くて一人で帰りそびれていたと言う。

武士は、その言葉を信じ、薮の中を送ってやり、薮の切れた辺りに差し掛かると、殿上人の住まいかと見まごうばかりの大層立派な屋敷があり、そこが女の家なので、お礼にちょっと休んで行かないかと誘われる。

言われるがまま、馬を降り中に入ると、殿上人のような様子の母親らしき女が現れて、娘を送ってもらった礼を言い、酒を振舞う。

武士は、女の美しさと酒の旨さに釣られ、すっかり腰を落ち着けてしまうのだが、そんな武士に、母親は、ぶしつけながらと前置きし年齢を尋ねると、22才と答えた武士と同じくらいの年頃の息子が自分にもおり、それが3年前、畑仕事をしている最中に武士に連れて行かれ、それ以来帰って来ないのだが、御存じないだろうかと尋ねる。

武士は、自分も河内の山の中で農民だったのだが、今では、こうして立派な武士になっているくらいだから、その息子も、今頃、蝦夷かどこかの遠隔地で、武士となって忙しく働いているのだろうと答える。

これからは武士の時代だ、武士は何でも好き放題に盗めると、自慢げに答える武士。

やがて、母親が姿を消した後、酔った武士は、美しい娘をかき寄せ、そのまま寝床に入るが、身体を重ねている最中、娘は、その侍ののど笛に噛みついて殺すのだった。

殺された武士は、母と娘の農家を襲った一群の一人だった。

次の夜、又、別の武士が羅成門の所で美しい女と出会い、同じように、薮の中を案内して、屋敷に招かれると、翌日には、咽を食いちぎられた死体となって、林の中に打ち捨てられていた。

その武士も又、農家を襲った一群の一人だった。

さらに、その後も、同じような犠牲者が増えて行く…。

噂は都を駆け巡り、ある日、殿上人から呼出された源頼光(佐藤慶)は、巷で噂の妖怪を退治してくれないと、夜も眠れないと申し渡すのだった。

帰宅して来た頼光は、勝手な殿上人の言い分に立腹しながらも、配下の四天王の坂田金時や渡辺綱などを呼ぼうとするが、あいにく二人とも遠隔地に出かけていると言う。

その頃、蝦夷地では、一人の若者が、ひげ面の大男クマスネヒコ(金田栄珠)と戦っており、ついに、クマスへヒコをしとめてしまう。

その首を担いで馬を走らせ、都の頼光の元に帰って来た若者は、自分が、熊恒彦を討ち取ったと、証拠の首を見せながら報告する。

頼光は、その首を確認した後、褒美として、その男が思いつきで名乗った薮の銀時を、正式名称とする事を許すのだった。

すっかり、身体を洗い浄められ、一人前の武士になって、懐かしい我が家に帰って来た銀時(中村吉右衛門)だったが、見覚えのある場所で見つけたのは、焼け落ちて廃虚となった我が家だった。

銀時の本名は、元農民の八と言い、家には、母親よねと、嫁のしげが待っているはずだったが、その姿も見えぬ。

近所の顔なじみの男(殿山泰司)に事情を聞きに行くと、都で戦が始まった後は、自分も怖くて山の中に逃げ込んでいたが、帰って来たら、すでにあの家は焼けていたので、二人の行方は分からぬと言う。

ある日、頼光に呼ばれた銀時、今、都を騒がせている妖怪を退治すれば、望みの女をくれてやると命ぜられる。

その夜、羅城門で待ち構えた銀時は、果たせるかな、美しい女と出会い、その後を付いて薮の中の屋敷に出向いて行く。

そこでは、いつも通り、母親らしき女が酒を運んで来るが、その姿を観た銀時は内心の驚きを押さえる事が出来なかった。

目の前にいる二人の女は、どう観ても、自分の妻しげと母よねだ。

しかし、二人の女は、自分を見知らぬ者のように振舞っている。

銀時は、二人に、何時からここにお住まいかと尋ねると、3年前からと言うので、それでは、ここいらに住んでいた、自分の母親と妻を知らないかと聞くが、知らないと答えるばかり。

あやかしの者と観た銀時は、思わず女たちを斬り付けるが、女たちは身をかわされて消えてしまう。

それから、毎晩のように羅城門に立つ銀時だったが、ぷっつり女の姿は見えなくなってしまう。

同じ頃、女二人は、霊界で苦しんでいた。

天地の魔神に、侍の生き血を吸う事だけを願って生き返った二人には、その約束を破っては、決して今生に留まる事を許されなかったのだが、息子と夫に会いたい気持ちは募るばかり。

ある夜、いつものように羅城門に出かけた銀時は、ようやく、女の姿を見かける。

喜んで、屋敷に向い、妻そっくりな女と一夜を過ごす銀時。

しかし、銀時の顔つきは日に日に憔悴して行き、それを観た頼光は、妖怪に魅入られるたのではないかとからかう。

その晩、羅城門に現れたのは、母親の方だった。

彼女に付いて屋敷に向った銀時だが、妻そっくりの女の姿が見当たらぬので尋ねると、あの女は、天地の魔神との約束を破って、侍の生き血を吸わずに七日間だけ今生に留まる事を許されため、その罰を受け、喜んで地獄へ落ちて行ったのだと言う。

その後、母親の姿をした妖怪の方が、侍を襲いはじめたので、怒った頼光は、銀時に、いつまでも妖怪を斬らないのなら、自分がお前を斬ると言い切る。

その夜、銀時の前に姿を現した母親は、家に来て、お経を読んでくれないか、そうすれば、自分は成仏できるのだと言うので、いつものように薮の中を付いて行くと、水たまりに写った母の姿は妻の姿であった。

それに気づかぬ振りをして、母を呼び止めた銀時は、やにわに妖怪を斬り付ける。

残されたのは、妖怪の左手、それは巨大な黒猫の足だった。

その足を妖怪退治の証拠として見せられた頼光は、世間に対する宣伝のため、大袈裟に物忌みの儀式をする方が良いと言い出し、銀時は七日間、魔物の足と守り刀を祭った祭壇のある部屋に蟄居する事になる。

その日から、毎夜、腕を返してくれと言う母親の声や気配がするが、銀時は聞かなかった。

守り刀をどけてくれと言う声にも耳を貸さなかった。

しかし、いよいよ七日目の夜、自分は皇の使いでやって来た陰陽を司る巫女だと言う声が入口の外から聞こえて来る。

それも信じなかった銀時だが、帝の命に逆らうとただではすまぬと言われると、仕方なく、入口を開けて、その巫女を中に入れると、魔物の腕を見せてくれと言う。

やむなく、その腕を巫女に渡そうとすると、その女の左腕がないではないか。

すぐに、妖怪と見破った銀時は、守り刀を取って討ちかかるが、妖怪は部屋の中を飛び回ったあげく、天井を突き破って、空高く舞い上がって行った。

その後、一人で薮の奥の屋敷に向った銀時だったが、そこには、女の姿はなかった。

誰もいない屋敷の中で、「おか〜さ〜ん」と呼び捜しまわる銀時だったが、翌朝、雪の中に死んでいる彼の姿があった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

戦乱が続くと怪異が起こる…。夏なのに氷が降り…など、同じようなセリフが登場する 「鬼婆」(1964)と似たような時代設定、キャスティングで作られた平安怪奇譚。

こちらは、大江山酒天童子の逸話と、化け猫ものをミックスしたような展開になっている。

テーマ的には「鬼婆」と同じく、戦の犠牲になった貧しい階層の人間が体験するエロスと怪異の物語。

今回娘役で登場するのは太地喜和子、何とも妖し気な色気が魅力的。

若き中村吉右衛門が、哀れな主役を演じているのにも注目したい。

ただこの作品、地味と言えば地味そのものの内容で、今なら、どう考えても、単館公開しか出来ない類いの映画だと思うのだが、当時はまがりなりにも、東宝配給で全国公開していたというのだから驚かされる。

公開された1968年という年が、子供達の間で「ゲゲゲの鬼太郎」などを中心とした妖怪ブームのまっただ中だったと言う事も関係しているのだろうか?

ただし、この作品は、完全に大人向けであり、ワイヤーワークや簡単なトリック撮影の類いは登場するものの、全体としては、決して派手なケレン味などで見せる怪奇見世物映画という感じではないので、さぞかし、興行的には苦戦したのではないかと想像される。