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帝銀事件 死刑囚

1964年、日活、熊井啓脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

昭和20年、8月15日、敗戦によって日本は混乱と絶望の中にあった。

そんな昭和23年、1月26日の午後3時過ぎ、帝国銀行椎名町支店に東京都の衛生局から来た消毒係なる男が一人訪れる。

たまたま支店長は体調を崩して午後に帰宅しており、銀行が閉店を迎えた3時以降は月曜日と言うこともあり、行員たちは残務整理に追われ、小林支店長代理がその男を出迎えることになる。

男は、伊東幸太郎氏宅より集団赤痢が発生したので、GHQの方からの依頼を受けて、やって来たと説明する。

その男は、行員たちを全員集めると、2種類の消毒液を示し、まず、最初の1液は、歯のホーロー質をいためる恐れがあるので、下を前に突き出し、歯をかばう形にして、咽の奥の方へ一気に飲み込むように、さらに、その後、2液の方は、普通の水を飲むように飲んで宜しいと説明し、自らも飲んでみせる。

説明通りに、行員たちは全員、一気に茶碗に注がれた液体を飲み干すが、あまりの咽の激痛に耐えかね、洗面所と風呂場に別れ、うがいをしようと移動したが、その途中で苦しみはじめ、大多数の行員たちが、その場に倒れ込んでしまう。

何とか、苦しみながらも、一人の女性行員正枝(笹森礼子)が表によろめき出て、通行人に助けを請うたことから、事件は発覚する。

結局、生存者男性4名、女性2名、死亡者10名に達する大事件は、たちまち新聞各社にも伝わり、多数の記者たちが現場に急行させることになる。

その中に、昭和新報の武井(内藤武敏)もいた。

生存者たちは、すぐに国際聖母病院に運び込まれ治療を受けるが、その様子を取材した武井は、あまりに凄惨な患者たちの姿に旋律を覚えていた。

現場検証の結果、茶碗類は犯人が持ち去ったようで、現金、証券類合わせて、18万1855円35銭がなくなっていた。

その後の捜査の結果、一週間前の1月19日に、三菱銀行中井支店で、似たような衛生局を名乗る男が、ベ−カー中尉と言うアメリカ人と共にやって来て、同じようなことを言って来たと言うことが分かる。

その時は未遂に終わったが、今考えると、それは今回の事件の予行演習だったのではないかと疑われた。

その時、男が渡した名刺には、厚生技官杉浦豊なる名前が記されており、後日、その人物は、実際に仙台にいたことが分かる。

名刺は、100枚刷られたうち、94枚が使われていたと言うことで、名刺を調査する班は、その使われた名刺の確認を一枚一枚行うことになる。

28日午後、安田銀行板橋支店長によって、1万7450円の証券が警察に届けられた。

その表には、持ち込んだ男が書いた偽住所と偽名が書かれてあったが、その筆跡が、後になって重要な証拠になって来る。

犯人が説明に使った外国人の名前は、全て実在する人物と分かり、又、未遂に終わった事件では、進駐軍の車が使われたことも判明したことから、犯人は進駐軍の不良分子との共犯ではないかとの推測が登って来る。

その後、病院に運ばれた男性二人が死亡し、翌月の4日、男二人と女二人の生存者が退院することを知った昭和新報社では、武井と阿川(井上昭文)の二人を、退院した直後の正枝に接触させ、何とか、新証言を得ようとするが、彼女の口から特別新しい事実は出て来なかった。

警察では、毒薬の特殊性や、水際立った手口から観て、犯人は医療や薬物に経験あるものか、元特務機関員、憲兵などではないかと的を絞っていた。

自分も飲んでみせたトリックは、油を薬品の中に入れ、浮いた無害な油の方をすくって、まず自分が飲んでみせ、相手には、下の毒物を飲ませたと観られる。

やがて、戦時中、満州で生態実験していたと噂される731部隊の名前が浮上して来るが、3月9日、急に進駐軍関係の捜査が打切られる。

731部隊にいたとされる伊東中将を捜していた行方を武井たちだったが、極東ビルにいるとだけ分かる。

アメリカ軍が押さえているらしい。

さらに、登戸にあった陸軍第9技術研究所で、毒物の研究をしていたとされる佐伯少佐(佐野浅夫)の住処を突き止め、取材しようと乗り込んだ武井と阿川だったが、佐伯は頑として口を割ろうとせず、シンガポールで、無実の罪を上官から押し付けられ、絞首刑にされた兄を持つ阿川と大げんかになってしまう。

そんな中、小樽にいた平沢貞通(信欣三)という画家が、捜査線上に登っている情報が入る。

やがて、佐伯から会いたいとの連絡が入り、再びそのねぐらを訪れた武井と阿川は、先日の諍いを忘れたように、その場に隠れていた傷痍軍人たちの演奏に合せ、歌を合唱するのであった。

佐伯は、今後、自分の知っていることは何でも教えると約束してくれる。

一方、平沢貞道は、写真の面通しでは似てないと言う声が多かったが、妻と別々の銀行に12万円預金していると言う事実が浮かび上がり、身柄を確保するため、刑事たちは北海道へ飛ぶ。

その平沢の東京の自宅を見つけた武井と阿川は、家族に面会してみるが、驚いたことに、妻(北林谷栄)も、娘の俊子(柳川慶子)も、全く平沢の事を疑っておらず、平然としていた。

やがて、連行された平沢は東京に連れて来られるが、上野駅は2万数千人の群集でごった返した。

ようやく警視庁に連れて来られた平沢に、生存者たちや関係者11名による面通しが行われるが、6名が似てはいるが、犯人とは思えない、残りの5名が似ているので犯人だと思うと、意見は真っ二つに分かれる。

判事拘留で尋問された平沢には、銀行で詐欺をして事実が分かるが、詐欺と強盗殺人とは、事件の種類が違うと疑う声が、記者たちの中からも起こる。

やがて、佐伯の証言から、毒物は、アセトン・シアン・ヒドリンではないかと思われ、それは、戦時中、上海や南京で実際に生体実験されたことがあると言う。

その致死量や、死に至らしめる時間等も、今回の事件と全く同じで、毒物はやはり軍関係者ではないかとの疑惑が強まるが、その武井たちの取材結果を読んだ大野木(鈴木瑞穂)は、これは新聞に書けないと言い出す。

実は先日、大野木は、アメリカ軍に呼ばれ、軍関係者への捜査から手を引けと釘をさされたのだと言う。

その頃、東條ら戦犯の裁判中で、731部隊の関係者の一部もアメリカ側が押さえている状況では手が出せないのだと言う。

これを知った武井と阿川だが、どうしても納得が行かず、書く、書かないで、取っ組み合いのケンカになってしまう。

もう、昭和新報以外の新聞社は、平沢黒説に固まって来ていた。

しかし、昭和の記者たちの中では、平沢には、言動が怪しくなる病があるらしいこと、集団赤痢が起こったと犯人が言った「井戸」の存在を、平沢が知り得るはずがない等、矛盾点や疑問点を持つ者が多かった。

そんな中、竹さんは独り悩んでいた。

実は、取材で出会った正枝を好きになってしまったのだが、その正枝には資産家の婚約者がすでにいるらしいと言うのである。

それを聞いた仲間たちは、自分達も応援すると言い出し、その結果、花束を持って、正枝に送り届ける役目を言い付かってしまう。

その花束を正枝が受取った時、近くのラジオから臨時ニュースが流れ、平沢がついに自供したと言う。

それでも、武井は正枝とデートをし、自分の気持ちを告白すると、正枝も又、婚約者がいるために、武井との交際を断わらなければならない自分を迷っていると言い出す。

結局、二人は結ばれることになる。

昭和23年12月1日の第一回裁判で、被告席に立った平沢は、はっきり、自分は犯人ではないと言い出す。

調書は、森田検事(草薙幸二郎)と山藤警部(高品格)との合作編集で作ったようなものだと言う。

長時間に渡る取り調べの精神的苦痛から、自分は3回も自殺未遂したとも。

武井たちは、検事調書を洗い直してみる。

すると、拘留31日目くらいから、平沢の言動には、拘禁病と思われる不可解なものが含まれるようになるのに気づく。

28回目の調書作成の際には、弟のヒロシと会わせてもらった後、鉄扉に自らの頭を突っ込んで、自殺しようと計ったりしていた。

平沢は、犯人は自分だと認めてはみたものの、腕章や麻薬の事は知らないので、説明のしようがないと言うと、そんなことは気にしなくてよい、ヒントはこちらで出すからと、検事が言っていた。

そんな状況から、薬は、何時の間にか、塩酸を使ったと言うことになり、茶碗に毒を注いだスポイトは、万年筆用のものと言うことになり、被害者たちは、めいめい、自分の席で毒を飲んだ…など、事実と違う証言が並びはじめる。

その内、夕べの夢の中で菩薩様が現れて、お告げを下さったなどと言い出したりする。

この頃の裁判は、証拠による新刑法ではなく、自白を重要視する旧刑法だったこともあり、弁護団が、どんなに、この調書の矛盾点を指摘しても、一旦自白した事実の方が重く取り上げられることになる。

そうして、昭和25年7月2日、平沢貞通の死刑が言い渡される。

翌26年9月29日の高等裁判所でも死刑。

翌30年付き6日の最高裁判決では上告が棄却され、ここに死刑が確定する。

こうした結果を知った昭和新報の記者たちは、一応の事件解決と祝杯をあげるが、みんなどこかに、釈然としないものを心に残していた。

その気持ちの中には、マスコミが一旦黒と報道してしまえば、大衆は、それを批判することなく、鵜呑みにしてしまうことに気づいたからだ。

後日、武井は、平沢と離婚して、今は畠野と名前を変えてひっそり暮していた平沢の妻と、娘の俊子に会いに行く。

しかし、そんな新聞社の車を見つけた近所の野次馬たちが、彼女たちの正体に気づいて騒ぎ出す結果となってしまう。

その後、平沢の面会に訪れた俊子は、アメリカに行って暮すと言い出す。

それを聞いた平沢は驚き、時々帰って来るのだろうと問いかけるが、俊子は、自分も日本に暮したいが、もう日本では暮らせないのだと言う。

そして、渡米してしまう自分に、一枚の日本の絵を描いてもらえないだろうかと頼むのだった。

承知した平沢は、面会の時間が来たので独房へ戻りかけるが、その姿を見つめていた俊子は、今生の別れとなる父の姿に溜まらなくなり、金網越しに父親と手を触れあい、互いに号泣するのだった。

昭和37年11月24日、平沢は東京拘置所を出ることになる。

彼が向うのは、死刑台がある仙台刑務所なのか…?

人間に人間を裁くことはできるのか?

人間は、真実を追い求めながら、真実を捕まえたことがあるのか…?

戦後の混乱期に起こった有名な「帝銀事件」を再現したドキュメンタリータッチの社会派作品。

事件の異様さもさる事ながら、人が人を裁く裁判の難しさも考えさせる作品になっている。

この作品では、平沢を黒だとも白だとも、言い切っていない。

あくまで、不可解な事が多く、当時の科学調査力や裁判制度など不備な点があったとは言え、結局分からない…という風に、正直に描いてある。

事件記者たちの熱気溢れる描写のリアルさの中に、ちょっとしたロマンスも織り込んであったりと、ドラマとしても単調にならないように工夫されている。

記者に扮する藤岡重慶、井上昭文、庄司永建、刑事役の高品格などは、全員、後に「西部警察」のレギュラーになっている人たちばかり。

やや冷たい印象がある検事を演ずる草薙幸二郎も捨て難いが、事件の生存者になるヒロイン役の笹森礼子も、大きな瞳が美しく印象的である。

その笹森礼子と同じく、生き残ったもう一人の女子工員を演じているのは、若い頃の山本陽子だと思う。

なお、冒頭の事件の再現ドラマの部分、犯人役の役者は、始終、後ろ姿で、その顔を画面に現すことはないが、声を演じているのは加藤嘉ではないかと思われる。1964年、日活、熊井啓脚本+監督作品。

昭和20年、8月15日、敗戦によって日本は混乱と絶望の中にあった。

そんな昭和23年、1月26日の午後3時過ぎ、帝国銀行椎名町支店に東京都の衛生局から来た消毒係なる男が一人訪れる。

たまたま支店長は体調を崩して午後に帰宅しており、銀行が閉店を迎えた3時以降は月曜日と言うこともあり、行員たちは残務整理に追われ、小林支店長代理がその男を出迎えることになる。

男は、伊東幸太郎氏宅より集団赤痢が発生したので、GHQの方からの依頼を受けて、やって来たと説明する。

その男は、行員たちを全員集めると、2種類の消毒液を示し、まず、最初の1液は、歯のホーロー質をいためる恐れがあるので、下を前に突き出し、歯をかばう形にして、咽の奥の方へ一気に飲み込むように、さらに、その後、2液の方は、普通の水を飲むように飲んで宜しいと説明し、自らも飲んでみせる。

説明通りに、行員たちは全員、一気に茶碗に注がれた液体を飲み干すが、あまりの咽の激痛に耐えかね、洗面所と風呂場に別れ、うがいをしようと移動したが、その途中で苦しみはじめ、大多数の行員たちが、その場に倒れ込んでしまう。

何とか、苦しみながらも、一人の女性行員正枝(笹森礼子)が表によろめき出て、通行人に助けを請うたことから、事件は発覚する。

結局、生存者男性4名、女性2名、死亡者10名に達する大事件は、たちまち新聞各社にも伝わり、多数の記者たちが現場に急行させることになる。

その中に、昭和新報の武井(内藤武敏)もいた。

生存者たちは、すぐに国際聖母病院に運び込まれ治療を受けるが、その様子を取材した武井は、あまりに凄惨な患者たちの姿に旋律を覚えていた。

現場検証の結果、茶碗類は犯人が持ち去ったようで、現金、証券類合わせて、18万1855円35銭がなくなっていた。

その後の捜査の結果、一週間前の1月19日に、三菱銀行中井支店で、似たような衛生局を名乗る男が、ベ−カー中尉と言うアメリカ人と共にやって来て、同じようなことを言って来たと言うことが分かる。

その時は未遂に終わったが、今考えると、それは今回の事件の予行演習だったのではないかと疑われた。

その時、男が渡した名刺には、厚生技官杉浦豊なる名前が記されており、後日、その人物は、実際に仙台にいたことが分かる。

名刺は、100枚刷られたうち、94枚が使われていたと言うことで、名刺を調査する班は、その使われた名刺の確認を一枚一枚行うことになる。

28日午後、安田銀行板橋支店長によって、1万7450円の証券が警察に届けられた。

その表には、持ち込んだ男が書いた偽住所と偽名が書かれてあったが、その筆跡が、後になって重要な証拠になって来る。

犯人が説明に使った外国人の名前は、全て実在する人物と分かり、又、未遂に終わった事件では、進駐軍の車が使われたことも判明したことから、犯人は進駐軍の不良分子との共犯ではないかとの推測が登って来る。

その後、病院に運ばれた男性二人が死亡し、翌月の4日、男二人と女二人の生存者が退院することを知った昭和新報社では、武井と阿川(井上昭文)の二人を、退院した直後の正枝に接触させ、何とか、新証言を得ようとするが、彼女の口から特別新しい事実は出て来なかった。

警察では、毒薬の特殊性や、水際立った手口から観て、犯人は医療や薬物に経験あるものか、元特務機関員、憲兵などではないかと的を絞っていた。

自分も飲んでみせたトリックは、油を薬品の中に入れ、浮いた無害な油の方をすくって、まず自分が飲んでみせ、相手には、下の毒物を飲ませたと観られる。

やがて、戦時中、満州で生態実験していたと噂される731部隊の名前が浮上して来るが、3月9日、急に進駐軍関係の捜査が打切られる。

731部隊にいたとされる伊東中将を捜していた行方を武井たちだったが、極東ビルにいるとだけ分かる。

アメリカ軍が押さえているらしい。

さらに、登戸にあった陸軍第9技術研究所で、毒物の研究をしていたとされる佐伯少佐(佐野浅夫)の住処を突き止め、取材しようと乗り込んだ武井と阿川だったが、佐伯は頑として口を割ろうとせず、シンガポールで、無実の罪を上官から押し付けられ、絞首刑にされた兄を持つ阿川と大げんかになってしまう。

そんな中、小樽にいた平沢貞通(信欣三)という画家が、捜査線上に登っている情報が入る。

やがて、佐伯から会いたいとの連絡が入り、再びそのねぐらを訪れた武井と阿川は、先日の諍いを忘れたように、その場に隠れていた傷痍軍人たちの演奏に合せ、歌を合唱するのであった。

佐伯は、今後、自分の知っていることは何でも教えると約束してくれる。

一方、平沢貞道は、写真の面通しでは似てないと言う声が多かったが、妻と別々の銀行に12万円預金していると言う事実が浮かび上がり、身柄を確保するため、刑事たちは北海道へ飛ぶ。

その平沢の東京の自宅を見つけた武井と阿川は、家族に面会してみるが、驚いたことに、妻(北林谷栄)も、娘の俊子(柳川慶子)も、全く平沢の事を疑っておらず、平然としていた。

やがて、連行された平沢は東京に連れて来られるが、上野駅は2万数千人の群集でごった返した。

ようやく警視庁に連れて来られた平沢に、生存者たちや関係者11名による面通しが行われるが、6名が似てはいるが、犯人とは思えない、残りの5名が似ているので犯人だと思うと、意見は真っ二つに分かれる。

判事拘留で尋問された平沢には、銀行で詐欺をして事実が分かるが、詐欺と強盗殺人とは、事件の種類が違うと疑う声が、記者たちの中からも起こる。

やがて、佐伯の証言から、毒物は、アセトン・シアン・ヒドリンではないかと思われ、それは、戦時中、上海や南京で実際に生体実験されたことがあると言う。

その致死量や、死に至らしめる時間等も、今回の事件と全く同じで、毒物はやはり軍関係者ではないかとの疑惑が強まるが、その武井たちの取材結果を読んだ大野木(鈴木瑞穂)は、これは新聞に書けないと言い出す。

実は先日、大野木は、アメリカ軍に呼ばれ、軍関係者への捜査から手を引けと釘をさされたのだと言う。

その頃、東條ら戦犯の裁判中で、731部隊の関係者の一部もアメリカ側が押さえている状況では手が出せないのだと言う。

これを知った武井と阿川だが、どうしても納得が行かず、書く、書かないで、取っ組み合いのケンカになってしまう。

もう、昭和新報以外の新聞社は、平沢黒説に固まって来ていた。

しかし、昭和の記者たちの中では、平沢には、言動が怪しくなる病があるらしいこと、集団赤痢が起こったと犯人が言った「井戸」の存在を、平沢が知り得るはずがない等、矛盾点や疑問点を持つ者が多かった。

そんな中、竹さんは独り悩んでいた。

実は、取材で出会った正枝を好きになってしまったのだが、その正枝には資産家の婚約者がすでにいるらしいと言うのである。

それを聞いた仲間たちは、自分達も応援すると言い出し、その結果、花束を持って、正枝に送り届ける役目を言い付かってしまう。

その花束を正枝が受取った時、近くのラジオから臨時ニュースが流れ、平沢がついに自供したと言う。

それでも、武井は正枝とデートをし、自分の気持ちを告白すると、正枝も又、婚約者がいるために、武井との交際を断わらなければならない自分を迷っていると言い出す。

結局、二人は結ばれることになる。

昭和23年12月1日の第一回裁判で、被告席に立った平沢は、はっきり、自分は犯人ではないと言い出す。

調書は、森田検事(草薙幸二郎)と山藤警部(高品格)との合作編集で作ったようなものだと言う。

長時間に渡る取り調べの精神的苦痛から、自分は3回も自殺未遂したとも。

武井たちは、検事調書を洗い直してみる。

すると、拘留31日目くらいから、平沢の言動には、拘禁病と思われる不可解なものが含まれるようになるのに気づく。

28回目の調書作成の際には、弟のヒロシと会わせてもらった後、鉄扉に自らの頭を突っ込んで、自殺しようと計ったりしていた。

平沢は、犯人は自分だと認めてはみたものの、腕章や麻薬の事は知らないので、説明のしようがないと言うと、そんなことは気にしなくてよい、ヒントはこちらで出すからと、検事が言っていた。

そんな状況から、薬は、何時の間にか、塩酸を使ったと言うことになり、茶碗に毒を注いだスポイトは、万年筆用のものと言うことになり、被害者たちは、めいめい、自分の席で毒を飲んだ…など、事実と違う証言が並びはじめる。

その内、夕べの夢の中で菩薩様が現れて、お告げを下さったなどと言い出したりする。

この頃の裁判は、証拠による新刑法ではなく、自白を重要視する旧刑法だったこともあり、弁護団が、どんなに、この調書の矛盾点を指摘しても、一旦自白した事実の方が重く取り上げられることになる。

そうして、昭和25年7月2日、平沢貞通の死刑が言い渡される。

翌26年9月29日の高等裁判所でも死刑。

翌30年付き6日の最高裁判決では上告が棄却され、ここに死刑が確定する。

こうした結果を知った昭和新報の記者たちは、一応の事件解決と祝杯をあげるが、みんなどこかに、釈然としないものを心に残していた。

その気持ちの中には、マスコミが一旦黒と報道してしまえば、大衆は、それを批判することなく、鵜呑みにしてしまうことに気づいたからだ。

後日、武井は、平沢と離婚して、今は畠野と名前を変えてひっそり暮していた平沢の妻と、娘の俊子に会いに行く。

しかし、そんな新聞社の車を見つけた近所の野次馬たちが、彼女たちの正体に気づいて騒ぎ出す結果となってしまう。

その後、平沢の面会に訪れた俊子は、アメリカに行って暮すと言い出す。

それを聞いた平沢は驚き、時々帰って来るのだろうと問いかけるが、俊子は、自分も日本に暮したいが、もう日本では暮らせないのだと言う。

そして、渡米してしまう自分に、一枚の日本の絵を描いてもらえないだろうかと頼むのだった。

承知した平沢は、面会の時間が来たので独房へ戻りかけるが、その姿を見つめていた俊子は、今生の別れとなる父の姿に溜まらなくなり、金網越しに父親と手を触れあい、互いに号泣するのだった。

昭和37年11月24日、平沢は東京拘置所を出ることになる。

彼が向うのは、死刑台がある仙台刑務所なのか…?

人間に人間を裁くことはできるのか?

人間は、真実を追い求めながら、真実を捕まえたことがあるのか…?

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

戦後の混乱期に起こった有名な「帝銀事件」を再現したドキュメンタリータッチの社会派作品。

事件の異様さもさる事ながら、人が人を裁く裁判の難しさも考えさせる作品になっている。

この作品では、平沢を黒だとも白だとも、言い切っていない。

あくまで、不可解な事が多く、当時の科学調査力や裁判制度など不備な点があったとは言え、結局分からない…という風に、正直に描いてある。

事件記者たちの熱気溢れる描写のリアルさの中に、ちょっとしたロマンスも織り込んであったりと、ドラマとしても単調にならないように工夫されている。

記者に扮する藤岡重慶、井上昭文、庄司永建、刑事役の高品格などは、全員、後に「西部警察」のレギュラーになっている人たちばかり。

やや冷たい印象がある検事を演ずる草薙幸二郎も捨て難いが、事件の生存者になるヒロイン役の笹森礼子も、大きな瞳が美しく印象的である。

その笹森礼子と同じく、生き残ったもう一人の女子工員を演じているのは、若い頃の山本陽子だと思う。

なお、冒頭の事件の再現ドラマの部分、犯人役の役者は、始終、後ろ姿で、その顔を画面に現すことはないが、声を演じているのは加藤嘉ではないかと思われる。