1962年、大映京都、長谷川幸延原作、黒澤明脚本、瑞穂春海監督作品。
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大正6年、大阪。
夜、市中を警邏中の巡査が、公園の中で何事かをやっている一団を発見する。
物陰から様子を観ていると、剣劇の稽古のよう。
不審尋問してみると、中心となっていた年輩者が、新国劇の頭取をやっている市川段平(中村雁治郎)と名乗り、公演間近の「国定忠治」の芝居の殺陣を付けている所だと言う。
何故、頭取という役目の人間が、そんな事をしているのかと理解できない巡査に、自分は元々、市川右団次の弟子として歌舞伎の役者をしており、一時は、中村雁治郎を向こうに回した事もある人間なのだと、自慢げに自己紹介するが、巡査は、その年輩者が元役者だった事は理解したものの、頭取が殺陣師をやっている意味は分からずじまいだった。
そんな巡査の無知振りを、稽古をしていた書生たちと笑いながら帰宅する途中、段平は自らの力量を見せつけるために、橋の欄干に上がると、そんな狭い所でもトンボ(バック宙)ができる所を書生たちに見せつけるのだった。
しかし、調子に乗って、もう一回挑戦したところで川に転落してしまう。
ずぶ濡れになって帰宅した段平に呆れてしまったのは、髪結いをやって彼を養っている老妻、お春(田中絹代)と、両親を失った7つの時から面倒を観てやっているおきく(高田美和)の二人。
それでも、段平は張り切っていた。
頭取と言う今の立場は、実質的には下手な役者の捨て場のようなものでしかなく、今回、新国劇で時代物をやると言う事を聞いた時から、自分が殺陣師として役に立てる一世一代のチャンスだと確信していたからだ。
常日頃から、酒好き、女好きのだらしのない男ではあったが、大きな赤ん坊のような無邪気さと、その殺陣に賭ける情熱とで、廻りからも、どこか憎めない存在として愛されていた段平だっただけに、今回の芝居には、彼の今後の浮沈がかかっていると、南座の兵庫市(山茶花究)も秘かに期待していた。
かくして、座長の沢田正二郎(市川雷蔵)、脚本家の倉橋仙太郎(須賀不二男)を中心とする打合せが始まり、段平も、その末席に参加する事になるが、沢田は「国定忠治」の二幕目、小松原の場の殺陣に頭を悩ましている様子。
平凡でない、創意ある立ち回りが必要だと考えていたのだ。
そんな沢田は、適当な殺陣師を知らないかと劇団員たちに聞きただし、その場にいた段平にも、お前も昔、歌舞伎で立ち回りを一回や二回やった事があったそうだが…と尋ねる。
それを聞いた段平は、黙っていられなくなった。
自分がいるではないか、すでに稽古も付けているので観てもらいたいと、その場で書生たちと、稽古していた殺陣を披露しはじめるが、沢田をすぐに制する。
それは、歌舞伎の型であって、自分が求めているのは、全く新しい「リアリズム」なのだと。
この言葉に、段平は衝撃を受ける。
沢田の言っている意味が全く理解できなかったからだ。
「リアリズム」とは何なのか?
無学で、いまだに文字の読み書きさえ出来ない段平には、「写実」などという説明すら理解できないのであった。
今夜は、徹夜で稽古だと聞いて、夜食用の弁当を持参して来たお菊は、誰もいない舞台上で、一人、呆然と座り込んでいる段平の姿を見つけ、声をかけたものの、その邪険な態度に泣き出してしまうのだった。
それからは段平、自宅でふて寝の毎日だった。
ところが現金なもので、沢田先生が呼んでいるという使いが来ると、待ってましたとばかり喜んで駆け参じる段平だったが、沢田の用と言うのが、吉兵衛という殺陣師に会ってみたいから呼んで来てくれというものだったから、さらに落ち込んでしまう。
自分の時代が来ると信じていた段平は目論見が外れただけではなく、自分がかつて殺陣を教えた弟子みたいな吉兵衛に声がかかる事に絶望し、その夜は何時にも増して絡み酒となる。
「リアリズムとは何なんだ?」
そんな段平にからかうように声をかけて来た役者崩れと喧嘩になり、同伴していた兵庫市が呼んで来た沢田が、喧嘩相手を見事に投げ飛ばしたものだから、倒れていた段平、急に機嫌を悪くして自分は今、喧嘩の「リアリズム」を研究している所だと悪態を付くのだった。
そんな段平の姿に哀れを感じた兵庫市は、土下座して、沢田に、段平を殺陣師として使ってやってくれと懇願するのだった。
結局、期待していた吉兵衛も使えないと分かった沢田は、思いきって段平を殺陣師に起用してみるが、それが見事に成功し、南座は連日の大入り満員の盛況と成る。
すっかり自信を付けた段平だったが、沢田は大阪の成功だけに甘んじていなかった。
今度、東京の明治座で公演するのだが、東京で当らなければ本当の成功とは言えないと言う沢田に対し、段平は、自分の殺陣は東京でも通用すると太鼓判を押す。
かくして沢田一座は明治座に乗り込むが、殺陣師の段平などは後乗りと言う事で、本人は気楽に酒をのみに出かけており、おきくとお春が自宅で旅行の準備をしていたのだが、そんな所へ一座の大田(伊達三郎)がやって来て、旅行は中止ではないかとおかしな事を尋ねに来る。
何でも、東京では「国定忠治」が全く受けず、二番手の題目「月形半平太」もダメだったらしいという噂が届いていると言うのだ。
しかし、お春も段平も、そんな事はきいていないので何かの間違いだろうと、約束通り駅で段平と落ち合うようにと言って帰すが、その後、今度は東京から電報が届き、その内容は「出発待て」という沢田からのものだった。
その頃、お春は咳き込むようになり、おきくの目から観ても、明らかに体調がおかしいようだった。
そんな事は知らず、酔って帰って来た段平は、東京に出かける嬉しさから、旅行用に用意されていた魔法瓶の中の酒を早くも飲みはじめる始末。
しかし、お春から電報の内容を知らされ、段平は激怒する。
芝居は、役者と客との立ち回りだ、受けなかったからと言って、簡単に諦めるようでは、立ち回りの精神に反すると息巻く。
そんな所に、東京の松竹から電話が入り、すぐ来いとの知らせ。
段平らは、当初の時間通り、列車で東京に向う事になる。
客に不評でも、沢田が粘って演じた「月形半平太」がようやく当り、それからは、面白いように、出す演目、演目が次々に当って行く。
そうして、地方巡業を次々にこなして行った沢田たちであったが、次第に、沢田は立ち回りのある剣劇芝居を減らして行くようになる。
これが段平には面白くなかった。
自分の役目がなくなり、遊んでいる時間が増えて来たからだ。
そんな段平の元に、お春が病気だと言う電報が来るが、文字が読めない彼にとっては、それはただの紙切れでしかなく、彼は大阪に帰ろうとしない。
新国劇で段平があぶれていると言う噂を聞き込んでやって来たのが別の劇団の勧誘員(上田吉二郎)、彼は何とか段平を引き抜こうとするが、一座の金をいつも懐に預かっている段平にとっては、金等に気持ちが動くはずもない。
その後、宿に帰って来た沢田に対し、何とか、客が望んでいる立ち回りのある芝居をしてくれと頼み込む地元の興行師の姿を観た段平だったが、立ち回りばかりが芝居ではない、客寄せのために剣劇をするのであれば、それはリアリズムか?と、沢田は興行師に反論する。
それに対し、段平は、立ち回りのない時代物はないと反論するが、沢田は、お前の女房は病気だそうだから、早く帰ってやれと諭して、宿に入ってしまう。
その言葉で、沢田に絶望した段平は、表に貼り出してあった新国劇のポスターを、持っていた木刀で切り裂くなり、その場から去って行くのだった。
後を追った勧誘員の再度の頼みもきく耳を持たなかった。
しかし結果的に、段平は一座の金を持ち逃げした事になってしまう。
大阪に戻って来た段平を待っていたのは、お春の葬式だった。
全てに絶望した段平は、酒に溺れる毎日が始まる。
それから幾星霜。
その頃、京都に来ていた沢田は、懐かしい段平の事を思い出していた。
かつては、あの老人の事を滑稽だと思ったものだが、芝居を突き進めて行く内に、今では、自分の方が滑稽だったのではないかと感じるようになっていた。
その後、中気で倒れた段平は、漬物屋(浪花千栄子)の二階で寝たきりの状態になるが、ある日、兵庫市が持って来た、今度、南座で久々にかける「国定忠治」のポスターに興奮し、立ち上がると暴れる騒ぎになり、駆けつけた医者を呆れさせる。
身体は半身不髄になっても、殺陣師の魂だけはまだ生きていた証拠であった。
その段平の面倒は、今は二十歳になり、河原町の病院で働くようになっていたおきくが毎日来てみていた。
おきくは、相変わらず言う事をきかない段平に、もう二度と無茶な事はしないと、鐘の音に誓わせるのであった。
その後、南座で久々に沢田たちの「忠臣蔵」がかかり、楽屋前には、大勢のファンたちが詰め掛けていたが、そんな中に、あのおきくの姿があった。
それに気づいた兵庫市が訳を尋ねると、段平がいなくなったから、ここに来ているに違いないと言う。
それを聞いた沢田は、客がはねた舞台に戻り、段平の姿を捜す。
段平は、何と、不自由な身体で、3階席まで一人で登っていたのを発見される。
しかし、もう、その身体は限界に来ていた。
漬物屋の二階に戻し、余命幾許もない段平を見舞うために、沢田やかつての仲間たちが詰め掛ける。
気が付いて、その事を知った段平は、見舞金としてみんなからもらった金と、自分が溜めて来た金を足して、かつて、持ち逃げした格好になった一座の金を沢田に返そうとする。
一応受取った沢田は、その金を又、段平の布団の下の滑り込ませるのだった。
段平は、最後の力を振り絞って、沢田に、国定忠治の芝居に加わった、新しい場面の殺陣を伝授したいと言い出す。
それは、中気になって倒れた忠治が、最後の抵抗をする場面であった。
段平は、「今の自分も中気なので、これが本当のリアリズムだ」と言って、動かぬ身体で、懸命に殺陣を付けようとしながら息絶えていく…。
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いわゆる「芸道もの」の一種に分類される話だと思う。
老いた元役者が、自分の得意分野の技術で、再び第一線に返り咲こうとするが、若い世代が求めている新しい価値観に付いていけず、何とか、その新しさを理解しようと足掻くが、最後には力つき、取り残されて行ってしまうと言う悲劇。
主役のキャラクターが、無学で人間的には破滅型のダメ人間なのだが、芸道一筋で、愛すべき無邪気さと純粋さを持っていると言う所が、悲劇性をより強調している。
中村雁治郎がなかなか芸達者な…というか、ややくどい芝居なのに対し、妻役の田中絹代と沢田正二郎役の市川雷蔵らは、逆に押え目の演技をしてバランスをとっている感じがする。
高田浩吉の娘で、この作品では(新スター)としてクレジットされている新人高田美和は、可憐。
もともと有名な話らしいのだが、従来、直線的なストーリー重視かと感じていた黒澤脚本ものとしては、人間描写もきちんと出来ており、今まで観て来た中で一番面白く出来ていると感じた。
