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王将

1948年、大映、北条秀司原作、伊藤大輔脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

明治39年、大阪。

赤ん坊を背負ったままちんどん屋をしてビラを配っていた小春(水戸光子)に近づいて来た娘の玉江(奈加テルコ)は、天満宮に見慣れぬ羽織を着て入っていく、父親、坂田三吉(阪東妻三郎)の姿を発見しいぶかる。

天満宮では、将棋大会が行われており、三吉はそれに参加していたのだ。

三吉は無学で、自分の名前さえ満足に書けないような男だったが、素人ながら、その将棋の腕前は一級で、近所でも知れ渡っていた。

そんな三吉、順当に勝ち進んで賞金を獲得して行くが、そんな彼の前に現れた相手が関根金次郎(滝沢修)という売り出し中の名人だった。

三吉は、そんな相手でも怯む事なく駒を進めていくが、ある局面で「千日手」と呼ばれる手をうってしまう。

その頃、天王寺にある、通天閣が見える線路脇の長家に帰って来た女房の小春は、家に飾ってあった仏壇がなくなっている事に気づく。

同じ長家に住むラーメン屋台を引く新やん(三島雅夫)に訳を聞くと、将棋大会に出る会費を作るために、三吉が持ち出したのだと言う。

もともと、ぞうり作りが商売だった三吉だが、将棋好きが高じて、仕事の方はおろそかになり、家庭は火の車、女房の小春は、ちんどん屋家業と質屋通いで何とか喰い繋いでいるような毎日だった。

その小春も、信心している妙見はんの仏壇を持って行かれたとあっては、さすがに堪忍袋の緒も切れ、にわかに着物を風呂敷に包み出し、家出の用意を始めるのだった。

そんな最中に帰って来たのが三吉。

何と、その背中には、持って行ったはずの仏壇が背負われている。

新やんが訳を聞くと、将棋大会の賞金で、何とか買戻して来たのだと言う。

しかし、新やんから、小春が家出しかかっていると聞かされると、急いで家に入り、詫びを入れるのだった。

その夜、三吉は、独り寝床を抜け出すと、ランプを持って外へ出、将棋の手を考えはじめる。

そこへ帰って来たのが、仕事を終えて戻って来た新やん。

疲れきって早く寝たがる新やんを無理矢理引っ張って、将棋盤を見せた三吉は、今日、将棋大会で、関根名人相手にうった「千日手」という手で負けたいきさつを話しはじめる。

何でも、しろうとの三吉は知らなかったのだが、互いに手づまりになる「千日手」をうったものの方が、規則で負けになると言われたと言うのだ。

その説明に納得のいかない三吉は、負けた悔しさを胸に、相手の関根名人に対し、自分は今日から玄人になるし、ぞうり作りにも勢を出すと宣言したと言う。

しかし、その試合を、秘かに観察していた紳士がその場にいた事を、三吉はまだ知らなかった。

やがて、大阪朝日新聞社主催の納涼将棋大会が開催される事になり、三吉は又しても、その会費作りのために、わらじの納品先に前借りを頼みにいくが、最近、三吉の視力が落ちて、満足な仕事が出来なくなっている事を理由に断わられてしまう。

そんな三吉が、家で目にしたのは、質屋に入れていた娘、玉江の桜柄の着物だった。
それは、盆踊りに着させるため、苦心して小春が出して来たばかりの物だった。

いつものように、ちんどん屋をして道を練り歩いていた小春は、友達に教えられ、古着屋の店頭に飾られている、見覚えのある桜柄の着物を見つけ、慌てて店に入り店主に問い合わせると、三吉が、どうしても、これで、将棋大会の会費を工面してくれと泣きつかれたのだと言う。

もはや、何もかもに絶望した小春は、赤ん坊を背負い、玉江を連れて、線路を歩き始める。

その背後には列車が近づいていた…。

そんな事とは知らず、将棋大会に出席していた三吉は、うっていた将棋盤が暗いと言い出し、窓際に持って行っても、やはり暗いと言う。

その時、対戦していた相手から、あなたは目が不自由なのではないかと問われるが、それをむきになって否定していたが、ちょうどそこへ駆けつけて来たのが新やん。

彼から、小春家出の知らせを受け、慌てて長家に飛んで帰った三吉だったが、それを迎える長家の住人たちの目線は冷たかった。

しかし、小春は戻って来た。

玉江が、新やんに語った所では、小春の頭の中で、急に妙見はんの太鼓が鳴りだし、死んではいけないと言われたと言うのである。

そんな小春を前に、三吉は家にあった将棋の駒を握りしめると、表に置いてあった、新やんのコンロにくべてしまうが、小春の答えは意外だった。

それで、あんなの気持ちは晴れるのか?
自分がどんなにあんたに将棋を止めさそうとしても、好きなものは仕方ない。
どうせ、将棋を止められないのなら、日本一の将棋さしになって欲しいと言うのだ。

それを聞いた三吉は慌てる。
もう自分は、妙見はんに、将棋を止めると、たった今誓った所だと言うのだ。

しかし、小春は、その罰は女房たる自分が受けとめてやると、言い切るのだった。

小春はその後、玄関口に落ちていた一枚の王将を見つけ、それを自らのお守りとする。

その後、三吉は、名人が書いた本を娘に読ませ、将棋の練習を続けていた。

しかし、彼の視力はますます悪化し、もはや、作るぞうりも不出来だとして、全く相手にされなくなっていた。

そんな所へ突然来客がある。

かつて、自分の目が悪いのではないかと聞いて来たあの紳士だった。

彼こそ、眼科医の菊岡(小杉勇)と言い、かねてより、関東勢に占められていた名人位を関西にもたらすのは三吉以外にないと確信し、いつも陰ながら、彼の試合を観察していた人物であった。

彼の勧めにより、三吉は目の手術を受ける事にする。

菊岡の助力と小春の信心によって、三吉のプロ棋士としての研鑽は8年に及んだ。

ついに、大正2年6月、京都、南禅寺で行われた関根八段と坂田七段の試合は互いの実力が伯仲した名勝負となるが、ある局面でうった三吉の三五銀の奇手がきっかけとなり、最後には、坂田七段の勝利となる。

長年の宿敵に初めて勝った三吉は、地元新聞社等にもてはやされ上機嫌だったが、大人に成長して、試合の場にも同席していた娘の玉江(三條美紀)は、何故か独り不機嫌だった。

その夜、どこからか帰って来た玉江は、父親三吉の前でいきなり説教しはじめる。

今日、勝つきっかけとなった「三五銀」の手は、負けるのが嫌さに苦し紛れに山勘でうった手だろうと言うのだ。

小春はじめ、新聞社連中も、みんな勝つ事ばかりに執着してきた結果がこうなったのであり、こんなはったりで勝っても、決して立派な将棋さしにはなれないのではないかと、問いつめて来る。

娘からの突然の指摘に激怒する三吉だったが、言葉を止めない娘を追い掛ける内に、その指摘が真実である事に気づき、深く反省すると共に、妙見はんに立派な将棋さしにしてくれと太鼓を叩いて祈るのだった。

やがて、大正3年、対関根戦で10戦6勝、大正10年、名古屋で行われた11回戦で三吉は7勝する。

この三吉の成長に恐れをなした東京側は、急遽、関根に名人位を与えようとする動きを見せるが、これを受けた大阪側でも、新聞社が中心となり、名人戦を組むか、関西名人を独自に名乗らせようとする動きを始めるが、当の三吉は、将棋盤と相談してみるというだけの返事であった。

そんな立派な境遇になった夫の事を誇らし気に感じていた小春は、折から聞こえて来た盆踊りの音に、自殺を考えた16年前を思い出すのだった。

あの当時、赤ん坊だった長男のよしおは、すでに他界していた。

そんな小春に、三吉は珍しく、懐かしい天王寺の町に行ってみようと誘うのだった。

二人が出かけた後、父の様子に不審を感じた玉江が、内弟子の毛利(大友柳太朗)に訳を訪ねると、三吉は十三世名人も関西名人も名乗る事はしないと決断したのだと言う。

自分には、そんな資格はないと言い切ったらしい。

そんな折、珍しく訪問して来て、その決断を玉江から聞かされた菊岡は、そんな事を言うようになった三吉の成長を感慨深気に思いやるのだった。

その後、東京では、関根の名人襲名披露会が執り行なわれる。

その席に突然現れたのは、毛利を伴い、大阪から駆けつけて来た坂田三吉だった。

晴れがましい事が嫌いな彼は、酒席に出る事を嫌い、秘かに関根との対面を願い出ると、やってきた関根に対し、自分はこれまで、あなたを仇だと憎んで精進して来たが、その仇があったればこそ、ここまで登り詰める事が出来たと頭を下げる。

さらに、自分の方こそ、同じ気持ちだと恐縮する関根に対し、三吉は、自分ができる土産はこんなものだと、自ら久しぶりに作ったわらじを渡すのだった。

その時、突然、東京から電話がかかり、娘の玉江が伝えて来た所によれば、心臓が悪かった母、小春が危篤状態だと言う。

その危篤の意味さえ分からぬ三吉は、電話口から、妙見はんへの祈祷を繰り返し唱えるのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

天才棋士、坂田三吉の半生を描いた感動作。

阪妻が、無学だが、将棋にまっしぐらなだけの子供のように純真な男の姿を、時にユーモラスに、時にシリアスに、見事に演じきっている。

最後まで、自分の分をわきまえ、決して驕る事のなかった三吉の愛すべき人柄と、それを支えた家族や周囲の人間の善意が、観ていて心地よい。

それに対する、好敵手役を演ずる滝沢修の、物に動じない終始落ち着いた態度も印象的。

互いの才能を認めあう、正に『天才は天才を知る』の姿はすがすがしい。

全体的に、今観ると、お涙調の演出が目に付くが、将棋の知識がない者が観ても、それなりに付いていけるように、試合と日常生活のバランスが旨く配置されている。

いわゆる、少年マンガの「スポ根パターン」(天才肌の主人公が、さらなる天才と巡り会い、精進と勝負を重ねるごとに成長して行く…といった)に繋がる原型とも言える話なのではないだろうか。

ただし、夫に一生を捧げた女房小春の、最初の方の貧乏時代の苦労話にはまだ付いていけるのだが、途中から信心中心になるので、何となく観ていてピンと来なくなるのが気にならないではない。

逆に、娘役の方は、幼い赤ん坊を背負って歌を歌っていた貧しい少女時代には、単なる「泣かせ」の古臭さを感じたが、成長して、父親の将棋に苦言を呈する姿には強くうたれた。

「勝つ事ばかりに執着するような浅ましい姿勢」だけでは、一生、立派な将棋さしにはなれないと説く、彼女の言葉は、競争社会の今、特に含蓄がある。

貧乏長家時代の三吉の友人、ラーメン屋を演じているのが、三島雅夫だと言う事は気づいていたが、迂闊な事に、三吉の内弟子の毛利を演じているのが大友柳太朗だったのには、最後まで気づかなかった。