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男たちの大和/YAMATO

2005年、東映、佐藤純彌監督作品。

観客の中で、おぼろげながらも「戦艦大和」の最後を全く知らない人は、ごく少数派だろう。

つまり船のドラマとしては「タイタニック」同様、「大和」も又、観客は結末を承知で観る訳である。

基本的に、そこには意外性もサスペンスも何もない訳だから、新作映画として成立させるには、フィクションとして、何か人間ドラマのサプライズ(意外な生存者話まど)を付け加えるか、ビジュアル的なサプライズを付け加えるしかない。

結末を知っているドラマなんかに客が来るはずがないという大方の読みを見事に覆してメガヒットした「タイタニック」は、そうした新たなサプライズを、古典的だが、普遍的な身分違いの恋愛メロドラマと、金をたっぷりかけたビジュアルとで準備し、観客を惹き付けた成功例だろう。

この「男たちの大和 YAMATO」も、その成功例にあやかったのか、構造は「タイタニック」に似ている。

時代は現代から始まり、悲劇の生存者が船の沈没現場へ行き、その過去の勇姿を回想する形で始まる。

後は、実物大オープンセットの迫力と、ひたすら、その船に乗った若者たちの泣かせのドラマ、つまりは戦争の犠牲になった年少兵たちの哀れさを、これでもか…と、見せつける手法のオンパレードになっていく。

基本的には「二百三高地」(1980)以降の東映戦争大作の流れそのままの作品だと思う。

奇しくも、「二百三高地」で演じた乃木希典そっくりの白ひげを生やした仲代達矢が、又、最後に涙する…という展開も同じだし。

オープンセットを使ったシーンは、スタントやCG処理等なども加え、さすがに、従来のミニチュア特撮とは一味違った迫力あるものになっているが、船の甲板の前半分しか作っていないせいか、「大和」の全体的な大きさや勇壮さが今一つ出ていないように感じた。

「大和」の全体像は、おそらく「大和ミュージアム」にあるミニチュアの合成だと思うが、所詮、展示用の工芸品なので、大胆な接近撮影等が出来ない。

そのために、ロングでシルエット的にはめ込む程度の処理は出来ても、迫力ある航行シーンや沈没シーンなどは不可能だったのだろう。

結果的に、船としての大和の運命を描くという印象は希薄になっており、あくまでも、乗組員たち、特に、年少兵たち中心のドラマで終止している。

ただし、そこで語られるエピソードの数々は、特に新鮮と言った感じはなく、何となく、過去の戦争映画で観て来たもののバリエーションのような印象が拭えない。

しかしそれは、大平洋戦争から60年も経過し、観ている側の大半が戦争というイメージそのものを、我が事として実感できなくなっている今、どんなに史料的に忠実に映画で再現しようとしても、限界があるのかも知れない。

全体的に、仲代達矢、渡哲也ら以外に、これと言った大物スターは出ておらず、いわゆる「オールスター映画」と言う感じではないにせよ、指揮官たちの出演シーンも印象が薄く、何となく、申し訳程度に添えられているだけと言った感じなのも寂しかったりする。

白石加代子や林隆三など、どちらかと言えば懐かしい顔ぶれを発見する楽しみはある。