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日本の黒い夏 冤罪

2001年、日活、平石耕一「NEWS NEWS」原作、熊井啓脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

平成6年、6月27日夜、松本市内で、有毒ガス中毒事件が発生する。

そして、その10数時間後に、事件の第一通報者神部俊夫(寺尾聡)が逮捕された。

後日、これは冤罪だった事が分かり、新聞社は謝罪記事を出した。

その11ケ月後、高校生の放送部員男女二人(遠野凪子、斉藤亮太)は、その事件をドキュメンタリーの形でまとめようと、あちこちを訪ね歩いたがどこも相手にしてくれず、結局、ある地元放送局だけが取材に応じてくれた。

当時、地元のニュース番組「ニュース・エクスプレス」を担当していたデスクの笹野(中井貴一)をはじめ、浅川(北村有起哉)、花沢圭子(細川直美)、野田太郎通称ノロ(加藤隆之)が、高校生の相手になってくれた。

女子高生は、新聞社は謝罪したが、テレビ局は謝罪しなかったと指摘するのは何故かと質問をする。

まずは、初期報道に問題がなかったかのか?

笹野、浅川、花沢らが当時を回想する。

まず、NHKで松本市内の裁判官官舎で有毒ガスが原因と思われる中毒事件が発生したと報じ、浅川も現地レポートしていた。

死者10数名が出る大惨事となり、単なるガス漏れ事故等ではない事が予想された。

その直後、被疑者不詳の殺人罪で、第一通報者宅に家宅捜索が入る。

その通報者宅から、一般家庭にはない種類の大量の薬品が見つかる。

この後、東京の通信社から、長野県警が、第一通報者、神部俊夫が、庭で薬品を交ぜている内に有毒ガスが漏れだしたと発表したとの報道が、地元に逆配信されてくる。

この段階で、笹野は、情報の裏を取れと浅川に命じ、浅川は、担当刑事の吉田(石橋蓮司)を自宅前で朝方まで待ち受け、事情を聞き出そうとするが、何も情報は入らなかった。

神部は薬学部卒と言う事は判明するが、この時点では、重傷の妻(二木てるみ)同様、本人も入院していた。

翌日の朝刊に、「事件現場付近で白い煙を見た」という目撃情報や、通報者宅の納屋から二十数点の薬品が発見された事、さらに、被害者たちの症状が農薬中毒に似ている事、除草剤を化合している途中での事故ではないか等の憶測が乱れ飛んだ。

こうした各社の報道を読んだ笹野は、情報の裏が取れたものと早合点してしまう。

正社員が4人しかおらず、後は臨時雇いの人間しかいない地方局の情報収集力は極めて限られているのだ。

薬品の中から青酸カリが見つかったとの知らせを受けた報道各社は、毒ガスの正体はこれだと思い込みかける。

しかし、被害者たちが入院している病院の担当医に取材したノロの報告によると、患者たちの症状には青酸カリ特有の症状はなく、むしろ、有機リン化合物の可能性があるとの事であった。

定時のニュース放映の時間が迫る中、笹野は他社とは一線を画し、毒物の正体は青酸ではないとの姿勢で報道する事を決意する。

当時、長野県警は全国的に見ても検挙率が低く、早く真犯人を上げて面子を保ちたいと言うあせりがあった。

情報も、警察筋から流れるのではなく、東京中心の情報が逆流すると言う現象が主流だった。

その頃、当の神部俊夫は、39°の高熱と頭痛に悩まされる中、病院内で吉田警部らの事情聴取を受けるが、神部の受けた印象では、最初から犯人扱いされているとしか思えなかった。

青酸カリの入手経路と使用目的に付いても質問されたが、神部は、以前勤めていた薬品販売会社にいた頃もらったもので、趣味の写真の現像の為に使っていると答える。

こうした扱いに対し、神部は永田弁護士(北村和夫)を通じて抗議声明を出した事から、逆に疑いを深める事になる。

7月3日、捜査一課長の記者会見が行われ、毒ガスの正体は有機リン系物質「サリン」だったと発表される。

大人の致死量は0.5mg、化学兵器として使われるもので、日本国内にはないはずのものだった。

地元テレビ局は農芸大学の藤島教授(藤村俊二)に、サリンは素人にも作る事ができるかという事を聞きに行くが、バケツのようなもので混合すれば、誰にでも作れるとの答えを得る。

浅川は、相変わらず吉田警部に張り付いていたが、薬品の入手ルートを当っているという断片的な情報を得るだけだった。

7月5日、まだ入院中だった神部は、車椅子に乗って、別の病室に寝かせれている妻の容態を見に行く。

30日、神部は退院し、永田弁護士の事務所で記者会見を開き、自分が入院している間に、何時の間にか犯人のように報道されていた無念さを語るが、その会見後、事情聴取のため、あらかじめ待機していた吉田警部と共に警察に向う事になる。

その車を追う報道各社。

当初、体調が悪いため2時間だけという約束で始められた事情聴取だったが、結果的に7時間にも及んだ。

警察側は、スナックで、30〜40人は殺せる薬品を持っているとあんたがしゃべっていたのを聞いた事があるという客がいるとか、様々な揺さぶりをかけて来るが、神部は、その証人と会わせてくれと反論する。

一方、神部の長男に対しても警察は、事件後、神部が君に薬品を処分してくれと命じたという証言があるなどと、個別に尋問していた。

又、いきなり、神部に対して嘘発見機を使用する等、最初から警察は神部を犯人扱いしていたし、テレビ局も何時の間にか人権を侵害する側に立っていた事も事実であった。

退院直後で、体調も悪く、ゲリと不眠に悩まされる毎日が神部を襲う。

神部家には、連日のように、嫌がらせの電話や手紙が舞い込むようになる。

そんな中、自宅で神部は、自分の三人の子供(一男、二女)に対し、今後の生活について話していた。

一方、笹野デスクは永田弁護士に会い話を聞くが、永田は、こうした風潮が固まりつつある中、もはや世論に頼るしか神部を救済する方法はないと告白する。

神部に対する冤罪は、マスコミが作ったとも。

それを聞いた笹野は、サリンを特集する特番を作ろうと思い立つ。

理化学大学の古屋教授に、再度、サリンが素人にも簡単に作れるものか聞きに言った所、それなりの施設と時間をかけなければ、とても素人等に作る事は無理で、バケツで簡単に作れる等とんでもないと、以前とは全く違う事実を教えられる。

サリンは通常は液体であり、複数の専門家が関与しなければ作成は無理だろうとも。

この新証言を得た笹野は、犯人は神部ではないと直感し、再度、彼のアリバイの裏付けを命ずる。

事件当夜、台所近くでアイロンをかけていた神部の妻が、気分が悪くなったと神部に訴え、その直後、庭で飼っていた犬の泣き声が聞こえたので、様子を見に行ってみると、愛犬が白い泡をふいて痙攣を起こしていたと神部は言う。

その証言を取っている時、花沢は、住居の下に通風抗を発見する。

庭木の変色具合等からも判断すると、サリンの発生源は駐車場の辺りではなかったかと推測された。

その後、浅川の調査で、サリンの何段階か前の状態であるメチルホス酸ジグロイドという薬品は、遺伝子研究の為市販されている事を知るが、神部の押収品リストの中にその名前は見当たらなかった。

しかし、当時、神部犯人説に傾いていた他社の報道路線の中で、独り、別の立場を取った報道をすれば、視聴率が下がると浅川は心配した。

しかし、笹野は、むしろ、新しい見方を紹介すれば、視聴率は上がるのではないかと踏み、特番を放映する。

すると、確かに視聴率は上がったのだが、視聴者から抗議の電話が殺到する事態になる。

明らかに犯人は神部であるのに、何故、それに反する報道をするのかという内容だった。

笹野は、営業部に呼ばれ、営業部長(平田満)から、こういう状況では、スポンサーがCMを引き上げざるを得ないと言っていると通告する。

窮地に立たされた笹野は、旧知の間柄である吉田警部に直接会いに行く。

そして、人権とは言葉だけなのか?と、問いかけてみる。

それに対し、吉田は、警察の上部では、面子にかけ、年末までに神部を逮捕すると息巻いているが、物的証拠が何もないので出来ないと洩らす。

同時に、科研の調査で、とあるカルト集団の施設付近からサリンの残留物が発見されたと言う内部情報までリークしてもらう。

こうして、膠着状態が続いたまま年を越した3月、東京でサリン事件が発生する。

新聞社は、ここに至って、はじめて松本サリン事件の報道に対して、謝罪記事を掲載する。

これまでの話を聞いていた女子高生は、そうしたマスコミの姿勢に幻滅する。

結局、警察、マスコミ、市民が揃って、冤罪の共犯者だった事になるからだ。

やがて、カルト集団の幹部が、松本での犯行も供述をはじめ、神部への疑いは完全な冤罪だった事が明らかになる。

何もかも話し終わった浅川は、今日は全員本音を言ったと呟く。

神部は、今だ体調が戻らぬ妻との、長い苦難の将来を予感していた…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

現実に起こった松本サリン事件での冤罪を追ったドキュメンタリー風の作品。

これは、まだ記憶に新しい事件であり、その直後の報道等も読んでいただけあって、そうした当時の報道が、実はなかりいい加減なものであった事を知り愕然とさせられた。

実際、証言があった…などという報道も、実は、裏付けがはっきりしておらず、事実無根のものだった可能性もある訳だ。

何か、パニックを沈めるために、無意識にスケープゴート(犠牲の羊)を大衆が求めていて、その心理的手助けを報道と警察がしてしまったという事になる。

これは、正直恐ろしい。

ただ、こうした問題提起には、考えさせられるものがあるとは言え、この作品が映画として面白いのかと言えば、はなはだ答えにくいものがある。

同じように、大きな事件を映画的に再構築した「帝銀事件 死刑囚」などに比べると、見ごたえ感が希薄と言うか、テレビの特番でも観ているような感覚に近く、映画的な緊迫感には乏しいのでないか。

これは、やはり、事件の真相がいまだはっきりしない未解決事件ではなく、すでに冤罪であった事がはっきりしている事件の回想形式になっているためだと思う。

だから、観ている側も、当時、冤罪の加害者側の一人、あるいは無責任な野次馬だったと言う負い目もあるため、ひたすら反省のドラマに感じるからかも知れない。

例え公の報道であっても、何事も鵜呑みにするなという教訓だけは、しっかり胸に刻んでおきたいと思う。