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明朗五人男

1940年、東宝京都、村上浪六原作、小国英雄脚本、斎藤寅次郎監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

明治の頃。

横山達吉(横山エンタツ)、河田郁治(川田義雄)、伊東鶴夫(柳家三亀松)、藤木徳三(花菱アチャコ)、山下敬太(柳家金語楼)の書生五人組は、ボロ家に「青雲舎」というグループを作って、同居暮しをしていたが、全員、とにかく金がなく、その日食べるものにさえ事欠く始末。

着るものも、五人で一人分の着物しかなく、毎日、外出する者が、交替で着て行く他は、全員、肌着姿で留守番と言う有り様。

今日は、河田がクズ拾いをして、それを売りに行くが、一日歩いて集めたクズが、たったの4厘にしか売れなかった。

その稼ぎで、肉を買って来るに違いないと、鍋の用意をして待っていた他の四人は、帰って来た河田が持って来た紙包みに期待を寄せるが、出て来たのは、何とタクアン一本だけだった。

これではならじと、今度は山下が、門前の鳩が突ついていた餌用の豆を広い集めに行く。

そして、豆腐屋に出会うと、その豆と豆腐一丁2厘を交換してもらう。

その次は、法律を勉強中の藤木が着物に着替え出かけると、馴染みの田中タバコ店でタバコを買った後、米屋に行って、米800つぶだけ売ってくれと交渉するが、そんな半端な商いは出来ないと、店主から断わられてしまう。

すると、やにわに、藤木は、店先にこぼれていた米つぶを拾い集め出す。

その次に着物を着替えた伊東は、流しの三味線引き(武智豊子)から、三味線を拝借すると、自慢の咽で都々逸をうなり出す。

すると、たまたまその場所が「小唄稽古場」の前であったので、その声に聞き惚れた小唄のお師匠さん(音羽久米子)から家の中に呼ばれ、たんまり食事をごちそうになる。

しかし、さすがに自分一人で満腹になるのは気が引けたのか、師匠が鏡を観ている隙に、饅頭を懐に押し込んで帰ろうとするが、すっかり、その饅頭が畳にこぼれてしまい恥をかいてしまうが、同情した師匠は、そんな伊東に手みやげまで持たせてくれる。

その頃、腹を空かせて、伊東の帰りを待っていた四人の内、横山は、押入の中の布団で寝てしまい、シュウマイを食べている夢を観ている様子。

そんな哀れな横山の独り言に呆れていた山下と藤木は、焦げ臭い匂いに気づいて台所へ走ると、わずかばかりの米を焚いていた釜を焦がしてしまっていた。

そんな所にやって来たのが大家の九兵衛(永井柳太郎)、溜まっている家賃を払えと言うのだ。

しかし、ない袖は振れないと、こんなあばら家が家と言えるんですかねと皮肉る山下の言葉を聞き咎めた九兵衛は、五人もの人間がちゃんと暮しているのだから、こんな立派な家があるかと言い返すが、その途端、床が傾き、九兵衛は床下に落ちてしまう。

次に着物を着替えた横山が、飲み屋の前でうろうろしていると、見知らぬ男から「俺だよ」と声をかけられ、そのまま、店の中に連れ込まれ、酒を飲む事になる。

横山には、さっぱり相手の見当が付かないので、話がチグハグになるが、酒さえ飲めれば別に問題ないと、そのまま適当に話を合わせてしまう。

やがて、相手の男がトイレに立ち、それを待つ間、横山は後ろの席に座っていた男が無銭飲食だと騒がれ、村相撲の大関だったと言う店主が、その男を締め上げはじめたので、気が気ではなくなり、連れの男はどうしたと店の女に尋ねると、すでに、あなたに払ってもらってくれと言い残して帰ったと言う。

もはやこれまでと観念した横山は、酒屋の前の質屋ののれんを見つめるのだった。

かくして、横山が、一張羅の着物を質屋に売ってしまったので、着るものがなくなってしまった五人の元へ、恩師今村博士(進藤英太郎)から、粗飯でも差し上げたいから一度全員でお越し願いたいと言う手紙が届く。

粗飯と言う言葉に喜んだ五人だったが、着て行くものがない。

考えた末、彼らは全員、下着の胸に番号を付け、マラソンしているような様子で、博士宅まで走って行く事にする。

そのアイデアを面白がった博士は、彼らが貧乏している事を察し、五人分の着物を用意してくれていたが、彼らの来るのが遅かったので、もう食事は済ませてしまったと言われ、五人はがっかり。

しかし、その後、博士は意外な事を切り出して来る。

何と、一人娘の照子(椿澄江)の婿に、君らの一人がなって欲しいと言うのだ。

ただ、困った事に、照子は病気持ちなのだと言う。

それを聞いた横山は、一歩前に出ると、お嬢さんがどんな病気でも、自分が直してみせると言い出し、その言葉を聞いた博士は、即座に、横山を婿にする事に決定するのだった。

一方、タバコ屋の一人娘、お幸(清川虹子)に、かねてから片思いだった藤木は、ある日、そのお幸が、金持ちの男と車に乗り込む所を目撃、自分の思いは叶わなかったと、失意のどん底に陥り、自殺をほのめかす手紙を青雲舎に残して姿を消してしまう。

その置き手紙を読んだ、他の四人は、慌てて藤木を捜しに行くが、その頃、当の藤木は、杭を杵で打ち込んでいる労働者たちに遭遇し、死にたいので、その杵で自分の頭を殴ってくれと頼んでいた。

一人の労働者が、そんなに弱気なら、本当に殴ってやろうと、杵を振り上げた、ちょうどその場に駆けつけたのが四人組。

寸での所で、藤木は助けられるが、その拍子に、振り下ろされた杵は、山下の禿頭に当ってしまう。

そんなこんなで、何とか生き長らえた五人組だったが、大家から立ち退きを言い渡された事をきっかけに、五年後の再会を約束して、ひとまず青雲舎を解散する事にする。

それから五年の月日が経ち、横山は妻の病気も直し、医学博士となり「横山医院」を開業していた。

そんな所へやって来たのが、なかなか弁護士になれない藤木だった。

藤木は、最近、神経衰弱気味だと言うので、それを聞いた横山は、自分の懇意の精神科医に紹介してあげようと言い出し、何故か、妻の目を盗んで、裏窓から庭に降りて行くではないか。

それに付いて行った藤木が案内されたのは料亭。

横山も、窮屈な家庭生活と仕事の毎日に飽き飽きしており、ちょうど息抜きがしたかったらしい。

その料亭の外では、流しの新内屋が自慢の咽をうならせていた。

その声に聞き惚れた二階の客から、声色のリクエストがかかる。

新内屋は、初代沢村藤十郎や中村吉右衛門の声色で唄ってみせると、最後に金語楼の声色を始める。

それを聞いていた二階の客、山下は、あれほど、自分の声色が巧いのは、旧友の伊東くらいしかないはずだと不思議がりながらも、座敷へ招き寄せてみると、これが、本当にあの伊東だったから、互いにびっくり。

聞けば、山下の方は、北海道で金を掘り当て、大金持ちになったのだと言う。

その隣の部屋にいたのが、藤木と横山だったのだが、彼らは、山下たちが再会を懐かしがって歌いはじめた「デカンショ節」に吊られ、隣の部屋を覗いてみると、何と、そこにいるのは、懐かしい旧友二人ではないか!

互いに再会を喜んだ四人だったが、思い出すのは、残りの河田の行方。

その河田は、料亭の前を建築の仕事に仲間たちと向っている最中だった。

その河田、外国人の婦人と車屋が言い争いをしている現場に遭遇する。

英語が得意だった河田が、婦人に訳を尋ねると、車屋が「酒手」という聞き慣れない料金を要求していると言う。

そこで、それはチップの事だと教え、車屋にも事情を説明して、これからは、言葉の分からぬ外国人とは、最初からきちんと料金を決めて走った方が良いと忠告する。

そんな最中、日本橋の青雲舎から火が出たと言う声が響き渡る。

それを料亭で聞いた四人は、青雲舎と言えば、自分達が住んでいた家ではないかと気づき、消火の為に、現場に駆け付けるが、そこで、同じく駆けつけて来た河田と再会を果たすのだった。

しかし、かれらが担ぎ出した消火ポンプの扱いに戸惑っている内に、青雲舎は全焼。

彼らの姿を観た大家は、あんたたちを追い出した罰が当ったのだと後悔する。

しかし、それを聞いた山下は、建物等、自分がすぐに再建してみせると言い出す。

火事の法律上の後始末は藤木が担当し、けが人の治療は横山、建築には河田が当る事になる。

かくして、立派なビルが再建されたが、その資金を出した山下は、又しても無一文になり、外国に旅立つ事になる。

その見送りに訪れた四人の仲間たちは、各々、妻も同伴していた。

伊東と一緒に流しをしていた妻が、エジソン社のレコードから、小唄を吹き込んでくれとの注文があったとの知らせ。

ついに、伊東も、いっぱしの大芸術家になったのだ。

そうした中、船上の人になった山下は、又、一から出直して来ると、旅立って行くのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

吉本興業との提携作品で、喜劇の名手、斎藤寅次郎監督の作品だが、検閲によって、大半のフィルムを切ってしまったため、今現存しているフィルムは、50分に満たない半端なものになっている。

何でも、検閲者の中に、偶然、劇中に登場する五人の一人と同姓同名の人間がいて、それがために、8000呎あったフィルムが、半分の4000呎にまで切られてしまったのだと言う。

勿論、切られた最大の理由は、名前のせいだけではなく、劇中で、米をこぼす表現が不謹慎だと言われたり、外国語や外国婦人の登場がダメだと言う事だったらしい。

これでは、もはや、公開は出来ぬとあきらめかけていた所、軍部の方から問い合わせがあり、慰問用なら差し支えないからと、再現して買取りたいとの注文が受けるが、その時すでに、捨てたフィルムの大半は見つからず、何とか、ゴミ箱の中から1000呎分だけ見つけてつなぎ合わせ、それを30本納品したらしい。

前半は、貧乏話をナンセンス風に、途中、エンタツが、見知らぬ男と飲み屋で交わす会話や、五年後に再会したアチャコと料亭で交わす会話は、そのまま漫才になっている。

やはり、フィルムの欠損部分があるために、全体的に、話が分りにくくなっているのは否めないが、この時期の斎藤作品としては、貴重な一本である事は確かだろう。

古い作品だけに登場人物も皆若いが、清川虹子や進藤英太郎の若さには驚かされる。

よほど注意して観ていないと誰だか分からないだろう。

エンタツ独特の「ボケ」振りは、今観ても魅力がある。