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黄色いからす

1957年、歌舞伎座、館岡鎌之助+長谷部慶治脚本、五所平之助監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

鎌倉の大仏の写生に来ていた小学生たち。

担任の芦原先生(久我美子)は、一人の子供の絵に足を止める。

吉田清(設楽幸嗣)というその子の絵は、黄色い背景に黒い大仏が描かれているだけ。

気になって、学校の男先生(沼田曜一)に相談すると、色彩心理学的に言うと、こういう色使いをする子供には、親がいなかったり、寂しい境遇の子供に多く、戦後、急激に増えて来ているのだと言う。

吉田清には両親が揃っていたが、父親が引揚者だった…。


時間は遡る…。


9才になる清は、母親マチ子(淡島千景)と一緒に、引き上げて来る父親を迎えに港まで列車でやって来ていた。

父親が出生後生まれた清は父の顔を知らず、初めて会う父親に期待と不安でワクワクしていた。

翌日、やっと船から降りて来た父親一郎(伊藤雄之助)に母親が体面した時も、一緒にいた清は、何となく気後れと恥ずかしさから「お父さん」と呼べないまま帰宅する。

それからも、清は、父親を素直に「お父さん」と呼べないまま日にちが過ぎて行くが、はじめて「お父さん」と呼び掛けたのは、父親が、以前勤めていた会社から2週間休養するようにと言う手紙をもらい、ぶ然としていた間の悪い時で、返事ももらえずじまい。

その後も、清は何とか父親に話し掛けようと、自分が秘かに飼っていたはつかねずみを見せようと話し掛けるが、父親はただ、病原菌を運ぶようなものはあちらで駆除していたんだと冷たい返事で、取りつく島もない。

そんな清は、お隣の養女、春子(安村まさ子)と仲良しだった。

春子の母親(田中絹代)は、鎌倉彫の作家であり、職人たちも束ねているし、清の母親にも内職を手伝ってもらっていた関係もあり、清にはいつも優しく接してくれるおばさんだった。

南陽商事に復職した一郎だったが、9年間のブランクは、仕事のシステムも変えてしまっており、本人は賢明にやっているつもりでも、課長の秋月(多々良純)からすると、時代遅れの人員にしか見えず、仕事を別の社員に回されたりする。

やがて、一郎とマチ子の間に、長女光子が生まれ、二人の関心はこの赤ん坊の方に移ってしまい、清はますます家の中で孤立して行く。

ある日、産後の妻のために買って来たチョコレートとビスケットを、相変わらず、隣に遊びに行って帰って来た清に渡そうとした一郎だったが、清は無言でビスケットを取って自室へかえるだけだった。

その様子を見に行った一郎は、清がはつかねずみにエサをやっているのを発見し、部屋の中に入ってみると、「僕の動物園」と描いた看板と、戸棚の中に入れられていた亀などの小動物を見つけてしまう。

不潔だから捨てなさいと叱られた清は、それらの動物を、こっそり、隣の物置き小屋で買わせてもらう事にする。

ある日、寺の子供と帰宅途中だった清は、その友達が持っていた数珠を二年生のグループから取られそうになり、つい、石を投げあう喧嘩になってしまう。

そこへ通りかかったのが、その寺に下宿していた担任の芦原先生だった。

彼女は、清を部屋に呼ぶと、茶菓子を与えるのだが、清はその部屋に会ったオルゴール箱が気に入った様子だった。

その夜、先生に勧められた通り、得意の粘土細工を見せようと準備して、父親の帰りを待っていた清だったが、一郎は、同僚の鈴木(高原駿雄)と泥酔して帰って来る。

会社での憂さを晴らすため深酒になったのだ。

当然ながら、清の粘土細工等に興味を持つ訳でもなく、要領だけで世渡りするようになるな、図画工作ばかり得意ではダメだ等と愚痴めいた小言を言うばかり。

そんな所へ、いきなり、近所の老婆(飯田蝶子)が、お宅の息子に孫の額に傷を付けられたと、怒鳴り込んで来る。

見てもいない事で、怒鳴り込んで来るのはいかがなものかと、その場は帰した一郎だったが、もめ事を起こした清が、自分は悪くないと釈明するので、つい叱ってしまう。

妻の町子に対しても、自分なんか帰って来なければ良かったと弱音を洩らすのだった。

そんな中、清が揺りかごの側で遊んでいた時、突然、赤ん坊が泣き出したので、慌てた清が、何とか妹をあやそうと揺りかごを揺らしていた所を目撃したマチ子は、清がいたずらをして、赤ん坊を泣かしたと勘違いし大声をだし、それを聞いた一郎も又、一方的に清が悪さをしたと思い込み、強く叱りつけると共に、甘やかしてはいかんと家の外に追い出して、塀の門を閉ざしてしまうのだった。

泣叫ぶ清の声に気づいて近づいて来た隣のおばさんは、いったん自宅に連れて行き、食事を与えた後、家に送って行くが、それを知った一郎は、余計なおせっかいをしてくれると不機嫌になるのだった。

翌日は、清が楽しみにしていた隣のおばさんと春子とのピクニックの日だった。

江ノ島の水族館へ行き、海岸でお弁当を広げていた時、清はおばさんに、春子はもらいっ子って本当なの?と問いかける。

誰に聞いたのと不審がるおばさんに、春子が自分で言ったのだと告白する。

その後、清は、空気銃に撃たれてケガをしたカラスを発見、持って帰って、他の小動物同様、物置きの「私たちの動物園」で飼う事にする。

その頃、清の自宅には、芦原先生が家庭訪問して来て、黄色と黒だけで描かれた絵を見せて、その説明をしていた。

すっかり反省した二人は、その日、ピクニックから帰って来た清に優しく接するので、機嫌の良くなった清は、父親に正月用の凧を買ってくれとねだり、一郎も承知して、指切りをするのだった。

翌朝、一緒に会社と学校に出かける途中、それとなく清は父親にカラスは好きかと尋ねるが、一郎は、あんなものは不吉だから嫌いだと答える。

その日学校で、芦原先生は、家庭の都合で、今日限り先生を辞める事になったと、生徒たちに報告する。

先生が好きだった清は、今日帰るという先生をバス停まで送って行くが、その際、先生は、オルゴール箱に入れたクレパスセットを清にプレゼントして去って行くのだった。

あんなある日、清は、出かける母親から妹の世話と留守番を頼まれる。

承知した清は、赤ん坊を抱いたりしていたが、表を通る、肉やの宣伝カーの音に釣られ、赤ん坊を乳母車に入れると外に出てしまう。

その時、隣の春子から声をかけられたので、乳母車を置いたまま、物置きのカラスの様子を見に行った清だったが、乳母車の方から泣き声が聞こえたので戻ってみると、いつもの二年生グループが乳母車をおもちゃにしているではないか。

怒って飛びかかって行き、又しても喧嘩になった清だったが、そこへ帰って来たのがマチ子。

その姿を見て、逃げ出した二年生たちのからだがぶつかり、乳母車が転倒、赤ん坊はケガをしてしまう。

マチ子は真っ青になり、清を残したまま赤ん坊を病院へ連れて行くし、帰宅して来た一郎も、清から話を聞くと、慌てて病院へ向うのだった。

独り、家に取り残された形の清は、寂しさを紛らわすために、カラスのカー子を家に連れて来て遊んでいたが、親たちが帰って来たのに気づき、慌てて、押入にカラスを隠してしまう。

しかし、帰宅早々、清を叱りはじめた一郎は、ふとしたはずみで、そのカラスを発見してしまい、自分のだと言って取り戻そうとする清を振り切り、外へ逃してしまう。

その措置に、猛烈に泣きわめきはじめた清に対し、一郎は、自分のした事を反省しないような子には、もう凧を買ってやらないと宣言するのだった。

その夜は、逃げてしまったカラスの事を思い出して、涙ながらに寝つけない清だった。

翌日は大晦日だった。

朝、布団の中に清の姿がいない事に気づいたマチ子は心配するが、一郎の方は、洗面所に置いてあった画用紙に「おとうさんのうそつき 死んじまえ」と描かれた清のクレヨン文字を発見し愕然としていた。

その画用紙の裏には、黒バックに、黄色だけで着色されたカラスの絵が描いてあった。

しかし、一人でカラスを捜しに行っているのだろうと、一郎は捜しに行こうとはしなかった。

その頃、清は、大好きだった芦原先生に会いに行こうとバスに乗り込むが、料金を持っていない事を理由に、車掌から次で下ろされてしまう。

雨が降る中、独り物置きで清が来るのを待ち受けていた春子は、熱を出して寝込む事になる。

どうしても動き出そうとしない夫の態度に見かね、相談に訪れた妻に同情した隣のおばさんは、私が捜しに行くと言い出し、身内の職人たちにも清捜査を手伝わさせるのだった。

やがて、とうとう一郎自らも、雨の中、清を捜しに出る事になる。

清を捜し倦ねて自宅に帰って来たおばさんは、台所の冷蔵庫が開けっ放しになっており、小さなドロの足跡が付いている事に気づき、怪しみながら、隣の部屋を覗いてみると、何と、清が手にかじり掛けのリンゴを持ったまま寝ているではないか。

すぐに、隣のマチ子を呼びに行ったおばさんだったが、寝ている清の姿を観て、どうして直接家に帰って来なかったのだろうと不審がるマチ子に対し、先日のピクニックの時、清が幸せそうな他の家族の方ばかり観ていた事を打ち明け、一郎が帰って来て以来、清が家族の中からはじき出されているのではないかと感じていたと打ち明けるのだった。

それを聞いて大いなる反省をしたマチ子は、自分では清を起こせないと尻込みする。

おばさんに起こされた清は、リンゴを盗んだ詫びを言うと共に、家には帰りたくないから、自分も、春子と同じように、この家の子にしてくれないかと言い出す。

それを部屋の外から聞いていたマチ子は、涙を流すのだった。

その後、家に帰って来た一郎に対し、マチ子は、隣で聞いた清の本音の事を打ち明ける。

それを聞いていた一郎も又、深く反省をするのだった。

そして、隣のおばさんに連れられて帰って来た清は、一郎に、これまでして来た事の詫びを言うが、一郎は自分の方こそ悪かったと一郎を優しく抱き締めるのだった。

翌日の元旦、海岸で、大きな凧をあげる一郎親子、そして、その様子を笑顔で見つめる隣のおばさんと春子の姿があった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

戦争の傷跡を、一つの家庭の微妙な崩壊劇に象徴させて描いた作品。

子供が中心となるが、決して、子供向け作品ではない。

ストーリーだけ見ると、何だか、帰還して来た父親が悪いような印象を受けるかも知れないが、画面で観る限り、父親は特に偏屈な人間でも、狭量な人間でもない。

やや潔癖性な部分はあるが、基本的には誠実な人間である。

子供に対しても、特に辛く当っている訳でもないし、かといって、甘やかしている訳でもない。
ごく一般的な父親としての接し方をしているのだ。

そんな真面目な人間が、戦争に行かせられたあげく、時代に取り残され、不遇の身になる悲劇。

何の罪もない子供にまで、そのしわ寄せが及んでしまう悲劇。

そういう家族の心の閉塞感に、身近にいるはずの妻も気づかない悲劇。

戦後、父親不在が解消されて、何もかもうまくいくはずだった家族が、実は、結果的にバラバラになっていたという悲劇。

何か、大きな事件が起こる訳でもなく、淡々とした日常ドラマの積み重ねがあるだけなのだが、そこから伝わって来るテーマは重い。

優しい先生役の久我美子や隣のおばさんを演じる田中絹代の存在も大きいが、やはり、中核となる父親役伊藤雄之助、母親役淡島千景の抑制のきいた自然な演技は見事。

そして何よりも、清役の少年設楽幸嗣と、となりの春子役安村まさ子の純真な瞳には泣かされる。