1961年、東映京都、大仏次郎原作、小国英雄脚本、松田定次監督作品。
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時は元禄、世は泰平の気分に浮かれ、御上が諸注意等を記した御高札など誰も気にするものもいなかった。
しかし、その御高札の「賄賂は厳禁」の部分に落書きをしているのに気づいたのは、岡っ引(田中春男)。
さっそく、南町奉行に知らせに行くが、肝心の奉行は、勅使のお迎えに江戸城へ出向いていて留守だった。
その江戸城では、浅野内匠頭(大川橋蔵)と伊達左京亮(片岡栄次郎)が、勅使饗応役を仰せつかっていた。
その後も、書き換えた御高札の同じ箇所を、又、同じようにいたずら書きして、御用人を愚弄する事件が連続する。
皮肉な事に、その報告を奉行直々に受けていた柳沢出羽守(柳永二郎)の元に、吉良上野介(月形龍之介)から進物が届く。
さすがに、その進物は持ち帰る事になった使いの松原多仲(有馬宏治)一行を、途中で待ち受けていたのが、いつも、御高札騒動の現場に出現していた深編がさの浪人者。
かねてより、その同行を怪んで見張っていた岡っ引に縄を飛ばされるが、瞬時に綱を切ったかと思うと、進物の品を抱えて町中へ逃げ込んでしまう。
その後を追った岡っ引が入ったのは、丹前風呂屋。
折から、堀部安兵衛(東千代之介)の依頼により、昨晩徹夜で、浅野家の江戸屋敷の畳を200畳分、新品に取り替えた、畳屋の加兵衛(吉田義夫)と、その仲間たちが入浴中だった。
二階の個室に、聞き覚えのある声の浪人者(大友柳太朗)を見つけだした岡っ引だったが、その着物の紋は、先ほどの深編がさが着ていた「右巴」ではなかった。
その「右巴」の紋の着物を着ていたのは、下でくつろいでいた堀部安兵衛が着ていたから、岡っ引は戸惑ってしまう。
コウなっては、さしもの岡っ引も、安兵衛を取り囲んでいためっぽう威勢の良い畳屋仲間たちから体よく追い返されてしまう事になる。
実は、番台に座っていた男(多々良純)から、訳を聞かされた安兵衛が、浪人者の着物をわざと受取って着ていたのだった。
その後、とうとう、再び書き換えた御高札の下に、盗まれた進物用の金の茶釜が堂々と置かれると言う珍事が発生する。
しかし、権力に胡座をかく柳沢出羽守は屋敷に訪ねて来た吉良に向い、ひょっとすると、その騒ぎの元は赤穂藩の家臣たちの腹いせかも知れないが、世の清廉潔白を気取っている大名への見せしめとして、もっと浅野に対してはいびりを強めろと言い含めるのであった。
一方、あの浪人者は、片田勇之進(阿部九州男)という侍から因縁を付けられ、勝負をする事になる。
岡っ引の差し金であった。
片田に加勢するのは、清水一角(近衛十四郎)ら、吉良の親戚筋に当る上杉家家臣たちだった。
そこへ通りかかったのが堀部安兵衛、さしもの一角たちも、二人が相手となっては不利と観て、その場は退散する事になる。
堀部安兵衛は、礼を言って別れようとする浪人者に名を尋ねるが、相手は堀田隼人と名乗るのみだった。
その頃、饗応役に神経を尖らす毎日を送っていた浅野の元へ、親友の脇坂淡路守(中村錦之助)が心配して訪ねて来る。
そんな淡路守から、自分の父も、吉良からはずかしめを受けた事があったが、自分の為に堪えてくれたと忠告された内匠頭は、家臣の内蔵助やその息子、松之丈らが釣って来たと言う鯛を観て喜ぶのだった。
帰りしな、淡路守は、見送る家老の片岡源五右衛門(山形勲)に対し吉良家への進物の内容を問いただした後、賄を嫌がる主人に言われたからと言って、それに正直に従うのではなく、それなりに送る相手に合わせて、それを責められたら、腹を切る覚悟をしているのが本当ではないかと諭すのだった。
しかし、その話を聞かされた内匠頭は、それでも自分が卑しい人間になる事を潔しとはしなかった。
翌日、吉良から教えられた通り、上裃の姿で登城した内匠頭だったが、廊下で、茶坊主の玄達に間違いを指摘され、急ぎ、家臣たちが念の為にと用意していた烏帽子姿に着替える事になる。
その事で、到着が遅れた事を、松の廊下で出会った吉良からなじられた内匠頭は、さすがに、これまで堪えて来た堪忍袋の緒を切り、吉良に対し刃傷沙汰に及ぶのだった。
その場にいた加治川(宇佐見淳)に羽交い締めにされた内匠頭だったが、もう一太刀と、内匠頭は悔しがる。
この騒ぎを聞き付けて、松の廊下に駆けつけた淡路守は、額を斬られて抱えられて来る吉良と身体が触れあったので、大切な家紋を血で汚されたと扇子で打ち据えるのだった。
その後、お目付役の多門伝八郎(進藤英太郎)から取り調べを受けた際、家臣たちに類が及ばぬよう、一時の乱心という事に取り計らってやろうとする配慮を見せるが、内匠頭は、それでは自分の意趣が果たせぬと断わるのだった。
一方、吉良への裁きを心配して、柳沢出羽守の元へ駆けつけた、息子、上杉綱憲(里見浩太朗)は、何のお咎めもないだろうと聞かされ、一安心していた。
即日切腹を言い付かった内匠頭は、田村右京之介の屋敷で、庭先に忍んでやって来た片岡源五右衛門と、最後の無言の別れをするのだった。
内匠頭切腹の知らせは、早馬で、国元の赤穂藩に知らされたのと同時に、米沢城の上杉藩の、病気で臥せっていた千坂兵部(市川右太衛門)にも知らせられた。
その兵部、かつて、赤穂藩の大石内蔵助(片岡千恵蔵)とは、山鹿流の門弟で親友同士だった仲だが、今や、仇として戦わねばならなくなった宿命を感じ取っていた。
その妻、千代(長谷川裕見子)も又、内蔵助の妻、りく(花柳小菊)と懇意の間柄であったが、その妹、仙(丘さとみ)には、赤穂藩偵察の任務が兵部から下っていた。
さらに、兵部は、清水一角から聞いた、腕の立つ謎の浪人を上杉藩に雇うように命じていた。
その頃、赤穂藩では、城代、大石内蔵助が、60名ばかりに減った家臣たちに、内匠頭の辞世の句と、自刃した際の小刀を披露していた。
内蔵助の息子、松之丞(松方弘樹)も又、生前、自分が釣った鯛を選んで食べてくれたと聞く内匠頭の仏前に、今日、釣って来たばかりの鯛を供えて涙していた。
そんな赤穂藩に向っていたのは、堀田隼人と彼の付き人であった左吉コンビ、さらに、その後を追う仙たち、上杉藩の配下たちの姿があった。
やがて、脇坂淡路守が城改めに訪れた際、内蔵助に、大目付に対し内匠頭が、自分を乱心としたのでは意趣が果たせぬと言い残した言葉を伝える。
やがて、妻りく、まだ幼き息子たちを国元へ帰し、松之丞と共に、藩を離れようとしていた内蔵助は、上杉藩が放った浪人者の刺客たちに襲われるが、その場を助けたのが、頬被りをした隼人だった。
その正体を隠そうとする隼人に対し、内蔵助は、今後、いらぬ手助けは無用と告げる。
そして、去って行ったあの隼人が、自分の甥に当り、昔、吉良によって職を追われた父親を観て、世をすねてしまった堀田仁左衛門であると、松之丞に教えるのだった。
そんな様子を、草影からうかがっていたのが仙。
その頃、江戸の丹前風呂では、畳屋の伝六(中村賀津雄)が、赤穂浪士は、敵討ちも出来ない腰抜けだなどと、廻りに吹聴していた。
実際、大石内蔵助は、祇園等で、毎日のように遊興に耽っていた。
その様子を観察して、仇討ちの気配なしと落胆していたもう一人の男が隼人だった。
そんな隼人に近づいて来た仙は、彼を赤穂の仲間と観て、短筒を突き付けるが、隼人は撃つなら撃てと開き直るのだった。
瞬時に、仙の短筒が火を吹く。
その頃、上杉藩では、仇討ちどころか、遊興三昧の大石の事を兵部に報告して、安心させようとした右門だったが、聞いた兵部は、それは、山鹿流の門弟時代、内藤家という藩が断絶した事例を元に、二人で考えていた作戦通りだと驚愕し、興奮のあまり、病気が悪化し倒れてしまう。
兵部倒れるの知らせを片岡源五右衛門から聞いた内蔵助は、友の身を気づかい、静かに涙するのみだった。
その後、日を追う事に、同士たちが抜けて行く状況にいら立ちを隠せなかった赤穂浪士たちの元へ、立花左近と名乗って内蔵助が江戸へ向っていおり、今、三島の宿まで近づいているという知らせが伝えられる。
ところが、その三島の宿には、本物の立花左近(大河内伝次郎)が到着し、宿の主人から、自分と同じ名前の人物がすでに泊まっていると聞かされると、その人物に会わせろと怒りだす。
その事を、主人から伝えられた内蔵助は、慌てず、お供のものたちを、隣の部屋に下がらせると、本物の立花左近を部屋に招き入れる。
その左近から、そなたが本物ならば、九条家御用の進物用目録を見せろと詰め寄られた内蔵助は、静かに、目録を手渡すが、その中には、ただ白紙が入れられているだけ。
しかし、それを観た左近は、瞬時に、対峙している人物の素性を察し、自分の方が偽者だったと、即座に宿を発とうとする。
その出立を、玄関先で、頭を下げ見送った内蔵助に対し、左近は、自分が持っていた本物の御用手形を使ってくれと、手渡すのだった。
その手形を携え、部屋に戻りかけた内蔵助を廊下で待っていたのは、何と、病気で倒れたはずの兵部であった。
二人は、じっと互いに見つめあったまま、無言ですれ違う。
部屋に戻り、すれ違い様、兵部が内蔵助の袖の中に押し込んだ書面を読んでみると、昔約束した通り、松之丞の元服用の名前が記してあるではないか。
即座に、隣の部屋にいた松之丞を呼び寄せると、兵部が名付けた良金と名乗らせ、その場で元服させるのだった。
その頃、江戸の長家では、意外な事に、敵味方同士であったはずの隼人と仙が、夫婦暮しをはじめていた。
仙は、自らの短筒が、隼人の右腕を負傷させてしまった瞬間から心変わりしていたのだった。
そんな所へ、内蔵助が江戸へ到着したと言う情報を持って来たのが佐吉。
隼人は、一目でも、叔父上に会いたいと願うのだった。
その頃、畳屋の伝吉は、堀部安兵衛を通じ、内蔵助に会い、吉良家の内部の間取りを調べてくれと依頼されていた。
これまで、敵討ちをしない赤穂浪士たちの悪口を吹聴して来た自分に、そんな仕事をさせてもらえるとは思っても見なかった伝吉は、感激して吉良の屋敷に乗り込んで行くが、警護の浪人者たちに怪しまれ、その場で袋叩きにされるが、江戸っ子の意地を見せ、最後まで口を割る事はなかった。
やがて、内匠頭の妻であった揺泉院に、今度、とある西国に仕官する事になったので、今生の別れに来たと挨拶に来た内蔵助に対し、すぐさま事情を察した揺泉院は、形見として、自ら持っていた数珠を渡すのだった。
その帰り道、内蔵助は、道ばたで待っていた隼人こと虎之助に出会い、そのまま蕎麦屋に連れて来る。
元赤穂藩の台所勤めをしていたおよね(小暮実千代)、富三(星十郎)夫婦がやっていた蕎麦屋には、すでに赤穂浪士たちが待ち受けていた。
その下の部屋に案内された隼人は、秘かに階段を上がり、中の様子をうかがうと、中では、すでに討ち入りの準備が整っていた。
叔父たちの行動を知った隼人は、長家に帰ると、剣を持っていても、自分は、あの中に参加する事はできないのだと仙に伝え、互いに抱き合うのだった。
その頃、雪が積もる吉良邸前に到着した内蔵助の陣太鼓を合図に、四十七志は吉良邸に乗り込んで行っていた…。
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東映創立10周年記念大作。
東映の忠臣蔵ものは、過去何本か観ていると思っていたが、この作品は、観た記憶がない。
今回がはじめての観賞となる。
中村錦之助が浅野内匠頭を演じた1969年版「忠臣蔵」と、同じ監督、同じ内蔵助役の忠臣蔵ものだが、この作品では、内蔵助の甥で、世をすねてしまった隼人という浪人者と、内蔵助のかつての盟友、千坂兵部という人物を前面に押し出し、基本的なストーリーに、少し変化をつけた演出になっている。
片岡千恵蔵と市川右太衛門という、両「御大」共演だけに、互いの登場場面は、同じような尺数になっている。
特に、三島の宿で、互いが対峙するシーンでは、二人の顔のアップが、同じカット数だけ繰り替えされる念の入れよう。
記念大作と言うだけあって、とにかく予算をふんだんに注ぎ込んでいる様子は、冒頭の元禄の泰平を表現する、春の宴の豪華なシーンからも伺える。
豪華なセット、大勢のエキストラ、華麗な美術、全てが贅沢である。
出演者も、当時の東映のオールスター総出演。
月形龍之介の重厚な吉良役も、申し分ない。
粋な江戸っ子を演ずる中村賀津雄も、儲け役のような気がする。
錦之助、千代之介、橋蔵、里見浩太朗といった、当時のイケメン若手大集合だから、女優陣は分が悪い。
山形勲、薄田研二、進藤英太郎など、普段は悪役が多いベテラン陣も、この作品では、美味しい役所をもらっている。
一番、美味しい役をもらったのは、影の主役とも言うべき大友柳太朗ではないだろうか。
近衛十四郎と、まだあどけなさが残る松方弘樹親子が、敵味方の役で共演している所も見物。
ただし、二人が同一画面に出て来る所はない。
情感極まるシーンがいくつか用意されており、ほとんどそのストーリーを知って観ていながら、なお、胸に迫る部分がある。
数ある「忠臣蔵映画」は、皆各々に見ごたえがあるが、この作品もなかなか捨て難い出来だと感じた。
