TOP

映画評index

ジャンル映画評

シリーズ作品

懐かしテレビ評

円谷英二関連作品

更新

サイドバー

二百三高地

1980年、東映東京、笠原和夫脚本、舛田利雄監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

明治37年、満州ハルビン地区で、ロシア軍による日本人二人横川省三(早川純一)と沖(村井国夫)の処刑が行われようとしていた。

横川は、最後の言葉として、「満州、朝鮮はアジアだ!」と言い残し、沖は最後の酒としてウォッカを飲み、「日本帝国万歳!」を叫んで、銃殺されるのだった。

19世紀末、未発達だったアジア諸国は、ヨーロッパやアメリカの植民地区の餌食になっていた。

特に、ニコライ2世に統治されたロシアは、満州地区を制圧しており、その勢いはさらに朝鮮へと移行しようとしていた。

このままでは、日本も侵略の餌食になると懸念した、当時の政府は、ロシアと戦争するべきか否かを論じあっていた。

当時のロシアと日本の国力の差は明らかだった。

歳入比較で言えば、日本2億5000万円に対しロシア20億、軍人の数で言えば、日本20万人に対し、ロシア300万人。

こうした事を理由に、伊藤博文(森繁久彌)は戦争に乗り気ではなかった。

その頃、市井でも、ロシアとの開戦容認派と反対派のいざこざが起きていた。

戦争反対を叫んでいたグループにいた松尾佐知(夏目雅子)は、戦争推進派の一派から襲撃を受けるが、それを助けたのは、たまたま近くにいた金沢の小学校教諭小賀武志(あおい輝彦)だった。

その頃、児玉源太郎(丹波哲郎)と会談した伊藤博文は、戦うなら、今を逃しては勝機はないと聞かされ、開戦の決断をする。

2月4日、御前会議で明治天皇(三船敏郎)に承認を得る。

伊藤博文は、その後、金子堅太郎(天知茂)にアメリカとの交渉に出向かせる事になる。

ロシア教会の集会で、戦況悪化を憂える牧師に向い、自分はロシアを敬愛していると述べたのは、トルストイをはじめ、ロシア文学に親しんで来た小賀だった。

偶然にも、同じ集会に参加していた佐知も又、彼の言葉に同調するのだった。

二人は、その帰り道、互いの自己紹介をする事で急速に接近する事になる。

第三軍指令長官には、長らく休職していた乃木希典(仲代達矢)が任命される。

その配下となる伊地知(稲葉義男)らが、陸軍大学校でその乃木を迎える中、当の乃木は、同郷の児玉との再会を喜びあう。

児玉は、昔、清国との戦いで武勲のあった乃木を勇気づける。

その頃、金沢では、第9師団が召集されていた。

小学校で教鞭を取っていた小賀は、子供達に、自分も戦地に行く事を報告しながら、ロシアにも優れた人たちはたくさんいるし、ロシアの国民全部を憎んではいけない、みんなトルストイみたいになってくれ、さらに黒板の隅に自らが書いた「美しい国日本、美しい国ロシア」という言葉も、自分が再び帰ってくるまで消さないでくれと言い残すのだった。

その学校にやって来た佐知は、出征する小賀に自らの髪を渡しながら、自分はこの地であなたを待つ決心をしたと告げるのだった。

その頃、同じく召集令状を受取った友禅染職人、米川(長谷川明男)は、寺に預ける幼い息子と娘に別れを惜しんでいた。妻亡き後、この幼子たちを置いてゆく事が、唯一の心残りだったのだ。

一方、豆腐屋で働いていた木下(新沼謙治)は、飲んだくれた店の主人(愛川欽也)と別れを惜しんでいたが、両親が喧嘩をしていると言うので、慌てて家に飛んで帰る。

木下の家は貧しく、家族全員が、その貧しさの中で苦悩していたのだった。

さらに、警察署では、暴れて牢にぶち込まれていたヤクザ者の牛若寅太郎(佐藤允)が、召集令状が来たと警官(桑山正一)から釈放されようとしていた。

こうして、第七連隊には、木下、米川、牛若、さらに幇間の梅谷(湯原昌幸)が、小賀小隊長の元に集まって来る。

中隊長は、ロシア語を勉強していた子賀に出征を控えさせた方が良いのではないかという一部意見がある事を伝えるが、子賀の毅然とした態度を観て、何の問題もないと確信するのだった。

5月26日、4004名の犠牲を払い、金州南山占領するが、その死者の中には、乃木の長男勝典も含まれていた。

6月1日、いよいよ、第9師団も、出発する事になる。

米川は、どうしても子供の事が気掛かりだったが、赤十字が預かる事になったと小賀から聞かされ一安心。

佐知は小賀に千人針を手渡し、いつまでも帰りを待っていると伝えるのだった。

旅順には、二竜山、盤竜山、東鶏冠山などがあったが、コンドラチェンコ少将率いるロシア軍は、難攻不落の鉄壁な要塞を築いていた。

有刺鉄線には高圧電流が流れ、当時、日本にはなかった手榴弾や機関銃、さらに、船舶用の機雷まで投擲用として常備していた。

さらに、コロニエールと呼ばれる溝が掘られ、そこに落ちたものは、皆、下に設置された木槍の串刺しになるか、機関銃の餌食になるしかなかった。

そんな中、日本の第三軍は遼東半島から上陸し、第9師団は二竜山に向っていた。

7月15日、大連にある大本営では、大山巌総司令官(野口元夫)、児玉参謀長らが乃木と作戦会議をしていたが、そこへ児玉が気をきかせて呼び寄せた乃木の次男、保典(永島敏行)がやって来たので、他の者は席を外し、親子水入らずの時間を作ってやるのだった。

8月10日、長岡外史(平田昭彦)は、防備の弱い203高地を攻めるべきと進言していた。

第9師団は、8月19日夜、突撃する事になるが、米川が脱走したと分かる。

仲間たちが探し出すが、米川の元には、子供達が赤十字から逃げ出したと知らせる手紙が届いていたのだった。

本来なら、敵前逃亡で銃殺刑の所だが、梅谷ら仲間が必至になって米川をかばい、事なきを得る。

19日、いよいよ突撃が開始されたが、右翼を担当した第2中隊、竜眼北、左翼を担当した第1、3中隊、ことごとく失敗する。

その後、前哨堡塁も失敗し、突撃隊は全滅してしまう。

この戦いで、村井軍曹(秋山敏)や中隊長、金平(三南道郎)などが次々と戦死して行く。

東鶏冠山のクリークでも大勢の日本軍が罠に落ち、結果、永久堡塁第22連隊は全滅してしまう。

この失敗を受け、乃木は第一次攻撃中止を命ずるのだった。

雨降りしきる中、配給されて来た飯には、大量の血が混ざっており、第9師団の生き残りの面々の中には、ここはお化け屋敷だ、誰も生きて帰れない…と呟く声が聞こえて来る。

その後、日本各地に船舶攻撃用として110門設置されていた28cm竜弾砲の内、18門を前線に輸送して来る。

その頃、小賀は中尉に進級しており、中隊長となっていた。

行方不明になった米川の子供が見つかったとの知らせがあり、佐知は、まだ籍は入れていなかったものの、小賀の妻として、その身柄を警察に受取りに行く。

小賀は、その佐知からもらった髪と、瀕死のロシア兵から託された家族の写真を、戦友たちの墓前で一緒に焼いていた。

そんな中、牛若は、内地に帰りたがっている米川の指を撃ち、負傷兵に見せ掛けてやろうと言い出すが、米川はみんなと一緒に死にたいと、その好意を断わっていた。

何とか早く、旅順を落として欲しいという東郷指令長官からの指令を伝えに来た上泉中佐(若林豪)に対し、前線基地では、弾がないのだと反論していた。

一方、遼陽の満州総本部では、古賀総参謀長が、何とか乃木を応援してやりたいが、何も出来ない事を嘆いていた。

やがて、第2次総攻撃が開始されるが、これも失敗したため、東京の乃木の家には、民衆から、非難の投石騒ぎが起こっていた。

そうした中、乃木の妻(野際陽子)は、ただひたすら、仏壇の前で耐え忍んでいた。

ある冬の日、戦地のど真ん中で作業中だった牛若は、乃木にばったり出くわし、タバコをもらう事になる。
その際、つい「自分達は所詮消耗品なので…」と謙遜のつもりで愚痴ってしまったのを、乃木が哀しそうに見つめたのに気づき、牛若は後悔して、素早く言い訳をするのだが、乃木は無言で頷くのみだった。

そんな乃木は、作戦の度重なる失敗を自らの責任と自覚しており、自決用の短刀も準備していたが、ある時、部屋を訪れて来た保典に持ち帰られてしまうのであった。

11月7日、タンジェールから、バルチック艦隊が出航する。

伊藤博文は山県に対し、乃木の更迭を進言していたが、明治天皇の反対にあってしまう。

旅順には厳しい冬が到来しており、幇間の梅谷は死んで行く。

11月26日には、各部隊からの混生となる白襷隊の銃剣突撃が決行されるが、ことごとく討ち死にしてしまう。

負傷した志水上等兵(市川好朗)も凍死する。

そんな折、要塞の上にいた敵の将校から、一時停戦の呼び掛けと酒を取りに来ないかと言う誘いがある。

日本人の勇気とど根性を見せようと、牛若は上半身裸になって刺青をさらけだし、黒田節を歌いながら、敵の近くに歩み寄り、上から吊されていたウォッカを取ると、その場で飲んでみせるのだった。

しかし、あまりの敵の挑発に我慢しきれなくなった味方兵が、敵の将校を射殺してしまったので、その場は再び銃撃戦となり、牛若を救いに駆け寄って来た米川が火だるまになって死んで行く。

その頃、松村第一師団長(玉川伊佐男)と大迫第七師団長(浜田寅彦)は、協力して203高地を攻略するよう指令を受けていた。

一方、敵の捕虜から情報を引き出すため、通訳を勤めていた小賀は、敵の罵詈雑言に耐えかね、思わず、その場で銃殺しかかり、周囲から止められる。

しかし、激情にかられた小賀は、兵隊たちに待っているのはただ地獄の尺熱の苦しみだけなのに、その敵の人道を守れなどという乃木の軍規等は関係ないと叫び、その声を聞いてテントを出て来た乃木は、小賀を責める事なく、ただ静かに隊に戻れと諭すだけだった。

11月28日、児玉総参謀長が自ら二百三高地に出向いて来る。

そんな中、乃木の次男、保典も又、敵の銃弾を受け戦死していた。

その知らせを受けた乃木は、自らも攻撃に赴く事を部下に伝える。

児玉は、前線基地の将校たちが、ストーブで暖を取っているのを観て激怒するが、伊地知は、又しても、攻撃しようにも弾がないと繰り返すのみ。

その策のなさに呆れた児玉は、乃木と会い、自ら突撃隊に加わると言う乃木を強く制するのであった。

そして、自らを、第三軍に介入させてもらう許可を得た児玉は、28cm砲を移動させ、突撃部隊の背後から掩護するよう計画をたてる。

それは、味方を撃つ危険性を含んだ危険な賭けだったが、これまで払った犠牲を考えると、真っ向から反対できる将校は誰もいなかった。

かくして、銃砲隊の砲撃と共に突撃が強行され、西南山頂、東北三町、中央山と占領して行き、山頂から見える旅順港の敵戦艦に向け、次々と砲弾を浴びせ、その大半を撃沈する事に成功する。

その頃、金沢の小学校では、小賀のクラスの新しい担任として、佐知が任命されていた。

一方、第11師団に編入されていた小賀の方は、穴を掘り勧めて、永久堡塁を確保し、日章旗を立てようとしていたが、敵の抵抗に会い、互いに血みどろの肉弾戦を繰り広げた後、息絶えるのであった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

テレビアニメの編集版だった「宇宙戦艦ヤマト」(1977)が空前のヒットを飛ばし、若者の間にも戦争映画待望の気運が高まったと考えた(?)東映が放った3時間を超す戦争大作。

今改めて観ると、主要な役者の顔ぶれ、森繁久彌、三船敏郎、仲代達矢、佐藤允、平田昭彦、さらに特撮が、中野昭慶…とくれば、完全に東宝映画である。

それに、丹波哲郎と天知茂という新東宝メンバー。

脚本と監督以外に、東映らしさはあまり感じられない。

だが、やはり、同じく二百三高地の戦いを描いている、東宝の「日本海大海戦」(1969)とは、かなり趣が違っている事は確か。

「日本海〜」が、あくまでも、軍人、東郷平八郎を核に、歴史の流れを特撮スペクタクル風に淡々と描いており、からっとした印象だったのに対し、本作では、メインとなる民間人の悲哀ドラマに力点が置かれているので、かなりウェットな作風になっている。

海戦シーン等は、写真と線画処理、チープな特撮で補足しているだけと言った印象。

両方の作品に共通しているのは、映画を観ている限り、乃木は愚将以外の何ものにも見えないと言う事だ。

何だか、この作品を観ていると、丹波哲郎演ずる児玉参謀長一人が優秀で、彼がいたからこそ何とか勝てた…かのようにも見えてしまう。

この劇中でも、側近たちの無能振りに言及しているが、父親の事を誇りに思っていると言う息子の保典に対し、自分が軍人として力を発揮したのは少佐時代までだった…と、乃木自身の口ではっきり言わせている。

老いて力衰えたのを自覚しながら、それでも重責を任され、目の前で、大半の部下たちを次々に死なせて行く自らの無能振りを毎日直視しなければならない辛さ。

これは、死んで行った兵士同様、あるいは、それ以上の悲劇…、否、拷問である。

戦争は、前線で苦しみながら死んで行く兵士同様、指揮官も精神的に責めさいなんで行く地獄なのである。

この事は、最後の乃木の号泣シーンに象徴されているように思える。

それは、一挙に息子を失った乃木の妻とて同じ事なのだ。

そこに、本当の勝者や英雄等いない。

戦争では、皆、等しく「犠牲者」なのだ…という、何となくステレオタイプな「言い訳」論理にも思えるが、この作品では、本音をしゃべる佐藤充演ずるヤクザ者の存在等を含め、かなり説得力を持って「戦争の愚かさ、残酷さ」が表現されていると感じる。


★【送料無料】DVD/邦画/二百三高地/DUTD-2311

★【送料無料】DVD/邦画/二百三高地/DUTD-2311
価格:3,024円(税込、送料込)