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親馬鹿大将

1948年、大映東京、川口松太郎原案、山本嘉次郎脚本、春原政久監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

丸に金の印が入った高利貸しの店に金を借りに来た男(加原武門)は、店先に人影がないのを不思議がる。
その頃、奥の座敷では、亭主の大山金助(柳家金語楼)と女房のお京(三益愛子)が、お札を電燈に透かしてていた。畳には大量の札束が散らばっている。

実は、お京が紹介した男から受取った百万円が全て偽札だった事が分かり、今、どちらに責任があるかで夫婦喧嘩の真っ最中だったのである。

恒日頃から、自分の意見にハイと素直に返事した事がないお京の事を金助が揶揄すれば、お京も新婚当時からふがいない亭主の悪口を言う。

そこへ割って入って来たのが客である男、そんな中、金助は無一文になってしまった事を改めて思い出し絶望したのか、オタンチンパレオロガスの発作を起こし倒れてしまう。

そんな両親の事を、大学から帰って来た兄金太郎(小原利之)と妹のみどり(由利みさを)は複雑な気持ちで心配するのだった。

二人は、高利貸しなどという仕事をして、周りから「鬼」「ゴリラ」と陰口を叩かれている両親の職業の事を、いつも恥じていたのだった。

翌朝、金太郎は両親に向って、今後も高利貸しなどと言う商売を辞めてくれないなら、自分は学校を辞めると言い出す。
みどりも、自分もこのままではとんでもない事を始めるかも知れないと、親を心配させるような事を呟く。

そんな二人に対し、金助は、自分の親はいい加減だったため、自分は小学校を途中で辞めさせられ、奉公に出された苦い過去があるので、お前たちにはそう言う辛い思いをさせたくないと思って自分は頑張っているのだから、お前たちもしっかり勉強して欲しいと諭すのだった。

しかし、学校に向った二人の気持ちに変化はなく、金助は級友にアルバイトの当てはないかと聞くし、みどりの方も、新聞広告で「ホール・イン・ワン」というキャバレーの社交係募集の読んで、そこへ行ってみる決心をする。

そんな事とは知らない金助とお京は、古道具屋を呼んで家の中のガラクタ類を売り、当座の資金を作ろうと考えていたが、家の近くの道の窪みに車輪をとられて動けなくなっている荷車を見つけたので、親切気を出して、後押ししてやる。

その荷車に積まれた荷物に丸金の印が入っているのに気づいたお京は、それを金助に教えるが、自分達と同じ店で買ったものだろうと笑っていた。

その後、やって来た古道具屋を引き連れて家に戻った金助とお京は、家の中が空っぽになっている事に気づく。

さっきの荷車の主たちは泥棒で、彼らが持って行った荷物こそ、自分達の家から盗んだ品物だった事に気づくが、もう後の祭り。

二人のへそくりもそっくり持って行かれてしまい、残されたのは位牌が一つだけという有り様。

幸い、子供達用の二階だけは被害を免れたのがせめてもの慰めだった。

二人は、もう完璧に無一文になり、今日のおかずさえ買えなくなった事態をどう打開しようかと知恵を出し合うのだが、品川駅の裏には、掏摸が捨てて行った財布が多数捨てられていると言うので、それを売ろうかとか、駅の構内には、満員電車に乗り込もうと押しくら饅頭をしている内に落ちてしまたボタンが多数落ちているから、それを売ったらどうかとか、満員電車の車内で個人用つり革を売ってみたらどうだろうかとか、公園でラブシーンをしているカップの様子を遠くから覗かせる望遠鏡を貸す商売を始めたらどうだろうかとアイデアを出し合うが、どれも、全く実現性のないものばかりである事に気づく。

そんな中、仕事を捜しに外に出た二人は「社員募集」の貼り紙を見て、その家を訪ねるが、そこで出会ったのは、先日夫婦喧嘩している自分達を仲裁してくれたあの客ではないか。

実は、その男、砂糖を売る事業を始めようと、その資金を借りにあの日行ったのだが、結果的には、砂糖は配給になり、そんな商売をやっていたら大損する所であった。つまり、あの日、金を借りられなかったのは幸運だったので、あなたたちには恩返しの気持ちも込めて働いてもらおうと二人を歓迎するのだった。

その男が、新しく始めたと言う仕事はちんどん屋だった。
今や、その商売が成功して、彼はいっぱしの社長になっていたという訳だった。

しかし、それを知った金助とお京は、いくら何でも、そんな恥ずかしい仕事は出来ないと憤慨して帰りかけるのだが、そこへ帰って来た先輩格の社員が、一日働いて4000円も稼いだと嬉しそうに札束を数える姿を目撃すると、背に腹は代えられないと、帰る途中のその先輩に追い付くと、金太鼓を打つ技術指南をしてもらえないだろうかと願い出るのだった。

自分も戦地から帰って来てみたら、独り息子と生き別れになってしまったと話すその先輩は、二人の境遇に同情して、さっそく、金太鼓の打ち方を金助に教えはじめるが、生来、不器用なのか、何度やっても、金助の技術は様にならなかった。

さすがの先輩も呆れて、その場を去ってしまうが、金太鼓を持って行かれた後も、身ぶり手ぶりで賢明に練習を続けていた金助の所へやって来たちんどん屋の社長は、その熱心さを認めて、二人に働いてもらうと言うのだった。

ところが、翌日からちんどん屋を始めた二人は、恥ずかしさでどうしても人前に出る事が出来ない。

それで、わざと、人気のない裏道ばかりを選んで歩いていたが、そんな二人も、好奇心いっぱいの子供達から逃れられるはずもなく、あっという間に、子供達に取り囲まれてしまう。

それが嫌さに逃げ回っていた二人を、怒って声をかけて来たのは、心配して自転車で付けて来ていた社長。

あまりの二人の仕事のいい加減さに怒った社長は、即刻首を言い渡すが、それだけは勘弁してくれと泣きつく二人だった。

河原でがっくりしていた二人は、たまたま通りかかったちんどん屋街頭コンクールと言うパレードに参加しているあの先輩を発見し、とても自分達にはあんな事は出来ないと弱音をはくが、しばらくすると、やるだけやってみようと決意する金助に、頼もしさを感じたお京は、自分も付いて行くと金助を励ますのだった。

その頃、学生仲間たちと「大学豆」を売るバイトをしていた金太郎は、商店街の中に、自分達の手で販売所を設置する事になる。そこへやって来たみどりは、綾小路貴美子(関千恵子)というやんごとない身分の友達を紹介して、彼女も暮らしに困っているのでここで働かせてはくれないかと頼むのだった。

その頃、気持ちも新たに、ちんどん屋を始めた金助とお京は、乳母車の番をしている男の子を喜ばそうと、その側で演奏を始めるが、逆にそれが子供をおびえさせてしまい、男の子は泣きながら逃げてしまう。さらに、その一瞬の間に、赤ん坊を乗せていた乳母車が坂道を転がり出したからさあ大変!

金助は、必死で、その乳母車を止めようと坂道を走り、お京も懸命にその後を追う。

踏み切りの所に差し掛かり、危うく、近づいて来た電車にぶつかりそうになった乳母車を、間一髪の所で救った金助であった。

やがて、給料ももらえるようになり、久々に、金太郎とみどりに小遣いを渡そうとする金助だったが、そんな両親の事をいぶかった金太郎は、最近、二人は何の商売をしているのかと問いかけるが、さすがに二人は、それに答える事は出来なかった。

そんなある日、いつものように道で練り歩いていた金助とお京の所に社長がやって来て、今日は大学通りの方へ行ってくれと依頼するが、子供達に会う事を恐れた二人は、色々言い訳をしてそれを断わろうとする。

しかし、いつも、同じような言い訳で仕事を選り好みする事二人に嫌気がさし、又癇癪を起こしかけた社長を見ると、二人は結局、大学通りに出向くしかなかった。

恐る恐る、通りで演奏していた二人だが、あろう事か、たまたま古本屋に寄っていた金太郎と、前から友達連れでやって来るみどりの挟み撃ちになってしまった二人は、何とか子供達に気づかれまいと必死で横道に逃れるのだった。

ところが、そんな横道に、一人の泥棒を追った集団が走り込んで来たではないか。

泥棒を追う集団には、何時の間にか、みどりと金太郎も混ざっている。

これは困ったと逃げ回る金助たちを、追っていた一部の人間たちが泥棒一味と勘違いして、別行動しはじめる。

一旦は、追っ手を振り切り、停まっていた車の所で休息していた金助とお京だったが、そんな二人にタバコの火を貸してくれと声をかけて来たのは、あの泥棒、しかも、その泥棒こそ、自分達に偽札を掴ませた客だった。

自分達の正体に気づき、再び逃げ出した泥棒を追おうとした二人だったが、金太郎たちもこちらに向って来たので、自分達も他に逃げざるを得なかった。

そのあげく、自分達を泥棒と勘違いした一団に取り押さえられ、金助は袋叩きにされてしまう。

一方、キャバレーで客相手のダンサーをしていたみどりは、店の支配人から、しつこく、自分のスケになるよう迫られていた。

何とか、それを振り切って、裏手で休息していた彼女は、椅子に置いてある一冊の医学書に気づく。

医学部に通っていた彼女は、やがて、やって来て、その医学書を読みはじめた青年に、専門的な質問をさり気なくかけ、相手が驚く様を見て喜ぶのだった。

実は、その青年も、医学部に通う塚本(小林桂樹)という苦学生で、バイトとして、このキャバレーの楽団で、トランペットを吹いていたのであった。

その後、またしても、ホールに出たみどりにしつこむ絡む支配人の姿を、演奏中のバンドの中から観察していた塚本は、あまりにみどりにしつこい支配人の頭を、トランペットで殴ってしまう。

事情聴取の為、警察に出向いた塚本とみどりに対し、刑事は、あの男は札付きの親分で、君たちのおかげでようやく捕まえる事が出来たと感謝される事になる。

さらに、もう、電車もないので、ここに泊まって行かないかと薦められた二人は、仲良く、牢屋の中で一夜を明かす事になる。

しかし、帰って来ないみどりの事を心配した金助は、いつか「とんでもない事を始めるかもしれない」と言っていたみどりは、今やその言葉通り、身を持ち崩しているのではないかと想像し、夜、娼婦たちがたむろする一角に出向いてみる事にする。

そこで、一人の街娼に「みどりという女を知らないか」と尋ねると、いると言うではないか。
驚いて、そのみどりを待ち受けた金助の前に現れたのは、別の少女だった。

まだ、16だというそのみどりは、自分の両親はちんどん屋をしているため、人に馬鹿にされているのが嫌で家を飛び出し、今ではこんな商売をするようになったと聞かされ、金助は、深く考え込むのだった。

後日、すっかり塚本と意気投合したみどりは、共に、結核予防診断師になろうと誓いあい、ついては結婚しないかと告白された塚本の言葉に素直に頷くのだった。

その頃、大学豆の販売所では、金太郎が貴美子にプロポーズしていた。

そんな二人の所にやって来たみどりと塚本は、自分達の仲を金太郎に打ち明け、二組は晴れて、両親に挨拶に行こうと表に出るだが、そこで金太郎が目にしたものは、ちんどん屋をやっている両親の姿だった。

衝撃を受ける金太郎とみどりであったが、二人の様子からその事を知った塚本と貴美子は、職業に貴賎はないと、全く気にしない事を互いの相手に伝えるのだった。

こうして、金助とお京の目の前に現れた子供達とその結婚相手を前にした金助は、又、パニックを起こしてその場に倒れてしまうのであった。

その後、すっかり子供達の理解を得た金助とお京は、今こそ晴れて、ちんどん屋の仕事を続ける事になるのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

川口松太郎原作、三益愛子主演と言う夫婦協力映画となっている。ちなみに、この二人の息子が川口浩。

正直、今観て、喜劇として大笑いできるかと言うと、さほどでもない。
むしろ、普通の人情劇風。

金語楼が、一人で、ひょうきんな表情や動作を時たま披露する以外は、皆至って普通の芝居をしている。
ストーリー自体にも、取り立てて滑稽な展開はない。

あえて言えば、ちんどん屋という職業自体が「ピエロ」を連想させるものなので、しろうと夫婦が、そのピエロ風な仕事をする=滑稽という感覚で作られたのだろうが、その発想自体がすごく平凡で、観ていて、何のひねりや飛躍も感じられない所が物足りないのだ。

さらに、この時代には良くあるのだが、特定の病気の症状を笑いのネタにしてしまっている所が、今では笑えなくなっている部分もあったりする。

ただ、もともと落語家の金語楼がユーモラスな役柄を演じるのは当たり前としても、女優の三益愛子が、しっかりそれを受け止める相方演技をしているのには感心させられた。

むしろ、今となっては、当時の風俗を知る資料的な価値の方が高いように思う。

今だ、戦争で瓦解した建物の跡があちこちに残っているし、学生がバイトで売っている「大学豆」という良く分からないものも登場する。「大学芋」のように、味を付けた豆の事か?

若き小林桂樹も珍しいが、もっと珍しいのは、あきれたボーイズが出ている事。

坊屋三郎、益田喜頓、山茶花究が、「浪花節ブギ」とか歌舞伎ネタなどを披露している。
特に、山茶花究がギターを持って、歌を歌っている姿は始めて観た。

綾小路貴美子役を演じている関千恵子なども、本当に若くて、最初は知らない女優さんかと思っていたが、アップになると、後年、脇役のおばさんなどを演じていたイメージと面影が重なり、この人も当時はこんなにきれいだったのかと驚いてしまった。