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ここに泉あり

1955年、中央映画、水木洋子脚本、今井正監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

屋根まで人が乗っている満員列車。

駅では膨大な乗客が改札口に殺到する。

そんな中、異様に大きな荷物を持った男(加東大介)が駅員に制止され、そのために、改札口は大混雑になる。その男の連れらしき男(小林桂樹)が、乗車を断わっている駅員に通してくれるように頼み込んでいるが、駅員は承知しない。

発射のベルが鳴り、無理矢理、改札口を通った二人は、追い掛けて来る駅員たちに謝りながら、大きな荷物を屋根に乗せて、自分達も走り出した列車に乗り込んで行ってしまう。

昭和22年春、日本初の職業楽団、高崎フィルハーモニーが、とある小学校に演奏に訪れていた。

全校生徒の前でクラシックを演奏するメンバーたちだったが、小学生たちには興味がないようで、演奏中もあちこちでいたずらごっこが起こっている。

校長も、こんなものでは情操教育の役には立たないし、一人10円も取る料金も高すぎると文句を言っている。

ある日、高崎の町に一人の青年が降り立ち、昔、市民音楽団と言っていた高崎フィルハーモニーはどこにあるのかと道を尋ねていた。
しかし、誰も知らない。

ようよう、あるパーマネント屋が詳しいと聞き、そこへ行ってみると、そこのおかみさん(沢村貞子)の夫も楽団に参加していると言う事で、二階を楽団が練習場として使用している喫茶店を教えてくれる。

その喫茶店の二階では、楽団員たちが練習をしていた。

しかし、そんな所へ「お産が始まった」と呼びに来られたのは、産婦人科の院長(十朱久雄)。
彼も、楽団の一人で練習中だったのだが、緊急の仕事では中座せざるを得ない。

他のメンバーたちも、本業を抜け出して来て、合間合間の練習になるだけに、なかなか息が合わない。
当然、メンバーたちの中では色々不満が噴出していた。

そんなメンバーたちを束ねて、近隣の小学校を訪問する移動音楽教育で少しづつ利益をあげて行こうと考えていたのが、マネージャー役の井田亀夫(小林桂樹)だった。

その井田に「速水明」と記された名刺を託して帰った客がいると下の喫茶店から教えられた彼は、駅に駆けつけ、発射しかけた列車に向って「井田さん!急用です!降りて下さい!」と叫び廻って、ようやく、客席に座っていた速水(岡田英次)を窓から引きづり下ろす事に成功するのだった。

トランペット担当の丸谷(三井弘二)が用意してくれた貧しい食事を振舞われていた速水は、原という男が楽団から抜けている姿を目撃する。

経済状態が苦しいので、メンバーの入れ代わりが激しいらしい。

そうこうしている内に、井田がビオラの青井(椎原邦彦)ら新しいメンバーを二人、「浪人長家」と呼ばれる楽団の住まいに案内して来る。

バンドマスターとして招かれた速水は、そんな素人楽団に正直何も期待していなかったが、練習に訪れた喫茶店の二階で、素晴らしいピアノ演奏が聞き驚愕する。

演奏していたのは、若い娘かの子(岸恵子)だった。

そのかの子も、新顔の速水に何の興味もなさそうにその場を離れるが、その後聞こえて来た速水のバイオリンの音に注目するのだった。

いよいよ、練習が始まった楽団だったが、速水は、ずけずけと、素人集団の練習不足、技量不足を指摘し、本業との掛け持ちで、練習に集中できないメンバーは降りて欲しいと宣告する。

これにかちんと来たのは、初期メンバーたち。

ペンキ屋の中村(中村是好)などは、マンドリン倶楽部の時代からこの楽団を支えて来た一人だが、素人がプロのような音を出せないのは当然ではないかという言い返す。

しかし、素人では使い物にならないと考える速水の考えを見抜いた竹村(成瀬昌彦)などは、速水の芸術至上主義姿勢を冷笑的な態度で受けとめており、又、そうした竹村の妥協的な態度を、速水は「東京のキャバレーかストリップへでもいくつもりか?君には似合いだ」などと、軽蔑したように言い返すのだった。

そんなバラバラになったメンバーの状態に頭を悩ましていたのは井田だった。

彼は、行く行くは、この楽団を県に後援してもらえるような組織にするのが夢だった。

しかし、現実は、自分の生活を犠牲にし、まだ幼い子供たちを育てる妻(千石規子)や年老いた母(原ひさ子)に迷惑のかけどうしだったのである。

6人しかメンバーがいなくなった楽団で、移動音楽会を開きに行くが、老人や子供達は、演奏中、次々に帰って行く始末。

疲れきって帰るメンバーたちの中、かの子の姿を待っていたらしき一人の少女が、彼女に花束をプレゼントする。その少女は、少ない観客の中、演奏に夢中になっていた一人だった。

メンバーたちは、その出来事で、心癒される思いだった。

そんなかの子と、少し親しく口を聞くようになった速水は、彼女がすでに両親がいない事、移動演奏でオルガンばかり弾いているようでは、ピアノの腕が落ちてしまうのではないかと不安に思いながらも、他に行く宛てがない事等を聞き出していた。

一方、そんな速水に声をかけて来たのが、山田耕筰のマネージャーをしている立石(伊沢一郎)だった。
彼は、速水ほどの技量の持主が、こんな地方で埋もれているのは惜しいと、東京に来る事を誘いに来たのだった。

そんな二人の様子を喫茶店で発見して、速水の心変わりを心配する井田だった。

その後、メンバーたちは、山奥へ移動演奏に出かける。

途中、山中で中食をとっている時、道を尋ねた山暮しの人々が、好奇心で仲間たちを全員呼び寄せてしまう。
娯楽を知らない彼らにとっては、タダで聞く又とない機会だと勝手に思い込んだらしい。

そんな中、姿が見えなくなったかの子を捜しに行った速水は、寝転んでいたかの子から、東京へ帰らないでくれと告白される。

その意味を悟った速水は、森の中で逃げるかの子を捕まえ、熱い抱擁と口づけを交わすのだった。

そして、仲間の所へ戻って来た速水は、晴れやかな気持ちになって、他のメンバーが山暮しの人々に聞かせていたサービス演奏に自らも加わるのだった。

1年後、かつてのメンバーたちの資金提供等、様々な協力を受け、高崎市内で、山田耕筰率いる東京の楽団と、地元楽団の合同コンサートが開かれる事になる。

自分の夢が一つ実現した井田は大満足だったが、メンバーたちの思いは複雑だった。

特に、すでに、速水の子供を宿し、つわりに苦しんでいたため、演奏に参加できなかったかの子の思いは複雑だった。

舞台脇から目の当たりにした、室井摩耶子さんのピアノ演奏の素晴らしさに打ちのめされたのだ。
すでに、速水と所帯を持ち、子供まで出来てしまった今の自分には、そんな一流の技量とは無縁の人生を選択してしまった事を自覚していたのだったが、そんな彼女のいら立ちを感じていた速水も又、言い知れぬ焦燥感にかられていた。

一方、井田は、会計事務長として、元警察署長と言う変わり種、宗田(東野英治郎)を仲間に加えていた。

その井田も、楽団の進展の為にと思って開催した合同演奏会が、メンバーたちの心を乱してしまった事を知る。

皆、東京の楽団員たちとの技量の差を、嫌と言うほど思い知らされていたからだ。
こんな生活を続けていては、音楽家として技量がどんどん落ちてしまうと、次々に脱退者が出て来る。

しかし、残ったメンバーだけでも、すでに井田が決めて来た仕事には行かなくてはならない。

そんな中、いよいよ出産の時を迎え、入院したかこ子の容態は悪かった。

子供を取るか、母体を取るかと言う局面に立たされていたが、夫、速水は移動演奏に出かけており、連絡が取れない。

その頃、速水は妻の容態も知らず、とある病院で演奏をしていた。
その病院は、当時、直る見込のないとされていた重病患者たちが集められた場所だった。

患者の一人(原保美)が、楽団に心から礼を述べる。

楽団員たちは、そんな患者たちからの心からの拍手を熱く受け止めるのだった。

帰って来た速水は、病室のかの子を見舞う。

一昼夜の難産の後、どうにか、かの子は男子を出産し終えていた。

しかし、その後、長年、練習場として使わせてもらっていた、喫茶店の二階を出て行ってくれと井田は迫られていた。

速水が、生活費を稼ぐために始めた、子供達相手の才能教室の音が、客の迷惑になると言うのであった。

一方、大太鼓担当の工藤(加東大介)や丸屋は、ちんどん屋のアルバイトをし始めていた。
夏休みになり、学校相手の移動演奏が出来なくなり、食うに困っての行動だった。

しかし、この一部の行動が、メンバーたちの内紛の火種になる。

純粋に音楽志向のメンバーたちにとっては不愉快だったからだ。

井田の家でも、仕事がない彼と妻との間で夫婦喧嘩が深刻な状況になっていた。

たまたま訪れた宗田の前で、大げんかをしていた妻は、堪忍袋の緒を切って、女の子だけ連れて家を出てしまうが、誰もそれを止める事は出来なかった。

速水とかの子夫婦もピンチを迎えていた。

赤ん坊のミルク代にも事欠くかの子が、友人から金を融通してもらった事で、速水の機嫌が悪かったのだ。
しかし、さらに二人を深刻な局面に立たせたのは、かの子の目が悪くなっている事に気づいた事。

さらに、喫茶店の二階にあったピアノまで持って行かれたと知り、目が不自由になったかの子は、絶望のあまり泣き伏すのであった。

もはや、メンバーたちの生活費は底をつき、何時の間にか、工藤や丸屋によって、楽器まで勝手に質屋に入れられてなくなっていた事に気づいたメンバーたちは、もうこれ以上は、楽団存続は不可能と解散を決断していた。

パーマネント屋の金子の妻から、差し入れの米をもらって、メンバーの元へやって来たかの子も、その事実を知り愕然とする。

しかし、解散をするにしても、最後の演奏だけはして別れようと速水は、交通費さえままならない、宗田が取って来た利根の奥の演奏をしようと言い出すのだった。

楽器は急遽、井田は知り合いを駆け回って集め、残ったメンバーで出かけた目的地は、凄まじい山奥だった。

途中、雷雨に見舞われながらも、疲労困ぱいしたメンバーたちは、ようやく目的の小学校に到着する。

そうして、集まった大勢の子供達の前で、楽器を一つ一つを披露し、演奏の最後には全員で「夕焼け小焼け」を合唱するのだった。

帰る彼らの姿を遠くから手を振って見送る子供達は、もう二度と、演奏等を聞かず、山で一生を送る人たちなのだと知り、胸を熱くするメンバーたちだった。

そんな中、一人、井田だけは、過労の為、貧血を起こして倒れこみ、メンバーたちに助けられて山を降りるのだった。

数年後、高崎を通りかかった列車の中、山田耕筰は、隣に座っていた立石に、依然、合同演奏会をした地元の楽団はどうなっただろうと問いかける。

もうとっくに消滅して、メンバーたちは皆、キャバレーかどこかで働いているだろう、まだまだ、日本の地方はダメですねと言う立石に対し、山田耕筰は途中下車してみようと言い出す。

車に乗り、市内に入った二人は、楽団の消息を尋ねようと、車を降りるが、そんな彼らの耳に、どこからか曲が聞こえて来る。

その音の方に導かれるように歩み寄った山田耕筰が観たものは、目が直り、ピアオを弾くかの子をはじめとする高崎フィルのメンバーたちの姿だった。

そこには、速水も、工藤も丸屋もいた。

メンバーたちは、突然、練習場に現れた山田耕筰の姿に驚くが、何時しか山田が指揮する手に合せ、誇らし気に演奏を続けるのだった。

すでに、かの子と速水の子、てつおも大きく育っていた。

一方、過労で寝込んでいた井田の家を訪れた立石は、彼の努力を誉め讃え、今度、山田耕筰と一緒に又、合同演奏会を開こうと持ちかけるのだった。

やがて、開かれた合同演奏会。

山田耕筰指揮する中、演奏される「第九」の曲に、会場を訪れた元メンバーたちは、遠い昔の苦しかった移動演奏の頃を思い浮かべるのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

今年(2006)、創立60周年を迎えた群馬県交響楽団をモデルにした音楽映画。

地方に職業楽団を根付かせようと苦労するマネージャーと、生活と芸術の狭間に立たされ苦悩する楽団員たちの姿を描く感動的なストーリーになっている。

マネージャー役の小林桂樹、バイオリニスト兼バンドマスター役の岡田英次、ピアニスト役の若き岸恵子ら、メインの人たちも素晴らしいが、脇を固める千石規子、三井弘二、東野英治郎、加東大介らの存在感も素晴らしい。

珍しい所では、最初のメンバーの中に、若き日の大滝秀治の姿も発見できる事。
怖そうな面構えで、バイオリンを弾いている。

楽団が訪れる小学校の子供達の自然な表情もしっかり捕えられており、ドキュメンタリーを観ているような雰囲気もある。

劇中に登場する山田耕筰は本人である。

後半、ちゃんとセリフまで言っている。

この当時、病気の後遺症の為か、すでに左手は不自由なようだが、動いている本当の山田耕筰を観る事ができるのは貴重。

独立プロの作品だけに、表面的な娯楽を追求する商業映画とは一線を画すそのリアルな視線は、当時のあまり知られざる社会の一面も浮かび上がらせている。

実話をベースにしていると言う事もあるが、音楽の力はやはり偉大で、随所に挿入される演奏シーンには、自然に胸が熱くなって来るから不思議。

正に、傑作の名に恥じない名品だと思う。

なお、本来この作品の上映時間は176分だが、私が観たバージョンは、148分のカット版である。