TOP

映画評index

ジャンル映画評

シリーズ作品

懐かしテレビ評

円谷英二関連作品

更新

サイドバー

純情二重奏

1939年、斎藤良輔+長瀬喜伴脚本、佐々木康監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

作曲家の大家、河田武彦(斎藤達雄)の自宅では、娘の八千代(小暮実千代)が家庭教師から歌のレッスンを受けていた。

そんな所へ、高山と言う面会人が訪ねて来る。

歌い手志望の娘かと思い、取りあえず面会した河田は、面会人が自分の母親の書き置きを読んでくれと言い出したので、いぶかしがりながらも読んでみるが、その内容に表情を曇らせる。

書き置きの主、お菊という女性は確かに知っていると答える河田に、面会人は、自分が娘の栄子(高峰三枝子)だと名乗りをあげる。

しかし、河田は、お菊との話は20年前に解決したはずで…と、言葉を濁すばかりで、実の娘との再会を嬉しがるでもなし、むしろ迷惑そうだった。

その冷淡な態度を観た栄子は、幻想を抱いて田舎から出て来た自分が浅はかだったと告げ、一緒に連れて来ていた弟の唯夫(横山準)と共に、雨の町に出ていってしまう。

落ち着く先のない姉弟は、取りあえず、黒田先生に紹介してもらった知人のアパートへ出かけてみるが、相手は留守らしく、ドアを何度叩いても返事はない。

その音に気づいて、夜遅くではないと、その部屋の住人は帰って来ないと教えてくれた別の部屋の住人関(細川俊夫)は、出直して来ると言う二人に、自分の部屋で待つようにと、親切にも声をかけてくれるのだった。

その関は、河田の弟子で作曲の勉強をしている青年であった。
そんな関に、娘の八千代が好意を持っている事を知っている河田は、会社で出会った彼に、八千代の誕生祝いに来ないかと誘うのであった。

さらに、河田は、会社にやって来た懇意の平林に、行方知れずになってしまった実の娘、栄子の事を打ち明けはじめる。

実は、自分の妻恒子(岡村文子)は恩師但馬先生の娘だったのだが、ある時、先生の門弟の一人と駆け落ちして出奔してしまい、それから2年後、その愛人と死別して、赤ん坊を抱えたみすぼらしい格好となり帰って来たのだと言う。

そんな娘と孫を哀れんだ恩師は、独身だった自分に頭を下げ、恒子と結婚してやってくれと頼まれたと言うのだ。

当時、自分は、芸者のお菊と付き合っていたのだが、恩師のたっての頼みとあれば断わる訳にも行かず、涙を飲んで、お菊と別れ、子連れだった恒子を娶ったのだった。

しかし、そんな自分の所に、今、実の娘が名乗られて来ても、それを優しく迎え入れてしまえば、実の娘ではない八千代が傷付いてしまうに違いない。

だから、心を鬼にして、先日は、訪ねて来た栄子に冷たくあたったが、今となっては、そんな栄子も哀れな身、できるだけの事は陰ながらしてやりたいので、彼女の行方を探し出して欲しいという。

その頃、哀れな境遇の栄子と唯夫に一室を提供する事になり、男芸人三人が四畳半一間で相部屋する事になるのだが、ついでに、彼女たちを援助するカンパを集めようと、ボロアパートの住人たちや、芸人仲間から小銭を掻き集めて来て、栄子に手渡すのだった。

それを感謝して受取った栄子であったが、いつまでも、人に甘えてばかりではいけないと、働き口を尋ねるが、手っ取り早く金を稼ぐには、女給くらいしかないのではないかといわれ、一瞬怯みながらも、どんな事をしても稼ごうと決意する栄子であった。

一方、同じボロアパートに住む関の部屋を訪ねて来たのは八千代であった。
我がまま育ちで高慢な所がある彼女は、こんな汚い所から早く引っ越しなさいと関に勧めるのであった。

その頃、栄子を発見せよと依頼されていた平林は、広い東京で一人の女性を見つけるのは雲を掴むような話で、これからは、カフェやバーを中心に捜してみると、河田に報告していた。

その栄子は、とあるバーで慣れぬ女給をして疲れ切っていた。

そんな中、関は河田に呼ばれ、会社から作曲を頼まれたのだが、最近自分は創作意欲が落ちて来た。ついては君がやってくれないかと、作曲を頼まれる事になる。

アパートに帰宅した関は、今度、女給を辞め、知人の小芝みな子(森川まさみ)のやっている幼稚園で働く事になった言う栄子に出会ったので、それでは、転居祝いをしようと、アパートの住人たちに呼び掛けて、総出で湖にピクニックに出かける事にする。

そこで、栄子と散策する内に、新曲の構想を得た関は、その場で、その歌を栄子に歌ってもらうのだが、その際、彼女の歌唱力が類い希なものである事を知る。

帰京した関は、新曲の吹き込み女性歌手として、栄子の事を会社に推薦するが、一応、コンクールの形で行いたいとする会社の意向を受け入れ、彼女に出場するよう勧めるのだった。

しかし、その言葉に、栄子は一瞬躊躇する。
父親である河田武彦が審査委員長になる事を知っていたからだった。

やがて、日本コロンビア主催に寄るコンクールが行われ栄子も出場するが、後日、呼び出しを受けて出かけた会社で再会した河田から、君は、確かの関が推薦するだけあって巧いと思うが、八千代がやりたがっているので、彼女に吹き込みをやらせるつもりだと告げられる。

がっかりしてアパートに帰って来た彼女から、その事を聞かされた関は、河田の自宅を訪れ、彼女と八千代さんとでは、金と銀のようなもので、才能の違いは歴然としている。八千代さんは良く勉強しているが、銀をいくら磨いても銀でしかない。あの曲は、栄子と一緒にいる時に作ったものなので、彼女が歌わないのなら、曲自体を撤回させてもらいたいと抗議する。

それを黙って聞いていた河田だったが、事情を知らない八千代は、それを側で聞いていて、恩師である父に対しその態度は何だと関に詰め寄るが、関は相手にせずそのまま帰ってしまう。

その後、平林は小芝みな子を訪れ、河田から託された金を渡して、陰ながら栄子を支援してやってくれと依頼するのだった。

そんな河田の好意を知らないまま、みな子から渡された資金を元に歌の勉強に励んだ栄子は、関と一緒に再び河田の家を訪れると、勉強の成果を聞いてくれと河田に言う関の言葉の後、栄子は静かに歌いはじめるのだった。

河田は、さすがに栄子の才能を認めざるを得なかった。

そして、新曲の吹き込み歌手として、栄子を推薦する事を約束するが、今までこんなに冷たくされた父親に、いまさら推薦されても歌うつもりはないと言い放ち、栄子は河田家を後にするのだった。

ところが、家の前で出会ったのが平林とみな子。

二人から、これまでの裏話を全て聞かされた栄子は、再び河田の前に戻ると、先ほどの無礼を深く詫びるのだった。ここに至って、始めて父娘の気持ちは氷解する事になる。

その様子をドア越しに聞き、涙する関、平林、みな子の三人。

こうして、新曲の発表会が行われる事になるが、アパートの住民も全員、その場へ駆け付けようと準備している最中、関の部屋に八千代がやって来る。

そして、いきなり、自分と結婚してくれないかと関に迫るが、関はきっぱりその申し出を断わる。

すると、八千代は、栄子が歌手としてデビューしたとしても、徹底的に邪魔をしてやると浅はかな捨て台詞を言うので、堪忍袋の緒が切れた関は、彼女と八千代の本当の関係の事を全て話してしまう。

その言葉を信じられず、帰宅した八千代は、母親に真実を問いただすのだが、謝罪する母親の言葉から、真実であった事を知る八千代であった。

新曲発表の舞台で、栄子は男性歌手(霧島昇)とデュエットで、父、河田の指揮の元、新曲を披露するのだった。

歌い終わり、舞台袖に引き込みかけた栄子だったが、客席にいたアパートの住民で落語家の師匠(坂本武)が立ち上がり、大勢の観客たちに向って、自分達も唱和するから、もう一度栄子にもらってもらおうではないかと音頭を取りはじめる。

客席のあちこちから、同意の言葉が上がり、さらには、劇場に姿を現した八千代まで「自分も歌います」と声をかけたのを観た河田は、感無量の表情で、再び、同じ曲を指揮しはじめる。

こうして、アンコールを歌い始めた栄子、八千代、観客全員の目の前で、父、河田は突然意識を失い、そのまま帰らぬ人となってしまう。

河田の墓が出来た後、久々に栄子と出会った八千代は、父が自分の為にと貯えていた資金があるので、それを使って、関と一緒にヨーロッパへ行き、勉強して来て欲しい、その間、唯夫は自分が責任を持って育ててみせると言い出すのだった。

相手も関の事を好きだと知っている栄子は遠慮するが、八千代は、自分は平林と結婚する事になったから気にしないでくれと気丈に言い帰ってしまう。

やがて、ヨーロッパ行きの汽船が出発する日、船上の人になった関と栄子に、波止場にやって来たアパートの住人たち、唯夫、八千代、平林たちは、二人へのはなむけとして明るい歌を合唱して見送るのだが、八千代の流す涙の真意は…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

高峰三枝子主演の音楽映画。
吹き替えなのか、本人が歌っているのか定かではないが、歌手役の高峰三枝子が歌うシーンは珍しい。

ビデオでは、ストーリー的に何となく飛び飛びの印象で、辻褄の合わぬ箇所もいくつかあったので調べてみたら、本作はもともと前後編の二部構成であったもので、ビデオはそれの総集編であるらしい。

淡谷のり子も登場していると言ううたい文句がジャケットにも書いてあったので、何とか確認しようと目を皿のようにして観ていたが、最後までそれらしい人物は確認できず、これ又配役表を調べてみたら、彼女は誕生日に出て来る歌手として記されており、ビデオ版には、その誕生日のシーンそのものがないのだ。

その代わり、新曲発表会の舞台袖で、栄子たちの晴れ姿を嬉しそうに観ている歌手仲間の一人で、はち切れんばかりにまん丸顔の女の子は二葉あき子だと思われる。

二枚目役を演じている細川俊夫というのも、ちょっと意外だった。
もともと、細川家の血筋を引く由緒ある家柄の人らしいのだが、優男風に見える外見とは裏腹に、実際は結構硬派で、腕っぷしも強かった人だそうである。

劇中でも名前が登場するように、日本コロンビアとの提携作品のようで、クライマックスで新曲を二度も歌うのは、明らかに宣伝目的の為だろう。

ストーリー的には、昔から良くある少女マンガのようなパターンそのもので、才能がありながら薄幸な少女と、裕福に育ったため傲慢になってしまった少女の、歌と恋する男を巡るライバル関係が中核になっている。

ちょっと捻ってはいるが、一種のシンデレラストーリーのようなものと考えても良いだろう。

今の感覚で観ると、せっかく明るい歌も随所に登場するのに、複雑な事情があるため、実の娘に薄情にしなければならない河田の芝居が終始暗いので、今一つ、からっとした明朗な音楽映画になり切れていない所が惜しまれるが、当時としては、このくらいウェットな話の方が客の受けは良かったのかも知れない。

まず間違いなく、女性向けを意識して作られた話だと思う。