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白鳥物語

1957年、東映教育映画部、森下義秀+野添健脚本、堀内甲監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

北陸地方の冬は、半年間雪に埋もれている。

1月中旬、瓢湖に白鳥が渡って来る。

白鳥は、北極のオーロラの光を浴びて生まれて来る鳥だ。

瓢湖にやって来る白鳥は、オオハクチョウという。

8月になり、北極が厚い氷に覆われるようになると、白鳥は北海道に渡って来る。

そして、11月のはじめ頃、本州に飛んで行くのだ。

渡り鳥として長い旅を続ける白鳥たちには色々な運命が待ち構えており、時としては、彼らに鉄砲を向ける心無い人間たちもいた。

源じいさんは、瓢湖に飛来して来た白鳥たちを可愛がり、餌付けに成功した土地の老人だった。

彼は、湖に氷が張っていると、飛んで来た白鳥が他へ行ってしまうのではないかと心配し、自ら船をこぎだし、氷を割って廻ったり、暖かい川の水を湖に引いてみたり、夜、秘かにやって来る密猟者たちや野犬を追っ払ったりするというほど、白鳥の世話にかけては熱心だった。

そんな源じいさんには、一人の孫がいた。

新吉というその少年は、まだ小学生だが、源じいさんの影響もあり、白鳥が大好きだった。

そんな新吉が、ある日、酒田へ出かけると言う源じいさんに代わって、湖で白鳥たちにエサを与えた後、一人帰宅していると、悪友たちが三人寄って来て、約束通り、白鳥を捕まえさせてくれと言う。

気の進まない新吉を交えた4人が、船で湖にコギだし、白鳥を捕獲しようとするが巧く行かない。

がっかりして、岡に上がってしばらく行くと、雪の中でもがいている一羽の白鳥を見つける。
どうやらケガをしているようだ。

悪童三人は、気まずくなったのか、さっさと退散するが、新吉は、その白鳥を自宅に連れて帰ると、納屋の中の鳥かごの中に入れ、面倒を見るようになる。

帰宅して来た源じいさんは、新吉が見つけなかったら、あの白鳥は明日には死んでいただろうと喜び、新吉にこれからの世話を命ずるのだった。

新吉は、その白鳥に「太郎」と名付け、その日から、毎日、付きっきりで面倒を見る事になる。

しかし、その内、用意していた「モミ殻」のエサが不足して来ると、源じいに言われた新吉は、翌日から、近所の家を廻り、あまったモミ殻を分けてもらうようになる。

その頃、村役場でも、毎年飛来する白鳥を大切にしようではないかと相談がなされていた。

そんなある日、源じいは、新吉に、傷が直った太郎を明日、話に言ってやろうと言い出す。

ちょっぴり寂しい気持ちもあったが、新吉は、太郎を瓢湖の仲間たちの元へ返しに行く。

ある日、いつものように湖でエサをやっていた源じいさんと新吉に元へ役場の一人がやって来て、「氷湖の白鳥を天然記念物に指定してもらおうと思う」と報告に来た時、どこからともなく、銃声が響いて来る。

驚いて、三人が音のした方に向ってみると、どこかの金持ち風の男たちが、白鳥を狙って猟銃を撃っているではないか。

それを止めさせようと、飛び出す源じいであったが、無茶は止めろと、役場の男に制止させれてしまう。

その姿をあざ笑うかのように、男たちは高級車に乗り込み、クラクションを鳴らすと、源じいさんたちを道から退かせて、堂々と帰って行くのであった。

この禁漁を無視した鴨撃ちたちの行為によって、瓢湖にいた白鳥は一斉に飛び立ったまま、二度と湖に近づこうとはしなかった。

そんな中、新吉たちは、猟銃に撃たれて苦しそうにのたうちまわっっている一羽の白鳥を見つける。

やがて、その白鳥は息絶える。

その後、瓢湖にやって来た鳥類学者たちは、もう、この湖に餌付けした白鳥が戻る事はないだろうと言い残す。

やがて、冬が終わり、源じいは、新吉に自分の子供時代の話を聞かせる。

自分も子供時代はわんぱくで、白鳥に雪玉をぶつけた事もあるのだと告白する。
そうしたら、白鳥が逃げてしまって帰って来なかったとも。

新吉は、父親を戦争で失い、母親も出稼ぎでいない自分の身の上を、飛んで行ってしまった太郎に重ねて想像をめぐらすのだった。

そんあ新吉、先生から教わった、白鳥が寄ると言う秋田の湖の事を思い出し、源じいさんに言ってみようと言い出す。

列車に乗って、その湖を訪れた新吉と源じいさんは、その湖に白鳥の群れを発見する。

やがて、米の収穫が始まる頃、稲の脱穀をしながら、新吉は源じいさんに、今年のモミはどうしようかと相談していた。

新吉は、例年通り、湖に来る白鳥の事を考えて、エサ用に取っておこうと考えていたのだが、源じいさんは返事をしなかった。

そんな所へ、再び顔を見せた役場の人が、この前死んだ白鳥の標本が出来上がって来たので、源じいさんにあげると伝えて来る。

しかし、源じいさんは、そんなものはもういらないと言い出す。

白鳥の事は、もう考えない事にしたと言うのだ。

その意外な返事に戸惑いながらも、役場の人は帰ってしまう。

新吉は、その源じいさんの返事に納得できず、標本をもらって欲しいと頼むが、源じいさんの頑な態度は変わらない。

矢も盾もたまらなくなった新吉は、役場に走って行くと、町長室に飾られる事になった白鳥のはく製を、窓の外から哀しそうに眺めるだけだった。

その後も、新吉のモミ集めは続けられていた。

もう、白鳥なんか来ないから、モミは、鶏のエサにした方が良いと、断わる家も多かった。

それでも諦めずに、独り毎日、モミを集める新吉に、悪童たちは「頭がおかしい」とはやし立てるのだった。

そうしたある日、役場から、白鳥のはく製が盗まれると言う事件が発生する。

そんなものを持っていても、何の得にもなるまいとみんな大人たちは不思議がったが、標本を持ち出したのは新吉だった。

新吉は、白鳥の標本を、湖の側に置くと、それを仲間だと思って、白鳥たちが飛来する事に賭けたのだった。

しかし、幾日経っても、白鳥はやって来なかった。

毎日、毎日、新吉は、標本を、夜は納屋に持って帰り隠すと、翌朝は又湖に持って行って、あちこち場所を変えて置いてみるのだった。

ある朝、そうした新吉の不可解な動きに気づいた源じいさんは、家から湖まで、新吉の後を追って、その行為を目撃するが、ただ、新吉のひた向きさを哀れに思うだけで、声もかけられなかった。

そんな湖に、同じく、新吉の行為に気づいた役場の人間たちも駆けつけて来る。

標本泥棒の正体を見つけたと、怖い顔をしてやって来た彼らであったが、新吉のひた向きさを知ると、やがて、その表情は笑顔に変わっていた。

そうした中、新吉は、山の向こうに、こちらに向って来る白鳥の姿を発見する。

源じいさんもそれに気づいた。

役場の人間たちも。

白鳥は、今年も瓢湖に戻って来てくれたのだ!

その後、瓢湖の白鳥は、無事「天然記念物」に指定され、いつものように、エサをやる新吉と源じいさんの元へ、小さな少女もエサを持ってやって来るのだった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

今では、季節の風物詩のようになった「瓢湖の白鳥」が定着した由来を描いた教育映画。

東野英治郎がナレーションを担当し、伊福部昭が哀愁漂う音楽を担当している。

全編、家の中のシーン以外はロケーションで、雪に埋もれた北国の姿が映し出されている。

白鳥たちも、皆、記録フィルム風。

最後、湖に向って飛んで来る白鳥の群れの姿が合成(アニメかも?)されている以外は、淡々と撮られている。

特に、大きなドラマのようなものはなく、単純と言えば単純な内容だが、動物を愛する子供のひた向きな姿は良く描かれていると思う。

源じいさんの哀愁を帯びた表情等も味がある。

何時も学生帽と学生服を着ている小学生の姿も、時代を感じさせる。

娯楽映画と言うよりは、あくまでも「記録フィルム」と「教育映画」の両面を兼ね備えた作品と考える方が良いだろう。