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坊っちゃん

1966年、松竹、夏目漱石原作、柳井隆雄脚色、市村泰一監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

列車の中で、荷物の中から弁当を取り出した時、一枚の写真が床に落ちたので、向いに座っていた女(香山美子)が、それを拾って、目の前の書生風の青年、小川大助(坂本九)に渡してやる。

礼を言ってその写真を受取った大助は、写真に写ったばあや藤宮きよ子通称「きよ」の事を思い出すのだった。子供の頃から親代わりに可愛がってもらった最愛の人物だったからだ。

その列車、夜中突然停まったかと思うと、車掌が事故の為、当分動かなくなったと連絡に来る。
次の列車は、明日の朝9時の大坂行きまでないと言うのだ。

困った様子の女は、大作が降りて行きそうなのを見ると、こん名見知らぬ土地で、女一人で宿を捜すのは不安だから、自分を宿まで連れて行ってくれないかと頼む。

承知して、とある宿にやって来た二人だったが、夫婦者と間違えられて、同じ一部屋に入れられてしまう。

自分は人と同じ布団では寝れないたちなので…と、女の布団の横に手ぬぐいを敷き、そこに寝ようとする大助の姿を布団の中から見ていた女が呟く。
「あんたって度胸がないのね。坊っちゃんなのね」…と。

四国松山中学校の数学教師として赴任して来た大助を、教員控え室に招き入れた校長(古賀政男)は、新任の彼に他の先生方を紹介して行く。

教頭の山村(牟田梯三)は帝国大学出の文学士で英語の担任、赤い色は身体に良いと言うので、真夏なのに特注のネルの赤いシャツを着ている気障な男だった。

図工の吉川(藤村有弘)は、大助が東京出身と聞いて、自分も東京出身なので懐かしいと、妙な媚びを売って来る。

同じく、数学の堀田(三波伸介)は、飾らぬバンカラ風の男だった。

その後、松山城から市内を見渡していた大助は、堀田と出会い、校長は「たぬき」、教頭は「赤シャツ」、派「野太鼓」、そして堀田は「山嵐」と自分が付けたあだ名を紹介する。

一杯一銭五厘の氷水を山嵐からごちそうになった大作は、店の前で、今日学校を休んでいた英語の古賀先生(大村崑)とその母親にばったり出会う。

大作は、その古賀が連れていた美しい女性の方に目を奪われる。

さっそく、うらなりと秘かに名付けた古賀と別れた後に山嵐から教わった所によると、あの美女は古賀の許嫁で、遠山那美(加賀まりこ)、通称マドンナなのだと言う。

しかし、うらなりの家は、父親もうらなりに似て、お人好しの性格だったため、色々人に騙され、今ではすっかり家が零落してしまったのだとも。

ところが、縁は異なもので、山嵐の紹介によって、大作は、そんな古賀家の離れに下宿する事になる。

さて、いよいよ、数学教師として、中学生を教える事になった大作だが、教室に入った大作は、黒板に描かれた「坊っちゃん」といういたずら書きを目にする事になる。中学生たちもあだ名をつける事にかけては名人なのだった。

ぶ然として授業を始める大作だったが、その江戸っ子らしい講義のスピードに、生徒たちは不平を言い出す。
「もっと、ゆるゆるとやっておくんなもし…」と言うのである。

そんな大作、最初の宿直を言い付けられた夜、温泉で汗を流して出て来た所を、山嵐に目撃される。
さらに、学校に帰って来て、宿直室の布団に潜り込んだ大作は、布団の中に無数のバッタが入り込んでいる事に驚き、小使いさん(三木のり平)を呼んで文句を言う。

しかし、そのバッタが寄宿舎にいる生徒たちの仕業と分かり、大作は隠れていた彼らを集めて深夜まで説教するのだった。

その後、大作は、うらなりがマドンナと婚約解消した事、うらなりは4年間も昇給してもらっていない事、さらに、あの赤シャツがマドンナに求婚しているという事実を聞かされ、山嵐と共に憤慨する。

さっそく、赤シャツの家を訪れ、事の真偽を問いつめた大助と山嵐だったが、根も葉もない噂を信じるのか、私の人格の方を信じるのかと、逆に赤シャツに開き直られ、自分達の行動が軽率だったと反省する二人。

そんな中、とあるダンゴ屋で、大好物のダンゴを5皿も喰ってしまった大作は、翌日、さっそく、その事を黒板に書かれてしまう。

しかも、自分と「美女」が相合い傘にしてある。

その美女と言うのは、あのダンゴ屋を一人で切り盛りしていた小夜(九重佑三子)の事だと察した大作は、むきになってその事を否定しようと、小夜の事を冷淡に言ってしまう。

さらに、自分の話を懐手で聞いるように見えた生徒がいたので注意すると、その藤一という生徒は、幼い頃病気にかかり、片腕がないのだと言う。

子供の心を傷つけるような迂闊な事を言ってしまったと教員室で反省する大作は、その藤一ならなかなかの秀才で、姉はダンゴ屋をやっていると教えてくれた山嵐の言葉を聞き、ますます青ざめてしまう。

ある日、赤シャツと野太鼓に誘われ、海釣りに出かけた大助は、君は山嵐に巧く利用されていると遠回しにほのめかされるのだった。

単細胞の大助は、その言葉を真に受け、翌日から、教員室で出会った山嵐に冷たい態度を取るようになる。
いきなり、先日驕ってもらった氷水代を返すと一銭五厘渡された山嵐は意味が分からずきょとんとする始末。

そんな中、先日のバッタ事件の処分をどうするかで職員会議が行われ、そこでも、何となく、山嵐と大助は互いに牽制しあうような意見を言い合う事になる。

その後、学校を休んだ藤一の様子を見に行きがてら、ダンゴ屋へ寄った大助は、実は、あのバッタ事件の発案者は藤一だった事を知る。

しかし、それを聞いた大作はすぐに藤一の事を許し、船が好きで、将来造船技師になりたいと言う彼の夢を応援するのだった。

ある日、うらなりが、今度、いきなり九州へ転勤させられる事になったとがっくりして帰って来る。
聞けば、昇給の事を以前校長に頼んでいた事が仇になったらしく、宮崎の山奥の延岡と言う所に行けば、給料が5円上がるのだと言う。態の良い左遷であった。

一方その話を、英語の家庭教師をやってもらっている赤シャツの口から聞かされた那美も驚いていた。
自分が婚約解消した事が原因になっているのではないかと気にし始める。

しかし、彼女の母親(三宅邦子)などは、娘を将来性のある赤シャツの方へ嫁がせようと考えていたので、その話を当然の結果のように聞いていた。

翌日、山嵐と大作は別々に校長に抗議に行くが、今回の九州行きは、うらなり自身が望んだ結果だったのだと言い包められてしまう。

後日、そんな遠山家に別れの挨拶に来たうらなりだったが、母親は那美に会わそうとはしなかった。
しかし、那美は母親の目を盗み、外で彼を待ち受けており、一緒に出かけた海岸で、那美は、赤シャツから求婚されている事を打ち明け、うらなりの本心を聞き出そうとするが、赤シャツの人格をほめるだけで、最後までうらなりは自分に対する本当の身持ちを吐露する事はしなかった。

そんな中、赤シャツに呼ばれた大助は、今後、自分の仕事時間が減り、給料は上がるだろうと不思議な事を教えられる。

自分の山嵐に対する偏見が間違っていたと感じた大助は、翌日それを山嵐に伝えるが、それはきっと、自分を免職させ、大助を数学主任にしようとする意味に違いないと教えられる。
赤シャツの叔父は、県の有力者なので、どんな悪だくみでも可能なのだと言う。

そして、いよいよ、うらなりこと古賀先生の送別会が行われるが、そんな席であるにもかかわらず、平気でやって来た懇意の芸者小鈴と物陰でいちゃついている赤シャツの姿を見た大助と山嵐は、怒りを巧く表現する事が出来ず、互いに、踊りと歌で憂さを晴らすのだった。
もちろん、その席で、大助は赤シャツに、きっぱり、昇給の件を断わるのだった。

そして、うらなりは九州へ旅立って行く。
しかし、それを見送るマドンナの事を冷淡な女と見ていた山嵐に対し、大助は、彼女の瞳に言い知れぬ真剣さを感じるのだった。

その日は、町の祭りの日だった。

客でごった返すダンゴ屋に出向き、てんてこ舞いの小夜の様子を見た大助は、つい、自らダンゴ作りの手伝いを始めるが、そんな所に飛び込んで来た藤一が、松山中学の生徒たちと師範学校の生徒たちが、河原で大乱闘をしていると知らせに来る。

慌てて、河原に向った大作は、先に到着していた山嵐と共に、生徒たちの乱闘を止めようとするが、結局、駆けつけて来た警官たちの姿を見た生徒たちは、クモの子を散らすように逃げさってしまう。

翌日、あろう事か、山嵐と大助が今回の乱闘事件を扇動したという、とんでもない記事が新聞に載る。

直接新聞社に出向いた山嵐が言うには、どうやら、赤シャツが背後で動いたらしいと言う。

あまりに露骨な陰謀に飽き飽きした山嵐と大助は、共に学校に辞表を提出する事になる。

その後、マドンナに会いに出かけた大助は、赤シャツの人間としての悪らつさを暴くと共に、あなたはうらなりを追うべきだと勧めるのだった。
マドンナはその忠告を聞き、自分の進む道を選択する。

さらに、このままタダでは置かないと、赤シャツの悪事を暴こうと考えた二人は、ダンゴ屋の二階に張込み、裏にある角屋で小鈴と待逢い引きするはずの赤シャツを待ち受けるのだった。

夜、野太鼓と共にやって来た赤シャツの姿を確認した二人は、翌朝、角屋を出て来た所を追い掛け、小夜が二人に食べるように渡した生卵を、赤シャツと野太鼓の顔に叩き付けるのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

お馴染み、夏目漱石原作小説の映画化。

坂本九主演の一種のアイドル映画なので、歌あり、恋ありの明るい青春娯楽作になっているが、配役などから想像するようなコメディではなく、かなり真面目に映画化されている。

特に、山嵐役の三波伸介は、「びっくりしたな〜もう…」というお馴染みのギャグもさらりと言っているが、とくにコメディアンとして演じている訳ではない。

意外と、豪放磊落なキャラクターを巧く演じている。

その他の配役も皆好演しており、赤シャツ役の牟田梯三の嫌らしさ、野太鼓役の藤村有弘の太鼓持ちのような調子の良さ、生気のないうらなり役の大村崑など、全てぴったりと言う感じ。

特に、無口で気弱そうな大村崑というのも、ちょっと珍しく、逆に印象に残った。

意外だったのは、作曲家の古賀政男本人が校長役として登場しているのだが、単なる顔見せだけではなく、それなりにセリフも言っており、しろうとっぽさもあまりない。

劇中で、九ちゃんが歌っている何曲もの挿入歌の作曲家でもある。

その大家、古賀政男の前で歌うシーンもある九ちゃんは、さぞやりにくかったのではないだろうか。

この頃の加賀まりこは、つけまつげが目立つ、小悪魔風のキュートな顔だちの頃だが、それなりに清純なマドンナを演じている。

冒頭に登場する香山美子のエピソードは、映画オリジナルのエピソードだと思われるが、ちょっと艶っぽく、悪くない。

肝心の九ちゃんは、原作のイメージよりは、見た目やや軟弱そうに見えるのだが、それなりに明るく正義感溢れる坊っちゃん像を作り上げており、爽やか。

ただ、この話、今改めて観ると、主人公が結局、地方の悪に負け、憂さ晴らしをしただけで東京に逃げ帰っているようにも見え、その結末に、若干、疑問が残らないでもないが、それはあくまで、原作の方の問題だろう。