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わらびのこう 蕨野行

2003年、特定非営利活動法人 日本の原風景を映像で考える会、渡辺寿脚本、恩地日出夫監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

中庄村の庄屋を勤める団右衛門(吉見一豊)には20も年の違う若いヌイ(清水美那)が嫁いで来ていた。

そのヌイは、「おばば」こと姑のレン(市原悦子)から、ミソの作り方から天気の見方等まで、色々教えを受けていた。

目の前に見える床伏山に笠雲が出ると、その夏は冷夏になると言うので、毎日、そちらの空を見る事を日課としているレン。

最近、男の田仕事の事には口を出さなかったレンが馬を一頭増やせと言いだす。

田打ちの季節になると一日五食必要になるが、馬を買えば一日三食で済むからだと言う。

長男の団右衛門は、その助言を聞く事にする。

そうした最近のレンの様子に変化を感じたヌイが彼女に訳を尋ねると、上庄、中庄、下庄には古くから掟があり、60才になった人間は「蕨野」の云う場所へ移らなければいけないのだと話しはじめる。

蕨衆になった者は、毎日、村に食料をもらいに来なければいけないが、その際、名を捨てる事。出会った村人、家族たちと一切言葉を交わしてはいけないとも。

それは、やがて体力が落ち、村に食料をもらいに来られなくなった者から死んでいく事を予測した、貧しい村が「口減らし」の為に考案した「姥捨て」の風習であった。

しかし、その深い意味を理解していないヌイは、おばばが「秋口になると帰って来る」という言葉をそのまま信じて送りだすのであった。

かくして、レン、ヌイ(清水美那)、トセ(中原ひとみ)、マツ(李麗仙)、トメ(樋口慶子)、チヤ(原知佐子)の女6人と、馬吉(石橋蓮司)、留三(左右田一平)、甚五郎(瀬川哲也)の男3人の蕨野での生活が春始まる。

わずか、里から半里しか離れていない蕨野にある三軒の山小屋には、前の住民が置いておいた水の少し入った桶があった。

桶に水を張っておかないと、木は反り、水が漏るようになると言う、後から来る者に対する思いやりからの好意だった。

そんな蕨野には草木が生い茂り、畠でも作れば、自分達の食料分くらいは採れそうでもあったが、それを作るのは禁忌であった。

あくまでも、村まで食料をもらいに出かけなければならないのだ。

それが出来なくなったものから死んでいく定め。

ヌイは、村で生まれた子供を間引いた話等を独りごち、レンは、山の中で、かつて農家の三男の妻になり妊ったばかりに、三男に子はいらぬと、臨月の身体で村を追い出された妹のシカ(左幸子)に出会った事を、心の中で知らせていた。

実はシカがレンの前に姿を現したのは決して偶然ではなく、今ではすっかり山女と化した彼女は、蕨野に来た姉の姿を以前から発見していたのだが、他人のいる前では、我が身を恥じて、よく声をかけられなかったのだった。

やがて、村に長雨が降り始めるが、万一の稲枯れを恐れて、大根作りを始める相談が始まっていた。

蕨野では、尋五郎が雨の朝、ぼーっとし始めるのにレンは気づき、活を入れていた。
まだ、認知症になるには早い。

やがて、村では、小作民次の嫁セキ(中村真知子)が産気づき、それを発見したヌイは経験がないばかりにおろおろするが、気丈なセキに言われるまま、逆子の赤ん坊をセキから引きづり出す。

しかし、セキの腹の中にはもう一人おり、双子のもう一人の出産は難儀を極める。

結局、祈祷師の山根の婆が家の周りの溝が詰まっているからと、男衆たちに溝堀をさせ、さらに、白米で作った握り飯を川に流せと言う。

こうして、何とか、生まれて来たもう一人の赤ん坊は既に死んでいた。

その頃、蕨野では、女たちが、藁が食べられる事を発見していた。

藁を煎って粉にして、蕨粉等とまぜると食べられるのだと言う。

やがて、村では、三庄屋の談合があり、蕨衆たちの仕事治めがいつもの年より早めに決定する。

ヌイは、仕事治めであれば、間もなく、レンは帰って来るものと信じ込んでいるのだが、団右衛門は彼女に何も語ろうとはしなかった。

その頃、蕨野の馬吉たちは、罠を仕掛けて、鳥を捕り、その肉を食べようとしていた。
魚や肉を食べるのは御法度だったが、馬吉は、そんな規則より、俺は何でも食べられるものは食べて、生きられるだけ生き抜いてみせると宣言する。

それを聞いていたレンたち、女衆も、その意見に賛同し、自分達もこれからは、何でも採って食料にする事を決意するのであった。

一方、足が萎えて来て寝たきりになっていたチヤは、さかんに甚五郎の名を呼び、彼に自分の世話をさせはじめる。

甚五郎の方もそれが満更でもなさそうで、二人は何時しか、蕨野での夫婦のような関係になっていく。
しかし、そんなチヤも、ある日、背負われた甚五郎の背中で、静かに息を引取っていた。

そんなある晩、レンは不思議な夢を見る。

夫、武衛門の子供として生まれながら、子供時分に死んだ長太郎が現れ、自分はもうすぐ、村で、ヌイの身体から新しい生として生まれる事になっている。
しかし、その前に、レンが先に、自分の姉としてヌイから生まれる運命なのだと告げる。

レンは心の中でヌイに告げる「産むべし!」と。

そんなある日、レンは再び現れたシカから、自分と一緒に山向こうで暮そうと誘いを受けるが、きっぱり断わる。それが、妹との今生の別れであった。山中に姉との別離を哀しみ泣叫ぶシカの声が響く。

その後、冬が訪れ、雪に埋もれた蕨野で、甚五郎は蕨野を一人出ていったきり帰らなくなる。

馬吉が捜しに行くと、河原で甚五郎の死体が見つかったと言う。

雪に埋もれた山小屋の中では、もう里に降りる力が残っているものは一人も残っていなかった。

トセは、すでに認知症の傾向が見受けられるようになる。

藁布団の中で震えるレンの元へ、馬吉が潜り込んで来る。

若い頃から女たらしだった馬吉は、最後の最後まで、レンを女として抱いていた。

やがて、レンは、自分の身体が軽くなっているのに気づく…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

恩地監督が、足かけ8年もの歳月をかけて完成させながら、配給会社がどこも付かず、ほとんど宣伝らしい宣伝もなく、単館でひっそり公開されながら、キネ旬ベストテン8位に輝いた作品。

姥捨伝説と言うテーマ自体が重いので、一見、暗い作品かと思いがちだが、そう言う事はなく、美しい山形の自然描写と、たくましい老人たちの生活を描く事で、意外とからっと観る事ができる作品になっている。

それでも、老いや死に直面する人間ドラマには胸打つシーンも多く、ずっしりとした見ごたえ感もある。

「ぬいよい…」「おばばよい…」と互いに心の中で語り合う市原悦子と、新人、清水美那演じる娘っ子のような新妻の架空の交流が全編を暖かく包んでくれる。

蕨野に来ても、最後まで野性的でたくましい馬吉こと石橋蓮司の存在も大きいが、山女になったシカを演じる左時枝や、老婆役になってもまだ可愛らしい中原ひとみが印象的。

姥捨て伝説を描いた映画と言えば、過去にも「楢山節考」など前例があり、そう言うものを知っているものとしては、テーマそのものにさほどの衝撃感はないのだが、「楢山節考」とは又、全く違ったタイプの作品だけに、最後まで興味は尽きなかった。

姥捨ての風習自体は、社会全体が豊かになり、老人福祉等の考え方が普及した今となっては信じられないような残酷な風習に思えるのだが、小さな村全体を救うにはこういう事をやるしか方法がなかった時代があったのだと考えるしかない。

同情して老人を助ければ、若い村人が飢えて死に絶えるだけなのである。

若者がいなくなれば、その村そのものが死に絶える事になる。

貧しい村に生まれ、生涯その土地を愛した者が、自ら先祖たちが決めた悲しい風習に従う行為には、身を捨てて、次世代の村を救おうとする崇高な志しが込められている。

だから、そうした暗示を込めたラストシーンには、時空を超えた奇妙な暖かさがあるのだと思う。