TOP

映画評index

ジャンル映画評

シリーズ作品

懐かしテレビ評

円谷英二関連作品

更新

サイドバー

九ちゃんのでっかい夢

1967年、松竹大船、三木洋「消えた動機」原作、山田洋次脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

スイス、レマン湖の畔に立つとある古城。

そこでは、今しも、城主であるフラウ・クリスティーナ・シュナイデルが息を引取ろうとしていた。

彼女は、一生を独身で過ごして来たのであるが、遠い若き日、燃えるような恋をした日本人青年源源九郎の事が忘れられず、自身の30億にも達する膨大な遺産を全て、その孫に当る源九太郎に残したいと言い出す。

その遺言を伝えるべく、源九太郎を探しに日本に旅立ったのは、弁護士のバルタザール(ジェリー藤尾)。

その言葉に驚いたのは、遠縁ながら、彼女の唯一の親戚であったエドワード・アラン・ポウ(大泉滉)であった。
彼は、本来なら、自分は受取るべきだった遺産をもらう事になった、その源九太郎なる男を暗殺せんと、殺し屋カルダン(E・H・エリック)を日本に差し向ける。

そんなバルタザールとカルダンは、 奇しくも同じ日本行きの飛行機で隣り合わせになり、互いに意気投合してしまう。

その頃、当の源九太郎(坂本九)はというと、とある港の近くにある「ミナト グランド劇場」という演芸場の楽屋で、自殺を考える暗い日記を付けていた。

彼は、余命幾許もないガンを宣告され、厭世的な気分に浸っている芸人の卵だったのである。

そんな九太郎、舞台で物まね唄芸を披露すると、波止場にある馴染みの喫茶店「ファニー」に出かける。

そこには、九太郎が秘かに憧れている愛子(倍賞千恵子)がウエイトレスとして働いていた。

九太郎は、自身の絶望感を隠しながら、彼女と共通の友人である船員の平清彦(竹脇無我)の乗ったリスボン丸が、間もなく港に帰って来る話等をしながらも、常連客の一人ポンさん(谷幹一)に、自分を殺してくれる殺し屋を探してもらいたいと秘かに依頼していた。

その頃、日本のロイヤルホテルに一緒に宿泊していたバルタザールとカルダンは、互いに、日本が想像していた以上の大都会である事に愕然としていた。
バルタザールは、九太郎を探す求人広告を新聞に掲載するが、ホテルに届くのは、遺産目当ての膨大な偽情報ばかり。

一方、その後、船で帰って来た清彦は、久々に会った愛子に結婚指輪を渡していた。
彼らは近々結婚する予定だったのだが、その事を、九太郎にはまだ打ち明けていなかったのだった。

そんなある日、いつものように、一人楽屋部屋にいた九太郎の元へ、奇妙な中年男(佐山俊二)が窓から侵入して来る。

最初は、その正体に気づかなかった九太郎だったが、男が斧で襲って来そうになったのに気づき、彼こそ、自分がポンさんに依頼していた殺し屋だと気づく。

しかし、やはり自分が殺されそうになるとにわかに怖じ気付き、そんな野蛮で痛い殺し方ではなく、もっとスマートに殺してくれと文句をつけて、その場はお引き取りを願う事になる。

その後も、その殺し屋は、何度も九太郎殺害を実行しようとするが、その度に失敗ばかり。
何せ、その殺し屋、貧乏なばかりに、拳銃の一丁さえ持っていなかったのである。

その頃、バルタザールは、呼び寄せた占い師(左卜全)から、求める人物は川崎か横浜方面にいると言われ、さっそく、カルダンと共に横浜の安アパートへ移る事にする。

そんな中、清彦の船は又出発してしまい、九太郎に愛子との結婚に付いて話すチャンスは消えてしまう。

愛子の方は、最近、店にやって来る九太郎の様子がおかしいので、それとなく、訳を知っていそうなポンさんを問いつめると、何と、九太郎は、癌を宣告されて、余命幾許もないと言うではないか。

にわかには信じられない愛子は、劇場の九太郎の部屋に出向き、彼がいぬ間に、こっそり、彼が付けていた日記に挟まれた病院の診察券を見てしまう。

さらに、その病院に出かけ、担当医の大河内教授(犬塚弘)に話を聞きに行くが、癌の権威である彼からも、自分の診断に絶対間違いはないと断言されてしまう。

一方、安アパートに住みはじめたカルダンの元へ、どこから教えられたのか、あの間抜けな殺し屋が拳銃を買い求めにやって来ていた。

その隣の部屋では、弁護士のバルタザールが、旅館の主人(有島一郎)から、ミナト劇場のポスターに載っている九太郎と言うのがあんたの探している人物ではないのかと教えられ、ようやく求める相手を発見した事を喜んでいた。

その後も、どうしても、九太郎が癌だと言う事実を受け入れ難く、病院を再訪れては、再三食い下がる愛子に業を煮やした大河内教授は、助手(桜井センリ)にカルテを再確認させるが、そのカルテの名前は、源為朝という別人のものであった事に気づく。

九太郎が癌だと言う診断は間違っていたのだ。

喜んだ愛子は、ようやくワンマンショーが開かれる事になった九太郎の元へ駆け参じ、その事実を教える。

誤診だった事を聞かされ狂喜した九太郎だったが、そうなると、その後も、自分を殺そうと狙っている殺しやの存在が恐怖の対象になる。

案の定、間もなくミナト劇場で開かれた彼のワンマンショーには、拳銃を携えた例の間抜けな殺し屋のみならず、弁護士のバルタザール、そして、その後を追って、九太郎を暗殺すべくカルダンが、揃って、客席に来ていた。

さらに、客席には愛子の姿。

どうした訳か、スイスから、アラン・ポー本人までやって来たかと思えば、清彦までやって来たではないか。

こうした中、せっかくのワンマンショーなのに、九太郎は殺し屋の影に怯えながら、しどろもどろの歌や芸を披露しはじめるが…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

原作者の三木洋とは、小林信彦のペンネームである。

正月映画らしく、かなりロマンティックでスケールの大きな設定で始まるものの、物語の大半は、場末の売れない芸人を中心とした、ものすごくスケールの小さな、じめじめとしたペーソスものと言った感じの、全く弾まない話になってしまっている。

相当、低予算で作られているのだろうが、はっきり言って、映画としては面白みに乏しいお粗末な内容であるとしか言い様がないのだが、倍賞千恵子が勤めている喫茶店の名前が「ファニー」である事、登場場面は少ないながら、有島一郎や渡辺篤が登場している事から考えて、この半年後、同じ山田洋次監督によって作られる「ファニー」の翻案作品「愛の讃歌」を連想させる要素がすでに混入しており、橋渡し的作品と言えるかも知れない。

映画としてはイマイチながら、あれこれ貴重な映像を発見できる事は確か。

まずは冒頭近く、日本へ向う飛行機のスチュワーデスを演じているのは、初代コメットさんこと九重佑三子。

てんぷくトリオの芸が、かなりしっかり観られるのもありがたい。
基本的に、年長である三波伸介と戸塚睦夫の二人がコントの中核を担っており、当時、メンバーの中では若手だった伊東四郎は、コント内でも軽い扱いだった事が分かる。

後、意外な事に、怪獣マニア必見のキャラクターが、劇中に登場しているのを発見!

渥美清(途中から、青島幸男も交替で主演)主演の、一話完結型テレビドラマ「泣いてたまるか」(1966)に登場した、成田亨デザイン、高山良策造型による本格怪獣「ナキラ」だ。

この「ナキラ」、分かりやすく言うと「ガラモン」の顔の部分が大きな赤ん坊の顔のようになっている、今風に言えば、ちょっとキモ可愛い系の怪獣。
口元はやっぱり「ヘの字型」になっている。

ちらっと小道具的に登場するだけなのだが、「泣いてたまるか」は白黒番組だったので、カラーで「ナキラ」を観たのは、今回がはじめてという事になる。

顔の部分は人間の赤ん坊みたいな肌色に着色されていたが、それ以外は完全に「ガラモン」と同じ赤いひだひだ。

しかし、何故、この作品に「ナキラ」が登場するのかは謎である。

「泣いてたまるか」に、山田洋次監督も参加していた事は確かなのだが…。