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天然性侵略と模造愛

2005年、山岡信貴原作+脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

空港の椅子に座り、独りスプーン曲げをしている男(川島充顕)の隣に、セーラー姿(佐藤和佳)の女が馴れ馴れしく座って、男の方へすりよって行く。

「欲望の惑星」

マンションの一室に、マヒル(竹内幹子)と同棲している男ナナセ(川島充顕)は、全く働こうともせず、ナナセの稼ぎをむしり取って生きているようなヒモ状態。

そんなナナセが部屋で寝ている所に、突然、電話がかかって行く。

3ケ月間消えろ、3ヶ月その生活を買う、自分をやめろ等と意味不明な事をいう相手に、ナナセは戸惑うばかり。

結局相手にせず、冷蔵庫の中にラッピングされた白菜の葉の中からマヒルの預金通帳を見つけると、勝手に50万おろすと、ナナセはそれで勝手に夜、鍋を作って浮かれていた。

そんな所に帰って来たマヒルは、バッグから買って来たばかりの出刃包丁を取り出すと、その鍋の中に放り込む。
そうやら、彼女は、昼間、ナナセが知らない女と一緒の所を目撃し、それに激怒しているらしい。

結局、通帳の事もばれてしまい、二人は大げんか。

その明くる日、又しても一人で部屋に入りところで、ナナセは電話を受ける。

不審に感じ、廊下に出たところで、ナナセは窓の外に潜んでいた何者かに蹴られてしまう。

気が付いたナナセは、見知らぬ森の中にいた。

するといきなり、横に置かれた水の張ってある洗面器に何者かが彼の顔を押し付ける。

夢中で、近くで手に取った一升瓶で、相手の頭を殴って逃げたナナセだったが、その途中で、奇妙な音を聞く。

ケイタイの音だ。

思わず手に取って、耳を付けたナナセは、又しても、聞き慣れた男の声を聞く事になる。

改めて、逃げて来た先ほどの場所を見やると、そこで死んでいた男は自分と全く同じ顔をしていた。

訳が分からないまま山道にたどり着いたナナセは、不審なライトバンが留まっているのを見つける。
どうやら、その運転手が、今話しているケイタイの相手らしい。

ライトバンは、いきなり、ナナセを轢き殺そうと向ってくる。

何とか身をかわし、その後、何気なく、崖下に石を放ってみたナナセは、下でライトバンにぶつかったらしい気配を感じ、その場に駆け付けると、案の定、ライトバンは路肩に突っ込んで留まっており、運転手の姿はなかった。

手を怪我していた事もあり、思わず、その運転席に潜り込み、車内にあったウイスキーを飲んでいたナナセは、突然、窓の外に顔を出したもう一人の自分に出会う事になる。

恐る恐る外に出てみたナナセは、車の影で額から血を流し、倒れているのを発見する。
脈を取ってみると、もう死んだらしい。

そこで、その男と服を着替えている所を、旅の途中らしい一人の女(佐藤和佳)に目撃されてしまう。

思わずその女に近づき、自分はセレブだと嘘を言い、海辺に女と連れ立って来たナナセは、女から薦められるままに、缶コーヒーを飲むが、その後、悶絶しはじめる。

女は、あんなと心中すると言いながらナナセの身体を海に引き込むと、独り逃げてしまう。

その頃、マヒルはいつものように、部屋で、額に怪我をしたナナセと寝ていた。

「殺戮の原理」

部屋に独りいたナナセは、突然現れた黒ずくめの男に誘い出され、車に乗せられる。

運転席で運転をしている男も助手席に座った黒ずくめの男も、共にナナセと同じ顔。

その運転手が、突然、助手席の男をナイフで突き刺して、車外へ放り出す。

瀕死の黒ずくめの男は、車のトランクを開けて倒れ込むが、何と、そのトランクの中にも、もう独り、ナナセと同じ顔をした男の死体が詰まっていた。

さらに、車から降りて来た運転手まで、まだ息のあった黒ずくめの男に背中を撃たれてしまう。

ナナセは、ポケットの中にあった父親からもらった招待状を開いて、その内容を読んでみる。

12月25日千寿小学校へ来いと書いてある。

差出人は、父親の名前、渡馬繁蔵。

雪の小学校に出向いたナナセは、そこで自分と同じ姿をした3人の男に出会い、その一人に縛られ、指を切断されてしまう。

自分を本物のナナセと信じている彼がオリジナルだとすると、そのオリジナルを傷つけると、他のナナセそっくりの男たちにどう影響するのか調べるためだと言う。

しかし、3人のナナセらは、学校内で互いに殺しあう事になる。

一方、マンションの部屋にいたナナセは、どうやら車の運転をしていた男らしく、トイレで、もう一人のナナセの死体を切断して、いくつものゴミ箱に投棄した後、自分の額をナイフで傷つけていた。

何も知らずに帰宅して来たマヒルは、すっかり様子が変わり、パソコンで何か金儲けをしているらしきナナセの姿を見る事になる。

その13日後、マヒルはナナセから呼出されたホテルの豪華なスイートルームに行くと、ナナセは、京からココで暮す事にすると平然と言い放つのだった。

ナナセは、その日から、ナイフを持って、人で溢れかえる町中をうろつき出すようになる。
そんなナナセに近づいて来た女は、殺人鬼の性癖を持つ彼に不思議な形をした銃のようなものを手渡す。

そんなホテルの部屋にやって来たのは、いつか、海にナナセを引き込んだ旅の女。

彼女は、ナナセにナイフで惨殺されてしまう。

その様子を浴室に覗きに来たのも、また同じ顔をした女。

ナナセは、彼女に向って不思議な銃を発射するが、彼女は平気な様子。

そんな部屋に、知らずに帰って来たマヒルは、浴室からバスタオル姿で出て来た女の様子を観て驚愕、一瞬、部屋を間違えたと逃げかけるが、女の「ここは間違いなくナナセの部屋で、彼は浴室にいる」と説明し、混乱しているマヒルに向って「自分は、こんな格好をしているが、実はナナセの父なんだ」と、ますます訳の分からない事言い出す。

錯乱しそうになり、浴室に飛び込んだマヒルが観たものは、真っ赤に染まった風呂に浸かったナナセの姿。

三人は車で、ビニール袋に詰めた無気味な物体を生みに捨てに行く事になる。
それが、ナナセが浴室で殺した女の正体だった。

「観察と実験」

49日後、マヒルは、トイレで死体を切断しているナナセの姿を発見。
恐怖よりも、ナナセと一体化したいと感じ、彼に抱きつくマヒル。

その日から、マヒルも、雑踏の中で見知らぬ女に異常接近するような不思議な行動を取るようになっていく。

そんなマヒルとナナセの前に、もう一人のナナセ(おそらく最初のナナセ)が出現、彼の片腕は機関銃に変型していた。
殺人を繰り返すナナセの方も奇妙な光線銃を持ち出して来て、夜の都会のまん中で、この二人による壮絶な銃撃戦が繰り広げられる事になる…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

SF映画の形を借りたアート映画とでも形容すれば良いだろうか。

パソコン編集を使用し、ほとんど一人で作ったというデジタルビデオ作品。

正直、1時間半がこれほど長く感じられた作品は珍しい。

同じ役者が何役もこなしている設定になっているが、観ている側としては、最初から最後まで、2、3人の同じ役者が出ずっぱりで登場しているとしか見えない。

途中、何カットか、巧みな合成シーンもあるが、ほとんどのシーンは、切り返しによる表現に終止している。

編集がそれなりに巧いので、数人いるような錯角も起こすような部分もあるが、大半はどう観ても独り芝居でしかない。

正直、これが延々と続くのを観続けるのは辛い。

おそらく、この設定が100%理解できているのは監督只一人だろう。

観ている側は、何となくこんな設定なのかな〜…と推測するくらいで、後は理解不能と正直に言うしかない。

何となく、ジェット・リー主演の「ザ・ワン」のアイデアを、デビッド・ボーイ主演の「地球に落ちて来た男」の感覚で作った映画と言う感じがしないでもない。

時系列の感覚と空間感覚が錯綜しているため、同じ顔をしていると言う複数のキャラクターが、途中から、誰が誰なのか、誰が本当の事を言っていて、誰が嘘を言っているのかさえも分からなくなり、こちらが難解なパズルに翻弄されているような感覚に襲われている間にも、映像の方はどんどん突き進んで行く。

その辺が監督の狙いなのだとしたら、その意図は成功していると言う事だろう。

一方、単調な独り芝居シーンが続くかと思えば、サイコホラーのような映像もあるし、SFアクション風のシーンまであり、決して、単なる自己満足だけのアート作品とも片付けられないが、娯楽作品といってしまうのも、やはりためらわれる。

かなり、時間と手間をかけて作られたと言う事だけは理解できるが、こういう「奇妙な映像」に多少なりとも興味のある、ある種マニア中のマニアみたいな人にしか楽しめない作品ではないだろうか。