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血槍富士

1955年、東映京都、井上金太郎原作、八尋不二+民門敏雄脚本、内田吐夢監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

街道を歩く旅人たち。

竹棒を持つ子供、槍持ちの奴とその足を心配する主人らしき侍、幼い娘連れの女、按摩、小間物屋の男など…。

川の渡し場で、役人が、船に乗り込む旅人たちを独りづつ尋問している。

遍路姿の男(進藤英太郎)が訳を尋ねると、 何でも、舞阪という所で、風の六衛門という大泥棒が出現したのだと言う。

一行が船で川を渡っている一方、竹棒を持った子供は、裸になって、独り川を渡り出す。
川ぬけであった。

しかし、対岸に着いた子供を、たき火を囲んだ大人たちは笑って見過ごしてやる。

しばらくすると、槍持ちの権八(片岡千恵蔵)が足を引きづり出したので、主人の酒匂小十郎(島田照夫)が、印篭に入った薬を渡して、少し休んでから来いと言い残して先を急ぐ。
もう一人のお供、源太(加東大介)が、槍を持ってやろうかと親切な言葉をかけるが、権八は、頑として槍を渡そうとしない。

主人と源太が先に行った後、権八はありがたく印篭の薬をもらって足の治療をしていたが、そこへ現れたのが、先ほどから付いて来ていた子供。

どうやら、権八の槍に興味があるらしく、自分は槍持ちになりたいのでそれに触らせてくれと甘えて来るが、権八は許さない。

権八が子供の素性を詳しく尋ねてみると、次郎(植木基晴)と名乗ったその子は、両親ともすでに亡く、岡崎から江戸へ上って、将来は侍になりたいのだという。

ちょっと、その子を気にいった権八は、ちょっと次郎に槍を持たせて、自分は主人になった振りをしてみるが、その様子を、後ろから付いて来ていた幼い娘連れの女(喜多川千鶴)に笑われたのに気づき、気まずくなって、次郎の槍を取り上げてしまう。

宿場町に到着し、主人が泊まっている遠州屋が分かった権八は、別れ際に、次郎の着物の中に、小銭を入れてやるのだった。

その遠州屋の一室、藤三郎(月形龍之介)という旅人と相部屋になったのは、小間物屋の伝次(加賀邦男)。

伝次は馴れ馴れしく藤三郎に、旅の途中で、大金を金勘定する姿を見かけたがそれはどういう金なのかと尋ねてくる。

どうやら、風の六衛門ではないのかと疑っているらしい。

しかし、藤三郎は、大金等持っていないと、返事をはぐらかす。

その頃、宿の調理場では、酒好きの源太が仲居から盗み酒をしていた。

彼が問わず語りに言う所では、主人の小十郎む無類の酒好きなのだが、飲むと人が変わってしまうたちなので、この旅では一口も飲まない事にしている、その代わりに自分が飲むのは、いわば「忠義酒」なのだそうだ。

しかし、その言葉は、風呂上がりで部屋に帰る途中だった、小十郎の耳に届いていたし、兄貴分に当る権八にも見つかり、源太は、近くのどぶ川で口をゆすがされる事になる。

一方、同じ宿の大部屋では食事が始まり、娘のおたね(田代百合子)と同伴していた老いた父親与茂作(横山運平)が、酒でも飲んでみようかと言い出すが、その姿はあまりにも寂し気。

そんな遠州屋に役人が訪れ、各部屋を改めはじめる。

伝次の部屋に入った役人は、彼が一人なのを怪しむが、同部屋の藤三郎という男は今席を外しているが、特に怪しいものではないと言う伝次の言葉を信用して去って行くのだった。

藤三郎は、伝次に言われて、押入の中に隠れていたのだが、どうやら、伝次の正体が十手持ちらしいと分かっても、持っている金は生野の銀山で働いて稼いだ真っ当なものだと言うばかりだった。

宿場町はその夜、祭礼で賑わっていた。

娘おきんを連れた旅芸人の女は、権八からもらった金で買ったらしき天狗の面をかぶり、柿を食べていた次郎と再会したので、権八が忘れて行った印篭を渡してやるように言付ける。

遠州屋の権八に次郎が印篭を届ける少し前、小十郎は源太を誘って祭り見物に出かけていた。

そして、あろう事か、飲み屋に入ると、あれほど固く断っていたはずの酒を注文するではないか。

実は、宿での源太の言葉を聞いていた小十郎が、源太に好きなだけ飲ませるつもりの配慮であった。

しかし、何時の間にか、源太どころか、付き添いのつもりだった小十郎も深酒をしていた。

すっかり目が座った小十郎は、自分達を見て笑ったと、同じ飲み屋にいた旅人三人組に絡んで行く。

外へ逃げ出した旅人たちを追って、刀を抜きかけた小十郎の姿を発見したのは、印篭を届けてくれた旅芸人親子に礼を言うつもりで次郎と一緒に祭り見物に来てみたものの、奴さんの唄と踊りを演じている幼い娘おきんの姿に自分の姿を投影し、声をかけられないまま帰りかけていた権八だった。

権八は、泥酔した主人を抱えて宿へ連れ帰るのだった。

翌日、街道には、姿を消した藤三郎を追って走る伝次の姿があった。

一方、次郎は、高い気に登って、旅人たちの様子を見物していたが、その時、盗んだ財布から金を抜き取っている遍路姿の男を発見、思わず「泥棒だ!」と叫んだはずみに、木から落ちてしまう。

それを見つけた権八と旅芸人親子は、すぐさま駆け寄り、小十郎の印篭の薬を借りて応急手当てすると、権八が背負って、医者のいる宿場まで急ぐ事にする。

しかし、背中の次郎は腹痛を訴えはじめる。

昨夜、慣れぬ買い食いで、腹を壊したらしい。

ところが、そんな彼らの行く手に人だかりがしているではないか。

何でも、殿様一行が、富士の姿を眺める風流な野立てを路上ではじめたので、往来止めになっているのだと言う。

急ぐ旅人たちの迷惑も顧みず、殿様たち(杉狂児、渡辺篤、坊屋三郎)は、のんきに路上で饅頭等喰いはじめる始末。

権八は、しきりに便意を訴える次郎を道ばたに解放してやるが、そこには先客たちもいた。

その匂いが殿様たちの所まで漂ってくるのだが、当のバカ殿たちは匂いの正体が分からず困惑顔。

そんな中、とうとう富士山の頂上付近に傘雲が発生、たちまちの内に土砂降りの雨が降り出し、殿様も旅人も逃げまどう始末に。

次の宿屋に合流した旅人たちは、おたねが借金のカタに身売りに行くのだと言う事を知る。

同情した小十郎は、槍を売って、その借金の三十両に替えてやろうと、翌朝早く骨董商に出かけるが、何と、その槍が偽物で大した値うちがなかった事を知らされただけだった。

そんなこととは知らない権八は、昨夜、本陣に泥棒が入ったとの宿の主人の声に目覚めて、槍がなくなっていることに気づくと、後先も考えずに雨が降る外へ飛び出して行く。

その頃、もう一人、早く宿から出発しようとしていた男があった。

お遍路姿の男だった。

彼は部屋を出る時、うっかり、寝ていた次郎の枕元にあった天狗の面を踏みつぶしてしまうのだが、それで目覚めた次郎は、そのお遍路こそ、この前、木の上から目撃した泥棒と同一人物だと気づき、夢中で、男にしがみつく。

騒ぎの中、玄関口でもろ肌を脱いだその男の背中には、大きな風じんの刺青があった。

彼こそ、大泥棒、風の六衛門であった。

しかし、彼は、宿の出口から逃げ出そうとした所に、ちょうど主人と出会い、帰って来た権八の槍が突き付けられていた。

権八には、まったく知らないことだったが、結果的に、槍に怯んだ六衛門は、宿の者たちによって捕らえられ、その褒美は、主人たる小十郎への礼状と言う形の紙切れ一枚だけ残ることになる。

その頃、借金した金を返すため、かつて娘を預けていた女衒の久兵衛(吉田義夫)の家を訪ねていた藤三郎は、主人は不在で、大事な娘は三年前にすでに他界していた事を久兵衛の女房から知らされていた。

一方、当の久兵衛は、おたねを宿から貰い受け、籠で連れ出していた。

放心状態で宿へ戻って来た藤三郎は、与茂作の前に置かれた30両の証文を何気に目にすると、自分の金が役立つと直感し、久兵衛の籠を追って金を渡しに行く。

しかし、久兵衛の方は、藤三郎の姿を見ても驚くでもなし、謝るでもなし、逆に、迫ってくる藤三郎を子分たちに痛めつけさせようとさえするのだった。

そんな所へ駆けつけたのが、岡っ引の伝次。

彼は、藤三郎へ自分の判断の誤りを詫びると共に、久兵衛からおたねとその借用書を取り戻してやるのだった。

かくして翌朝、無事、親子共々国に帰ることになったおたねらと、伝次、藤三郎の姿を宿から見送っていた小十郎は、町民たちの素朴な人情に感動し、出発間際だと言うのに、源太を連れて、ちょっと外出しようと言い出す。

そんな事とは知らず、すっかり旅支度を終えた権八は、宿の裏でおきんと無邪気に遊ぶ次郎の姿を見に行っていた。

小十郎が向った先は、又しても飲み屋であった。

今度こそ、主人の飲酒を止めようとする源太に対し、小十郎は、家来の手柄も主人の手柄等と詭弁を労する侍社会の下らなさを悟り、今こそ飲みたいのだと言い出す。

そんな所に、泥酔した数名の侍たちが乱入してくる…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

様々な人間模様が交差する道中ものの時代劇。

ある時はユーモラスに、ある時はしんみりとしたエピソードを重ねて行きながら、貧しいながらも人情に厚い町人たちの姿と、面子ばかりで実のない侍社会との落差を、痛烈に描き出して行く。

ふとしたことで出あった子供と情を交わしていく、忠義ものの奴を演じる片岡千恵蔵が魅力的。

独身の奴と、子連れながら気の良い旅芸人の女との、互いに何となく気づかいあう、大人の関係も好ましい。

タイトルからは想像しにくいが、全体的に伸びやかで暖かい物語になっている。

ラストの大立ち回りは、見ごたえたっぷり。

後味も悪くない。

名作の名に恥じない一本だろう。