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惑星大怪獣ネガドン

2005年、粟津順脚本+監督作品。

この作品、CGのプロモーション用試作とか、あくまでも金を取らない自主映画として評価するならば、「個人でここまで良く頑張った」「CG技術は見事」…とか、社交辞令的な言葉でお茶を濁しても良いのだが、料金を取って、プロの映画として一般公開した以上は、観る側としてもプロの作品としてシビアな感想を言うしかない。

まず、あたかも怪獣映画であるかのようなタイトルが損をしている。これは、いわゆる怪獣映画ではない。
完全に「ロボットアニメ」の世界である。

もちろん、怪獣映画といっても、色々バリエーションがあるので、こういう怪獣映画があっても良いのだが、どちらかといえば、海外の低予算SFモンスター映画に、日本の配給会社やテレビ局が勝手に「大怪獣〜」などというタイトルを付けた作品に印象は似ている。

さらに、「昭和百年」などと、わざわざ昭和の怪獣映画へのリスペクトを予感させるような設定になっているのに、実際に画面から醸し出されている雰囲気は、明らかにアニメ感覚が混入した「平成怪獣」の世界。

どうも「平成ガメラ」っぽいなと感じていたら、この監督、「ガメラ2 レギオン襲来」に感激してCG作りの勉強をはじめた人らしい。

それでは、昭和の怪獣ものなんて自らの血肉になっているはずもなく、昭和怪獣映画をオタク感覚で平成に再構築した平成怪獣ものを模倣している事で、『たまたま昭和の匂いが少し残ってしまった』に過ぎない。

確かにレトロ風な小道具や風景等は出て来るが、それだけで昭和っぽくなるはずもないのだ。

だから、あくまでもこの作品、ロボットアニメやハリウッドモンスター映画などで育って来た31才の粟津監督が考えた「幻想としての昭和」であって、いわゆる「昭和の怪獣映画」の世界とは全くの別物。

昭和怪獣映画に本当にこだわった人なら、もっと怪獣に魅力があるはずだが、単なる「やられキャラ」にしか見えない所が「怪獣映画」としては致命的。

では、ロボット映画として観ると面白いのかと言うと、これがそうでもないのが辛い。

ストーリーがつまらないのは、みんな「どこかで観たようなありきたりの話」の寄せ集めでしかないから。

アナウンサーを含め、4人出てくるキャラクター全員に魅力がないのも、魅力を損ねている要因。

技術的には、皮膚感や口元の筋肉描写など、なかなか良く出来ていると感心する部分もあるのだが、いかんせん、外観をリアルに作っているために、かえって、見知らぬ素人役者が出演している安っぽい自主映画に見えてしまう。

おそらく、粟津監督が一番作りたかったのは、レトロなロボットが活躍したり、ジェット機や戦車が出撃するかっこいいシーンの再現だったのであり、現金なもので、そういう監督の本音の部分の出来はすごく良い。

逆に、変にセンチメンタルなドラマや、意味ありげな挿入映像部分は、「ドラマっぽくするための手段、言い訳」として付け加えられているか、CGの技術力アピールだけの印象しかない。

つまり、本当に監督が描きたかった部分ではないから、嘘臭く、借り物っぽく、しらじらしいのだ。

25分という上映時間は決して短いものではない。

通常の30分テレビドラマとほぼ同じ長さであり、世の中には、30分でも面白いドラマや特撮作品はたくさんある事を考えると、この作品のレベルは、まだまだ素人芸の域を出ていないというしかない。

それでも、確かな技術力はあるのだから、次回からは、少なくともストーリーに関してだけは、第三者を交えて、説得力のある独自のものを生み出して欲しいものである。