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宮本武蔵 一乗寺の決斗

1964年、東映京都、吉川英治原作、鈴木尚也脚本、内田吐夢脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

正月元旦、宮本武蔵(中村錦之助)との決闘で破れ、佐々木小次郎(高倉健)によって、左手を切断された吉岡清十郎(江原真二郎)が、戸板の乗せられて道場へ帰ってくるが、自分は卑怯ではなかったと叫んでいた。

しかし、それを見ていた伝七郎(平幹次郎)は、討たれ者の戯れ言と笑い、自分が必ず仇を討ってみせると息巻く。
破れた兄の事よりも、その弟の言葉を頼もし気に見守る叔父、壬生源左衛門(山形勲)であった。

同じ頃、若菜摘みをしていた老婆は、何気なく近づいて来た武蔵の血なまぐさい気配に怯え、思わず、一緒に野立てに来ていた息子の本阿弥光悦(千田是也)の元に逃げ帰る。

置き去りにされた若菜駕篭を持って、光悦の元へ歩み寄って来た武蔵は、老母を脅かしてしまった詫びをし、その落ち着いた態度を見て気を許した光悦は、茶でもどうかと武蔵に勧めるのだった。

一方、虚無僧に身をやつした青木丹左衛門(花沢徳衛)に助けられ、寺の軒下に身を潜めていた又八(木村功)は、半年間幽閉されていた佐々木小次郎(高倉健)の元から逃げて来た朱実(丘さとみ)と、その場所で偶然再会する。

小次郎は、縁側で一人尺八を吹く丹左衛門が朱実を軒下に匿ったのに気づかず、そのままその寺を行き過ぎて行く。

その後、偶然にも、武蔵を追う本位田のお婆(浪花千栄子)がその寺に立ち寄ったのを見かけた丹左衛門は、彼女の正体を見破り、こっそりその後をつけて行くと、そこには、病床に伏したお通(入江若葉)と、わが子、城太郎(竹内満)の姿があったが、あえて名乗りを上げず、その場を立ち去るのだった。

その頃、武蔵は、知り合った光悦の自宅に逗留させてもらっていたが、ひどく部屋に飾ってある絵に惹かれたのか、いつまでもそれに見入っていた。

吉岡道場では、床にあった清十郎が弟伝七郎を呼び、「お前には、この道場を譲り渡すが、家名を汚さぬように、武蔵との試合はしないでくれ」と頼んでいた。

しかし伝七郎は、その兄の言葉を卑怯者の弱音と嘲り、道場内で、少しでも弱音と受け取れる言葉を口にした門人は、その場で破門を言い渡すようになる。

そんな伝七郎の元へ、武蔵が光悦の元にいるのを発見したと言う知らせが届く。

しかし、その時、病床にいたはずの兄の姿は消えており、置き手紙が残されているのみ。

武蔵に油断をするなと忠告した門人の林(河原崎長一郎)までも、伝七郎の逆鱗に触れ、その場で破門を言い渡されてしまうのだった。

そんな吉岡一門の動きも知らず、光悦のたっての勧めで、遊廓扇屋へ招待される事になった武蔵は、表で待ち伏せていた吉岡門下の太田黒兵衛門(佐藤慶)から、蓮華王院裏地での伝七郎との果たし状を受取る。

光悦から紹介された灰屋紹由(東野英治郎)と遊廓に出向いた武蔵は、そこで、吉野太夫(岩崎加年子)を紹介されるが、彼女が烏丸光広(徳大寺伸)の席で手間取っている間に、こっそり遊廓の裏口から外へ向けだし、準備を整えると、約束の蓮華王院三十三間堂へ出向くのだった。

折から、降り始めた雪の中、門人たちに囲まれ、一人、武蔵に立ち向かった伝七郎だったが、軒下に潜んだ門人諸共、武蔵の剣の前に倒れる。

その後、何ごともなかったかのように、扇屋に戻った武蔵だったが、百人近くの吉岡の門人たちが遊廓を取り囲んでいると知った光悦と吉野太夫は、武蔵に一晩泊まっていけと勧める。

その夜、武蔵と二人きりになった吉野太夫は、自らの琵琶を鉈で断ち割り、わずか4本の弦で、緩急自在な音色が出せるのも、胴の中に組み込まれた横木にわずかなゆるみが施してあるためだと説明し、四六時中、緊張しているだけの今の武蔵の姿勢ではいつかは破れると鋭い事を指摘するのだった。

翌朝、扇屋の離れに武蔵が泊まっているらしいとの噂を耳にした城太郎が一人で訪ねてくる。

武蔵は、一旦は、その城太郎を連れて遊廓の正門を出ようとするが、城太郎は脇の柵から外に逃すことにし、たまたま聞えて来た丹左衛門の尺八の音に気づくと、あの音の所へ行けと命ずるのだった。

こうして、独り、正門から外に出た武蔵は、7、80人の吉岡道場門人たちに取り囲まれるが、そこに現れた佐々木小次郎が、勝負をするなら、きちんと、時と場所を決めたらどうかと両者に諭し、結果、明後日、叡山道、一乗寺下り松の所で決闘する事を互いに約定させる。

一旦宿に戻った武蔵は、水を浴びて身を浄めるとい、真新しい下着に身を包み、準備を整えるのだが、その様子を外からうかがっていたのが、吉岡道場を破門された林だった。

彼は、武蔵に声をかけると、何故、戦うのかと素朴な質問を投げかけるが、「知らん!この剣に聞け』と、突っぱねた武蔵は、まだ明けやらぬ中を一乗寺へ向う。

そんな武蔵を、朝靄の中で舞っていたのはお通だった。

一時の抱擁を終えると、 自分も殉じるというお通を嗜め、武蔵は独りモヤの中に消えて行くのだった。

下り松から少し離れた場所に陣取った武蔵は、周囲の地形を分析しはじめ、やがて、大勢でやって来た吉岡一門の一行の動きをつぶさに記して行った。

そんなところへやって来たのが、小次郎。

彼は、勝手に立会人たらんとするが、吉岡の門人たちはにべもなく追い払う。
鉄砲等、万一の時に備えて、卑怯な手なども準備していたからである。

その約定では、まだ年端も行かない源次郎を名目人として参加させる事にしていたが、武蔵は、まず、総大将であるこの少年を倒す事が肝心と考え、いきなり、背後から走りよると、かばう壬生源左衛門諸共、少年を串刺しにする。

かくして、武蔵対73人の吉岡門人たちとの、壮絶な戦いが始まるのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

全5部作というたっぷりとした構成で映画化した作品だけに、一編ごとにゆとりがあり、悠々たる語り口で見ごたえのある作品になっている。

本作は、兄、清十郎を倒された弟の伝七郎が武蔵に立ち向かう三十三間堂での戦いと、幼い源次郎を名目人として立て、37人の吉岡門弟たちが武蔵を抹殺しようと待ち受ける、一乗寺下り松の戦いの二つの見せ場を中心に描かれている。

ただし、本作はそうした戦いのアクションを見せるだけの内容ではない。
そういうチャンバラシーンだけを期待して観ると、意外と退屈に感じるかも知れない。

この作品で一番見ごたえがあるのは、むしろ、扇屋で武蔵と吉野太夫が一夜を過ごすシーンのようにも感じる。

武道とは無縁の彼女が、武蔵の人間としての精神的な弱点を見抜き、それを分かりやすく解いてみせるこのシーンは、劇中の武蔵同様、観客も思わず聞き惚れてしまうほどの含蓄を持っている。

緩急両面を合わせ持ってこそ、奥行のある表現ができるというその言葉を実践するかのように、この作品でも、朝靄の中でのお通と武蔵との静かな再会シーンと、真っ赤に染められた羊歯の葉の中に横たわる武蔵と言う静謐ながら美しい二つのイメージで、モノクロで描かれたクライマックスの動感溢れる戦いを挟んでいる演出が見事である。

各シーンのセットも堂々たるものが作られており、美術的にも見ごたえ十分。

一応、冒頭で、挿し絵と写真で構成されたそれまでのあらすじが付いているのだが、 基本的に、この宮本武蔵の話のおおまかな流れを知らないで、この一作だけを観ると、やや分かりにくい箇所もあるかと思う。

理想的には、5部作通して観る事をお薦めしたい。