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犬死にせしもの

1986年、大映+ディレクターズ・カンパニー、西村望原作、西岡琢也脚本、井筒和幸脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

1947年、ビルマ戦線から生き残って復員して、瀬戸内海で母親(中村玉緒)と二人、鬱々とした漁師をやっていた宗重左衛門、通称重左(真田広之)は、女郎屋で、同じビルマで戦っていた戦友鬼松庄一、通称鬼庄(佐藤浩市)と出くわす。

鬼庄は、重左に自分がやっている仕事に加わらないかと誘う。

生きる目的を喪失し、退屈な毎日を送っていた重左は、何の気なしに、戦艦大和の生き残りだと言う俵伝次郎(掘弘一)が操作する船「梵天丸」に鬼庄と共に乗り込むことになるが、彼らがやっていた仕事とは、海賊行為の事だった。

鬼松たちが住む五貫島では、島ぐるみがグルになって、海賊行為をやっていたのである。

そんなある日、彼らが乗り込んだ船には、牛が乗せられていただけではなく、中年男(梅津栄)に付き添われた花嫁らしき女(安田成美)が乗っていた。

これ幸いとばかり彼女をさらって行こうとした鬼床と伝次郎だったが、女は伝次郎が持っていた手榴弾を奪い、必死の抵抗をしようとする。洋子と名乗るその女は大阪に行く途中だったと言う。

取りあえずは、彼女を島に連れ帰った3人だったが、彼女を抱こうとする伝次郎や鬼庄を、重左は止める。
重左は、閉じ込めていた洋子に会い話を聞く内に、彼女の夫はサイパンンで戦死した話を聞く。
今回は再婚なのであった。

その話を聞く内に、重左は、彼女を売ってしまおうとしている鬼庄の元から逃すため、形だけ彼女と結婚した芝居をし、彼女の実家のある大分の竹田津へ連れていってやると言い出す。

しかし、洋子をさらわれた男は、瀬戸内一体を牛耳っている花萬一家に彼女の奪還を依頼していたので、さっそく、その子分たち、戦時中、軍事工場で燃料を背負っていた女に迫り、拒絶されたことに腹を立て、彼女の背中の燃料に火をつけて大火傷を負わせた上で乱暴したと伝説のある、火つけ柴なる男(蟹江敬三)やその配下の男(木之元亮)たちが五貫島へやってくる。

しかし重左は、3日間待ってやるからそれまでに女を帰せと迫る、花萬の威光を嵩に不遜な態度の彼らたちの態度に正面から反発し、最初はへりくだっった態度をとっていた鬼庄、伝次郎たちも、その勢いに押され、彼らを追い返してしまう。

翌日、洋子と武田津へ送り返すことに決めた三人だったが、大分に向うには、多量の船の燃料油がいる。

重左は、高松で映画館主をしている心当たりの阿波政(西村晃)という老人の元へ出かけ、彼の口から、丸亀の倉庫に油があり、清水と言う人物がいるという情報を手に入れるが、向ったその場所にいたのは、意外にも、五貫島の住人で、鬼庄たちも馴染みの岩テコ(平田満)だった。
彼の本名が清水なのだと言う。

その頃、島で独り待っていた洋子は、火付け柴に連れ去られていた。

島に帰投後、置き捨てられていた洋子のあられもない姿態を写した写真を発見、彼女が拉致されたことを知った三人は、3日間待つ等と言う火つけ柴の話は最初から嘘であり、阿波政も岩テコも、花萬の息がかかっていたことにはじめて気づく。

洋子を取り戻すため、岩テコを問いつめていた所、火つけ柴には複数の情婦がおり、中でも今、笠岡に住む女にぞっこんであると言う情報を得た三人は、その女を誘拐して同じように裸の写真を撮り、人質交換の手段に出ようとする。

千佳(今井美樹)というその女を連れ出した三人は、彼女の裸体の写真を撮ろうとするが、重左は、又しても、そういう愚劣な行為に乗る気がせず、千佳をかばったため、彼女の口から、火つけ柴の本拠地が西枯木島というところで、そこの女郎屋に洋子はいると言う情報を得ることができる。

千佳を連れ、その島に乗り込んだ三人だったが、火付け柴の意外な抵抗に会い、洋子を見つけだすことが出来なかったばかりか、梵天丸には火をつけられ、伝次郎は腕を負傷させられて、一旦退却することになる。

しかし、その夜の内に、火つけ柴の元へ帰っていた千佳が軟禁されていた洋子を秘かに連れ出すことに成功する。

そのことに気づいた火つけ柴は、翌朝、裏切った千佳へ銃弾を浴びせるのだったが…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

西村望の小説「犬死にせしものの墓碑路」の映画化。

戦後、間もない頃の瀬戸内を舞台に、戦地から生きて帰って来たばかりに、周囲から白い目で見られるようになり、すっかり生きる目的を失ってしまっていた一人の若者が、かつての戦友と偶然にも再会したことから、全く新しい裏社会の生き方を始める様が描かれている。

日本映画では珍しい「海洋冒険もの」のジャンルに入る作品ではないかと思われる。

最初の内こそ、海を舞台に荒くれ者たちの無鉄砲な生活振りが描かれ、その部分はそこそこ面白くない訳でもないのだが、主人公が一人の女に会い、良心に目覚めた辺りから、急速に物語は魅力を失っていく。

その理由の一つは、後半は主に、女性の奪い合いという比較的地味な展開になっていくため、映画としての視覚的なインパクトが希薄になること。

後半も場面の変化や、アクションめいたシーンがない訳ではないのだが、前半のハチャメチャ感に比較するとかなり大人しくなってしまう。

もう一つは、物語の要ともいうべきヒーローとヒロイン像に魅力がないこと、これは致命的だと思う。
この種の冒険ロマン的世界は、ヒーロー、ヒロイン像さえ魅力的なら、他は多少大雑把な描き方でも許せるような部分があるが、そのどちらも弱いのでは、惹き込まれるはずもない。

大体、安田成美演ずるヒロインは、物語の大半が囚われの身という設定で、感情表現したり活躍する要素がないに等しく、これでは、彼女を魅力的に描きようがない。
印象自体が薄いのだ。

どちらかというと、今井美樹演ずるもう一人の情婦の方が登場シーンも多く、生き生きと描かれているのだが、こちらはこちらで、何となく外見的な魅力に乏しい。(おそらく、何の知識もなく観たら、演じているのが誰なのかさえ分からないはず)

男優陣も、劇画的なキャラクター風に描いてある火つけ柴役の蟹江敬三や、渋い存在感を見せる西村晃など、脇には印象に残る人物もいない訳ではないのだが、肝心の主人公たる重左に今一つインパクトがない。

おそらく、原作の小説では、きちんと掘り下げて書いてあるのだろうが、現代人の目から観て感覚的に分かりにくい、この主人公の心理と言うのが、映画ではきっちり表現出来ているとは思えず、最後まで、この人物に気持ちがのめり込めない。

これでは、冒険ものとして楽しめるはずもなく、唐突なラストも相まって、何となく、ノレない話に終わらせてしまっているように思える。

高松のオープンセットや、火つけ柴の住む島にある遊廓などは、それなりにしっかり作ってあるし、本物の船舶を使ったシーンは見ごたえがある。

ちなみに、西村晃演ずる阿波政が劇場でかけている映画は、大映の多羅尾伴内もの(おそらく1947年の「七つの顔」か「十三の眼」のどちらか)と「在る夜の接吻」(1946)。