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多桑/父さん

1994年、台湾、呉念眞脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

金鉱がある大山里に住む幼い文健(鐘侑宏)は、母親(蔡秋鳳)に言い付けられて、めかしこんで映画を観てくるという父親セガ(蔡振南)に無理矢理付いて出かける。

セガは日本語に慣れ親しんだ世代で、常に日本を憧れ、家族にも自分の事を「とおさん」と日本語で呼ばせていた。

セガは、途中、仲間たちと合流した後、映画館で日本映画「君の名は」を観ているが、やがて、彼を呼出す城内案内が入り、「アッサンが熱を出して入院したらしいから、お前は一人で映画を観ていろ」と文健に言い残して姿を消す。

映画が終わって、独り劇場に取り残された文健を迎えに来たのは、見知らぬお姉さん。
彼女に連れられ、文健は、セガが飲んでいた飲み屋の外で待たされることになる。

しかし、父親との約束を守り、文健は母親には映画を観ただけと嘘を付くが、母はすっかりお見通しだった。

同じ村に住む篠春というおばさんの娘、秋子はアッサンと駆け落ちしようとしていたのだが、独り身の母親に猛反対され計画を断念。

その後、秋子はノブという男と結婚するが、その後、アッサンは坑内で自爆してしまう。

やがて、文健が小学校に上がる前頃、セガは失業し、街の質屋通いをするようになる。

文健の妹の下に、さらに弟が生まれていたのだが、セガは子供達を育てることに熱心ではなかった。

そんなセガに郷里に住む弟が兵役に出るという知らせが届き、貧しいセガは近所の人たちのカンパによって身繕いをし、何とか郷里に帰ることになる。

母親は、そこで、後妻だったという祖母の口から、セガの幼少期の事を聞かされる。
反抗的な子供で、継母と折り合いが悪く、ある日彼女と大喧嘩をして家を飛び出した後、しばらく漢方薬の店で働いていたが、それも長続きしなかったという。

弟の見送りを終え大山里に戻ってからも、セガの仕事は見つからず、麻雀博打に明け暮れる毎日。
結局、母親の方が仕事を見つけ、毎日の疲れから、そのいら立ちを子供達にぶつけるようになっていく。

ある時など、セガと大げんかした母親は山寺に逃げ込んでしまい、さすがにこの時は、人から勧めらるままに、文健は警察に救いを求める手紙を書くのだが、このことが又セガの起源を損ねるのだった。

セガは、その後何とか炭鉱夫の仕事を得るが、もう仕事は辛そうだった。

5年後、文健はバイトをしながら台北の夜学に通いはじめるが、ある日、その住まいに父親が一人でやってくる。又しても、麻雀のことで母親ともめたらしいのだ。

そうこうする内に、鉱山はなくなり、徐々に村人が減っていた大山里は事実上消滅する。

セガは20万元の退職金をそっくり弟に渡す。

53才になったセガは、他の村人同様、肺病にかかっていることが分かり、58才から入退院を繰り返す日々が始まる。

今は結婚し、孫も出来た文健の家に、セガは時々やって来たが、医者のいうことを聞かず、食事療法も守らなければ、薬もいい加減にしか飲まないという有り様、病状は刻々悪化していっていた。

そんなある日、いつものように文健の家を訪れたセガは、今こそ憧れの日本に行って、皇居や富士山を観て来ると言い出すのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

幼い頃から反抗的で、堪え性もないことから満足な定職にも付けず、結局、流れ流れて辛い肉体労働するしかなかった一人の男の幸薄い一生を、その長男の幼い頃から大人になるまでの目線で淡々と描いた作品。

ただし、この父親は決して不運だったのではない。
半分は身から出た錆なのであり、それは子供にも分かっているので、決して父親に同情するような描き方にはなっていない。

かといって突き放すでもなく、あくまでも血の繋がった肉親として一生見守っていくだけ。
それが、こういう性格の父親に対する唯一の愛情表現だと息子は幼くして悟っているのだ。

そうした息子の姿勢は作者の姿勢にも重なり、この作品、回想シーンなども、父親や家族から離れたエピソードなどはあまり具体的に描かれていない。

例えば、前半、名前だけは良く登場するアッサンなる人物などは、一度も画面に登場しない。

また全体的に、キャメラはフィックス(固定)で撮られており、意図的にセリフを発している人物がフレームの外にいる事もしばしば。

作者は決して、あれこれエピソードを面白おかしく描こうとしているのではない。

あくまでの作者の伝えたかったのは、若い頃からの父親の姿、ただそれだけなのである。

冒頭に登場する、めかしこんで飲み屋に出かける父親の生き生きとして晴れやかな姿、実はそれが長男の記憶の中にある最初の父親の姿であると同時に、父親の一番満ち足りた時代でもある。

この颯爽とした父の姿が、ラストに重なるのが全てを象徴しているように思える。

息子にとっての父親は、職を失ってみじめな生活を余儀なくされたり、足から血を流しながら「お前は勉強しろ。俺みたいになるな」と息子に呟く姿を見せつけられても、最後にはやっぱり輝いていた時代の事だけが鮮明に残るものだということなのだろう。

貧困家族と子供という良くある素材でありながら、決して「あざといお涙頂戴ものや感動もの」になっておらず、どこかじんわりと心に残る暖かい作品となっているのは、そうした作者の父親を想う深い愛情と、あくまでも冷静な視線が最後まで貫かれたためだと思う。