TOP

映画評index

ジャンル映画評

シリーズ作品

懐かしテレビ評

円谷英二関連作品

更新

サイドバー

にっぽん美女物語

1974年、田辺エージェンシー+松竹、下飯坂菊馬脚本、渡辺裕介脚本+監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

神楽坂にある割烹「駒蝶」の2女、生駒ひらめ(研ナオコ)は、城北中学の卒業仲間たちと歌いながら街を闊歩し、その勢いのまま歌声喫茶に乱入、そこで歌っていた歌手(青空球児・好児)と大乱闘の騒ぎになり、そのまま、警察の留置場へ。

折しもその日は、「駒蝶」の長女鯛子の結納という大切な日。

警察から電話を受けた母親で「駒蝶」の女将むつ(ミヤコ蝶々)は、呆れてひらめをもらい下げに行く。

さらに、「駒蝶」を訪れていた鯛子の結婚相手、船村建設の社長(三遊亭小円遊)とその両親のいる座敷に、台所で姉の悪口を言っていたひらめの声が、連絡マイクを通して筒抜けになってしまったから、むつと鯛子は大激怒。

15年前夫に先立たれたむつには、4人の娘がおり、各々に鯉子、ひらめ、鮎子(早瀬久美)、さより(秋谷陽子)という魚の名前が付けられており、揃って美人姉妹と評判だったのだが、何故か、次女のひらめだけは名前も容貌も、他の姉妹たちとはかけ離れており、性格も破天荒というか不良じみており、趣味も剣道やボクシングと言う変わり種だった。

むつは、彼女の性格を直そうと、踊りの稽古など始めさせるが、逆に踊りの師匠(坂上二郎)をからかうだけで、何の効果もなかった。

そんなひらめの唯一の理解者は、伊豆の寒山寺の住職をしている伯父(柳家小さん)だけで、その伯父とは伝書鳩を使って、ひらめは時々連絡しあっていた。

何とか、長女の結婚がまとまった後、ひらめは悪友のユカリ(ひろみどり)のアパートへいつものように遊びに行き、彼女のヒモであるサブちゃん(堺正章)からバナナの叩き売りを教わる事になる。

その頃、テニスコートで三女の鮎子を見初めたアマゾン石油の営業マン、蝦沢虎三(湯原昌幸)は、同行していた上司が「駒蝶」の馴染みで、彼女ならそこの次女だと間違って教えてしまった事から、事は厄介な方向へ向う。

当日、「駒蝶」へ挨拶に出かけた蝦沢と上司はひらめが不在だと、むつから聞かされ、改めて翌日、新東京ホテルのレストランでお見合いする約束をして帰るのだが、翌日、晴れ着を着込んでむつと共にホテルへ出向いたひらめを見て、蝦沢は驚愕してしまう。

何故なら、前夜、路上でバナナの叩き売りをしていたおかしな女性が目の前にいたからだ。

人違いと分かり、たまたまホテルに様子を見に来ていた鮎子に、改めて蝦沢は求婚する事になる。

落胆して、「駒蝶」でやけ酒を飲んでいたひらめは、店で釣り銭詐欺を働こうとしていた若者客の片割れを捕まえてしまう。

その若者は、寿司屋を首になった元板前の純平(津坂匡章)といい、たまたま若い板前を探していた板長の仁吉(佐野浅夫)の下で働く事になる。

同じ年頃と言う事もあり、すっかり気があったひらめと純平は、鮎この結婚式にも出席しないばかりか、「駒蝶」で行われた披露宴の席で、うな重の器の中に、生のウナギをいれて出すなど悪ふざけが過ぎたので、とうとう、堪忍袋の緒が切れたむつによって、二人とも家を追い出されてしまうのだった。

しかしその頃、長女鯛子は、夫の博打好きから来る借金に悩まされるようになり、三女の鮎子も又、夫の女関係に悩みはじめる。

一方、ユカリのアパートへ転がり込んだひらめと純平も、食べるために付いた仕事がどれも長続きせず、いらいらした二人は、ちょっとした言葉の行き違いから別れる事になるのだが、本心では純平の事が好きだったひらめは、又しても落ち込んでしまう…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

この前年の1973年に、愛川欽也とのカメラの共演CFで、そのユニークな容貌を日本中の茶の間に知らしめた研ナオコを主演に据えた娯楽もので、人気コミックの映画化「愛と誠」の併映作品。

研が所属していた田辺エージェンシーの社長田辺昭知の企画だけに、彼女のプロモーション目的で作られた作品ではないかと思われるが、当時、同じ事務所だった堺正章(社長の田辺とは同じザ・スパイダースのメンバー同士)等などもゲスト出演している。

劇中で、研はちゃんとデビュー作「大都会のやさぐれ女」も歌っている。

まだ幼さが残る当時の丸顔の研ナオコは、決して美人ではないが、若さなりに可愛い事は確か。

「ナウい女」とか「ストリーキング(白昼、素っ裸で路上を走るパフォーマンス)」などの言葉が時代を感じさせるが、全体としてはオーソドックスな下町人情もの。

独り、家庭内の問題児として描かれるひらめのキャラクターは、さしずめフーテンの寅次郎の女性版といった所で、幼い頃からその特異な風貌をからかわれてきた心の屈折が彼女をひねくれさせてしまっているだけ。

その心根は、恋に恋する普通の女の子…といった設定なのだが、地方の保守層だけを頼っていたこの時期の松竹の作品だけに、泥臭い悪ふざけ表現や下品なセリフ回しがある割に、心底笑えるような箇所はほとんどないというのが正直な所。

主役とはいえ、こんな下品な役をやらされていた当時の研ナオコは、乙女なりに傷付いていたのではないかと思われる。

「女版寅さん」を連想させるのは、「男はつらいよ」に出ていた佐藤蛾次郎や津坂匡章が登場していたり、母親役が同じミヤコ蝶々である事等もある。

研の演技はしろうとに毛が生えたレベルのものなのだが、それなりに健闘しており、本格的なコメディエンヌ役者がほとんどいなかった当時、彼女の存在が重宝がられたのは良く分かるような気がする。

分厚い眼鏡をかけ、四女さよりのボーイフレンド役で登場する蔵忠芳や、夭折した落語家、三遊亭小円遊の姿が懐かしい。