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水戸黄門('78)

1978年、東映京都、葉村彰子原案+脚本、山本鉄也監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

常陸の山中、旅姿の武士二人が追っ手一味に追い付かれ、斬り合いになる。

手傷を負った若侍風の男と、そのお付きらしき侍は山小屋に逃げ込むが、追っ手たちは、そこへ火矢を打ち込み、二人をあぶり出そうとし始める。

お付きの侍金三郎(東野英心)は、小屋を飛び出し敵の矢の餌食になるが、そこに駆け付けて来たのが、山小屋の煙を発見した助さん(里見浩太朗)格さん(大和田伸也)の二人組。

瀕死の侍は、小屋の中に誰かいることを示唆して息耐えるが、燃えて崩れた小屋の外には、気絶した若侍を抱えた風車の弥七(中谷一郎)の姿があった。

西山荘で看病された若侍は、実は由美(栗原小巻)という女性であることが判明、彼女は対面した光国に対し、加賀に来てくれと懇願するのであった。

加賀では、城主綱紀(竹内享)が江戸に詰めている間、家老の村井主水(阿部徹)が、綱紀の正妻の息子である新之助を差し置いて、自分の娘の子供である松千代を跡目にし、自分の権力を確たるものにしようと企んでおり、あろうことか、 由美の恋人であった石川隼人(竹脇無我)も、今や、その主水側に組していた。

そんな中、由美の父である城代奥村作左衛門(三船敏郎)は、殿の不興を買い、謹慎中の身であった。

かくして、加賀へ向うことになった黄門一行は、柏崎に近づいた所で、母が病気だという馬子の少年と出会い、傷で体力が回復してない由美を乗せてもらうことにする。

その少年に因縁を付けて来たのは、柏崎を牛耳っていた柏屋権三の配下の馬子たちであったが、助さんと格さんによって、あっけなく蹴散らされてしまう。

一方、その頃、柏崎の旅籠「ささや」ではおかしな三人組が長逗留して豪遊していたが、彼らの身元を怪んだ番頭(谷幹一)が途中で彼らに清算を願い出た時、三人が各々、御隠居(ハナ肇)助さん(植木等)格さん(谷啓)と呼び合うのを聞き、これは「水戸黄門一行」だとすっかり勘違い、主人笹屋喜兵衛(稲葉義男)に報告したから町は大騒ぎ。

このことを聞き知った、代官黒部八太夫(遠藤太津朗)は、さっそく、そのニセ黄門一行に挨拶に来るが、その際、何気なく御隠居が尋ねた「この頃、儲かっているだろう?」という言葉を、地元の年貢、運上金の徴収を任せられている柏屋権三と組んで、自分がピンはねしている事実を知られていると錯覚した彼は、すぐに、口止め用の賄賂を持ってくることになる。

こうしたことを、事前に弥七からの報告で同じ宿に泊まって様子をうかがっていた本物の黄門一行が突き止め、代官と権三一味はきつく仕置きを言い渡されるし、ニセ黄門一行は、自分達の身替わりとして、江戸へ向うよう命ぜられる。

いよいよ加賀の国に到着した一行は、浜辺で練習する御神乗太鼓一行と出会い、彼らの頭(加藤嘉)は、由美を良く知っていたこともあり、黄門一行は彼らの仲間に扮装して城内に入り込むことに成功し、ちょうど賊に襲撃されていた奥村作左衛門を間一髪救出することに成功するのだった。

しかし、石川の変心振りに納得がいかない幼馴染みの鶴来源八郎(和田浩治)は、彼に勝負を挑み、それを見とがめられて主水の腹心高坂(川合伸旺)に捕縛されてしまっていた。

こうした状況の中、何も知らない綱紀は、江戸から国元へ戻ってくるのだが…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

1969年から現在に至るテレビ長期人気シリーズの映画版で、大和田伸也が格さんに扮し、山口いづみが登場している所から、東野英治郎が黄門に扮していた第9部(1978年8月〜1979年2月)がベースになっているものと思われる。

良くも悪くもテレビのスペシャル版のような雰囲気で、映画独特の凝った絵作りや迫力はないのだが、三船敏郎、栗原小巻、竹脇無我をはじめ、ハナ肇、植木等、谷啓といったクレージーの面々、さらにかしまし娘などが賑々しくゲスト出演しているのが見物。

この時期の植木等のおとぼけ演技は貴重。

三船は久々に立ち回りも披露しているし、東野英治郎の息子、英心が、冒頭から登場する所などもサービスの一つなのだろう。

「白影」こと牧冬吉が悪役として登場し、三船と剣を交える所などは、ちょっとマニアックな見所と言えるかも知れない。

ただ、絵に描いたような美男美女を演じる竹脇無我と栗原小巻などに象徴されるように、全体的に人物造型が凡庸で、記号的な役割しか与えられておらず、人間として何の奥行も感じられないことが、物語全体を平板な印象にしていることは否定できない。

ストーリー的にもテレビの延長以上のものではなく、適度なサスペンス、適度なユーモア、適度な観光要素…といった具合に、いかにも御都合主義でたあいない展開と緩いながらも過不足ないサービス演出で、その毒にも薬にもならないような所が、いまだに続く人気の秘密なのかも知れない…と思い知らされるような内容になっている。