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喜劇 駅前桟橋

1969年、東京映画、池田一朗脚本、杉江敏男監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

瀬戸内海の島々を巡る第一観光丸の船長森田徳之助(森繁久彌)は、妻亡き後、別々の島に住む16人もの妾を持ち、彼女たちに各々1〜16までの名を関した栄荘なる旅館を持たせている剛の人。

今日も、そんな妾の一人やすこ(塩沢とき)の熱烈なキスを受けとある島を出たのだが、早くも鬼が島に行きたいと言う乗客の美女(旭ルリ子)を目ざとく見つけ近づくと、ちゃっかり、鬼が島で自分が経営している第三栄荘に案内して熱烈なサービスをする始末。

ちょうど、栄荘に遊びに来ていた同じ島に住む「狸会」なるメンバー仲間の伴野孫作(伴淳三郎)も彼女に目をつけるが、徳之助は、そんな孫作を無理矢理高松にある第二栄荘別館に連れていき、そこの経営を任せている亡き妻の妹お玉(池内淳子)に、いつものように、近づいて来た高松祭り用の踊りを教えてもらうのだった。

その貍会のメンバーのもう一人の仲間、堺次郎(フランキー堺)は、老舗の讃岐うどん屋の息子だったが、日頃から、老いてなお女遊びに目がない父親(左卜全)に苦労させられて育ったため、今では、無類の女嫌いになっていた。

さらに、同じ貍会の一人で家具の塗師、松木三平(三木のり平)は、出来の悪い受験生の息子、太平(長沢純)を持っているため、日頃から、合格祈願のまじないにあれこれ凝っていた。

そんな別館に、徳之助の息子、徳太郎(松山英太郎)が、夏休みで島に帰省する途中に立ち寄り、叔母に当るお玉に、大学を辞めたいと相談を持ちかける。

彼は、大学が馴染めず、自分が好きなジャズの道へ進みたいと言うのだった。

その話を聞かされた徳之助は、貍会の仲間たちと相談して、息子がそんな道に迷ったのは、子供の頃から真の遊びを教えなかったため、免疫が出来なかったからだと結論付け、徳太郎をキャバレーや芸者遊びに連れていくことになる。

しかし、そんな親たちの頓珍漢な行動に怒ったのは、徳太郎自身ではなく、幼友達で、徳太郎の相談を聞いていた孫作の長女、左知子(島かおり)や、たまたま話を聞き付けた太平だった。

彼らは相談の末、16の島に散らばる徳之助の妾の子供達にも協力を頼み、親を完全に無視するストライキ作戦に出る。

おかげで、女房(春川ますみ)が実家に帰った孫作など、左知子を含めた6人の娘が全員、彼の言うことを聞かなくなり、外出するにも服が見つからないと言う始末。

三平の家でも、太平が店先でヒッピー暮しをはじめだし、日頃教育ママの母親(京塚昌子)を唖然とさせる。

第二栄荘には、子供が言うことを聞かなくなった16人の妾たちが結集し、徳之助に詰め寄るのだった。

しかし、子供達の作戦に負けじと結束した親たちは、早速反撃の狼煙をあげる。

三平は、太平同様、ヒッピー姿になり、息子と同じように店先で暮しはじめる。

孫作は、褌に羽織を身に付けただけと言う格好で外出しようとし、左知子以外の娘たちは、恥ずかしさのあまり必死に引き止めることに。

第二栄荘でも、スピーカーから大音量でジャズを鳴らし始めた徳之助に、徳太郎が、自分の好きなものをそんな風に汚すのは卑怯だと詰め寄っていた。

しかし、徳太郎たちが取ったストライキ作戦は卑怯ではないのかと逆に切り返した徳之助は、砂浜に徳太郎を誘い出すと、本気で相撲勝負を始める。

父親の意外な真剣さに触れた徳太郎は、ジャズをやろうとする考えを躊躇しはじめるが、そのことを聞かされた左知子は納得できない。

二人で押し問答している内に、何となく二人は砂浜で結ばれてしまうのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

シリーズとしては初演出となる杉江敏男監督御本人にとっても最後の作品となった、シリーズ24作目にして最終作。

無類の女好きという森繁のキャラクターを最大限に膨らませたストーリーだが、長年、レギュラーを勤めた淡島千景が登場していないのが惜しまれる。

そもそも島々の話なので、どう考えても「駅前」とは無関係、船が着く桟橋と鉄道の駅を無理矢理引っ掛けているのだろうが、さすがにネタ切れ感は否めない。

最終作と言うことで、徳之助の息子徳太郎や孫作の娘、左知子、さらに三平の息子太平といった若者と親世代のレギュラー陣が対決する物語になっており、若い世代との世代交替を印象づけた作品になっている。

ベテラン杉江敏男監督が撮っているためか、ラブシーンではスローモーションが使用されていたり、従来の「駅前」にはなかった新しい感覚を取り入れてはいるのだが、さすがに、息子がジャズに夢中という設定からして古めかしい。

第一、劇中に使用されている音楽はジャズでも何でもないし、いくら何でもヒッピーの時代にジャズはないだろう。
もはや「お姐ちゃんシリーズ」や初期の「若大将」を作っていた時代ではないのだ。

そういう流行面での「無理矢理感」は否めないが、女系家族の中で孤立奮闘する伴淳の姿など、オーソドックスなアイデアながら、それなりに面白い箇所もない訳ではない。

娯楽映画としてはそれなりに纏まった作品と言えるが、松山英太郎扮する息子世代の葛藤劇を前面に押し出しただけ、レギュラー陣は老いた保守的な存在に見えてしまい、彼らが生臭く活躍していた「駅前」初期の頃の雰囲気とは、もはや全くの別物になってしまっているように思える。

キャバレーで唄う歌手として三沢あけみ、「駅前満貫」以来久々にかしまし娘がゲスト出演している。