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十一人の侍

1967年、東映京都、田坂啓+国弘威雄+鈴木則文脚本、工藤栄一監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

天保10年、秋、将軍家吉の弟で、館林藩の藩主、松平家齊厚(管貫太郎)は狩りに出ていたが、朝から大した獲物がなくいらだっていた。

ようやく鹿を見つけて、矢を射たものの外れ、そのまま齊厚は獲物を追って、供のものたちが制止すrのも聞かず、一人国境を越え、西にある忍(おし)藩の領内に入り込んでしまう。

そこで、馬の前に飛び出た農民を、邪魔だと矢で射殺した様をたまたま近くで見ていた忍藩藩主阿部正由(穂高稔)は、齊厚の横暴をとがめるが、逆に齊厚から矢を目に打ち込まれ、その傷が元で息を引取ることになる。

忍藩次席家老榊原帯刀(南原宏治)は、その一部始終を証拠の矢と共に、老中水野越前守(佐藤慶)へ書状でもって報告するが、幕府の体面を保つために、水野はその訴えをすべて言い掛かりとし、逆に忍藩の嫡子菊丸の世継ぎを認めず、藩はお取り潰し、お家断絶を榊原に対し言い渡すのだった。

あまりの無体さに逆上しかけた榊原だったが、家臣たちがその知らせを受けて、良からぬ振る舞いに及ばないとも限らないので、説得する期間が欲しい。せめて11月の晦日までの後1ヶ月の猶予を貰いたいと申し出て許されることになる。

藩に戻った榊原は、妻織江(宮園純子)と仲睦まじく暮していた盟友、仙石隼人(夏八木勲)の住まいを訪れ、齊厚を斬ってくれぬかと依頼するのだった。

隼人は覚悟を決め、自分は脱藩して浪人の身になることを決意する。
齊厚が浪人に斬られたとなれば、外見をはばかられるため、病死という処置になるかも知れぬという賭けであった。

さらに、後10名ほどの仲間が欲しいと考えた隼人は、秘かに齊厚暗殺を企てていた若い家臣たちを捕え、城へ連れて来ると、その場での全員切腹せよと命ずる。

その命令に全員従おうとした瞬間、隼人は、自分の計画を彼らに打ち明け、自分に命を預けてくれないかと頼むのだった。

感激して仲間に加わった7人の中には、病死した兄静馬に変わって暗殺計画に参加していたむい(大川栄子)もおり、さらに、金の工面を取り仕切る市橋弥十郎(汐路章)、榊原との連絡係として藤堂幾馬(唐沢民賢)が加わる。

その頃館林藩では、秋吉刑部(大友柳太朗)が必死に止めるのも聞かず、齊厚が勝手に江戸へ出立すると言い出していた。

その知らせを聞いた隼人は、織江に黙ったまま家を出ると、他の仲間たちと共に、江戸へ向って旅立つことになる。

江戸へ上った齊厚は、あろうことか、刑部の目の届かぬ内に一人で郭通いの毎日をはじめ出す。

情報を知り、千載一遇のチャンスとばかり、遊廓内で、酔って正体のない齊厚を暗殺せんと待ち受けていた隼人たちだったが、一瞬早く刑部が駆け付け、齊厚を連れて帰るのだった。

古寺で今後の打合せをしていた隼人たちは、室内に潜んでいた井戸大十郎(西村晃)という怪し気な浪人者に話を聞かれてしまうが、吉原より隼人たちを付けて来ていた刑部の配下たちを迎え討つ斬り合いに参加して来たので、そのまま何となく仲間になってしまう。

聞けば、彼も又、下らぬ侍の掟に巻き込まれて肉親を亡くしており、一度は殿様なるものを斬ってみたかったのだという。

そんな江戸に夫、隼人を探し求めて、実弟の喬之助(近藤正臣)を訪ねて来たのが織江。

その喬之助、ある日偶然にも、幼馴染みのおぬいの姿を路上で見かけ、その後を付けて、彼女と暮している隼人の姿を発見してしまう。

二人の暮らしを誤解した喬之助は、罠とも知らず、一人、吉原に相変わらず通っていた齊厚を斬ろうと向い、逆に捕らえられ、拷問の末、齊厚自身に惨殺されてしまうのだった。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

理不尽な武家社会の中で踏みにじられていく下級武士たちの反逆を描いた時代劇。

基本的には同じ工藤監督の「十三人の刺客」(1963)と似たような設定(復讐と攻防戦)となっており、前作を焼き直した作品といって良いかも知れない。

管貫太郎や西村晃、里見浩太郎など、両作品に共通する顔ぶれもいる。

前作とはっきり違うのはキャスティングの年齢層。

嵐寛寿郎や月形龍之介、片岡千恵蔵など、ベテラン大物が出演していた「十三人の刺客」に比べ、本作は、大友柳太郎が出演している以外は、夏八木勲、近藤正臣、里見浩太朗など、若手がメインになっている。

つまり、「十三人〜」の時には、まだ「スターのネームバリューや存在感」への依存という旧来型時代劇スタイルが残っていたのに対し、本作では、そうしたものをすっぱり捨て去り「緻密に練られたストーリー性だけで見せる」形に移行しているのだ。

又、若手が中心になった分、小さな幸せを育んでいた夏八木勲扮する仙石隼人と、宮園純子扮する織江の若夫婦に待ち受ける運命や、まだ思慮が浅い若侍たちの暴走など、若者特有の悲劇性がより強調されている。

今となっては、両作品とも、その面白さに遜色はないように感じる。

老中水野越前守を演ずる佐藤慶は、いつも通りのポーカーフェイスキャラで印象に残るが、その水野に翻弄される忍(おし)藩次席家老榊原を演じる南原宏治の方は、ヅラ姿に馴染みが少なかったせいか、一瞬、誰なのか分からなかったほど。

クライマックスの豪雨の中の壮絶な戦いは、「七人の侍」と並ぶ迫力。

この手の話は、どうしても男だけの話になりがちだが、この作品では、ちゃんと女性も混じっているのがミソ。