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忘八武士道 さ無頼

1974年、小池一雄+藤生豪原作、中島貞夫+金子武郎脚本、原田隆司監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

寛永2年12月、品川宿に、オランダ大使サルバドール・ビデラ(マイク・ダーニン)とその妻(ジョイス・ローダー)が幕府の認可を受けるために通過していた。

その列を、屋根の上で待ち構えていた浪人者が、突然舞い降りたかと思うと、大使、付き添いらを瞬く間に殺傷し、馬から落ち気絶した妻を抱えて、毛唐女が抱きたいとせがんでいた商人の元へ連れてくる。

しかし、そのあまりの乱暴な所行に怖じ気付いて逃げ腰になった商人をあっさり斬り殺した浪人、気がついた妻を抱くと、こちらもあっさり殺してしまう。

オランダ大使夫妻を襲ったその浪人者の様子を、近くから窺っていた深川迷惑町の元締め、棚橋才兵衛(天津敏)は、子分のだるま(楠本健二)、お役者(江幡高志)に、急いで金を書き集めろと命ずる。

奉行所に捕まり、様々な拷問の後、打ち首の刑を受けた浪人者は、姓はさ無頼、名は九死一生(伊吹吾郎)と名乗っていた。

その浪人者の遺体は、秘かに、才兵衛たちの元へ引き渡されていたが、気がついた九死一生は打ち首を免れ、峰打ちだったことに気づく。

才兵衛が、1万5千両の金を奉行所にばらまいたおかげだった。

才兵衛は、九死一生に、自分達は、品川、新宿、千住などにある岡場所に、地方から集めて来た女たちを一人前の女郎に育て上げて送り込む「忘八者」であるが、その仲間にならないかと誘い、剛鬼貫(汐路章)が鍛えた妖刀「血吸いの剣」を渡すのだった。

幻庵(管貫太郎)なる医者が考案した女たちを生きた人形に仕込むシステムや、足抜けしようとした女の処刑など、凄惨な実体を見せられた九死一生は、その退廃的な雰囲気に惚れ込み、承諾することになる。

そんな深川迷惑町に、諸国から娘たちを調達してきた、組の小頭、文句松(池玲子)と、お供のだんまり(川谷拓三)が帰ってくる。

やがて、人形に仕立て上げた女郎たちの競りが始まり、吉原の総名主、大門四郎兵衛(北村英三)以外の客とは無事取引が成功したため、その日は無礼講となるが、その宴会の席で、九死一生は、隣に座った文句松を抱きたいと言い出し、幹部としてのプライドを傷つけられた文句松は、懐から拳銃を取り出す騒ぎとなる。

その後、入浴中の文句松は、無遠慮に侵入して来た九死一生によって抱かれるが、かねてより、文句松に一方的な恋情を持って仕えて来ただんまりは、その状況を正視することが出来ず、自ら刀で目を斬り、失明する道を選ぶのだった。

その頃、大門四郎兵衛は、深川迷惑町の躍進の陰で、寂れる一方の状況に追い込まれた吉原の勢いを挽回するために、北町奉行鳥居甲斐守(林彰太郎)に、所定の公認岡場所以外の締め出しを願い出、自らも黒助組という闇の組織を使って、違法岡場所の摘発に名を借り、才兵衛たちが派遣した女たちを奪い去っていくのだった。

こうして、才兵衛一家と大門一家の、女郎を巡る壮絶な戦いの幕が切って落とされることになる。

一方、九死一生は、亭主と父親両方の借金のかたとして売られることになり、気が触れた武家の女房志乃(城恵美)を自分が預かるといい出す。

そんなある日、九死一生は才兵衛に呼ばれ、いよいよ役に立ってもらう時が来た、吉原の総名主を斬ってもらいたいと告げられる。

病気中の近江屋の診察と称して吉原に侵入した幻庵は、一人、秘密の通路から待ち構えていた北町奉行鳥居の前に姿を現すが、その時には幻庵ではなく、近江屋の姿であった。

実は、幻庵の正体とは、近江屋の変装した姿だったのだ。
彼は、鳥居との間に、大門がいなくなった後の吉原総名主は自分にしてくれるよう、かねてより打合せが出来ていたのだった。

幻庵の駕篭と一緒に、朝鮮人参が入った樽に忍んでいた九死一生は、大門を斬った後、黒助組の首領、無明炎蔵(沼田曜一)をも倒すが、多勢に無勢、死を覚悟した時に、文句松が馬車で救援に駆け付ける。

そのことを知った才兵衛は、文句松に、ただちに九死一生を殺害するよう命ずるのだった…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

劇画の映画化で「ポルノ時代劇 忘八武士道」(1973)の続編。

前作の主人公、明日死能を演じた丹波哲郎に替わり、前作にも登場していた、劇画そのものの風貌を持つ「無用ノ介」こと伊吹吾郎が似たような主役を演じている。

内容的には、吉原と対立して戦うことになる「忘八者」と呼ばれる女郎製造、配給組織に、用心棒として雇われる世捨て人同然の浪人者の虚無的な活躍を、エロティックかつスプラッター描写全開で描いていくもので、話の骨格は、ほぼ前作をなぞったようなものになっている。

今回の見所は、何といっても、渋いキャスティング。

天津敏、汐路章、管貫太郎、江幡高志、川谷拓三、沼田曜一といった、観るからに全員「劇画的」というか、特異な風貌で一癖も二癖もありそうな役者たちが、互いに存在感を競い合っている。

天津敏の堂々たる忘八振りも貫禄十分だが、セリフが一切ない川谷拓三の「春琴抄」めいた偏愛エピソードは、その対象で、気丈な演技を見せる池玲子と共に印象的。

内容が内容だけに、いかにもチープな俗悪作品を連想しがちだが、結構、大掛かりなセットを組んだり、あれこれ趣向は凝らされており、B級ながら当時の東映時代劇の底力を感じさせる出来になっている。

ただ、エピソードは盛り沢山ながら、お色気表現優先の姿勢がストーリー性を阻害しているようで、全体的にやや散漫な印象がするのは否めない。

個人的には、沼田曜一や、仕置人のように小道具を駆使するくノ一のような女暗殺団の大活躍がもっと観たかった。

女体だけは、前作同様ふんだんに登場するが、ここまであからさまに画面に露出してしまうと、もはやオブジェ化しているというしかなく、エロティックさは余り感じない。

娯楽作品としての完成度はともかく、観客を楽しませようとする、その過剰とも思えるサービス精神には脱帽したい。